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shiotch7 の 明日なき暴走

ビートルズを中心に、昭和歌謡からジャズヴォーカルまで、大好きな音楽についてあれこれ書き綴った音楽日記です

Art Pepper Meets The Rhythm Section

2009-07-08 | Jazz
 “オーディオ” という言葉は iPodや音楽ダウンロードが主流になりつつある今のご時世では死語に近いかもしれない。しかしケータイ電話で音楽を聴いている高校生とかを街で見かけると正直、世も末やなぁと思ってしまう。私は1曲でも多く自分の趣味嗜好に合った音楽を見つけることが生き甲斐なのだが、貧相な音では折角の名曲名演を存分に愉しむことが出来ない。要するに少しでも良い音で聴きたいのだ。特に通電していないアコースティックなサウンドが主体になるジャズにおいては音の良し悪しが非常に重要で、同じ音源であっても再生環境によって名演に聞こえたり駄演に聞こえたりするものだ。具体的に言うとベースがギリギリと軋み、ブラッシュがシャッシャッと瀟洒な音をたて、テナーがスススと深~い音を出し、ピアノがコロコロ転がるようにスイングしなければいけない。
 私は10年ほど前に行ったオーディオ・ショーで最新の大型スピーカーを聴いて衝撃を受け、それまでそれなりに満足して聴いていたケンウッドのヨンキュッパ・スピーカーからのグレードアップを真剣に考え始めた。ちょうどその頃ジャズにハマリ出していた私は大胆にも “真空管アンプ+超大型スピーカー” を購入しようとヴィンテージ・オーディオの名店 “オーディオ南海西田辺店” へと出かけて行った。
 店内に入ると巨大なスピーカーが所狭しと並べられていた。EMT、ガラードのアナログプレイヤーにマッキンのアンプなんかもゴロゴロしており、まるでクラシック・オーディオショーのようだった。内心ビビリながら店主の尾崎さんに「デカいスピーカーと真空管アンプが欲しい」「ECM系の透明感溢れるキレイキレイな音ではなく、50年代ブルーノート系のガツンとくるヤクザな音でジャズを聴きたい」「特にベースとブラッシュの音を愉しみたい」とこちらの希望を告げると、何通りかの組み合わせで音を聴かせて下さるという。そこで私は持参した試聴用リファレンス盤を何枚かかけていただいたのだが、その中でそれぞれの組み合わせの特徴を最もリアルに暴き出したのがこのコンテンポラリー・レーベル屈指の名盤「アート・ペッパー・ミーツ・ザ・リズム・セクション」だった。
 50年代ジャズ・レーベルといえばブルーノートが有名だが、ルディー・ヴァン・ゲルダーの録った迫力満点のいわゆる “ブルーノート・サウンド” は聴いている分には面白くても、実際の生の楽器の音とは程遠い “作られた音” だった。それに対し、西海岸のコンテンポラリー・レーベルのロイ・デュナンの録る音は楽器のディテイルの鮮明さやナチュラルな音場感を重視し、私の知る限り最も自然な楽器の音色を円盤に封じ込めていた。
 そのコンテンポラリー・レーベルの中でも一二を争うこのアルバムは、ウエスト・コースト・ジャズの№1アルト奏者であるアート・ペッパーが、イースト・コーストで当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったマイルス・デイビス・クインテットの “ザ・リズム・セクション”(唯一無比の、という意味を込めた敬称として定冠詞 the を付けてこう呼ばれた)と共演したレコードで、ペッパーのプレイはバックの3人の素晴らしいプレイに触発されて、他ではあまり聞かれないほどハードな一面をのぞかせながら、インプロヴァイザーとしての凄味を見せつけている。
 そんな火花散る他流試合セッションの模様を最もスリリングに描写したのが「マッキントッシュ240+アルテック・ヴァレンシア」の組み合わせだった。それまで奥のほうに引っ込んでいたペッパーが前へ出てきたのだ。マイルスのリズム隊と闘うペッパーが左側に “立って” いた。これは凄い!!! さすがは60年代ジャズ喫茶で活躍した銘機である。マッキン240が巨大な38cmウーファーを楽々と動かし、チェンバースのベースが活き活きと躍動している。中高音域を受け持つホーンも抜群で、フィリー・ジョーのシンバルがカツン!と気持のいい音をたてる。ペッパーのアルトも実に柔らかい音で、それまで何百回聴いたかわからないくらい耳ダコのはずの演奏に聴き惚れてしまった。その後も何枚かリファレンス盤をかけてもらったのだが、このペッパー盤を聴いた段階で「マッキン+ヴァレンシア」の買いを決めたようなものだった。
 内容に関しては “粋でカッコイイ” 演奏のアメアラレで、ジャズ初心者が聴いてもベテランが聴いても愉しめると思う。①「ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」のイントロでガーランドのピアノにフィリー・ジョーのドラムがリズムを刻むところからもう鳥肌モノだ。ヴォーカルではヘレン・メリル、インストではこのペッパー盤がこの曲の決定的名演だろう。このアルバムは①が素晴らしすぎるので他の曲があまり話題に上らず不憫この上ないのだが、ミディアムで気持ち良くスイングする②「レッド・ペッパー・ブルース」、ペッパーの繊細なプレイに瞠目の③「イマジネーション」、フィリー・ジョーのブラッシュ・ワークがカッコ良すぎてクラクラする④「ワルツ・ミー・ブルース」、アップテンポで吹きまくるペッパーの十八番⑤「ストレート・ライフ」、チェンバースのベースが唸りをあげて爆走する⑥「ジャズ・ミー・ブルース」、煽りまくるフィリー・ジョーのドラミングに乗ってペッパーが舞う⑦「ティン・ティン・デオ」、イントロを聴いているとまるで「クッキン」を聴いているかのような錯覚に陥ってしまう⑧「スター・アイズ」、平凡なテーマと非凡なアドリブの対比の妙が見事な⑨「バークス・ワークス」と、どれもこれも素晴らしい演奏だ。
 尚、このLPのオリジナル盤はモノラルよりもステレオ(ジャケットにデカデカとSTEREOの文字が踊ってるS-7018)の方が断然音が良い。アナログ・プロダクションズから再発された重量盤もエエ音しとったし、このアルバムは “音良し内容良しジャケット良し” と三拍子揃ったモダン・ジャズの大名盤だと思う。

