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古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

京都の旅二日目

2018-02-06 | 旅行

2日目は9時前、チェックアウトして、銀閣寺に向かうことにした。

銀閣寺は雪景色が見事だときいていたのだが、今日は気温が低いが雪はない。駐車場に車を入れたら、すぐスタッフが来て駐車料金1000円を要求された。

「1000円の駐車料は高い!」とJさん。受け取りを見ると「京都市」とある。市営の駐車場で千円は確かに高い。

入り口に「哲学の路 安楽寺永観堂」の案内が建っている。

銀閣は、本来「観音殿」と呼ばれた二層からなり一層の心空殿は書院風、二層の潮

音閣は唐様仏殿の形式。銀閣上にある聖堂の鳳凰が東面し観音菩薩を守る。

 展望所まで登ってみた。銀閣それ自体より周りの森や庭を含めた景色が素晴らしい。

 駐車場に戻って「千円も払ったのだから、もう少し車は置いておいて 周りを歩こう」と哲学の道を歩いてみることにした。

桜の時期は賑やからしいが、この寒さで歩く人は少ない。

法然院まで歩いた。法然が若年の折修行した寺という。境内には入れたが講堂派未公開で入れないとの掲示があった。「こちらが講堂かな?」とjさんが歩いている女性に聞いてみた。「わかりません」と答えたがアクセントが少しおかしいので「外国の方ですか?」と聞くと「ブラジル」と答えた。

見終わって「安楽寺が近いから行ってみよう」とHさんが言う。少し歩いて安楽寺はすぐ見つかったが公開していない。庭には入れたが、「先日火災があって今公開できません」とのこと。

車に戻り、「次はどこへ行こうか?」、「金福寺(こんぷっくじ)。松尾芭蕉ゆかりの寺」が面白い」と車のナビに金福寺の電話番号を入れ、走り始めた。すぐ到着して「駐車場はないかな?」道端の人に聞くと、「一台だけおける駐車場がむこうにある」、」道の少し広くなった場所に「拝観以外の方は駐車しないでください」とある。ハンドルをぎりぎり切って崖面いっぱいに寄せて駐車した。すぐお寺への登り道があった。

「金福ってなんかお金持ちのためのお寺みたいで、芭蕉にはふさわしくないね」と話ながら坂道を上る。

鉄舟和尚と言う住職が、芭蕉と懇意であって、芭蕉がしばしば訪れ、その関係で与謝蕪村などの俳人が訪れた寺と言う。松尾芭蕉が訪れた草庵(芭蕉庵)があったが、荒廃した為、1776年( 安永5年)芭蕉を敬慕する俳人・与謝蕪村とその一門によって再興されました。なお金福 寺の背後の丘には与謝蕪村や近世の俳人の墓や句碑があった。

京都の寺には珍しく、拝観料無料、駐車料金も無料だった。

見終わり車に戻り、「ここまで来たら直ぐ傍だから詩仙堂に行こう」とナビの案内で詩仙堂に行きました。

詩仙堂は、石川丈山の作った住居で、、詩仙堂の名の由来は、中国の師家三六人の肖像を狩野探幽に書かせ、図上に各詩人の師を丈山が書いて四方の壁に掲げた「詩仙の間」から詩仙堂と呼ばれるようになった。現在は曹洞宗永平寺の末寺になっている。

石川丈山は三河の国(現在の愛知県安城市)出身。徳川家康に仕え大阪夏の陣で功名を立てたが、この役を最後に徳川家をはなれ京都に住まった・

「詩仙堂は「詩仙の間」や庭のさつきや紅葉で有名だが、本来は丈山がスパイをするため創った家です」とは、Jさんの説です。

スパイとは豊臣滅亡後ですから朝廷に対するスパイだったのでしょうか?

見終わって外に出ると「剣豪宮本武蔵の標識が建っている。ここ武蔵一乗寺決闘の場所だった。

「そろそろ帰りましょうか」と京都東インターに戻り、名神に乗りました。大津SAで琵琶尾を一望するレストランにより昼食。

西岐阜駅には三時半でした。ガソリンを満タンにしたら14.56L、15L未満で京都まで往復したことになります。

五時前に帰宅しました。

夕方カメラの写真をパソコンに取り込もうとしたら、そのソフトが動かない。システムデスクからソフトを再インストールしないといけないが、システムデスクが見つからない。修復にはしばらく時間がかかりそうということで、今回は写真未掲載です。

 


京都冬の旅

2018-02-05 | 旅行

 「京都冬の旅」の報告です。かれこれ50年ちかい付き合いの4人。恒例の一泊ドライブ旅行、1月30日、31日京都に出かけました。30日8時半家を出て、9時30分過ぎJR西岐阜駅に着きました。1本あとの電車で浜松のSさんと小牧のJさんが顔を見せました。

