古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

「想定外」と「一義的」

2011-04-28 | 経済と世相
 国会中継を見ていました。火曜日の夕方のことです。

大震災の集中討議で、共産党の吉井英勝さんの質問、聞かせる内容でした。

 どんな内容か、興味のある方は以下のネットをご覧ください。

http://www.441-h.com/kokkai.html#0427

原子力の専門家(京都大学工学部原子核工学科卒)だけあって、ポイントを衝いています。吉井さんについては、柳田邦男さんが文藝春秋5月号で、「『想定外』か?問われる日本人の想像力」という寄稿を寄せていますが、その中で2006年、衆院予算委員会での吉井さんの質問に触れています。(原発で非常用電源が失われた時にどういう事態になるかを質問した。当時の原子力安全委員長は『他のプラントと融通するなど、多角的な対応を事業者に求めている。」と答えて、安全性が確保されていることを強調した』というのです。)

さらに、吉井さんのブログでは、『経済産業省所管の原子力安全基盤機構が、津波による原発事故の危険性について、東京電力福島第1原発に酷似した条件で分析し、昨年12月の成果報告書にまとめていたことが26日までに分かりました。確率的には、波高7メートルの津波によって炉心損傷に至るケースの頻度が最も大きく、7メートル以上の津波では頻度は小さくなるものの、ほぼ確実に炉心損傷に至るという結果がでました。こうした分析がありながら津波対策を軽視してきた政府や東京電力の責任が、いっそう浮き彫りになっています。』と、経済産業省も津波により炉心損傷が起こることを承知していたというのです。

つまり、地震も津波も非常電源の停止も、『想定外』ではなかったのです。

東電(東電を監督する原子力安全委員会も)の責任は大きい。当然、被害者への補償は東電が行うべきですが、菅首相は「一義的には東電が補償する」と述べていますが、この「一義的」とはどういう意味か、気にかかります。一義的にも二義的にも、東電が補償すべきです。その結果東電が倒産して、被害者が保証金を得られない事態になった時に、初めて国が乗り出すべきです。

首相の「一義的」とは「倒産するまでは東電の責任」という意味でしょうか。

 補償金の財源が足りなければ、東電はすべての資産を売るべきです。倒産すれば関東地域に電力を送電する業者がなくなると心配する必要はありません。資産を東北電力と中部電力に売って、以後の電力事業は、東北電力と中部電力が行えばいいのです。

 以上のように、私は腹を立てているのですが、多分、ごまめの歯軋りでしょうね・・