古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

機軸通貨の終わり

2009-10-08 | 経済と世相
 世銀の「さらばドル宣言」、と題する浜矩子さんの寄稿が4日の中日に載っていました。
米ドルの機軸通貨の時代は終わると説いています。
【「準備通貨としてのドルの地位が、いつまでも安泰だと思い込むのは誤りだ」。世界銀行の総裁、ロバート・ゼーリック氏がこういった。9月末のことである。機軸通貨ドルの終焉物語も、いよいよ終幕を迎えた観が濃厚だ。
世界銀行は、IMFの兄弟分である。・・・
世銀の総裁が、いつまでもドルが通貨の王様でいられると思うな、と言ったのである。(しかも、現職に就く前のゼーリック氏はアメリカの国務副長官や通商代表を歴任している。)
ドルの忠実な擁護者たるべき要人が、ドルに引導を渡そうとしている。これは大変なことだ。かつて、ドルはドルでありさえすればよかった。ドルはドルであるからこそ、通貨の世界の覇者だった。ドルであること以外に何も資格証明は必要なかった。
その地位は、さながら、かつての日本の自民党のようなものだった。自民党は自民党でありさえすれば、与党でいられた。少なくとも、彼らはそう考えていた。
だが、その幻想はいまや消え去った。彼らが再び与党席を取り返したいと思えば、その資格があることを自らの実力で証明しなければならない。時あたかも、今までの王様通貨、ドルにも同じ場面が訪れている。偶然とは言え、面白い成り行きだ。
「チェンジ」を唱える黒人大統領がアメリカに登場する。「友愛」を唱える宇宙人総理大臣が日本に出現することになる。
機軸通貨国というものをどう定義するか。応えは簡単だ。ある国に良いことが、全世界にとっても良いことである時、その国は機軸通貨国になる。戦後しばらくのアメリカは、確かにそうだった。アメリカの繁栄は世界に繁栄をもたらした。だからこそ誰もがドルを欲しがった。
ゼーリック氏は正しい。アメリカは、この辺でそろそろ機軸通貨国の看板を下ろした方がいいだろう。となれば、次に王座に就くのは誰か。端的に言って答えはない。機軸通貨国の時代そのものが終わった。一つの国の繁栄が全世界の繁栄を保障できるには、地球経済はあまりにも大きくて複層的になり過ぎた。
王者なき集団責任体制の時代。それが、これからの通貨の世界になるのだと思う。集団無責任体制にならないといい。それが心配だ。・・いずれにせよ、ドルがドルであることに価値がある時代には、間違いなく、幕が下りつつある。】
私は思うのだが(妄言かも?)、
ドルが90円を割っているこの潮流は、簡単には元に戻らない。
財務相は、為替介入には否定的だという。当然である。今まで、為替介入で買い込んだドル、米国債がどれだけ評価損をしているかを考えてみてほしい。
輸出企業には厳しい状況が続くが、そもそも、米国への輸出で稼いだドルによる黒字が、日本国民にいかなるメリットをもたらしたか?日本の経済的厚生という意味では、稼いだ黒字を財やサービスの購入に使えなくては意味が無い。是まで米国債を買い込んで、米国政府の赤字を補填しただけ。買い込んだ米国債は評価が下がり続けたのである。
端的に言えば、米国に本来日本の生産物を購入する資力はなく、今までドルという紙切れを印刷して日本に支払っていたのである。機軸通貨だと日本は信じていたのだが・・
つまり、日本は本当に資力のある国に売り込まなくてはならないのだ。
だから、介入で米ドルを維持すると、輸出企業に米国以外に売り込む努力をさせず、従来どおり、日本の商品をドルという紙切れに交換し続けることになる。