昼食後、学習センター前の猪高緑地公園に入る。センター前の道から這入ったら、いやに険しく狭い道で、少し上ったら「通行止め」!迂回路の図があったが、それを見ると、センター前の道まで戻れとある。やむなく、戻って、公園西側の迂回路へ。こちらの方が道は広い。
戦前はこのあたり一帯、名東区のほとんどが里山と田園地帯だった。猪高緑地は元々谷地を利用して作られた農業用のため池と雑木林からなる場所で、このあたりの住民は炭や竹そしてお米をここで作って生活を営んできた。しかし高度経済成長時代以降、名東区がベッドタウンとなっていくにつれ、この雑木林は誰も手入れをしなくなり荒れ放題になった。そこで住民と行政が一体になって里山保全活動を行うこととなり、「いだかの森」として里山の風景を残していくことになった。一度は失われてしまった里山風景を取り戻し、現在では、このいだかの森が昭和30年代以前当時の姿を保っていると言っても良い。森にはその昔農業用に作られたため池や、コナラ、ヒノキといった林が残されている。
短い距離だが、山中の気分を味わい、広い道に出たところは、名東区スポーツセンターだった。先ほどの障害者スポーツセンターの東隣だった
次は観音寺だ。十一面観世音菩薩があるという。北へ途中、5km地点の貴船公園で小休憩した。公園の北隣にも貴船社という神社がある。雨の神様で、昔の農民にとって水がいかに大事であったか、よく分かる。
観音寺の上り坂を上がると、クロガネモチの大樹(写真)があった。名古屋市の指定保存樹と
のこと。
11面観音様は、観音堂はあったが、鍵がかかって中をのぞいても、残念ながら、お姿を拝見できなかった。
観音寺の参拝を終わると、ゴールの地下鉄本郷駅まで5~600m。無事に全員完歩できました。
後は地下鉄でおうちへ。3時20分帰宅しました。
戦前はこのあたり一帯、名東区のほとんどが里山と田園地帯だった。猪高緑地は元々谷地を利用して作られた農業用のため池と雑木林からなる場所で、このあたりの住民は炭や竹そしてお米をここで作って生活を営んできた。しかし高度経済成長時代以降、名東区がベッドタウンとなっていくにつれ、この雑木林は誰も手入れをしなくなり荒れ放題になった。そこで住民と行政が一体になって里山保全活動を行うこととなり、「いだかの森」として里山の風景を残していくことになった。一度は失われてしまった里山風景を取り戻し、現在では、このいだかの森が昭和30年代以前当時の姿を保っていると言っても良い。森にはその昔農業用に作られたため池や、コナラ、ヒノキといった林が残されている。
短い距離だが、山中の気分を味わい、広い道に出たところは、名東区スポーツセンターだった。先ほどの障害者スポーツセンターの東隣だった
次は観音寺だ。十一面観世音菩薩があるという。北へ途中、5km地点の貴船公園で小休憩した。公園の北隣にも貴船社という神社がある。雨の神様で、昔の農民にとって水がいかに大事であったか、よく分かる。
観音寺の上り坂を上がると、クロガネモチの大樹(写真)があった。名古屋市の指定保存樹と
のこと。
11面観音様は、観音堂はあったが、鍵がかかって中をのぞいても、残念ながら、お姿を拝見できなかった。
観音寺の参拝を終わると、ゴールの地下鉄本郷駅まで5~600m。無事に全員完歩できました。
後は地下鉄でおうちへ。3時20分帰宅しました。