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古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

定光寺

2016-12-01 | 旅行
 30日午後、思い立って定光寺に出掛けた。住宅の老人会のウオーキングの候補にかねてから考えていた定光寺に行ってみようと思い立った。JRの大曽根駅に着いたら、下り電車がホームに入るところだった。飛び乗ったが、高蔵寺行の普通だった。20分ほどで高蔵寺に着いたが、定光寺はこの次で、快速は止まらない。普通は2:39まで30分ほど待つことになる。本番の時はダイヤを調べてこないと。
ホームで本を読みながら電車を待ち、到着した普通電車で次の定光寺に降り立った。駅を出ると、木曽川の見事な水の流れ。しかし案内は無く、「定光寺公園はどちら?」と駅員に聞いて歩き出した。無人駅と聞いていたが、紅葉のシーズンのためか駅員はいた。右手にしばらく歩くと東海自然歩道の看板。季節の良い時には、ここから東海道自然歩道を歩けるのだ。左手に橋がある。どうやらこの橋を渡るらしい。橋を渡ると坂道である。その坂道、かなりの勾配で延々と続く。
紅葉も綺麗だが、見事な黄葉もあった。

向こうからリュックを背負った観光客が来たので聞いてみた。「定光寺はこの道でいいですか?」
「ええ、まっすぐです」
「距離は1kmぐらい?」
「そんなにないと思いますが、この勾配ですから頑張ってください。
「滝カッフェ」という案内が建っていた(巻頭写真)滝の景色を見ながら、珈琲を賞味してくださいの意味らしい。息を弾ませながら、15分ほど歩くと左手に石段が出てきた。「160余段10分です。定光寺」の掲示。「まだ登りなの?」。ここまで来たら、きつくても上るしかない。かなり息がくるしい。100段も上がったかな?下りてくる観光客に聞いた。「まだ、上までかなりありますか?」。「いや、あそこが山門です。頑張って」やっと上り詰めた。臨済宗の古刹、定光寺です。隣に初代尾張藩主義直公の廟所がある。

寒い日だが、紅葉を楽しむ客は結構いた。
ここは春は桜の名所でもある。今年は寒さの到来が早かった。来年の3月末、桜を見に来た方がいいかな。お参りを済ませ、帰ることにする。

これが大変だった。紅葉は見事だが、地球の引力で引っ張られるので、早く脚を動かさないと転んでしまう。懸命に歩いてあっと言う間に駅に戻った。名古屋行のホーム、此処に上がるにも階段!「どこで切符買うの?」駅にいた駅員に聞くと、「下りた駅で切符は購入してください」。3時51分の電車で、帰りはスムース。4時35分帰宅できました。


絶好のウオーキング日和

2016-11-27 | 旅行
絶好のウオ-キング日和でした。25日、住宅の老人会のウ0-キングです。残念ながら参加者が少なく、小生含めて4名のみ。男女各2名の参加です。このところ寒い日が続いたので、出歩くのを敬遠したみたいです。しかし、汗をかかないので歩き易い。風がないので、絶好のウオーキング日和になりました。
名古屋城から徳川園を十大曾根まで歩こうと計画しました。最初に地下鉄の市役所駅で降りて大津通りを大津橋へ。交差点を過ぎたところに愛知県の分庁舎に「愛知・名古屋の戦争資料館」に立ち寄りました。
10時開館で、4分ぐらい早く着いたので開館を待って入館しましたが、スタッフが親切に説明してくれました。戦争中に名古屋に投下された250k爆弾や焼夷弾のぬけがらが展示されていました。30分見学した後、大津通りを戻り、名古屋城東入り口。建設中の本丸御殿を見学しました。