 ここ10数日異常な低温が続いている。登山家のJさんは冬山装備姿で現れた。

ことさら寒い季節をえらんだわけではなく、秋の京都の紅葉を見ようと昨年11月に起案したのだが、4人の日程が空いているときに日にちが取れず、1月になったのだが、いまや70代2人、80代2人の高齢になっているのに、みなさんk簡単に日程が取れないほど忙しいのは喜ぶべきかもしれないが、この寒さは想定外だった。

揃ってエレベータを降りて駅正面に降りるとHさんの車がついたところ、挨拶を交わして乗り込みました。

 青空から冬陽が漏れている。「お天気は天気予報より良くなってるね」

でも、関ケ原まで来ると、周りは見事な雪化粧。でも渋滞するほどではなく、順調に走る。11時頃多賀のSAでトイレ休憩、「ついでに早めの昼食をすませよう」とラーメンで、軽い昼を済ませた。

京都に近づくと雪はなくなる。京都南Iで高速を降り京都市街に入る。

今日の泊まりは花園会館。1時到着。ここの駐車場に車を預け妙心寺を見学することにした。

 フロントで、宿泊者サービスの拝観券を貰い、妙心寺に行った。旅館は妙心寺南口の前にあった。

 妙心寺は約10万坪の敷地に46もの塔頭が並んでいる、

南総門の受付に行くと、「拝観料は一人500円です」という。

「これで入れないの?」と旅館でもらった拝観券を示すと「妙心寺三門と東海庵の拝観券で、妙心寺は別です」

そうか46も塔頭があれば、全院すべてで500円ではなりたたない。

宿のパンフにあった。「 「第52回京の冬の旅 非公開文化財特別公開」にあわせて1泊2食+妙心寺特別拝観をセットにしたお得なプランです。当館に隣接する大本山 妙心寺では、今回「三門」と「東海庵」の2ヶ所を特別公開致します。」

 

院という名の塔頭が多い。

「天皇の別荘などを寺院にすると、院という名になるらしい。

妙心寺は花園天皇の別邸を寺院にしたらしい。花園天皇は

禅宗の信仰に傾倒し、建武2年(1335年)11月、出家、法名を遍行と称した。興国3年(1342年)1月には仁和寺の花園御所を寺に改めて妙心寺を開基している。禅宗妙心寺派の総本山になっている。

京都市右京区花園木辻北町1-5が、旅館の住所だから、街の名も旅館の名も花園天皇にちなんでいるかも。

尚、花園天皇は後醍醐天皇の前の天皇である。

妙心寺では、法堂で狩野探幽の筆になる竜の天井画.

国宝妙心寺鐘の紹介、ついで明智光秀の菩提をと弔うために造ったとされる浴室、明智風呂。徒然草に記された妙心寺鐘に案内された。続いて、案内してくれたのは、三門です。

 三門とは、三つの解脱の門の意味らしい。三つの解脱とはなんだったか、聞いたがすぐ忘れてしまった。

 その後は東海庵という趣の異なる三つの庭のある塔頭。以上二つが普段は非公開の、今回のみこう公開のたてものという。

後、自由にみてくれというが、とても見切れないので、通年公開の退蔵院に拝観料500円を払い入ってみた。庭が有名な塔頭でした。

元信の庭

狩野元信の作と伝わる枯山水の優美な庭園で、枯滝・蓬莱山・亀島と石橋など多数の庭石が豪快に組まれている。

余香苑

1963年(昭和38年)から3年の月日を費やして造園家の中根金作が作庭した昭和を代表する名園で、大刈込みの間から三段落ちの滝が流れ落ち,深山の大滝を見るような風情がある。

3時半を過ぎていた。寒くて体が冷えてきたので、宿に戻って温まろうと、宿に戻りチェックインした。

部屋に入ると「この部屋ちょっと小さいじゃない?まちがってない?」

「いや10畳の部屋をいちばんおおきい部屋だとして予約したよ」

数えてみると、畳は確かに10枚。でも京間と言うか、江戸真というか、畳が小さいのだ。」

1時間ほど風呂で温まり、5時から1時間、恒例の勉強会。

私が佐伯啓思の本三冊(従属国家論、さらば資本主義、西田幾多郎)の内容紹介し、彼の発想を紹介した。

 Hさんが、一昨年訪れた新宮市の大逆事件の犠牲者医師大石誠之助が新宮市の名誉市民にに推挙され、朝日新聞1月22日の天声人語に紹介された旨の報告があった。

 6時から夕食。お酒が口当たりが良く、すっかり酔ってしまいすぐ寝込んでしまった。い、


長久手古戦場周辺を歩く

2017-11-28 | 旅行

11月24日、住宅シニアクラブのウオーキングで、長久手古戦場周辺を歩きました。

今年は冬が早く来たようで、風がとても冷たい。こんな寒い日では誰も来てくれないかな、と思ったのですが、幸い女性4名、小生含め5人が集合しました。

最近、リニモ沿線の整備が進んでいますので、長久手古戦場を歩いて、最近できたIKEA長久手店をみてこようと計画したのです。

地下鉄で本山、乗り変え、藤が丘でリニモに乗り10時半過ぎ長久手古戦場駅に着きました。駅前に古戦場公園、中に郷土歴史館がありました。長久手合戦の経緯が展示されています

