古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

大織部展

2014-10-28 | 美術館と美術展


 26日は午後、岐阜県陶磁美術館に出掛けました。
http://www.cpm-gifu.jp/museum/01.top/index1.html
大織部展がこの日までやっていたが、見に行こうと思いつつ行けなくて最終日になりました。12時家を出て、地下鉄で大曾根駅、JR中央線の中津川行に乗り換え1時に多治見駅に着きました。南口のバス停に行くと、13時10分発のコミュニテイ・バス桔梗号に乗りました。美術館迄片道200円ですが、一日乗車券300円を買えば、帰りも使えるとのことで、300円券を買いました。「何故桔梗号かな?」と思っているうちにバスは、土岐川の川岸に出ました。「そうか、土岐は戦国武将の明智光秀の出身地、光秀の家紋は確か桔梗だった」。市街にでると、修道院というバス停がある。こんなところに修道院があるの?

25分で、「セラミックパークMINO」に着く。
「大織部展」のポスターが大きく掲示されている。

「セラミックパークMINO」は、随分立派な建物だ。

入り口から展示室まで豪奢なアプローチがある。

展示室の前に梶原前岐阜県知事の筆に成る定礎がある。


梶原さんは知事会の会長もやったから、政治力があり、国から補助金をたくさん獲得してこの美術館を作ったのだろう。
 800円のチケットを買い、中に入ると、学芸員の解説がはじまったところだったので、グループの後について、説明を聞きながら回った。
 古田織部は没後400年っという。大阪陣後、家康に謀反の疑いをかけられ切腹を命じられたという。
信長、秀吉、家康という一癖も二癖もある人物に仕えたのだから、人扱いはうまかったはずだが、どうして謀反の疑いをかけられるようなことをしたのだろう。この辺りは歴史小説家の題材で、小生などには思い及ばない事情だろう。
利休作の竹の花さしがあった。先日の太河ドラマ、官兵衛に出てきたものかな。利休の織部宛ての書状も展示されていた。もちろん展示の中心は、焼き物だが、形がすべて歪んでいて、円や直線を組み合わせた西洋の美術品には全く見られない美である。この、いわば、ゆがみの美を見出したのが織部だったのかもしれない。「ひょうげもの」と称された所以であろうと思った。1時間ぐらい駆け足で展示を見て2;35のバスに乗り、3:37大曾根駅に着く。プールにより夕方帰宅しました。