Art Pepper-You'd Be So Nice to Come Home To

Midnight Blue / Kenny Burrell

2009-06-30 | Jazz
 どんな楽器にもいえることだと思うが、達人といわれるプレイヤーは他のミュージシャンがどんなに頑張っても出せない彼ら独特の音を持っている。他のギタリストがエディー・ヴァン・ヘイレンと同じギターで同じチューニングをしても、どうしてもあの音が出せないと語っていたのを何かの記事で読んだことがあるのだが、要するに表面的な音像を真似ることはできても、人間の持つ “体内リズム” に起因する “間” や “タメ” をコピーすることは不可能ということだろう。世界中に無数に存在するゼッペリンのコピー・バンドがどうしてもジミー・ペイジやジョン・ボーナム独特の “間” を再現できずに四苦八苦しているのを見ればよく分かる。この何分の一かの “タイミングのズレ” によって聴き手に与える印象がガラリと変わってしまうのだ。特にヴォーカルを入れないインスト中心のジャズにおいてはこれが演奏の出来を左右する重要な要素になってくる。黒人ミュージシャン特有のタイミングの粘りが高いテンションを作り上げ、いわゆる “揺れるようなブルース感覚” を生むのだろう。
 私がジャズを聴き始めて最初にハマッたミュージシャンはケニー・バレルというギタリストだった。華やかなサックスや日本人の大好きなピアノに比べると、ギターというのはジャズ・コンボの中では比較的地味な楽器と言えるのだが、この楽器はバレルの手にかかると水を得た魚のように活き活きとした音を発し、自由闊達に歌い始める。彼のプレイはアーシーなドライヴ感に溢れ、フロントのホーン陣と渡り合えるだけの力強さを兼ね備えているのだが、何よりも彼のプレイを特徴づけているのはそのハードボイルドなギターの音色であり、ジャジーなセンス溢れるコード・ワークなのである。そのブルース・フィーリングに根ざしたセンス溢れるプレイは唯一無比で、ブラインドをやってもすぐにバレる(笑)ぐらい個性的なサウンドなのだ。そんな彼の “都会的なブルース感覚” が最も顕著に表れたアルバムが63年にブルーノート・レーベルからリリースされた「ミッドナイト・ブルー」である。
 ギター、ベース、ドラムスというピアノレス・トリオにコンガが加わったカルテットに、曲によってはスタンリー・タレンタインのまっ黒けなテナーをフィーチャーしたサウンドはまさに深夜の大都会、それも世俗的な猥雑さと洗練されたクールネスというアンビバレンスが似合う街、ニューヨークの夜をイメージさせる。特にアルバム・タイトル曲の④「ミッドナイト・ブルー」はテナー抜きのベーシックな編成のため、彼のギターの魅力を思う存分堪能できる仕掛けになっており、ブルージーなフィーリングをモロに表出せずにアーバン感覚溢れるセンスの良い語り口に昇華させてしまうバレルのプレイが最高にカッコイイ。これはもう、ほとんどハンフリー・ボガードの世界である。サウンド面ではコンガが意外なほど効いており、全編を支配している軽快なスイング感がたまらない(≧▽≦) 
 それ以外の曲も絵に描いたようなカッコ良いモダン・ジャズのオンパレードで、クリアなタッチで歌心溢れるプレイを聴かせてくれる①「チトリンス・コン・カルネ」、ソフィスティケイトされたソウルフルなプレイが素晴らしい②「ミュール」、バレルの繊細な感覚が存分に発揮された哀愁舞い散る③「ソウル・ラメント」、黒っぽさ全開のアンサンブルの中で聴ける知的でコントロールされたソロに耳が吸い付く⑤「ウェイビー・グレイビー」、俗っぽさの中に人生の哀感を漂わせたようなプレイが渋い⑥「ジー・ベイビー・エイント・アイ・グッド・トゥ・ユー」、バレルが次々と繰り出すアーシーなフレーズが生み出すグルーヴが圧巻の⑦「サタデイ・ナイト・ブルース」と、捨て曲なしの完璧なアルバムなのだ。
 ジャズもロックも元をたどればブルースに行きつくというが、このバレル盤はそんなルーツ回帰サウンドを満喫できるモダン・ジャズ・アルバムの大傑作だ。