天正12年(1584)秀吉と家康が小牧で対陣した。秀吉側の池田勝入が膠着状態を打破しようと、陣を離れて岡崎を攻める別働隊を組んだ。これを知って追った家康が長久手で追いつき撃破した。家康が秀吉を破った唯一の武将として勢威を高め、後の関ケ原で多くの武将が徳川につく遠因となった。この意味で長久手は徳川政権を築いた合戦です。

園内には勝入塚がありました(写真)。池田勝入信輝戦死の地です。

30分ほど公園内を見た後、駅前のイオンモールに行き、4Fのレストランで一緒に昼食を取りました。イオンモールは、凄く広くてどちらへ行ったらよいか迷ってしまいます。食事を終えた12時、バス乗り場に行こうと、1Fに降りたがバス停の位置がわからない。バス停を見つけるのに苦労しました。

バスは、長久手市が運航するNバスで、長久手市民は無料、他市の人は一回100円で安くて良いのですが、1時間に1本ぐらいしかありません。12時半過ぎバスが来たので乗車、10分ぐらいで長久手市役所に就きました。15分ぐらい歩いて色金山公園に登りました。長久手合戦で家康が本営を置いた場所です。

 気温は低いのですが、速足で歩くと寒さは感じません。ところが、早く歩きすぎてみなさんを置いて先に行ってしまいました。

犬山の国宝如庵を模した茶室がありましたので、抹茶を頂こうと待っていましたが、全然見えない。途中の分かれ道で別のルートに行ってしまったらしい。仕方ないので、市役所前のバス停に戻ると、皆に会うことが出来ました。バスの時間が合わなくて古戦場駅まで歩くことにしました。20分程度の歩きで駅に戻りました。

最近できたIKEA長久手店を見ようと、リニモに再乗車、二駅乗って万博公園西口に行きました。(230円)IKEAを見ましたが、大変な賑わいです。3Fまで行ったが、1Fに戻ろうと思った時コースがわからない。店員に聞こうと思ったが客で大混雑、店員も見つからない。やっと床の矢印を見つけて1Fに戻りました。

 1Fで、LEDの電球を一個99円で買い求めました。駅に戻り藤が丘までの切符290円を買い求めホームに行くと、もう皆が待っていました。

藤が丘に戻り駅の売店に入りたいやき大納言を賞味しました。

「お天気h良くて良かったね」、「全然寒くなかったね」。「歩くのに懸命だったから」、「どれだけ歩いたかな。万歩計持ってる?」、「13000歩!」。など、雑談。帰途の地下鉄は栄で乗り換え、5時帰宅しました。


秋の駅ちかウオーキングが始まりました

2017-10-01 | 旅行

10月1日朝、鶴舞駅に9時半集合し、4番出口から歩き始めました。良いお天気です。

 

昭和区の80周年記念とかで前半は書枠を縦断するコースです。鶴舞図書館を右に見てすぐ東郊どおりを南に東郊どおり3丁目を東に歩くと尾陽神社。ここまで2km。初代の尾張藩主義直公と最後の藩主徳川慶勝公を祀って明治44年に創建されました。

隣に御器所八幡宮がありました。熱田神宮の鬼門の守りとして創建されたとのこと。

参拝後、さらに東へ歩くと桜山通りに出ました。セブン・イレブンでお握りを調達しました。

この通り、名古屋マラソンで走ったのは何年前だったか、考えながら南に歩いて名古屋市博物館、ここまでで1時間です。

開館40周年とかで、常設展で、「とっておきのご披露!」が展示されていました。hs区仏刊の庭でお握りの昼食を終え、さらに南へ歩き、瑞穂区役所の信号を東、汐路町に名古屋女子学園がありました。学園祭をやっていて、学園創始者の塚原記念館を公開していました。汐路町1,2丁目、字叔父小学校北を通ると、東山荘です。大正期の建築で、綿布賞伊東信一氏が名古屋市に寄贈したもの。3600坪の敷地に、自然林w背景に国の有形文化財の160坪の建物がある。