11時頃になったので「次に行こう」と旧豊田佐助邸に向かいました。お城から東へ。41号線を南に、主税町の信号を東に入ったところにあります。
 佐助は、発明王豊田佐吉の実弟で、この邸宅は、名古屋市が所有者から無償で借用して一般公開しています。外観は白い瀟洒な洋館ですが、内部は和風の座敷が多い。大正時代の建築様式を今に伝える。入場無料。午前はボランテイアが解説してくれる。30分ぐらいで辞去。徳川園に向かうが、ついでだから「長久寺」に寄って行こうと北へ歩き白壁等3丁目の寺に寄った。由緒ある寺で、1610年(慶長15年)徳川義直が名古屋城へ入るとき現在地に移された。尾張徳川家の祈願所となるとともに、新義真言宗の学問所が設置されたという。門は清洲城から移築されたとのこと。
東へ1kmほど歩く徳川園に至る。徳川園と並ぶ徳川美術館では「国宝源氏物語絵巻」を展示していた。時々1~2点展示するのだが、所有する全点を公開するのは10年に一度くらい。それが今週いっぱいだという。今回見落とすと、10年後でないとみられない。10年経つと90歳だから、もう生きているかどうかわからないので、入場して拝顔した。入場料はシニア料金で1000円、徳川園の入場券と合せると1050円だった。小一時間見てから外に出て徳川園に行く。
紅葉が綺麗で、見物客でにぎわっていた。

 2時10分見学を終えて大曾根駅に向かう。北へ5~600m、広い通りを北へ3~400mで、地下鉄の入り口があった。
地下鉄に乗り込んで、「これで名古屋城から大曾根まで歩いたぞ!」。実際の歩いた距離は5~6kmだろうが、齢の所為ですごく長く歩いたような気がする。
3時には帰宅できた。


20日は駅ちかウオーキング

2016-11-20 | 旅行
20日は駅ちかウオーキングに出掛けることにしました。東海通りから金山駅南口までおよそ9kmの距離です。案内の地図を貰い10時10分駅の④出口を出て歩き始めました。9kmなら2時間半で歩けるから12時半にゴールしようと思ったのですが、とんだ見込み違いでした。以下、そのいきさつ・
北へ1km弱歩いて七番町から南郊公園に入っていきました。紅葉が綺麗です。

南郊公園は、運河を埋め立てた後,昭和58年に都市公園として開園した。広さは3.14haある。テニスコートが有名です。
「千年プロムナード」と称する散策路が作られている。1番腸1丁目を通る。白鳥端に出た。ここで、白鳥公園に立ち寄る。本日は無料公開だ。
白鳥庭園は名古屋デザイン博(1988),を記念し作られた。池泉回遊式庭園で中部地方の地形をモチーフに、築山を「御嶽山」、そこからの流れを「木曽川」、流れの水が注ぎ込む池を「伊勢湾」に見立て、源流から大海までの『水の物語』をテーマにした市内随一の規模を誇る日本庭園です。



紅葉を勧奨しながら、お弁当を広げた。その後、次へ行こうと北口から出たのだが、そこからおかしくなった。

北口を出てどちらに行くかわからなくなった。ウオーキングの標識が建っているはずだが、それが見えなくなった。
地図を見ると、北へ川沿いに行って橋を渡るらしい。そこで、熱田記念橋まで行って川の対岸に行ったのだが、一本手前の橋を渡るのが正解らしかった。2㎞ぐらい余分に歩いた。白鳥橋に戻って地図を見ると、宮の渡し公園まで南下しないといけない。その後熱田神宮に向かうようだ。くたびれてしまった、最近本当に脚力が弱くなった。結局、宮の渡しとその後の聖徳寺をカットして熱田神宮方面に向かった。途中で、歩いている女性に道を尋ねたら、スマホに地図を映し出して、英語で「今ここ」と見せてくれた。熱田神宮が近いので、外国人観光客が多いのだ。国際化は凄いスピードで進んでいるのだ。神宮近くの秋葉山圓通寺に寄った。

その後、熱田神宮の境内に入ると、宝物館があった。
確か、案内地図では、宝物館から神宮西駅に行く筈だったと、「西駅はどちら」と聞いて通りに出たら、「あった!」
ウオーキングの案内標識である。59番目の標識だった。これで、正規のルートに戻った。伏見通りを西高蔵に歩く。途中、セブン・イレブンの店があったので、珈琲をいただいて店内で一服した。「案内の地図を見せると、セブン・イレブンの店内で珈琲を割引すると地図に書いてあったから入店し椅子に腰を下ろし80円の珈琲を賞味した。
西高蔵の交差点を過ぎたところで、雲心寺が特別公開されていた。

本尊の阿弥陀如来像は名古屋3大仏の一つだそうである。参拝後、西高蔵交差点に戻り西へ。国際会議場北を通り、日比野駅前から北へ、八熊通りからは西へ。伏見通りに戻ってきて。北へ
。ゴールの金山駅南口広場に着いたら1時55分でした。昼食時間の30分を引くと、3時間15分歩き続けた。
「あぁくたびれた!」
10年前は42㎞走ることもできたのだが、10km前後歩いただけでくたびれてしまう。80歳という齢は争えない。



