古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

竜泉寺&小幡緑地公園

2009-03-28 | 旅行
27日、住宅のシニヤのハイキングで、竜泉寺を訪ねました。7名が地下鉄大曽根駅で、ゆとり-とライン(ガイドウェイバス)に乗替え13分、小幡緑地駅に降り立ちました。

 朝方、小雨がパラツキ、天気予報では小雪も?ということでしたが、青空が出てきた。しかし、気温は花冷えです。

 徒歩で10分ほど、昔は城があったというだけに急坂ですが、登ると尾張4観音の一、竜泉寺観音です。仁王門(重要文化財)を潜ると、境内。「思ったより小さな寺ですネ」

 本殿の裏手、昔、竜泉寺城があった。今は城を模した宝仏殿があるが、平日は入館できない。

 竜泉寺城は、信長の弟・信行が築城したそうだが、歴史に登場するのは、小牧長久手の秀吉VS家康の合戦。秀吉軍の武将・池田勝入斎が中抜けして三河を襲おうと動いた。これを家康側が追い討ちし長久手で勝利をおさめた。直後小幡城に引き上げたのを、小牧の秀吉軍が一挙に殲滅しようと、小牧からこの竜泉寺城に入った。

ところが夜陰に乗じ、家康は小幡城を脱して小牧陣に引き上げてしまった。

 小幡城は、ここから2kmほどの地にあったが、現在は駐車場になっていると言う。そして、竜泉寺城は、その地に宝仏殿を残すというわけです。

 この竜泉寺、伝説では、延暦年間に伝教大師が熱田神宮参籠中に龍神のお告げを受け、多々羅池畔で経文を唱えると、池から龍が昇天すると同時に馬頭観音が出現したので、これを本尊として祀ったのが開基とされている。一方、弘法大師も、熱田神宮参籠中に熱田の八剣のうち三剣をこの龍泉寺に埋納したといわれ、これより龍泉寺は熱田の奥の院とされてきた。

 参詣後、急坂を降りてくると、桜が咲いている。開花宣言から1週間以上経っているが、花冷えの所為か、まだ満開とまでは行かないが、一番花の開いた樹をカメラに収める。

 ついで、駅の東側に広がる小幡緑地公園に行きました。ここは県立公園。園域が広大で、本園、東園、西園と別れて、ここは本園です。地図を見て、竜巻池と緑が池を一周しようと、歩き始めました。今日は少し寒いが、暖かい日なら、樹々の間の散歩道は絶好の散策コースです。緑が池に着いた所で、11時半。ベンチに腰を下ろし弁当を広げました。

 昼食後、せせらぎ広場なる浅い渓流脇を通り抜け、池の東側、北側を歩く。時折、走っているジョガーに出会う。

1時過ぎ、ガイドウェイバスの駅に戻ります。バスは10分間隔で運行していますので、すぐ来ました。



大曽根経由名城公園には2時前。まだ時間が早いから、おしゃべりしてから解散しようと、MR・ドーナッツ。

 「今は年金でなんとか暮らせるけれど、収入が全然増えないのに、税金や社会保険料が年々増加するので、生活がなんとなく不安だよね」と、言い出すと。

「そうなのよ。75歳過ぎると特に保険料が上がるのよ」と、一気にシニヤの意見が盛り上がった。「ダンナにそう言ったら、“コイズミに文句を言え”だって」

(小生もダンナ様にまったく同意見です。)

「75歳過ぎたら料金はタダにするのが本当ですね」と言ったら、

「昔はそうだったのに」

 内閣支持率が低くなるわけです。

 1時間ほどだべって3時解散としました。