都心のなかにあるとは思えぬ環境です。東山荘を見学した後、石川橋胃出て、壇渓どおりを4丁目から1丁目へ川原、川名公園でゴール、12時半でした。区制80年の記念バッジがお土産dした。川原の地下鉄入り口に戻り、1時過ぎ帰宅しました。8km弱の距離なのにすごく疲れて齢を痛感しました。


八十路坂同級会

2017-06-13 | 旅行

 

10日、高校の同級会が開かれた。

11時半、家を出て豊橋に向かう。12時40分豊橋着。飯田線の時間にはまだ1間あったので駅2Fの喫茶店で時間をつぶし、13①時半頃乗り場に行く。奈良から来たM君がベンチに腰を下ろしていた。隣に座って、「元気?」、「うんなんとか」話し込む。

13時41分の「天竜峡行」が来た。乗り込むと懐かしい同級生の顔があちこちに。鈍行電車だから、あちこち止りながら山間に入っていく。湯谷温泉を過ぎると、川が線路に近い。「豊川」の上流だが、地元の人が「板敷川」と呼ぶ美しい流れだ。岩の板が敷き詰められたような美しい流れで、確か井上靖の小説で、この辺りの川の美しさを描いた小説があった。小説の題名が思い出せない。私が10代に読んだ小説だから、昭和31年までの井上靖の作品をすべて読んでみて、題名を思い起こしたい、と思っているが、まだ果たせずにいる。3時10分ごろ「東栄駅」に着く。豊橋から1時間半の旅だった。

 駅には同級生が4~5人車で迎えに来ていた。過疎化でバスも採算に乗らず廃止になっているので迎えの車である。「やぁ久しぶり!」。車に乗り込み15分ぐらいで、山間の宿に着く。「「千代姫荘」という町営の宿泊施設である。

入り口にチェーンソーアートのベンチが置いてある。

 受付を済ませた後、割引券を貰って、町営の温泉に行く。割引券を渡し320円の入場料を払い風呂に入る。割引なしにいくらの温泉かな?と掲示を見たらひとり650円と出ていた。

 確か竹下内閣の時だったが、各自治体に1億円ずつ配布したことがあった。バルブ時のバラマキだったが、おかげでできた温泉である。日本は火山国だから、どこでも掘れば温泉は出てくる。

「本当に温泉?それとも沸かしているの?」。聞くと「源泉は32度くらいだから沸かしている」の返事。1時間ほどで宿に戻る。

幹事が作成してくれた名簿を見ると、卒業時70名(男40、女30)だったのが、生存者は46名(男21、女25)で出席者は26名(男11、女15)だった。「八十路坂同級会」と銘打った同級会だが、80を超えると、女の方が元気であることは明らかになる。

 夕食会は地元産の食品に舌鼓。お酒も地元の銘酒「空」を出してくれた。「志多ら和太鼓」の出演が興をそそる。地元の廃校になった小学校を根拠地として全国から集まる若人が腕を磨き各地に公演しているとか、実際4人の出演者の内一人は香川県から来ているという。

 カラオケが始まる。「何か歌え」と言われて「小樽運河」を歌う。

「精進落としの酒を飲み、別の生き方あったねと、

40路半ばの秋が逝きセピア色した雨が降る」というあの歌。「80路半ば」の唄は無いので「40路半ば」をうたうことにしたのだ。

 9時前、宴を終えたが、会場は徹夜でつかえるから2次会で心行くまで語ってほしいとのことだったが、年の所為ですっかり疲れていたので「二人静」という典雅な名の部屋に引き上げ休んだ。

 あくる日は8時に朝食・配膳い来た女性に「NOZUEさんの弟だよ」と私を紹介された。「お兄さんに良く似ていらっしゃる」という。実家の前の家の奥さんとのこと。町営施設で、地元の奥さん方がパートで働いているのだ。

朝食後「次の同級会の幹事を決めよう」となって、私が指名された。80を過ぎると、幹事をやれる元気な人が少なく成るから、元気なものがやるしかない、と引き受けた。

9時15分JRの駅に送ってもらい同級会を終えました。

 


八十路坂同級会

2017-06-13 | 旅行

10日、高校の同級会が開かれた。

11時半、家を出て豊橋に向かう。12時40分豊橋着。飯田線の時間にはまだ1間あったので駅2Fの喫茶店で時間をつぶし、13①時半頃乗り場に行く。奈良から来たM君がベンチに腰を下ろしていた。隣に座って、「元気?」、「うんなんとか」話し込む。

13時41分の「天竜峡行」が来た。乗り込むと懐かしい同級生の顔があちこちに。鈍行電車だから、あちこち止りながら山間に入っていく。湯谷温泉を過ぎると、川が線路に近い。「豊川」の上流だが、地元の人が「板敷川」と呼ぶ美しい流れだ。岩の板が敷き詰められたような美しい流れで、確か井上靖の小説で、この辺りの川の美しさを描いた小説があった。小説の題名が思い出せない。私が10代に読んだ小説だから、昭和31年までの井上靖の作品をすべて読んでみて、題名を思い起こしたい、と思っているが、まだ果たせずにいる。3時10分ごろ「東栄駅」に着く。豊橋から1時間半の旅だった。

