古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

自民党

2010-04-23 | 経済と世相
与謝野さん、舛添さんなど次々に自民党から飛び出す人が出ます。

この原因について愚考しました。

 昭和30年以来、一年未満の細川・羽田内閣を例外として、昨年9月まで自民党の政権が続きました。その間に、いつのまにか自民党は政権党という疑似政党になっていたと思います。

 政権党とは、政権に就いていることで成り立っている政党です。本来、政権というものは、【政策や主張に共通点のある者同士が集まって、意見の集約と統一された政策の形成を図り、政策の実現に向けての活動として、政権を担当もしくは目標とし、議会の運営の基本単位になるなどを行う組織または団体のことを指す。】(ウィキペデイヤ)

 つまり、共通の政策を持つ人たちが集まって政権を担当または政権の獲得を目的とする組織です。

 ところが、自民党は、あまりにも長く与党で有りつづけたため、共通の政策を持つ人たちでなく、政権に就くことだけを目的とする人たちの集合になってしまった。

 政権に就いて、選挙民あるいは支持団体のために、便宜を図る。それによって自分も長く政治家の地位を保つ。自民党はそもそもどういう政策を実現するのか、ということを党として議論しない政党になってしまった。

 だから、平気で社会党とも連立政権を作れた。1994年、村山内閣の成立した時点で、自民党は、共通の政策を持つ政治家の集団(政党)であることを止めて、疑似政党になったと思います。村山内閣の成立が遠因となって、社会党は消滅した。自民党も同じ道を歩みつつある。

 医師会も、農協もどんどん自民党から離れ始めた。政権に就いているときは、便宜を図って貰えたが、当分、政権につく見込みがないなら、便宜を図ってもらいようがない。だから、自民党に距離をおく。経団連すらそうです。もともとこれらの組織は、自民党の政策を支持するというより、自分たちに有利な制度を作って貰うために支援していたのだから。

本来の政党になろうとすると、共通する政策は何か、から考えねばならない。そうなると、考えの違う(あるいは考えのない)人たちの集合だから、分裂せざるを得ない。

民主党の政権運用がいかにお粗末でも、自民党に政権は戻ってこない。

自民党が、もし、本当に政権奪取を志すのなら、「何故、自分たちは政権を失ったか。政策のどこで間違ったか」を総括しなければならないのだが、そんな動きはさらさらない。