野間大坊 OB会の旅

2016-11-06 | 旅行
 野間大坊に行ってきました。絶好の秋日和の下、D社名古屋支部OB会のバス旅行です。10時、集合場所のD社元本社跡に集合、私が一番最後でしたが、14名がバスに乗り込むとすぐ出発しました。バスは、旅館の送迎バスで、「オテル・ド・マロニエ」なるハイカラな旅館名が車体に書かれれていました。人数が少なかったので、旅館のバスを使うことにしたようです。名古屋高速から知多自動車道に乗り継ぎ、一路南下常滑ICで下り最初の見学地は「かねふくメンタイパーク常滑」、ここで明太子を作る工場を見学しました。その後、うどんの専門店で昼食を済ませて13時、野間大坊に着きました。
源義朝のお墓のある寺です。義朝は、頼朝、義経の父ですが、ここ野間の地で暗殺されました。朝風呂に入っているところを襲われ「われに一本の木刀でもあれば、むざむざうたれまい」との言葉を残したという言い伝えで、お墓には沢山の木刀になぞらえた願い事を記された木片が捧げられている。頼朝が父の菩提を弔い大きな寺にしたようです。

義朝の他、信長の3男織田信孝の墓もある。秀吉に敗れこの地で切腹しました。
さらに、頼朝が殺されるのを助命した池禅尼を弔う碑もあった。

田舎寺ですが、歴史を彩る有名人のかかわりで知られた寺です。
参詣後、海浜に降りて海の香を嗅いで野間崎灯台を見る。

15時、内海温泉「ホテル・ド・マロニエ」に着きました。名前はハイカラですが、中身は日本式旅館、夕陽の綺麗な旅館です。

部屋に入り、杯を傾けながら、在職事時代の懐旧談。「あれっ、この人こんなこと考えてたの?」という内幕話もいろいろありました。
2日目は朝10時に出発、最初に師崎まで行き朝市で土産物を仕入れ、その後時間が余るからと岬の公園の展望台に150mほど登り、篠島や日間賀島の展望を楽しみました、
昼食は海鮮バーベキュー。バーベキューの炉を囲む席料500円、食材2000円で2500円の昼食でした。魚、貝、エビなど、食べきれないほどのvリュームがありました。食材は漁師から仕入れ、料理は客任せですからコストはかからない。うまい商売です。結構、客でにぎわっていました。
その後「えびせんべいの里」で、えびせんべいを作る工場を見学して3時20分ごろ、旧本社跡に到着しました。
「遅めの出発、早めの帰着をコンセプトに企画しました」と、幹事の説明がありましたが、その通りの旅行。まぁ年寄りが多くなりましたので、こういう旅行がいいのかも。
帰りのバス中で、参加できなかった人からの近況を記したハガきが回覧されました。。
「えっ、あの人がなくなったの?」というカードがありました。
4時前帰宅してポストを見ると、今年の「年賀欠礼」第1号が入っていました。
「本年4月 夫が永眠しました」・・・こうしてだんだん齢をとっていきます。

11月3日の駅ちかウオーキング

2016-11-05 | 旅行
 11月3日は、駅ちかウオーキングに行きました。スタートの堀田駅に10時。コースマップを貰って1番出口から堀田通りを直進。100mほどでブラザー記念病院と並んでブラザーコミュニケーシヨンスペースがありました。ブラザーは、前身の安井商会から数えると100年を越し、 展示は、“100年以上にわたって培ってきた「モノづくりのDNA」を製品展示を通して紹介“とありましたが、世界最初のミシンなど展示していました。ミシン、工作機械、プリンター、タイプライターなどの数々が展示され、ブラザーの歴史をビデオで紹介もしてもいました。小生50代、60台とマラソン大会で全国各地を回りましたがどこに行っても目抜き通りにブラザーの支店があったので、この店舗の土地だけでもたいへんな金額だと感服した記憶があります。
 もう一つブラザーについての記憶はカラケです。一時、不況で苦しんだとき、利益の大半を通信カラオケ事業で稼いだことがあります。ブラザーに勤めていた知人に「カラオケを開発した男は変わった男だった」と内輪話を聞いたことがあります。機械メーカーにいてカラオケで稼ぐという発想ができるのは相当変わった人でないとできないでしょう。
 ロボットの展示もありました。

