古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

桂川河畔を走る

2009-03-17 | マラソン
「第31回京都ロードレース」に出場しました。
15日朝、7時半に家を出て、8:22発のひかりに乗りましたが、このひかり、名古屋までがひかりで後は各駅停車。9時15分に京都に着きました。
 マラソン会場の松尾橋までは、前夜インターネットで調べたら、京都タワーと京都駅の間のバス停から28系統の市バスに乗れば良い、ということです。
 バスは9時35分に来た。四条通を通ります。「壬生寺道」というバス停がありました。
「壬生って新撰組の壬生?」、「壬生は、小説ではずいぶん田舎に思えたが、こんな街の中なの?」
京都三菱自動車の建物が見える。「この工場の部品は現役時代(と言っても40年以上前)に沢山作らせてもらった」が、工場を見るのは初めて。
 35分ぐらいで松尾橋。桂川にかかる橋です。昔、この上流の日吉ダムでマラソン走ったことあるな、と思い出しました。
対岸の川原に大勢人が集まっているのが見える。「あそこだ」橋を渡って、川原の広場に下りる。ここが、嵐山東公園らしい。受付で、ゼッケン、プログラム(選手名簿)、参加賞(靴下とTシャツ)を受け取る。「シニヤ賞(高齢者賞)ですよ」と包を呉れた。「中身は何でしょう?」、「京都のお漬物です」「ありがとう」。
 選手名簿で確認したら、ハーフ出場者の最高齢者は75歳、小生が2番目の高齢者でした。出場者(ハーフ)は、796名(男643、女153)だ。5kmと3kmあわせると1451名の参加です。遠くは北海道からも参加者がいる。
 コースは、桂川河畔のサイクリングロード3.5kmを3往復する。車の通る道でないから。これなら交通規制はしなくて済む(実際には一箇所、一般道と交差するところがあって、そこでは京都府警が交通整理をしていた)。
 これは、金沢の犀川のマラソン大会と同じやり方だな。

 お天気は雲ひとつない天候になった。11時に3kmの部、11時35分、5km男子(50歳未満)、12時15分、5km女子と男子(50歳以上)。と順次スタートする、場所が狭いから各レースが終わって次のレースという運営です。ハーフのスタートは、12時50分でした。午後スタートという大会は珍しい。その方が、交通機関の関係で参加しやすい人が多いのかも?

 スタートの号砲で駆け出したが、道幅が狭いので、ランナーが混雑、脚を踏みそうで、5分ぐらいはゆっくり行くしかない。1kmぐらいで間隔がばらけて来た。2kmも行かないうちに折り返し。ひたすら前のランナーに付いて行くと、松尾橋下が給水場になっている。なおも走り続けて5kmの標識を過ぎると、すぐ第二折り返しがある。桂川の流れを右に見て走る。8km地点近くで先導のオートバイに追い抜かれた。すぐ先頭ランナーが来る。8kmで追い抜かれたから、この時点で、先頭ランナーは15km走っていることになる。10km地点で時計をみると1時間3分。
 3周目。最後の第二折り返しを折り返す。「何とか無事に完走だナ」と思った。20km地点で時計は、2時間6分。前半の10kmと後半の10kmをイーブンで走ったから、スピードはないが、まずまずだと思う。ゴールは、自分の腕のストップウオッチで2時間12分54秒。

 着順札を貰う。496位だ。多分男子の順位だろう。この番号札に自分のゼッケンと氏名を記入して記録係のテーブルに出す。この札とゴールの記録係のタイム記録と照合し、ランナーの公式タイムとするわけだ。この辺も金沢の大会と同じだ。
 最近は、ランナーズチップを装着してコンピューターに記録させる方式がほとんどだが、こういう手入力の大会も残っているわけだ。

 完走証は、プログラムの裏表紙にあって、自分でタイムを書き込むことになっている。しかし、完走記録の掲示が時間がかかって遅くなったので、先に帰ることにする。
 タイムは、全員の記録を実費200円で郵送するというので、200円を払い、会場を後にした。
 帰りは71系統のバスに乗る。四条通を通ることは朝と同じだったが、駅の通りの手前で右折して9条通りまで回って、途中東寺の五重の塔を見る。乗車時間35分で京都駅八条口に着く。
 新幹線は、4時56分。帰りのひかりは、本当のひかりで、名古屋までノンストップで35分。京都で市バスに乗っていた時間と同じでした。
 新幹線の中の缶ビールは美味かった。6時丁度に帰宅できました。