古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

期待できない経済政策

2008-09-22 | 経済と世相
 立花隆さんが週刊文春9/25に書いている。

『5人の政治家が立候補して自民党総裁選がはじまった。しかしどの一人をとっても「あなたマジで総理大臣になる能力があると思っているの?」と茶々を入れたくなるような、B級、C級の人物ばかり(含む麻生太郎候補)。少なくとも福田総理だけは、「自分を客観視できる」能力があったので、自分の無能にいち早く気付いて辞任したわけだが、候補の5人には、その能力も欠けているらしい。』

 まったく同感です。少なくとも経済政策については、全く期待が出来ないと思っています。90年代はじめから最近に至るまで、「改革」と称して、いろんな政策を実施しましたが、すべて効果なし。今回の候補者の政策は、いずれも、その効果なかった政策の延長にしか思えないからです。



 一般に政府の経済対策の考え方には二つあります。一つはデフレの原因を需要不足とみて、公共投資などで景気の刺激(財政出動)し、また金融緩和によって総需要を盛り上げていく、という政策的立場です。もう一つは、供給側に原因を求めて、不合理な規制があって事業活動が充分に出来ないため不況になる(「構造改革論者」の主張)のだから、金融緩和と規制緩和策が必要との考え方です。 

 振り返ってみると、90年代以降、この二つの考え方に基づき、数々の経済対策がおこなわれました。しかし、そのいずれも、はかばかしい成果がなかった。



 「世界一の借金王になった」と、故小渕首相を言わしめた大型財政支出も、ついにデフレの脱出に成功しなかったし、「改革なくして成長なし」との小泉改革も、竹中さんは、その成果でいざなぎ越えの好況が続いたと言いますが、米国・中国の外需の好調に支えられただけのもの。輸出企業が潤っただけで、輸出関連以外にはお金は回わりませんでした。とても、「構造改革」の成果と言えるものではなかった。



 なぜ、効果がないのか?私は、金融の自由化とグローバル経済化が、根本的な原因だと思います。

 そもそも、景気対策とは、下世話に言えば、「国民各層にお金が回るようにすること」。お金が、投資でも商品の購入にも、世界中自由に動き回れるグローバル経済の時代になったら、お金の動きが国境の壁によって制限される国民国家経済の時代とは、お金の動きは当然異なる。国民国家経済の時代と同じ政策を採っても同じ効果は得られません。

 もう15年以上、経済政策の効果が上がらないのですから、国民国家時代の金融政策も財政政策も、効果を発揮できない時代になっていることに気付いて、やり方を変えないといけないのでは・・・・

 根本の原因を考えずに、当面問題化した現象に手をうとうとしても、それは「もぐらたたき」に過ぎない・・・

 というわけで、自民党の総裁選の結果には、何の期待も出来ないと思っています。