古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

郵便貯金の限度額

2010-04-10 | 経済と世相
 亀井大臣が、郵便貯金の限度額を2000万円に引き上げることを決めました。
 この問題を考えてみます。内閣内部にも批判的な意見があり、たとえば前原大臣は「資金は“官から民へ“という考えからすると、如何なものか」とTVで疑問を呈していました。実際、民主党はこの観点から、かつて「限度額を1000万円から500万円に引き下げるべし」と主張していました。また、郵貯は、国民の零細資金を預かるという性格の金融機関で、実際、預金者の平均預金量は約300万円。2000万円に引き上げる意味はどこにあるかという批判もあります。
 亀井大臣の主張に賛成というわけではありませんが、大臣の主張は論理的にはスジが通っていると、私は思います。
 以下は、私の推理する亀井大臣の本音です。
 デフレ不況を脱出するには、需要を増やさなくてはいけない。ところが民間の需要がさっぱりだから、民間の需要が盛り上がるまでは、国がカネを使わないといけない。国がカネを使うには資金源として国債を発行しないといけない。国債を発行するためには、国債の買い手を見つけないといけない。だから郵貯に買って貰おう!
 しかし、郵貯はカネがないのです。既に郵貯の80%は国債になっています。95年に260兆円とピークをつけた郵貯は09年には175兆円にまで資金量が減りました。
 減った理由は二つ。一つは金利が低すぎて魅力がなくなったこと。もう一つは、国民の高齢化。現役時代は一生懸命貯金をしますが、退職すればその預金を下ろして使うのは当然です。
 景気対策で、政府はお金をじゃぶかぶにしましたが、お金というものは、貧乏人の所に寄り付かず、お金持ちの所に集まるという性癖があります。そのお金持ちの資金を郵貯に集めようとすると、限度額の1000万円が邪魔です。ほとんどのお金持ちは郵便局に1000万円の貯金は持っている。だから、限度額を上げないと、お金持ちからカネを集めることは出来ないのです。亀井さんは、300万円程度の零細預金者から貯金を集めるのはムリだと、分かっています。
 鳩山総理が「閣僚会議の了解を取らないと・・・」と渋っても、亀井大臣は「国債の引き受け手がなくなったら、どうするんですか?税収が37兆円で予算が92兆円。今年は埋蔵金で10兆円ぐらい捻り出したが、来年以降、不足額は全部国債。日銀に全額引き受けさせるのですか?国債が未達になったら日本政府の信用はどうなるんです!」と、詰め寄ったに違いありません。
 かくて、菅さんも仙石さんも前原さんも何も言えません。あっさり、閣僚懇談会は、亀井案を了承する運びになりました。
 以上は、まったく私の想像ですが、資金の流れを「官から民へ」にしようとするなら、国債発行を減らさないといけません。国債こそ、民からカネを吸い上げて、資金を「民から官へ」流すものだからです。