Kenny Burrell - Midnight Blue

Pres And Teddy / Lester Young

2009-06-24 | Jazz
 ジャズ・ファンの遊びのひとつに“ブラインド”というのがある。正確には “ブラインド・フォールド・テスト” と言い、要するに何の前情報もなしにいきなり演奏を聴いて誰がプレイしているのかを当てるというごくシンプルなゲームのことなのだが、このゲームの面白いところは、そのミュージシャンの演奏の特徴がしっかりと頭に入っておれば、たとえ知らない演奏であったとしてもかなりの確率で当てることができるという点だ。どんな楽器にも当てはまることだが、奏法には流派というか系譜のようなものが厳然と存在しており、同じフォービート・ジャズというフォーマットで演奏してもその音色や吹き方によって印象は全く違ってくるものだ。
 レスター・ヤングという人は1930年代にカウント・ベイシー楽団のスターとして脚光を浴び、それまでゴツゴツしたスタイル一辺倒だったテナー・サックス界に革命をもたらしたスタイリストで、後に“レスター派”と呼ばれるフォロワーを数多く生んだサックス・レジェンドである。特に30年代後半のベイシー時代から40年代前半のキイノート・セッションあたりのプレイは目も眩むばかりで、その滑らかなフレージング、ソフトなトーン、抜群のスイング感、そして究極のリラクセイションはモダン・テナーの源流と言ってよく、絶妙のタイミングでリズムに切り込み独創的なフレーズを次々に紡ぎ出す彼のプレイは唯一無比のものだった。
 しかしその後兵役に取られ、人種差別的迫害を受けて精神をボロボロにされた彼は演奏面でも精彩を欠くようになり、50年代に入ってヴァーヴから出された作品の中には正直聴いてて辛い演奏もあるが、そんなレスターが奇跡的に好調を取り戻したのがピアノの巨匠テディ・ウィルソンとのセッションだった。レスターとテディは共にスタンダード・ソングを素材にしてメロディアスなアドリブを展開していくスタイルであり、更に職人ジョー・ジョーンズが匠の技で二人を支えるというセッティングがレスターの好演を引き出したのかもしれないが、とにかく50年代レスター屈指の名演といっていいアルバムがこの「プレス・アンド・テディ」なのだ。
 テナーのレスター・ヤング、ピアノのテディ・ウィルソン、ドラムのジョー・ジョーンズ、ベースのジーン・ラミー... もうパーソネルを見ただけで音が聞こえてきそうな黄金のカルテットだ。快調なテンポでレスターが飛ばしまくる①「オール・オブ・ミー」は1分46秒からのテディー・ウィルソンの歌心溢れるピアノ・ソロとジョー・ジョーンズの瀟洒なブラッシュの競演に心を奪われる。音楽を知り尽くした2人の名人芸が素晴らしい。シナトラの名唱で知られる②「恋のとりこ」、スロー・テンポで歌い上げるレスターはまるで大切な曲を慈しみながら吹いているようだ。レスターがミディアム・テンポで気持ち良さそうにスイングする③「ルイーズ」ではジョー・ジョーンズの歯切れの良いブラッシュ・ソロに耳が吸い付く。
 名演揃いの本盤の中でも特に気に入ってるのが④「ラヴ・ミー・オア・リーヴ・ミー」で、一段と気合の入ったプレイを聴かせるレスターといい、2分10秒から信じられないくらいよく歌うアドリブ・ソロを展開するテディーといい、大技小技を次々と繰り出しながらの変幻自在なプレイを繰り広げるジョー・ジョーンズといい、全員が一丸となって実に緊張感溢れる1曲に仕上げている。モダン・ジャズ史上屈指の大名演だ。ミディアム・スイングが心地良い⑤「テイキング・ア・チャンス・オン・ラヴ」はシャキッとしたテディーとホワッとしたレスターの対比の妙が聴き所。ややスロー・テンポの⑥「アワ・ラヴ・イズ・ヒア・トゥ・ステイ」はレスターのリラクセイション溢れるプレイに心が和む。この古くて新しい感覚... まさに一点の曇りもない、メインストリーム・ジャズ・アルバムの金字塔といえる1枚だ。