ここで小一時間展示を見た後堀田通りを北に。7丁目で西へ曲がり新開橋東で右折して新堀田橋西から左折、神宮東公園に来ます。公園の池には水鳥が集っていました。
 ここで、「通過証」を渡されました。これを見せないとゴールで「完歩印」を押印できませんという。途中を中抜けしてゴールへ行って「完歩」というのは不可というわけ。
ここから杉原千畝スタンプラリーと言うのをやっていました。ここと、雁道商店街と瑞陵高校の3か所でスタンプを貰うと記念バッジが貰えるというのです。
第二次世界大戦、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原は、ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情。1940年7月から8月にかけて、外務省からの訓令に反して[2]、大量のビザ(通過査証)を発給し、およそ6,000人にのぼる避難民を救ったことで知られる
「杉原千畝人道の道」を歩きましょうと言うのが、今日のウオーキングの惹き句になっています。「杉原千畝」は瑞陵高校の前身愛知五中の出身なので、彼が通った道を「杉原千畝人道の道」と名付けて整備するのだそうです。
 3km余歩いて日本ガイシの傍を通過して雁道の交差点、渡ると商店街です。62年前、大学入学時にこの近くで下宿していました。ここの近く旧制八高の校舎があり、当時大学の教養部が置かれていたのです。現在は名古屋市大になっています。
 歩いてみても62年前の面影は全くありません。
 間もなく瑞陵高校です。

五中―瑞陵80年記念碑がありました。中に入ると、杉原千畝に関連する展示の数々、スタッフに聞くと千畝は6期生(愛知五中)とのこと。
庭には千畝の出身地、岐阜県八百津の特産品を売るマルシェが開かれていました。
瑞陵高校を出て、東へ歩くと瑞穂通り。区役所の草店を左折しました。この辺りで5km。
かなり疲れてきました。昔は42kmのマラソンを完走したこともあるのに、5~6km歩くだけで疲れてしまうのだから、80歳をすぎたという齢は争えない。
名古屋市博物館に来ました。
「禅の心と形 総持寺の至宝」という企画展をやっていたので1000円のチケットを買って入場しました。
曹洞宗の本山は永平寺と思っていましたが、永平寺の他に総持寺がある、2本山制なのだと初めて知りました。それに、総持寺は神奈川県の鶴見にありますが、昔は石川県輪島にあったが明治年代火災で焼け失われ、鶴見に再建されたという話でした。
 展示を見た後、市大病院前を右折、歩きに歩いて東山荘。ここは以前来たことがありますが、都心にあるとは思えない庭園です。

ここまで7km、その後は山崎川畔の散策路を歩いてパロマの瑞穂スポーツパークがゴールでした。1時半ゴールの受付を済ませ、「やれやれ疲れた」と思ったのですが、その後、瑞穂運動場東駅まで、たった500mほどですが、疲れてしまい歩くのが疲労困憊でした。
帰りにナゴヤドーム前で下車し、日課の水泳をやったのですが、500mで足がつってしまい、そこで泳ぎを止めてしまいました。体力の低下は否定できません。帰宅は4時45分でした。


名古屋城を是非木造で再建したい

2016-11-01 | 旅行
「名古屋城を是非木造で再建したい」という河村市長の気持ちがわかりました。
10月30日、名古屋城に出掛けたのです。久しぶり(半年ぶりかな)駅ちかウオーキングに行きました。名城公園駅でスタ-ト受付(9:30~11:00)で名古屋城やぶんかの道、徳川園を通過して名古屋ド-ム前駅に2時半までにゴール、約9kmのコースです。
9時半名城公園駅で受付、コースマップを受けとり、最初に名古屋城です。大津通りを1kmほどでお城です。昔は毎日ジョギングで走っていたコースですが、最近は時たま自転車で通る道です。必ずしもお城にはいる必要はなくて、門前を通り過ぎてもいいのですが、暫く(1年以上)入っていないから見て行こうと入城しました。しばらく来ないうちにずいぶん変わった!という印象です。平成21年から始まった本丸御殿の復元工事が進んでいました。工事の進行に応じて公開してえいるのですが、第1期の「玄関」、「表書院」第2期の「対面所」、「下ご膳所」が公開されていました。
内堀を渡ってすぐ玄関。
檜の香も新しく離パな御殿です。入ると下駄箱とロッカーがあり、バッグ類はローッカーに入れるよう求められました。書院の障壁画が見事です。

