古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

ハチはなぜ大量死したのか

2011-11-10 | 読書
『ハチはなぜ大量死したのか』(ローワン・ジェイコブセン著、中里京子訳)という本を文庫版(文春文庫、11年7月刊)で読みました。
 一読して感じました。「これはレイチェル・カーソンの「沈黙の春」(下記URL)のミツバチ篇だナ」。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%88%E9%BB%99%E3%81%AE%E6%98%A5
 このノンフィクシヨンは、アメリカのミツバチの間に急速に拡大しつつある奇妙な病気、CCD(Colony Collapse Disorder;蜂群崩壊症候群)について克明に書かれたものです。
 突然、ミツバチが巣からいなくなる病気ですが、ミツバチがいなくなると、何故困るか?
 この本の原題は「実りなき秋」(Fruitless Fall)。
 つまり、花粉をめしべに運ぶ授粉昆虫がいなくなれば、蜂が受粉することで実をつける作物が壊滅することになる。ほとんど全ての果樹類やキュウリなどのウリ類、コーヒーやカカオなども昆虫授粉が必要だ。まさに実りなき秋になるのです。
 書店で、この本を手に取り、読んでみようと思ったのは、田舎の友人から「ハチが少なくなった」という話を聞いた記憶を思い起こしたからです。著者もこう語る。
『09年5月に日本を訪れた私は、当時の農水産大臣、石破茂氏に、この危機的状況についてじかに話を伺う機会を手にした。残念なことに、そのとき耳にした状況はどれも聞き覚えのあるものだった――農薬に関連するミツバチの死、殺ダニ剤への耐性を獲得しつつあるミツバチヘギイタダニ。授粉用に貸しだすミツバチのレンタル料がついに二倍に達する・・・。大臣から危機を乗り切る最良の手段について助言をもとめられたとき、私は「国産」の解決策、すなわちニホンミツバチの利用を考えたらどうかと示唆した。』
内容を紹介しようとしたのですが、ネットで成毛眞さん(元日本マイクロソフト社長)が簡にして要を得た書評をしていましたので、そちらを紹介します。
http://d.hatena.ne.jp/founder/20090131/1233415202
 私は、特に印象に残った訳者のあとがきの中の記述を紹介しましょう。
結局のところ、ハチのCCDは、工業的な効率化の思想を農業や牧畜に導入したことに遠因があると思う(その意味で牛のBSEと同じ、福岡伸一さんがこの本の解説文で書いていますが)のですが、
『日本でも、冷戦体制が崩壊し、米国の主導で市場開放が進む80年代以降、農業において米国型の大規模農業を目指すことが主張された。大規模な作付け面積から、機械化によって単位面積当たりの収穫高を限界利益にまで近づけるという「工業化された農業」だ。そして農地の集約をうながすための政治的施策もとられてきた。
 しかし、結局は、日本の狭い国土のなかで、規模の経済を働かせ価格面で国際競争に勝とうなどというのはどだい無理なことだ。柑橘類をはじめさまざまな作物が自由化されていったが、結局日本の農業で生き残ったのは、そうした大規模作付けの作物ではなく、山県のサクタンボ、青森リンゴなどその土地土地の地味を生かしつつ、丹精をこめて作っている作物だ。』

田中角栄という政治家

2011-11-04 | 読書
「原発と権力」で、著者山岡淳一郎さんを紹介しましたが、この著者の発想法の依ってきたる処を知りたくて、著書を調べてみました。2009年刊行の「田中角栄 封じられた資源戦略」があることを知り、副題の「石油、ウラン、そしてアメリカとの闘い」に惹かれて読んでみました。以下、そのさわり。
圧巻は、1974年フランス大統領ポンピドーの急死に際して角栄の見せた弔問外交です。
『田中が「会談をしたい」と各国首脳に呼びかけると、色よい返事が次々と返ってきた。・・・モスクワの空港では、コスイギン首相が出迎えた。シベリヤの開発(チェミニ油田開発、第二シベリヤ鉄道)を持ちかけたのである。フランスのメスメル首相とニジェールのウラン開発を話し合う。西ドイツのブラント首相と会談し、「石油危機は開発途上国を直撃した。この面からの国際協力が必要」と説き、また「シベリヤ開発に関心があるなら連絡してほしい」と誘う。英国ウィルソン首相(労働党)には「政権が変わっても北海油田開発から外資を締め出さないでほしい」と申し入れた。カナダのトルドー首相とは、資源開発の推進を語り合う(カナダのウランやタールサンドに田中は狙いを定めていた)。米国のニクソンの宿舎を訪問した。ニクソンは貿易問題で日本を「評価」したが、田中の石油危機にともなう途上国への配慮には上の空、シベリヤ開発に米国の参加を求めても反応しなかった(当時のニクソンはウオーターゲートでそれどころでなかった)。
三日足らずの弔問外交で、田中は涙ぐましい奮闘をみせた』
「石油の一滴は血の一滴」という言葉を、角栄は頻繁に言ったそうだ。日本の発展には資源の確保が不可欠。石油とその後に来る原子力の時代(と角栄は考えた)に備え、ウラン資源の入手に手を打つべきと考えたのである。
この意味で、その考えが正しかったかどうかは別にして、構想力を持った政治家であった。しかし、彼の悲劇は、「資源をどう抑えるか」は、米国の世界戦略であり、彼が奮闘すればするほど、米国の世界戦略に逆らう結果になったことである。しかも、そのことに気付かなかった。
そして、田中金脈問題が発生する。なぜか、日本の政治家が米国の戦略に逆らう発言をすると、途端にスキャンダル問題が起こる。
石油→ウラン→原発と筆者の思索は進行したようだ。「原発と権力」に至る軌跡が読み取れる。原発と原爆との関わりを、著者は次の記述で明らかにする。
『74年5月18日、インドは原爆の地下核爆発実験に成功し、米、ソ、英、仏、中に次ぐ6番目の核保有国となった。原爆には濃縮ウランで製造される広島投下型と、燃えないウラン238を変換したプルトニウムでつくる長崎投下型があるが、インドが実験に使ったのは後者だった。
そのプルトニウムは、平和利用の名目でカナダから購入した重水炉の使用済み核燃料を「再処理」したものだった。世界中に衝撃が走った。インドは、原発を使う目的を「電力」から「爆弾」へ政治的に変えただけで、貧しい国であっても核兵器を持てることを証明した。ウラン濃縮、もしくは使用済み核燃料の再処理の技術さえあれば、気のふれた独裁者であれ、偏狭なテロリストであれ、原爆を所有できる。原発が核拡散に直結する時代の扉が、こじ開けられたのであった。
インドは、国境を接する中国が64年に新疆ウィグル自治区のロアノール湖で始めて核実験をして以来、核兵器開発に血眼になった。・・・』

