古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

九州の旅(1)

2009-01-18 | マラソン
 9日7時、名古屋駅始発のひかりに乗車しました。恒例の壱岐新春マラソン(11日)を走る旅です。博多には11時7分着、直ちに長崎本線の特急かもめに乗り換え、1時過ぎに長崎駅に着きました。2年ぶりの長崎です。旧友を訪ねて、駅前の彼のオフィスを訪れました。

 彼が、三菱造船所の史料館を案内してくれました。

http://www.mhi.co.jp/nsmw/introduction/history/archive/
 
昭和60年に開設された博物館ですが、一般に開放されるようになったのは、最近のようです。

 赤レンガの建物は明治31年、鋳物工場の木型工場として建設されたそうですが、驚くのは、この建物が原爆投下の衝撃に耐えたことです。手積みのレンガ建てというのは意外と強いものですね。造船所内に現存する建物で最古と言う。

 日本最古の工作機械や船の蒸気機関が展示されています。当所で製造された船の写真が、括弧付きで何号艦(船の当所で製作された順番らしい)と表示され掲示されている。戦艦武蔵も長崎造船所製なのですネ。

 1時間見学した後、長崎造船所のドックや工場を車で案内してくれましたが、まるで長崎の町が造船所の中にあるみたいに錯覚させるほど、広大な敷地です。

「全部、岩崎弥太郎さんが人脈を活かして払い下げてもらった土地かな」

「一部、埋め立てで広げた土地もあります」と、彼が言う。風力発電の専用工場もありました。環境やエネルギーにビジネスチャンスを見つけようとしているのは、どこの会社も同じようです。

「長崎の夜景を見たい」と小生が希望。駅ビルの居酒屋で夕食後、大師匠に別れ、8時過ぎ駅前のホテルに投宿しました。すっかり酔ってしまい、部屋に入るなり、風呂にも入らず寝てしまった次第です。 

 10日は、6時半起床。ホテルのヴァイキングで朝食。7時半の“かもめ”に乗り、昨夜の雪で、屋根がまだら模様の家々を車窓に眺めながら、博多に戻りました。博多駅からタクシーで港へ。10時のフェリーに乗船しました。

 今年は例年と違うことが船便に二つありました。

 昨年の原油の暴騰で、乗船料金にサーチャージ(3ヶ月毎に設定される)が課され、約1000円高です。フェリーの本数も一本減らされました。いつもは午後2時頃に芦辺港行きのフェリーがあったのですが、それがなくなった。それで10時の郷ノ浦行きのフェリーです。マラソンは芦辺町で行われるので、芦辺と反対側の郷ノ浦は都合が良くない。止むを得ないと、民宿に電話して郷ノ浦まで迎えに来てもらうことにしました。
 
 実は、民宿も変えました。毎年、大平荘という民宿に泊まりました。ご主人の大平さんという人と気が合って、彼と語り合うのも、壱岐マラソンの楽しみだったのです。

 今年も大平荘に泊まろうと電話しましたが「この番号は現在使われていません。番号をご確認ください」とテープが回っている。役場(大会事務局)に電話したら「大平荘さんは、ご主人が亡くなられて廃業されました」と言う。「えっ」と、言葉もありませんでした。私より二つ三つ年上でした・・・(道理で年賀状がこなかった)

 仕方ないから、別の民宿を紹介してもらい決めたのが、「勝丸民宿」です。(続く)