古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

ヒッチハイク青年、ジョン

2005-05-25 | 素晴らしき仲間たち
 以下は水泳仲間のOさんからいただいたメール。ヒッチハイクの英国青年の物語です。

思いがけない旅行でした

 「春休みだから温泉でも行くか」と娘家族と 4月1日下呂温泉アルメリアホテルヘ行きましたが 中2と小6の孫娘は 多くの人と一緒の温泉には入らないと云う。 私にしても婿が仕事で参加出来なかったので男は私1人。 酒相手がなく家内と娘の顔色を伺いながら呑む酒は 満足が行くものではなく そして食後は何もすることもなくすぐ眠る。 

楽しさを期待出来ないもの足りなさを感ずる旅行ではあると言っても 久し振りの5人の家族旅行ですので「嬉しいな 嬉しいな」と合唱はしながら出発した。

車が走り出すと直ちに 娘は家内と小さな声で話し始めたが 孫と私達は早々と沈黙の世界となった。この先を思いやられる感じだった。



下呂温泉への中間点の白川町を走行中 「高山」と書いたプレートを示した外人のヒッチハイカーを私は見付けた。行き過ぎてから「乗せると面白い」と私が言うと 家内と娘は反対すると思うや「乗せよう」となりUターンした。

「途中の下呂まででもよいか」と日本的英語で問えば「プリーズ」答えた。
乗るやいなや 色々彼の身上調査が始まった。

名はジョン。イギリスの18才の青年。関西空港に着いて 初日は京都の友人の家に 昨日は名古屋に泊まり今日は3日目。関空からはすべてヒッチハイク。今日は名古屋を出発して小牧・可児で乗継ぎ白川町で約1時間立っていたと。

高校を卒業して1年間は旅などをして来年大学に入る由。

日本には1か月間滞在して 主な目的地の北海道へ行くため 京都・名古屋・高山・富山・新潟を経て北海道まで総てをヒッチで行く。そして関空の戻り ロシアのウラジオストクへ行き約1か月間で シベリア鉄道を途中下車しながらサントベテルブルグへ行くとの事。

書けば簡単ですが これだけ聞き出すまでには 全く日本語が通じない彼と 片言英語の家内と私の車中の会話は ものすごく苦労をしました。



私は英会話をやめて約2年 頭の中は錆び付いたレコード盤の様に なかなか動き出さない。知っている数少ない単語を必死に思い出していた。

家内も英会話を退会して約9か月 私達の会話は間違っても順調と言えるものではありませんでした。 二人で苦労に苦労を重ねた会話でした。ある程度すむとジョンが 「日本語を教えて下さい」と言ったのには助かった。River is Kawa in Japanese. (リバーは日本語でカワと言う)その内に指を差しながら「これは橋」「あれは山」と日本語がそのまま会話になったのです。こうなれば黙って見ていた孫娘も仲間に入ってきて 「これは手です」とか言っていた。ジョンが英語で「幾つですか」と尋ねると 「サーティーン」と「イレヴン」と夫々にも英語が出て来ました。「名前は」と聞かれれば 「アイアムウララ」とか「アイアムアンズ」と車内がワイワイと賑やかになってきた。しかし彼を下ろす場所に近づいて来ました。このまま別れ難い気持になりました。ふっと私にアィディアが浮かんだ。

「ジョンを一緒に泊めようか」すると 即時「そうしよう」と全員一致となった。
どうかと聞くと「ラッキーです」と。「雑魚寝でもいいか」「雑魚寝とはなんですか」
「日本の風呂に入った事はあるか」「NO」それでも一緒に泊まる事にしました

部屋に着くと 娘が辞書を借りてきて 話に熱が入りました。前述の彼の身の上調査の大部分はこの時に得たものです。おおよそ話し終えたら 孫が「私は空手をやっていた」と言うと「ぜひ見せて下さい」と。2人は忘れかけた空手を披露した。
左の写真は空手を披露後に撮ったものです。
楽しい雰囲気が出ているでしょう。


Do you know how to take the Japanese bath?

日本の風呂の入り方は知っていますか。

彼は日本の風呂に入いった事はないが 知識はあるかもしれないと思って尋ねてみた。やっぱり「NO」でした。浴場に入り私はまずスモールタオルで 下半身を隠す事を教え浴室に入った。そして浴槽の横にかがみ 桶で湯を汲み下半身を洗う事を率先実演した。彼は素直に従った。そして屋外の展望風呂に入った。一瞬「Hot!」と言ったが浅い湯船で長々と足を伸ばし気持よさそうでした。一望に眺められる下呂の街を見渡しながら「ベリーグー」そのあと体を洗った。彼も私の横で同じように洗った。初めての風呂だから なにかのハプニングを少し期待したが 指導者がよかったせいか 順調に部屋に戻った。



すると4人が多分質問の準備をして待ち構えていた。 その後も話は続いた。

娘が俄然ハッスルしだしました。「兄弟は?」彼は6人兄弟の末っ子で一番上が姉で あとは皆兄と。お父さんは昨年がんで亡くなった事も話した。母親は今58才そうだ。
私達も話しました。息子家族は東京に居ること。婿の仕事は週末には休みがないのこと。

アメリカに3人の姪と1人の甥がいて 何度もアメリカへ行ったことや 家族10人でハワイへ行った事も話しました。

夕食はバイキングでした。春休みなので子供連れで大満員。また得とく料金のせいか 美味しいものは見当たりません。彼は茶碗に盛ったご飯にピザのおかずで食べ出しました。

下の孫が「ジスイズテンプラ」と見せましたが 興味は示せなかった。
今度は上の孫が「ジスイズスシ」と言うと取りに行きました。そして「美味しい」と言った。箸使いはとても上手でした。(続く)