古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

ミスすることが出来る能力

2012-02-03 | Weblog・人生・その他
中村桂子さん(JT生命誌研究館館長)が「人間の魅力と機械」と題して、1日の中日朝刊に寄稿していました。
「ハイゼンベルグの不確定性原理」が修正されるというニュースについて、
 『まず、不確定性原理を考えてみよう。素粒子などミクロの世界では、自動車の運転やビルの建設などで日常的用いる決定論的で未来を予測できる力学は成立しない。素粒子の動きはあいまいであり確率でしか決まらず、不確定性を持つのだ。・・・私たちが暮らす世界の基本が決定論的ではないという事実は重要だ。

 ところで、ハイゼルベルグの式では本質的な不確定性(ゆらぎ)と測定による乱れが区別されていないことに小沢名大教授が気付き、整理したのだという。教科書を書き換えるようなこの新しい考え方を、最先端のレーザー技術などを用いてウイーン工科大学の長谷川裕准教授が実証したというわけだ。 機械の進歩あっての成果と言える。しかし、世界のありようについて創造的な考えを出せるのは人間であることを忘れてはならない。』
このあたり、詳しく知りたい方は
http://www.nikkei-science.com/?p=16686

 『ここで将棋の話になる。米長邦雄永世棋聖はコンピュータの癖を研究して守りを固め、中盤までは優勢だったとのことだ。しかし後半一つのミスをきっかけに、コンピュータの猛攻が続いて一気に追い込まれ、113手で投了となった。
 しかし、人間の脳とコンピュータでは働き方が違う。さしての美しさや時々出るミスまで含めての人間らしさ。私たちはそれを将棋として楽しんでいるのではないだろうか。
 棋士の頭の中には、小沢教授が不確定性原理の式に抱いたと同じ理性と感性の共同したはたらきがあり、そこに創造性があるのではないか。人間にとって技術は大事だし、活用し楽しむのはよいが、人間とは何かという問いを忘れると機械にふりまわされる。』
 つまり、こういうことだと思います。人間には新しいことを発想する創造力がある。しかし、人間は時にミスをする。実は、ミスをする能力があるから、新しい発想ができる。ミスをする神経回路があるから、新しいアイデアが生まれるのだ。
 機械は、いくら精巧になっても、ミスができない。新しい棋譜を発想する棋士の頭と、新しい法則を見出す物理学者の頭は、実は、ミスする脳の回路があればこそ、それが可能だ。精巧な機械は、それらのミスを見出すことは出来る。
将棋では、コンピュータは人間のミスを見出すことで、人間に勝てる。もし人間の差し手にミスがなければ、コンピュータは人間に勝てない。
不確定性原理では、ハイゼンベルク先生のミスを、最先端の機械がみつけた。
最後に中村先生は、センター試験に一言!
 『センター試験のトラブルも同じだ。・・・
 この際、そもそも全国一斉の試験は本当によいやり方かという問いが出ても良いのではないだろうか。大学や地域がそれぞれの特徴を生かして、さまざまな人々を育てるのが本来の教育の姿だろう。コンピュータ処理ができるから大規模試験をやるというのでなく、本当の教育を考えた時の試験のあり方を考え、その上で機械を活用してほしい。』