手掘りの欄間もあった。

公費150億円、10年がかりでの復元工事は、さすがに見事なものです。
天守閣をコンクリートでなく、木造で作りたいという河村市長の言い分もこれを見れば翌理解できます。各地で再建された天守閣のほとんどがコンクリートづくりで、木造と言うのはあまり聞かない。木造で作れば名古屋名物になるでしょうね。
天守閣に登って見よう。
ここに来るたび天守最上階から我が家を写真に収めることにしています。
お天気が良く、天守閣からは我が家がすぐ近くに見られました

外に出てみたら売店も木造で作られていた。
ここでしか売らないお城グッヅや、愛知の名産、地酒なども売られていた。

 。
 本丸を出てみると、老舗の食べもの屋の屋台が並んでいました。「ここ壱番屋」のカレーまで並んでいましたから、老舗とはいえませんかも。
食欲を刺激され、五平餅を一つ求めベンチに腰を下ろし味わっていたら、もう11時です。お城で時間を使いすぎたと清正さんの銅像に別れを告げ、先を急ぐことに。

市役所前を通り、久屋橋西の交差点で赤信号。先をゆく列が左に行くのが見えたので、信号こちら側を左折して行っても大丈夫と左折しました。これが間違いのもと。信号を渡った右手に次の訪問先「愛知・名古屋戦争に関する資料館」があったのですが、ここをパスしてしまいました。ここは昨年開館され、館内では愛知県民の戦争体験および戦争に関する地域史を主軸とした展示があります。「眠りから覚めた空襲の爪痕」と題する展示をやっていたのです。列の後を付いていくと、市役所の裏の市政資料館に着きました。昭和54年まで名古屋地裁の庁舎でしたが、裁判所の移転後市政に関する資料館になっています。ここまで来て「戦争資料館」をパスしてしまったと気がつきました。
「こりゃまずい」と500mくらい戻ることにしました。「戦争資料館」の展示をみてから、またコースを辿りましたが、先行するウオーカーが一本前の信号で左折してそれについて言ったら、「市政資料館」でなく「県知事公邸」の方に出てしまいました。
 ここですっかりやる気がなくなり「これから先は既に歩いたことがある」と、ウオーキングを3km足らずで止めて市役所駅に戻り、地下鉄でゴールのナゴヤドーム前駅に行きました。ここでいつもの東区市営プールでトレイニング。1000mを泳いでから駅に戻ると、ウオーキングゴールの受付をやっていましたので、完歩済みのスタンプを貰いました。このスタンプを溜めると「駅ちかウオーキング」のバッジを貰えるのです。今日はインチキでした。

東山魁夷展と折鶴タワー

2016-10-29 | 旅行
 27日は9時半にホテルを出ました。ホテル前の橋を渡り、広い道を「女学院前」という交叉点に来た。市電が走っているので「この道だろう」と右に折れると、すぐ県立美術館があった。早速¥1300のニュウjチケットを求めて3Fの「東山魁夷展にはいる。
http://www.hpam.jp/special/index.php?mode=detail&id=161
圧巻は、唐招提寺の障壁画です。現在唐招提寺は修理中らしく、この絵は取り外されて各地の東山展に巡行しているようです。
 障壁画が目玉ですが、東山魁夷(1908‒1999)の画業を年代順に多数展示しているので、若い頃から独自の画風であったことが良くわかります。長野県信濃美術館東山魁夷館から作品が多く持ってきたみたいです。小一時間見てから2Fの常設展、所蔵作品ベスト・セレクシヨン展を見ました。その後折鶴タワーまで歩いて行くつもりだったが、絵を見て歩いているうちにくたびれて歩くのが面倒になり、車を拾うことにした。車は縮景園前から八丁堀を通り広い道を原爆ドーム前。折鶴タワーに連れて行ってくれました。入場料¥1700と表示してあったので、「たしか昨日の会では年内無料と聞いたが・・・」と確認したら75歳以上のシニア料金は無料になるという。後期高齢者保険証を見せてチケットを貰った。小生は無料だったから文句はないが、一般の人に¥1700は高いのでは?
エレベータで屋上の展望台に上がる。平成28年9月回収竣工というから、できたばかりだ。地上14F,地下2Fで高さ51.5mという。