 駅には同級生が4~5人車で迎えに来ていた。過疎化でバスも採算に乗らず廃止になっているので迎えの車である。「やぁ久しぶり!」。車に乗り込み15分ぐらいで、山間の宿に着く。「「千代姫荘」という町営の宿泊施設である。

入り口にチェーンソーアートのベンチが置いてある。

 受付を済ませた後、割引券を貰って、町営の温泉に行く。割引券を渡し320円の入場料を払い風呂に入る。割引なしにいくらの温泉かな?と掲示を見たらひとり650円と出ていた。

 確か竹下内閣の時だったが、各自治体に1億円ずつ配布したことがあった。バルブ時のバラマキだったが、おかげでできた温泉である。日本は火山国だから、どこでも掘れば温泉は出てくる。

「本当に温泉?それとも沸かしているの?」。聞くと「源泉は32度くらいだから沸かしている」の返事。1時間ほどで宿に戻る。

幹事が作成してくれた名簿を見ると、卒業時70名(男40、女30)だったのが、生存者は46名(男21、女25)で出席者は26名(男11、女15)だった。「八十路坂同級会」と銘打った同級会だが、80を超えると、女の方が元気であることは明らかになる。

 夕食会は地元産の食品に舌鼓。お酒も地元の銘酒「空」を出してくれた。「志多ら和太鼓」の出演が興をそそる。地元の廃校になった小学校を根拠地として全国から集まる若人が腕を磨き各地に公演しているとか、実際4人の出演者の内一人は香川県から来ているという。

 カラオケが始まる。「何か歌え」と言われて「小樽運河」を歌う。

「精進落としの酒を飲み、別の生き方あったねと、

40路半ばの秋が逝きセピア色した雨が降る」というあの歌。「80路半ば」の唄は無いので「40路半ば」をうたうことにしたのだ。

 9時前、宴を終えたが、会場は徹夜でつかえるから2次会で心行くまで語ってほしいとのことだったが、年の所為ですっかり疲れていたので「二人静」という典雅な名の部屋に引き上げ休んだ。

 あくる日は8時に朝食・配膳い来た女性に「NOZUEさんの弟だよ」と私を紹介された。「お兄さんに良く似ていらっしゃる」という。実家の前の家の奥さんとのこと。町営施設で、地元の奥さん方がパートで働いているのだ。

朝食後「次の同級会の幹事を決めよう」となって、私が指名された。80を過ぎると、幹事をやれる元気な人が少なく成るから、元気なものがやるしかない、と引き受けた。

9時15分JRの駅に送ってもらい同級会を終えました。

 


八十路坂同級会

2017-06-13 | 旅行

10日、高校の同級会が開かれた。

11時半、家を出て豊橋に向かう。12時40分豊橋着。飯田線の時間にはまだ1間あったので駅2Fの喫茶店で時間をつぶし、13①時半頃乗り場に行く。奈良から来たM君がベンチに腰を下ろしていた。隣に座って、「元気?」、「うんなんとか」話し込む。

13時41分の「天竜峡行」が来た。乗り込むと懐かしい同級生の顔があちこちに。鈍行電車だから、あちこち止りながら山間に入っていく。湯谷温泉を過ぎると、川が線路に近い。「豊川」の上流だが、地元の人が「板敷川」と呼ぶ美しい流れだ。岩の板が敷き詰められたような美しい流れで、確か井上靖の小説で、この辺りの川の美しさを描いた小説があった。小説の題名が思い出せない。私が10代に読んだ小説だから、昭和31年までの井上靖の作品をすべて読んでみて、題名を思い起こしたい、と思っているが、まだ果たせずにいる。3時10分ごろ「東栄駅」に着く。豊橋から1時間半の旅だった。

 駅には同級生が4~5人車で迎えに来ていた。過疎化でバスも採算に乗らず廃止になっているので迎えの車である。「やぁ久しぶり!」。車に乗り込み15分ぐらいで、山間の宿に着く。「「千代姫荘」という町営の宿泊施設である。

入り口にチェーンソーアートのベンチが置いてある。

 受付を済ませた後、割引券を貰って、町営の温泉に行く。割引券を渡し320円の入場料を払い風呂に入る。割引なしにいくらの温泉かな?と掲示を見たらひとり650円と出ていた。

 確か竹下内閣の時だったが、各自治体に1億円ずつ配布したことがあった。バルブ時のバラマキだったが、おかげでできた温泉である。日本は火山国だから、どこでも掘れば温泉は出てくる。