原発事故のメーカー責任

2011-11-01 | 経済と世相
 フクシマの事故で何故メーカーのGEは責任を問われないのか、保証期間が過ぎているということであろうか?かねがね疑問に思っていました。これについてふれた論文を見つけました。 世界11月号の、伊東光晴京大名誉教授の「続・経済学から見た原子力発電」です。 以下、同論文の中から原発のメーカー責任について述べた箇所を紹介します。
【日本航空や全日空などは、日々、飛行の前に機体の整備・点検を行って安全確保に万全を期している。この整備会社はJALなりANAなりに属する整備会社である。・・だが、原発の場合は違う。電力会社はこのような整備・点検のための企業を持っていない。
 定期点検に従事した人の証言によれば、整備・点検は原子炉を作ったメーカーとその関連会社によって行われている。電力会社は原子炉の運転に従事するが、設備の実態、整備その他については素人だという。
 原子力発電の原理を知っただけでは、実際の工場設備は分からない。原子力工学科の教授でも現場でいちいち説明を受けないとわからないのであり、配管ひとつとっても延長すると驚くほど長い。どこからどこへ行くのか、とまどう。・・・・
 九電玄海2号の再開にさいして、九電は整備・点検が終わったことを資源エネルギー庁に提出したのだろうが、だが九電に安全・点検の能力はない。何万点にも及ぶ箇所を再点検する能力は、資源エネルギー庁にも原子力安全保安院にもない。・・・いったい誰が責任をとるのか。安全への責任は、整備・点検を行ったメーカーが負わねばならないのは当然である。にもかかわらず、メーカーは公開の場にも、法的責任の主体にも登場していない。これはどう考えても理解に苦しむ。】

【二つのことを提案したい。
 第一は原発の事故の責任を事業者(電力会社)だけに負わせる現行の「原子力賠償に関する法律」を改め、整備・点検の主体である、日立、東芝、三菱電機などメーカーにも賠償の責任を負わせることである。
 現行法が何故メーカーの責任を問わないものになっているかは、すでに書いたことであるが日米の外交上の力関係から、アメリカは国内で起こっている原発事故を考え、技術供与を行うアメリカ企業(GE・WH)に責任が及ばないように求めた結果であろうと思われる】。もうひとつの提言は、
【第二は、実質何の能力もない原子力検査協会や原子力安全保安院などを廃止すること。】
 さらに(私にとって驚きだったのは)
「電力料金の改定は電力会社の申請を資源エネルギー庁が認可して行われる」ことはよく知られている。しかし、
【料金改定だけではない。会計の細部も、企業運営の細部も、電気事業法によって許認可となっており、資源エネルギー庁が考える基本方針にそって行われていくのである。
 東電の社長・会長として、また長く経済同友会の代表幹事として修正資本主義を唱えた木川田一隆氏。木川田さんは、原爆の被害を受けた日本では、核を利用する原発は設置すべきでないと言っていた。だが後に原子力発電を受け入れたのである。なぜか。
経営の基本方針の決定権が資源エネルギー庁にあった。
 以上のことから、電力会社は、通常の民間企業のように、企業運営の決定権が企業の経営者にあるのではない。と思うようになった。】
 電力会社は民間企業ではなく、お上だった。そう理解すると、原発事故への東電の対応が良く分かるし、九電のやらせメールで、経営者が責任をとろうとしないのもよく分かります。
 事故を起こした東電の経営者が辞めてないのに、単にやらせだけの九電の経営者が何故辞めなくてはいけないのか。まさにお役人の論理です。