展望台まで木造のスロープが出来ていて、四方を眺めながら歩いて上がることもできる。14Fというから私のマンションと同じだから歩いて上がることもできるが、齢を考え、上りはエレベータ、下りは四囲の風景を確認しながらスロープを歩いた。
原爆ドームが直下に見えた。メルパルクも見えた。

10年以上前のことだが、宿泊したことがある。その時もオフ会だったかな?
1Fで土産物を調達。引き上げることにする。

帰りも車でもどろうか、と「タクシー乗り場はどこ?」と聴いたら、スタッフの女性が「車お泊めします」と外に飛び出しタクシーを呼びとめてくれた(広島の女性は老人に親切である)。ホテルに戻って預けた荷物を受けとり駅に行く。駅前の定食屋で「日替わりランチはサンマです」と宣伝していたので、今年は天候不順でさんまの水揚げが少ないらしくまだ食べてなかった、と今秋初めての味覚を味わい12:17の新幹線に乗れました。新大阪で30分の乗り換え時間がありましたが、3時半名古屋、家には4時帰宅できました。



0次会のカラオケ

2016-10-28 | 旅行
 以下広島紀行です。26日、9時半に家を出ました。11時過ぎの新幹線に乗るつもりでしたから、もっとゆっくりでもよかったのですが、電車に乗る前に丸善により本を買おうと思いました。何しろ広島までは3時間半かかりますから往復で7時間ある。読書時間として有効に活用するため本を買おうと思ったのです。丸善で1時間立ち読みしながら2冊の本を購入しました。中公文庫の「金沢の不思議」(村松友視著)と新潮新書の『ブツダと法然』(平岡聡著)です。「金沢・・・」は、娘が嫁入りした地なので金沢に関する本を見るとすぐ手を出したくなります。「正月に孫たちが来たらこの本を上げよう。もう下の子は高校3年だからこれくらいの本は読めるだろう」と思いました。
「ブツダ・・・」は立ち読みしてたら、「ブツダも法然も80歳で世を去った」という一文が目にとまりました。小生も80歳、「二人の先哲は80歳の時何を考えていたか」と読みたくなったのです。
名古屋駅から11時11分の“ひかり岡山行”に乗りました。”ひかり“といっても京都からは各駅停車みたいですから”こだま“とあまり変わらないが、じっくり本が読める、とシートに腰を下ろしました。岡山で”こだま“に乗り換え2時45分広島に着きました。”のぞみ“に乗れば乗り換えなしに広島へ行けるのですが、ジパングの3割引き乗車券は”のぞみ“に乗れません。駅前のアパホテルを予約していたので、改札口を出てすぐ左にあったインフォーメーシヨンで聞くと、駅を出て左にある郵便局に行くと見えると教えてくれ、地図をくれました。確かに郵便局から南を見ると、建物が見える。でも、それは最近できた新しいアパホテルで、私の予約した以前からあるアパホテルはその建物を目ざして歩くと信号前の右手にありました。
 アパホテルの「アパ」は、JAPAN(日本)の左端のJと右端のNをのぞいて、日本の真ん中だという洒落です。何故こんなことを知っているのかというと、20数年前、娘が嫁入りしたので、金沢に行く機会が増えました。金沢にアパホテルが数軒ありましたので利用したことがあったからです。その頃は北陸にしかなかったのですが、商売がうまかったのか、ビジネスホテルのチェーン店としてそれ以後全国に展開するようになりました。
 3時半からカラオケ会に参加することになっていました。3時、ホテルにチェックインを済ませ、部屋に荷物を置いたあとすぐ出かけることにしました。フロントで場所を聞くと、「当ホテルの裏の建物、郵便局のある通りです」。
 今回の旅行は、広島の人が中心になって運営しているパソコン通信の会に17年前から参加しているのですが、数年に一度顔を合わせて懇親するオフ会です。
まぁ懇親会ですから、絶対に出席しなければならないというわけではないのですが、「出てこない!」と声をかけられると、原則として断らない主義ですので、このところ、そうした旅で、結構忙しい。今月最初の東京の旅、今回の広島、来週末は野間大坊、蒲郡と予定が詰んでいます。
今回は懇親会の前にカラオケパーテイをやろうという。忘年会などの懇親会のあとの二次会でカラオケ会に参加したことは度々あるが、二次会でなく、0次会のカラオケというのは初めてです。2階に上がると、ロビーに懐かしい顔が数人。「何年ぶりかな」握手を交わしてからカラオケルームに入りました。はるばる名古屋から広島まで来て参加するカラオケだからと、遠慮なく歌わせてもらいました。6~7人のメンバーでしたが、みなさんいろんな歌を歌われます。以下、画面に映る歌詞を見ていて思ったことです。
演歌の歌詞ってホントに工夫して作られている。ボブ・デイランがノーベル文学賞を得て話題になっていますが、例えば阿久悠やなかにし礼の詩など文学的香りのある詩が多い。
ボブ・デイランがノーベル賞の対象になるなら、日本の演歌歌人も対象にならないだろうか。もっともノーべル賞は生存者でないと受賞できないが・・・
文学は言葉を用いて表現する。言葉を聞いてその言葉から生み出される印象の美しさが文学になる。ところが言葉が惹起する印象は言葉を用いる民族の長い歴史の中から生み出される。だから、文学作品の美しさは、民族のもので、言葉を使う民族のみがその美しさを理解できるのではなかろうか。日本語の詩と英語の詩を比較してどちらがより正しいか美しいかを議論することは出来ない。ノーベル賞の意味が文学と自然科学とでは全然違う、など益体もないことを考えていました。
次々とみなさん謳われます。私も5~6曲うたったかな?うたが歌えるためには、ある程度肺活量がないと謳えない。ですから、歌えるということは健康な証拠です。最後はもちろん広島カープの応援歌!そして「青い山脈」やら「高校3年生」を合唱して5時半、0次会を追えて、次は隣の福屋デパート11Fのレストラン街で懇親会でした。12名出席。
「この前は何年前でした。宮島に行ったのは」、「NOZUEさん、自転車でしまなみ海道を渡ってこられたことあったね」と、みなさんご高齢になっても記憶力はまだ確かです」
どなたかが電卓をはじいたら平均年齢76歳の会でした。私が80歳で最高齢だったようです。
「明日はどこへ」、「午前中に県立美術館で東山魁夷展を見て午後帰ります」。
「折り鶴タワーをみていかれるといいよ」とのアドバイスがあって、明日の予定が決まりました。(続く)

