古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

私の時評:新政権に成長戦略はあるか?

2009-10-30 | 経済と世相
 27日の中日夕刊に、三菱UFJ証券の水野和夫さんが、こんな寄稿をしていました。

【民主党政権に対し、成長戦略が見えないとの批判が多い。それは近代社会がよってたつ基盤が揺らいでいなければ正しいが、21世紀のグローバル化はそれを突き崩している。世界の67億人が「成長」を目指すには地球は小さすぎる。だとすれば、近代化の先頭を走る日本に課せられた課題は、「欲望の開放」から卒業し、地球の存続可能性を目標とすべきだ。

 先進国の成長を裏側で支えたのが、化石燃料や食料など資源を安く提供してくれた資源国をはじめとする途上国だった。

「中核」(先進国)に奉仕する「辺境」(途上国)のおかげで、ただ同然の化石燃料を好きなだけ消費できたから、先進国は豊かな生活を享受できたのである。

 21世紀のグローバル化が従来と決定的に異なるのは、「辺境」であった途上国が「中核」の仲間入りを目指すことで、世界は人類史上初めて「辺境」を消滅させるプロッスに入ったことにある。400年かけて豊かになった10億人の先進国に対し、40億人の新興国の人々は1,2世紀で豊かになれると期待する。地球の永続性を考慮すれば、日本がまず脱近代化することだ。】

 民主党政権の「成長戦略」がないという問題について、私はこう考えています。

自由経済下で、政府が経済成長を図ることが可能かどうか。一般には財政政策、代表的には公共投資で政府がお金を使えば、それが呼び水になって、使った金額以上の需要が喚起され、景気が上昇し成長率を高められる。また、いわゆる金融政策、金利を下げて資金量を増加させれば、投資が活発になり、需要も増え成長率は高まると言われる。これらは要するに国内を循環するお金の量・速度を増やすということです。

 しかし、お金の循環が国内に限定されていた経済(これを国家経済と呼ぶことにします)なら、その通りですが、お金の流れが国内に限定できない経済(グローバル経済と呼ぶ)では、財政政策で喚起される需要が国内に向かうとは限らないし、金利が下がった資金が国内に向かうという保証もありません。

 私が言いたいことは、グローバル化が徹底した場合、政府が景気・経済成長を統御する機能が弱くなるということです。

 バブル崩壊後、とりわけ95年以降巨額の景気対策を講じたにも拘わらず、成長率がはかばかしくなかった背景には、世界経済のグローバル化があった。

 【中米のエクアドルでは、自国の通貨がひどいインフレを起すことから、政策として自国の通貨をやめてアメリカドルを自国の通貨にする決断をしました。インフレはなくなり、為替リスクもなくなりましたが、別の大きな問題が発生しています。それは、まず、政府としては金融政策が自国の判断ではできないという点です。通貨の流通量を調整することで国の経済を制御することができないわけです。】

 エクアドルと同じ状態が、グローバル経済では、世界中の国で起こるのです。

 日本政府が国内景気を振興しようとカネを使っても、中国やアメリカの景気を刺激し、その結果が日本に帰ってきて、日本の景気に影響する。

 それも、お金というものは収益の多く得られる所に回る確率が高いから、結局、日本よりも途上国に多く回っていく(成長率の高い国は金利も高くなる)。

日本にとっては、財政金融政策の効率が極めて悪い。その結果が、政府の積み上げた借金になった。

 結論として、グローバル経済では、政府が景気刺激しても、景気はよくならない。だから、新政権に「成長政策」は無くて当然。

 では、どうすれば良いか?

 私は「じっと我慢」以外にない。我慢していて餓死してしまったらたいへんですから、セーフテイ・ネットの強化が必要です。企業にお金を回す政策より、直接困っている人にお金を回す。これが、「コンクリートでなく人に投資」の意味です。

 そのうちに世界経済全体が、好転するのを待ちましょう。

 「成長政策」は無くて当然と言いましたが、実は本当はあるのです。

それは、財政政策や金融政策でなく、技術開発です。世界にない製品をつくることが出来れば、世界中に売れていくから、成長率は高まります。

 だから、首相が、「温暖化ガスの25%削減」をうたうのは、景気対策として正しい。この課題は、技術開発無くしては不可能だからです。

 以上、長々と独断と偏見の時評でした。