Lester Young & Teddy Wilson - All of Me

Time Out / Dave Brubeck

2009-06-20 | Jazz
 この前カーティス・フラーの「ファイヴ・スポット・アフター・ダーク」を取り上げた時、YouTubeでアリナミンVのCMを過去に遡って閲覧し、色んな “懐かCM” を見つけてノスタルジーに浸っていた。昔のCMは今と違って映像といい、音楽といい、本当によく考えられたモノが多かった。中でもこの武田薬品のアリナミンVドリンク・シリーズは90年代に入ると例のシュワちゃん&宮沢りえ・ペアの作品が主流になるが、80年代後半の一時期にはニューヨーカーのライフスタイルを紹介した映像のBGMに洒落たジャズを流していたことがあり、私の記憶が正しければそのシリーズの1回目がここで取り上げるデイヴ・ブルーベックの「テイク・ファイヴ」であり、2回目が「ファイヴ・スポット・アフター・ダーク」だったのだ。聴いてみればわかるが、この2曲にはマンハッタンの街並みがコワイほどよく似合う。カリフォルニアでもテネシーでもテキサスでもない、ニューヨークをイメージさせる音... 時間帯はもちろんアフター・ダークだ。因みに私が初めて買ったジャズCDはこの「テイク・ファイヴ」の入った「タイム・アウト」というアルバムであり、2枚目にあたるのが「ブルースエット」というわけ...(^.^) だからこのタケダのアリナミンVのCM に出会っていなかったらひょっとすると今ジャズを聴いていなかったかもしれない。
 CMソングというのはまず、広告主(クライアント)が複数の広告代理店に声をかけ、オリエンテーションの場でその商品説明を行い、それに対して最も効果的な広告プランニングをした代理店が制作を担当することに決定し、それから映像プロダクションや音楽プロダクションを選んでCMの詳細が煮詰められていくというプロセスを経るのだが、それにしても星の数ほどあるジャズ演奏の中からこの2曲を選んだ制作担当者のセンスは凄いとしか言いようがない。CMソングとして使う以上は単なる名演や傑作ではダメで、わずか15秒の間に視聴者の心を捉えるような、そんなキャッチーな魅力が最も要求されるのである。そういう意味でもこの2曲というのはベスト・オブ・ザ・ベストと言える究極の選曲だと思うし、私が常日頃から信奉している “聴き易い、分かり易い、楽しいジャズ” の原点は案外このあたりにあるのかもしれない。
 そんないいことだらけの③「テイク・ファイヴ」だが、楽理的にはかなり高度なことを演っており、ビートの変化を探求した、いわゆる “変拍子ジャズ” の代表作なのだ。こう書くと何か難解なジャズを演っているように聞こえるがとんでもない、繰り返すがCMに使えるほどの聴き易さである。そしてそれを可能にしているのが卓越したリズム・センスを持った名手ジョー・モレロの驚異のドラミングなのだ。モレロの変幻自在のドラムと超地味だが力強くて安定感のあるジーン・ライトのベースが一致団結して作り上げたリズムに乗って、ワン・アンド・オンリーというべき優しい音色を持ったポール・デズモンドのアルト・サックスと硬い音色で執拗なまでにブロック・コードで同じメロディーを繰り返すデイヴ・ブルーベックのピアノが生み出すコントラストこそがブルーベック・カルテットの1番の魅力だと思う。実は初心者の頃、“デズモンドのアルトこそがすべて” と思い込み、彼のソロ作品を買いまくったことがあったのだが、不思議なことにどれを聴いてもみな同じに聞こえ、退屈で仕方なかったのを覚えている。要するにデズモンドという人はブルーベックのガンガン叩きつけるようなブロック・コードの嵐の中を蝶のようにヒラヒラと舞うことによって初めてその美しい音色が活きてくるタイプのアーティストなのだろう。
 このようにブルーベックの「タイム・アウト」といえばリスナーのお目当ては「テイク・ファイヴ」で “それ以外の曲は何が入ってたかなぁ...???” 状態の人も結構多い(というかほとんどの人がそうだったりして...)と思うが、それ以外の曲も名演快演が揃っている。①「トルコ風ブルー・ロンド」は変拍子がユニークな曲構成だが、全然難解なところがなく聴いてて実に楽しいジャズ。ジャズ界一地味なベーシスト、ジーン・ライトが予想以上の頑張りを見せている。②「ストレンジ・メドゥ・ラーク」はデズモンドのアルトをたっぷり聴けて大満足。モレロの糸を引くようなブラッシュ・プレイが絶品だ。④「スリー・トゥ・ゲット・レディ」でもやはりモレロのプレイに耳がいってしまう。デズモンドばかり聴いてた人は騙されたと思って一度モレロのドラミングにご注目を!⑤「キャシーズ・ワルツ」は大変優雅な曲想のワルツ・ナンバーだが、今一つ汚れが欲しいような気も。⑥「エヴリバディーズ・ジャンピン」はブルーベック・カルテット独特のユニークなスイング感が楽しめるストレート・アヘッドなジャズ。3分15秒から始まるモレロのブラッシュ・ソロが圧巻だ。⑦「ピック・アップ・スティックス」は旋律の魅力に欠ける分を個々のプレイで何とか取り繕おうとしているように聞こえるが、曲がつまらなくてはアドリブも爆発しない。まぁ、あってもなくてもいいような1曲だ。
 ジャズ・ファンの中には “ジャズは黒人のもの” だと決めつける頭の固い人たちがいるが、私はそうは思わない。私にとっては黒いか白いかではなく、スイングしているかどうかこそが重要なポイントだ。そういう意味でこのアルバムは “クールに、軽やかに、粋にスイング” する白人ジャズの大傑作だと思う。