「本当に温泉?それとも沸かしているの?」。聞くと「源泉は32度くらいだから沸かしている」の返事。1時間ほどで宿に戻る。

幹事が作成してくれた名簿を見ると、卒業時70名(男40、女30)だったのが、生存者は46名(男21、女25)で出席者は26名(男11、女15)だった。「八十路坂同級会」と銘打った同級会だが、80を超えると、女の方が元気であることは明らかになる。

 夕食会は地元産の食品に舌鼓。お酒も地元の銘酒「空」を出してくれた。「志多ら和太鼓」の出演が興をそそる。地元の廃校になった小学校を根拠地として全国から集まる若人が腕を磨き各地に公演しているとか、実際4人の出演者の内一人は香川県から来ているという。

 カラオケが始まる。「何か歌え」と言われて「小樽運河」を歌う。

「精進落としの酒を飲み、別の生き方あったねと、

40路半ばの秋が逝きセピア色した雨が降る」というあの歌。「80路半ば」の唄は無いので「40路半ば」をうたうことにしたのだ。

 9時前、宴を終えたが、会場は徹夜でつかえるから2次会で心行くまで語ってほしいとのことだったが、年の所為ですっかり疲れていたので「二人静」という典雅な名の部屋に引き上げ休んだ。

 あくる日は8時に朝食・配膳い来た女性に「NOZUEさんの弟だよ」と私を紹介された。「お兄さんに良く似ていらっしゃる」という。実家の前の家の奥さんとのこと。町営施設で、地元の奥さん方がパートで働いているのだ。

朝食後「次の同級会の幹事を決めよう」となって、私が指名された。80を過ぎると、幹事をやれる元気な人が少なく成るから、元気なものがやるしかない、と引き受けた。

9時15分JRの駅に送ってもらい同級会を終えました。

 


藤前干潟から金城埠頭へ

2017-06-10 | 旅行

6月9日は、住宅のシニアクラブのウオーキングで、藤前干潟と金城ふ頭に出掛けました。

いつも、第4金曜日に行うのですが、5月の第4金曜の26日が雨だったので、この日に延期しました。梅雨の晴れ間と称すべき日で、暑くなりそうです。9時半、エレベータホールに行くと女性が3名。小生含め4枚のみです。2~3年前。「藤前干潟」は行ったことがあったために少ない?それとも騨12期尿は皆さんほかに予定があるのか?いずれにしても4名のみで出掛けることにしました。地下鉄の駅まで歩き、久屋大通で桜通線に乗り換え名古屋駅へ。10時15分のあおなみ線の電車に乗りました。終点の金城ふ頭駅の一つ手前の「野跡駅」で下り、駅前の道を南へ。最初の信号(汐止町)を右に回ると稲永公園にあたる。ここに野鳥観測館があります。

中に入ると「間もなく小学生の団体が入りますがそれまでは自由に見てください」とスタッフが言う。望遠鏡が10数台並んでいるので覗くと、カワウとサギが見られた。小学生が入ってきたので、隣の稲永公園ビジターセンターに入った、ここでは「藤前干潟」の解説が展示されていて「ラムサール条約」の解説もあった。日本にはラムサール条約に登録してある湿地がここを含めて50か所あるとか。 

藤前干潟は、庄内川・新川・日光川の3河川が合流する河口部に位置し、潮が最も引いたときには238ヘクタール(東京ドーム50個分)の干潟が現れます。年間を通じて100種類を超える水鳥が飛来し国指定鳥獣保護区・ラムサール条約湿地に登録されています。

 建物前の道を南に、埠頭まで歩くことにする。およそ3.5㎞の行程です。

前回来た時はこまでを歩いたので今日はこの先を埠頭まで歩くことにした。5月20日の駅ちかウオーキングで一度歩いているが、その時は車の多い道を歩いたのだが、海沿いを歩いたほうが見晴らしが良いと聞いたので、今日は海沿いに歩くことにしました。

日差しは真夏ですが、空気は割と乾いていてさわやかです。しかし、歩いていると汗がにじむ。咽喉が乾く。「NOZUEさん、お茶飲んだの?」と聞かれる。

「野鳥観測館で飲んできたよ」と答えた。

11時から歩き始めて12時に金城ふ頭の「メーカーズ。ピアに着いた。ここで腹ごしらえをすることにした。

メーカーズ・ピアは今年オープンした商業施設でカフェ、レストランがあります。

皆さんが「洋食館」に入ると言うので付き合って「オムレツ」を食べることに。この後の予定はjRリニア館に入ることでしたが、女性方、鐡道に興味はないのでもう良いと言われる。入場料1000円を払ってみるまでもないようです。金城ふ頭駅の駅前で、新幹線や在来線のjR車両が展示され、入場者は抽選で新幹線運転のシミュレーシヨンを経験できる施設ですが、カットすることにしました、(写真は下見の時の写真です)

