『ガード下の靴みがき』という歌がある。宮城まり子が、たしか昭和30年にリリースした歌です。
中日夕刊に掲載の宮城まり子の自伝が面白い(西日本新聞にも掲載されているかも。中日、西日本、北海道新聞は良く同じ原稿を載せています)。
この歌について、こう語っていました。
『磯部さん(プロデューサー)のくずかごに、原稿用紙が捨ててあるのに気がつきました。
「あ、一生懸命、書いたのに」と思いました。原稿用紙が、かわいそうと拾い上げ、机の上に広げてみました。
ガード下の靴みがき
一、紅い夕日がガードを染めて
ビルの向こうに沈んだら
街にゃネオンの花が咲く
俺ら貧しい靴みがき
ああ 夜になっても帰れない
・・・
涙がぽろんとこぼれました。
ああ、この歌を歌うために、私がいる。そう、思いました。』
http://8.health-life.net/~susa26/ikoi/kutumigaki.html
ボツになったこの歌を、彼女が懸命に採用を訴えて、レコード化したというのです(ご承知と思いますが、彼女の大ヒット曲になりました)。
小生の大好きな歌の一つです。
こうしたセンスは生まれつきのものかもしれません。1968年、肢体不自由児のための社会福祉施設「ねむの木学園」を開設した彼女には、かねがね敬意を払っていますが、改めて、素晴らしい人だと思いました。
中日夕刊に掲載の宮城まり子の自伝が面白い(西日本新聞にも掲載されているかも。中日、西日本、北海道新聞は良く同じ原稿を載せています)。
この歌について、こう語っていました。
『磯部さん(プロデューサー)のくずかごに、原稿用紙が捨ててあるのに気がつきました。
「あ、一生懸命、書いたのに」と思いました。原稿用紙が、かわいそうと拾い上げ、机の上に広げてみました。
ガード下の靴みがき
一、紅い夕日がガードを染めて
ビルの向こうに沈んだら
街にゃネオンの花が咲く
俺ら貧しい靴みがき
ああ 夜になっても帰れない
・・・
涙がぽろんとこぼれました。
ああ、この歌を歌うために、私がいる。そう、思いました。』
http://8.health-life.net/~susa26/ikoi/kutumigaki.html
ボツになったこの歌を、彼女が懸命に採用を訴えて、レコード化したというのです(ご承知と思いますが、彼女の大ヒット曲になりました)。
小生の大好きな歌の一つです。
こうしたセンスは生まれつきのものかもしれません。1968年、肢体不自由児のための社会福祉施設「ねむの木学園」を開設した彼女には、かねがね敬意を払っていますが、改めて、素晴らしい人だと思いました。