堺市と鋳物師博物館

2016-10-15 | 旅行
「市役所の駐車場が有料なの。さすが大阪だなぁ」堺市役所の駐車場に着いたとき、Hさんが吃驚したように声を上げた。「30分200円の表示がある」。確かに愛知県や岐阜県では考えられないだろう。ただし、表示には「市役所の部局に御用の方は1時間以内無料」の掲示もある。
 なぜ、堺の市役所に来たのか。目的は、仁徳御陵の前方公園墳を見たいと思ったのです、何しろ面積では江界最大の御墓である。そばに行ってみても方なのか円なのか、全体がどうなっているか、全然わからない。高い所から俯瞰すればよいだろう。高い所がどこかにあるか、ネットで調べたら、市役所の21Fに無料の展望室があることが分かった。そこで市役所に立ち寄ったわけだが、大阪の市役所は商売上手である。そういう客も来ることを見越して、展望室の入場は無料でも駐車場で稼ぐわけだ。
21Fに上がると、展望室の窓際に展望風景と何が見えているかを絵で表示している。
「ボランテイアによる無料のガイドがある」との掲示を目ざとく見つけてJさんが依頼する。4人そろってのガイドの説明を聞いた。

名札を示し、「私は唄(ばい)です。北海道美唄市の唄(ばい)です。といっても、「堺市生まれの堺市そだちです」。

「仁徳天皇は16代目の天皇です。今上天皇は何代目かご存じですか」。「125代だったかな」と小生。「正解です」から始まって、朝鮮から多くの帰化人が渡ってきて日本の文化が創造したこと。あそこが仁徳天皇陵、こちらが○○天皇陵とこまごました説明。