 

 

皆さんメーカーズ・ピアで購入したかっぱえびせんの袋を抱えて帰途に就くことに。

13時29分の電車で名古屋駅に戻り3時前帰宅できました。

 

 

 


奈良の旅(2)

2017-06-05 | 旅行

2日目は6時には目覚めた。窓の雨戸を少し開くと、さんさんとした陽光が部屋に流れ込む。今日もお天気は良い。7時に朝食。8時に出掛けることにした。午前は桜井市の長谷寺を参拝することにした。電話番号案内で「桜井市の長谷寺の電話を教えてください」と聞いてカーナビにインプット。カーナビのガイドで9時頃長谷寺に着いた。桜井市は天理市の南に位置し、多くの神社がある。一番人気は長谷寺、西国33か所の8番目の霊場です。大神神社もある。大神と書いて「おおみわ」と読み、その御神体は「三輪山」で、日本最古の神社だとか。

談山神社(中大兄皇子と藤原鎌足が曽我入鹿を討伐するために会合をこの地で開いたところから談山神社と言われる。)もある。

「長谷寺は何を見るの?」Hさんが言う。

「“花の寺”と言われるほど春秋に花が咲くが、ことに牡丹が有名。しかし、牡丹の時期は過ぎているので見られないと思うが、ご本尊の十一面観音が公開されている筈。それを拝顔しましょう」と小生。

参道の所々に民営の駐車場がある。いずれも1回500円のようだ。一番上まで上がってから駐車した方が歩くのは楽だが、上の駐車場が空いているかどうかわからないので、適当なところで駐車場に車を停めた。ここは神社までの階段が長い。段差は小さいが、階段の数が多い。

入場料は神社の拝観は500円だが、十一面観音の足に触って願いをするには1300円だと言う。1300円を払い神社に上がってご本尊に拝顔した。

 ご本尊は、近江高島の楠の霊木を用いて3日で作り上げられたそうで、御身の太3丈3尺(10m余)。天文7年(1538)の作と伝えられる。

中に入り膝まづいてみ脚にタッチしてお願いをする。10m余の高さは見上げるほど。何をお祈りしたらよいか。結局「死ぬまで元気でいられるように」とお祈りした。

 

庭には芭蕉の句碑が建っている。

五重塔には入らず写真だけ撮った。10時過ぎ戻ることにして、今度もカーナヒに「県美術館」の電話番号を入れて奈良公園に戻ってきた。

ここも駐車場探しに苦労し、結局県庁南の駐車場に車を入れて公園の中を奈良県美術館に歩いた。「奈良公園の鹿は、宮島の鹿とくらべると小さい」とJさんが言う。

「榊獏山と紫舟のシンフォニー」という企画展をやっていた。「65歳以上は無料です」と言われたので、保険証を見せて入館した。

「奈良にゆかりの深い書家二人の独創的な世界を紹介します」とあったが、これほど多様な文字を表現したのかと驚くほど多くの獏山の作品が展示されていた。三重県美術館所蔵作品の展示が多かった。榊獏山は伊賀の生まれだから、三重県美術館に多くの作品があることに不思議はない。1時間余見て出ることにした。Jさんがスタッフの女性に聞いていた。

「この美術館は自館所蔵の作品はあまりなくて、こうした企画展で客をあつめている」とJさん。この場所での所蔵作品を見たかったらしい。

1時近くになったので、5時までには名古屋に着きたいと皆さんの希望で、奈良は切り上げることにした。私にとっては中学3年生の修学旅行以来65年ぶりの奈良の旅でした。

昨日名阪が渋滞したので、今日は名神で帰ろうと、木津ICから高速に乗る。京滋道経由で名神に乗り、3時前多賀sAで軽い昼食。岐阜羽島のICには3時半。西岐阜駅に4時前着いた。Hさんの車を降りて、JRで名古屋駅に4時。ここで浜松に行くSさんに別れた。地下鉄で5時ごろ帰宅しました。帰宅後メールをチェックしたら、中日新聞から「ドラゴンズ荒木2000本安打」と、メールが入っていた。

荒木選手の中日入団は私が会社を定年退職した齢で、初安打は、私の定年退職の翌年である。

 

 


奈良の旅

2017-06-04 | 旅行

 

昭和40年代からの付き合いだからかれこれ50年近い付き合いになる4人です。6月1日~2日と、恒例の4人の一泊ドライブ旅行、奈良に行きました。

2日9時半に、待ち合わせ場所の名古屋駅新幹線口のハイウェイバスの待合室、約束の10時前Hさん。次いでJさん、Sさんが現れました。すぐHさんの愛車デミオに乗り込み名古屋高速で行こうと乗り口を探すが、結局北向きの高速に乗ってしまったので清須周りで東名阪に乗った。

 お天気は良かったが、東名阪は補修工事をやっていたため、四日市の前から大渋滞に巻き込まれた。1時間ぐらい、のろのろ運転です。渋滞が終わった後、やっと快調に走りだした後、とんでもない事態に遭遇しました。

 パトカーに捕まったのです。スピードを出しすぎたかな?

