古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

原発事故のメーカー責任

2011-11-01 | 経済と世相
 フクシマの事故で何故メーカーのGEは責任を問われないのか、保証期間が過ぎているということであろうか?かねがね疑問に思っていました。これについてふれた論文を見つけました。 世界11月号の、伊東光晴京大名誉教授の「続・経済学から見た原子力発電」です。 以下、同論文の中から原発のメーカー責任について述べた箇所を紹介します。
【日本航空や全日空などは、日々、飛行の前に機体の整備・点検を行って安全確保に万全を期している。この整備会社はJALなりANAなりに属する整備会社である。・・だが、原発の場合は違う。電力会社はこのような整備・点検のための企業を持っていない。
 定期点検に従事した人の証言によれば、整備・点検は原子炉を作ったメーカーとその関連会社によって行われている。電力会社は原子炉の運転に従事するが、設備の実態、整備その他については素人だという。
 原子力発電の原理を知っただけでは、実際の工場設備は分からない。原子力工学科の教授でも現場でいちいち説明を受けないとわからないのであり、配管ひとつとっても延長すると驚くほど長い。どこからどこへ行くのか、とまどう。・・・・
 九電玄海2号の再開にさいして、九電は整備・点検が終わったことを資源エネルギー庁に提出したのだろうが、だが九電に安全・点検の能力はない。何万点にも及ぶ箇所を再点検する能力は、資源エネルギー庁にも原子力安全保安院にもない。・・・いったい誰が責任をとるのか。安全への責任は、整備・点検を行ったメーカーが負わねばならないのは当然である。にもかかわらず、メーカーは公開の場にも、法的責任の主体にも登場していない。これはどう考えても理解に苦しむ。】

【二つのことを提案したい。
 第一は原発の事故の責任を事業者(電力会社)だけに負わせる現行の「原子力賠償に関する法律」を改め、整備・点検の主体である、日立、東芝、三菱電機などメーカーにも賠償の責任を負わせることである。
 現行法が何故メーカーの責任を問わないものになっているかは、すでに書いたことであるが日米の外交上の力関係から、アメリカは国内で起こっている原発事故を考え、技術供与を行うアメリカ企業(GE・WH)に責任が及ばないように求めた結果であろうと思われる】。もうひとつの提言は、
【第二は、実質何の能力もない原子力検査協会や原子力安全保安院などを廃止すること。】
 さらに(私にとって驚きだったのは)
「電力料金の改定は電力会社の申請を資源エネルギー庁が認可して行われる」ことはよく知られている。しかし、
【料金改定だけではない。会計の細部も、企業運営の細部も、電気事業法によって許認可となっており、資源エネルギー庁が考える基本方針にそって行われていくのである。
 東電の社長・会長として、また長く経済同友会の代表幹事として修正資本主義を唱えた木川田一隆氏。木川田さんは、原爆の被害を受けた日本では、核を利用する原発は設置すべきでないと言っていた。だが後に原子力発電を受け入れたのである。なぜか。
経営の基本方針の決定権が資源エネルギー庁にあった。
 以上のことから、電力会社は、通常の民間企業のように、企業運営の決定権が企業の経営者にあるのではない。と思うようになった。】
 電力会社は民間企業ではなく、お上だった。そう理解すると、原発事故への東電の対応が良く分かるし、九電のやらせメールで、経営者が責任をとろうとしないのもよく分かります。
 事故を起こした東電の経営者が辞めてないのに、単にやらせだけの九電の経営者が何故辞めなくてはいけないのか。まさにお役人の論理です。

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