「堺市の堺の地名は、摂津、和泉、河内の3国の境にあったことに由来します」。と、雑学も教えてくれた。聞き惚れていて1時間も聞いてしまった。疲れてきたので、礼を述べて帰ることにする。駐車料金は600円だった。
 2時近くになっていたので、次の目的地に向かう。次は「みはら歴史白部位つ刊である。「みはら」とは堺市美原区の意味。この辺りは昔朝鮮から鋳物の技術者が渡ってきて住みついたらしい。いわゆる河内鋳物師(かわちいもじ)と呼ばれる技術史集団です。奈良の大仏の修復にも活躍したことが史料に載っている。梵鐘などの他、鍋釜の日用品もつくったようだ。そこでこの美原区に河内鋳物師の博物館が作られている。65歳以上は無料だった。
 見学後、館内のレストランで腹ごしらえをした。
カレーライスを頼んだら、ご飯は白米ですか。古代米もたきあがっていますが」と古代米を食べさせたいみたいだ。お勧めの古代米でカレーを食べることにした。
 3時雄過ぎたので帰ることにした。
帰りは松原iCから高速に乗り、直ぐJCから西名阪に入る。天理でつなぎの一般道を経由して東名阪に入った。亀山を過ぎて渋滞を避け、一般道を走ったが、暗くなってきて、道に迷って鈴鹿ICにはいるのに手間どったが、再度高速に乗ってからは順調、名古屋西ICから名古屋高速。駅新幹線口に7時前到着し、ここで解散。二日間の旅を終わりました。

和歌山城と美術館

2016-10-14 | 旅行
 和歌山城は、ご存じ紀伊徳川家の本故智です。しかし創建は豊臣秀長による天正13年です。築城の名手と謳われた藤堂高虎が普請奉行を務め、高虎が手掛けた最初の本格的城郭です。関ケ原の戦いののち、浅野幸長が37万6千石の城主となり天守閣を創り城下町を整備した。浅野が広島に移封された後元和5年徳川頼宣(家康の10男)が55万5千石の城主となる。8代将軍徳川吉宗は5代目の城主であった。
 入場料410円。早速天守閣に登り天守からの展望をカメラに収めた。
この天守閣、明治維新の廃藩置県の際100円で売りに出されたそうである。無理やり交わされた金持ちは始末に困ったらしい。兵部小(後の陸軍省)が召し上げてくれて大喜びをしたと、司馬遼太郎さんは語っている。
入り口には見事な白虎の増が飾られていた。

庭に威風堂々の巨木があった。
流石紀(木)の国であると思わせた。


天守閣を降りてから西の丸庭園を見に行く。
池が美しい。

秋は日が短い。城をでたら5時だったが、もう薄暗くなる。車のナビに宿舎の電話番号を入れ、ナビのアナウンスに従い、走り始める。こういう時にはカーナビはまことに便利です。40分ぐらいで突然海岸に出た。紀淡海峡です。今宵の宿、休暇村紀州加太は小高い丘の上にあった。
 5時40分、チェックイン。30分で大急ぎで風呂に入り、その後、恒例の勉強会を済ませ、7時から夕食を採った。従業員の勤務時間の関係で8時に終わってほしいということ。この辺は民間企業と違って融通が利かないようだ。忙しかったが結構おいしい夕食でした。
生ビール2本頼んだが、2本目は最後は少しもてあました。80代になってお酒によわくなった。皆は「卒寿まで元気に生きてくれ。皆でお祝いをしよう」と言ってくれた。
 結局、従業員は姿を消していたが、8時半まで飲んでいた。
 すっかり疲れてしまい、部屋に戻ったらすぐ寝てしまった。

2日目は6時、朝風呂に行くが、目の前に見える淡路島の景色が素晴らしい。8時半、和歌山県立近代美術館に向かう。昨日訪れた和歌山城の隣です。
Jさんが友人に「和歌山へ行く」といったら、「是非県立美術館を見てこい」と言われたという。9時5分についてしまい、地下の駐車場に車を入れた。開館は9時半ということな
ので、ロビーに座り開館を待つ。65歳以上は無料と言うことだった。
美術館は昭和38年「県立美術館」として建てられたが、平成6年、黒川紀章の設計でリニューアル、「県立た代美術館」になったそうだ。
[薔薇色の鏡]と題する銅版画の企画展をやっていた。
「佐伯祐三」(1898-1928)の作品も見た。
この美術館は彼の作品を多く抄有しているそうだ。Jさんが毎日新聞の号外を持ってきた。今日から和歌山県美術展が始まるという号外。テレビノスタッフも入っているらしくざわざわしている。
「一寸はいってみない」と言うので覗いてみた。
絵画部門の最優秀賞「冬」と題する少女の立ち姿を描いた作品が印象的だった。
11時前、美術館を出て境に向かう。(続く)