古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

金融が乗っ取る世界経済

2011-11-20 | 読書
筆者の言う「日本経済のアングロサクソン化」とは、企業経営の株主主権主義への傾斜です。
 ドーアさんは、この株主主権主義に反対し、「ステークホルダー経営」を説く。
【株式会社は、理念的には企業価値を可能な限り最大化してそれを株主に分配するための営利組織であるが、同時にそのような株式会社も、単独で営利追及活動ができるわけではなく、一個の社会的組織であり、対内的には従業員を抱え、対外的には取引先、消費者等との経済的な活動を通じて利益を獲得している存在であることは明らかであるから、従業員、取引先など多種多様な利害関係者(ステークホルダー)との不可分な関係を視野に入れた上で企業価値を高めていくべきものであり、企業価値について、もっぱら株主利益のみを考慮すれば足りるという考え方には限界があり採用することはできない。(ブルドックソース事件東京高裁判決)】
 続いて「「株主主権主義」と「世界経済の金融化」との関係。
 【「株主主権主義」への傾斜は「世界経済の金融化」と無縁ではない。
「投資」の意味が変わった。19世紀~20世紀、資本所有者は、自分の判断でモノをつくり、有用なサービスを提供する事業家に直接投資した。
現在は、それと対照的に、投資取引は、カネで生産手段を作る/買うために行う投資行動より、今手放す金融資産がより高い資産価値を持って帰ってくるための取引が圧倒的に多い。東京株式市場で、日本の会社が「モノ」をつくるための新規上場会社の株売却による資本調達の総額は、2000年から2009年まで、難関最低1.4兆円、最高6.2兆円だった。2007年の年間株売買の「出来高」(約1000兆円)の微々たる部分でしかない。】
そしてこうした「金融化」の背景には「国家の社会保障の衰退化」がある、と解説しています。
 【1945~80年の間、先進諸国で著しかった傾向の一つは、集団的保険、国民のリスク・プールを作る社会保障制度を徐々に完備してきたことである。いわゆる賦課制の原理を貫徹する制度が基本だった。
 賦課制の原理とは、年金制度について言えば、今年の老人給付を、今年現役で働いている人たちの掛け金で払うような制度である。
 高齢化、少子化の時代が襲ってくると、掛け金を払う人・給付を受ける人のバランスが変わってくる。その対策として、次のような提案がある。
① 現役の人の掛け金をだんだん上げる。
② 毎年の掛け金収入と給付のギャップを消費税など国税の一般収入で補う。
③ 「国家共同体の中の分かち合い」という原理の代りに、基金制度と「自己責任」の原理に行こうする。つまり、個人のレベルでいえば、給付を貰う権利が、自分の一生の掛け金の累計額、およびその貯蓄/投資の利回りによって変わるという原理を採用する。
 (日本は)過去15年間は第三の対策に重点を置いてきた。アメリカの税制から名をとって「401k」の個別基金勘定を、国家年金にも、会社年金にも導入し、医療の自己負担分を増やしたりして「自己責任」の原理を推進してきた。
 こうして年金基金、医療保険基金などが膨張し、市民同士の絆ではなく、資本市場が社会保障の基本となっていく(これを「国家の社会保障の衰退化」と筆者は言う)。その結果、金融資本はますます膨張せざるをえない。年金基金の資産額は、資産価格の変動でかなり変動するが、金融危機でもっとも価値が下がった2008年には、世界の合計が、世界のGDPの58%であった。09年には70%にあがったのだが、まだ07年のレベルに及んでいなかった。
 「リスクの個人化」、「社会保障制度の衰退」が、金融資本の著しい拡大の一つの源泉であったことは明らかである。】

 さすが、日本の研究者!日本の社会、経済を鋭く分析展望しています。