古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

名東区のウオーキング(3)

2011-11-28 | 旅行
 昼食後、学習センター前の猪高緑地公園に入る。センター前の道から這入ったら、いやに険しく狭い道で、少し上ったら「通行止め」!迂回路の図があったが、それを見ると、センター前の道まで戻れとある。やむなく、戻って、公園西側の迂回路へ。こちらの方が道は広い。
戦前はこのあたり一帯、名東区のほとんどが里山と田園地帯だった。猪高緑地は元々谷地を利用して作られた農業用のため池と雑木林からなる場所で、このあたりの住民は炭や竹そしてお米をここで作って生活を営んできた。しかし高度経済成長時代以降、名東区がベッドタウンとなっていくにつれ、この雑木林は誰も手入れをしなくなり荒れ放題になった。そこで住民と行政が一体になって里山保全活動を行うこととなり、「いだかの森」として里山の風景を残していくことになった。一度は失われてしまった里山風景を取り戻し、現在では、このいだかの森が昭和30年代以前当時の姿を保っていると言っても良い。森にはその昔農業用に作られたため池や、コナラ、ヒノキといった林が残されている。
短い距離だが、山中の気分を味わい、広い道に出たところは、名東区スポーツセンターだった。先ほどの障害者スポーツセンターの東隣だった
次は観音寺だ。十一面観世音菩薩があるという。北へ途中、5km地点の貴船公園で小休憩した。公園の北隣にも貴船社という神社がある。雨の神様で、昔の農民にとって水がいかに大事であったか、よく分かる。

観音寺の上り坂を上がると、クロガネモチの大樹(写真)があった。名古屋市の指定保存樹と
のこと。

11面観音様は、観音堂はあったが、鍵がかかって中をのぞいても、残念ながら、お姿を拝見できなかった。
観音寺の参拝を終わると、ゴールの地下鉄本郷駅まで5~600m。無事に全員完歩できました。
後は地下鉄でおうちへ。3時20分帰宅しました。

名東区のウオーキング(2)

2011-11-28 | 旅行
途中、屋根を突き出した柿の木を見た。
写真は屋根から飛び出す柿の木

 交差点をわたると前方左に森が見える。そこが明徳寺だった。立派な石段です。柴田勝家の産まれた地、山門前右に下社城跡、左に柴田勝家公生誕地の碑が立っていた。
 勝家の生まれた頃は、下社城だったらしい。
境内で掃除などしている男性がいた。
「この辺は、柴田さんという家が多いですね」
「戦前は、柴田と加藤ばかりだった。柴田のほうがやや多かった。空襲で疎開の人たちが見えて、それ以外の姓もあるようになった」と教えてくれた。
周辺の豪壮な邸宅は概ね「柴田」の表札を掲げている。さしずめ「柴田の荘」です。

石段を降りて大通りを東へ。ベーカリーベックというパン屋さんあった。
「おいしそうだから、買っていかない」と奥様方が言う。しばし買い物。ここまで3km。さらに東へ。障害者スポーツセンターのある交差点に出た。斜め右の坂を上ると、名東区の生涯学習センターがあった。12時10分前、昼食にしようと、学習センターのロビーに入り、喫茶部のお姉さんに「後で珈琲頼みますけど、ここでお弁当を使わせてください」。皆で弁当を広げた。Sさんが「NOZUEさん、これ食べない?」と、先ほどのベーカリーで買ったジャガイモ入り固焼きのパンをくれたので、ご好意に甘える。

名東区のウオーキング(1)

2011-11-28 | 旅行
 25日はシニアクラブのウオーキング。男性2名、女性5名の7人で名東区にでかけました。お天気は良い。気温は低いが、風はないので、それほど寒くはない。行き先のポイントは、明徳寺(みょうとくじ)と猪高緑地です。明徳寺は、柴田勝家が居をかまえていたところで、猪高緑地は昭和30年代頃までは里山でしたが、現在「いだかの森」として整備されています。

10時10分ごろ、地下鉄東山線の上社(かみやしろ)駅に着きました。名東区は東名名古屋ICがある区。駅から高速道路のコンクリート造りを横断する歩道橋を渡って東へ。最初に訪れたのは神蔵寺。柴田勝重が15世紀に創建したと伝えられます。

坂道を上がると、墓碑が立ち並ぶ。柴田某なる名前の立派な墓石が多い。柴田勝家の係累のようだ。隣に貴船神社という雨の神を祀る神社があった。お寺と神様が共存して祀られている。
南へ、植田川の散策道を歩いていくと、窓の形のユニークな建物があった。名古屋商業大学寮である。その前を東へ曲がると陸前町の交差点。