 パトカーが前に割りこみ「とまれ」の合図をしている。パトカーの後に停まると、パトカーを降りてきたポリさんが、窓から中を覗き込み、「後部座席の人がシートベルトをしていません、高速道では違反です」という。

ドライバーのHさんと、助手席のJさんはしていたから私とSさんの責任だ。パトカーに行き話していたHさんが戻ってきた。

「罰金ですか?」とJさん。

「いや、これから3ヶ月特に違反がなければ、違反なしになるそうです」。

 確かに後部座席の小生とSさんが、シートベルトをしていなかった。

「しかし、「どうして外部から分かったのだろう」。

 私には、シートベルト着用のキャンペーンで、後部座駅に乗客のいる車をすべて止めて違反を摘発していたとしか思えない。

渋滞で時間を費やしたので昼飯を取る時間を逃して1時近くになっていた。「道の駅 針」があった。奈良市針町にある名阪国道(国道25号)の道の駅である。」

「軽くお腹に入れていくか」と立ち寄りラーメンを食べました。昼食後、カーナビに「国立奈良博物館」の電話番号をインプットして走り出す。Hさん、カーナビを新調していた。

今度のカーナビは町名まで言う。「300m先右折れ」と言うのでなく、」300m先何々町を右に回る」。2時頃博物館近くについたが駐車場を探すのが大変でした。結局、博物館から大分離れた奈良公園の南のはずれにあった県営の駐車場に車を入れた。浮見堂の近くでした。

 

公園の鹿を見ながら、博物館まで歩きました。これなら、先にホテルに行き、タクシーで博物館に来るという手もあった。

 「快慶 日本人を魅了した仏のかたち」という企画展をやっていた。

http://www.narahaku.go.jp/exhibition/2017toku/kaikei/kaikei_index.html

「本展は、快慶の代表的な作品を一堂に集めて、わが国の仏教美術史上に残した偉大な足跡をたどる試みです」と謳う。出品一覧表で数えたら、快慶の昨品が36点も展示していた。筋骨隆々の阿吽の像を見ながら、ダヴィンチやミケランジュに匹敵する芸術家なんだと思った。4時過ぎまで見て、疲れたので、喫茶室で珈琲を飲みながら休憩しているとJさんが「地下に回廊が出来ている。そちらを見に行きましょう」。以前Jさんが訪れた時にはなかったので見たいと言われる。

名品展「珠玉の仏たち」では、飛鳥時代から鎌倉時代に至る仏像を中心とした展示を見ることが出来ました。

 4時半を過ぎていたのでホテルに向かうことにしました。駐車場に戻り、カーナビに電話番号を入れ「ホテルフジタ奈良館」に向かいました。カーナビのガイドで、快調にドライブしていたのですが、5時頃、「ワー!」と、突然急ブレーキ。「右です・目的点近くです」とのカーナビのガイドで右に入ろうとしたら、一方通行で進入禁止でした。

カーナビに一方交通の情報がが入ってなかった!

 それからハンドルを立て直ししばらく直進、右折して目的の通りに入ろうとするが、うまくいかない。カーナビのガイドで、動くのだが、結局ホテルの周辺を2周、3週することになる。Jさんが奥の手。ホテルに電話して、案内に来てもらった。交差点の近くに止めて、フロントの人を待ち、同乗してもらい、やっとホテルに着いた。

「駐車場は5台分しかないので、もし空いていなかったら近くのコインパーキングを利用してもらいます。一泊1200円です。館内の駐車場に止めても同額の料金は頂きます」と電話で言っていた。入り口横の小さなスペースが、なるほど5台も入ったら身動きできない。「車のキ-はあずからせてください」という。他の客が出ようとする時、動かさないと出られないのだ。駐車場ではこの後も苦労したが、奈良は車で来る観光客を配慮していないと思った。ホテルの周りを回っているうちに時間が過ぎて6時近かった。レストランを6時に予約していたので、直ぐ7Fのレストランに行き、料理を頼んだ後、生ビールを傾けながら、恒例の勉強会。今回は私がここ3ヶ月で読んだ本の紹介を行った。生ビールの口当たりの良かったためか、皆さんが聞き上手であったためか、8時近くまで喋ってしまいました。8時半食事会を追えて初日の終了となりました。