タケダ アリナミンV 80年代CM


Dave Brubeck - Take Five



Blues-ette / Curtis Fuller

2009-06-15 | Jazz
 昨日の大阪猟盤ツアーには続きがある。阪神百貨店を出た後3人でお茶しながら、まだ時間的にも金銭的にも余裕あるなぁということで、梅田第1、第2、第3ビルに点在するレコ屋を廻ることにした。
 ジャズに関しては欲しい盤はほとんど手に入れてしまっているので、買うとしたらついうっかり買い忘れた盤か、あるいは貴重な別テイク入りの再発盤ぐらいなのだが、昨日は plincoさん情報のおかげで、ボートラ3曲追加の「ブルースエット」(←“青い汗” ではありません、念のため...)をゲット、カーニバル・レコードで1,050円だった。このアルバムは数あるジャズ・レコードの中でも多分№1のウルトラ愛聴盤で、オリジナル・モノLP盤、再発ステレオLP盤、モノCDと3種類の音源を持っているのだが、ボートラ3曲聴きたいし、ちょうどステレオCDを持ってなかったので迷わず“買い”である。私にとってこのアルバムはそれほど好きな盤なのだ。
 そもそもこのアルバムを知ったのはまだ本格的にジャズを聴き始めるよりも何年も前の1989年のこと。アリナミンVドリンクのCM曲としてアルバム1曲目の「ファイヴ・スポット・アフター・ダーク」が頻繁にオンエアされているのを耳にして一発で気に入り、CD屋に走った記憶がある。私の音楽人生で通算2枚目のジャズCDである。89年といえばポイズンやデフ・レパードといった80'sハードロックを中心に聴いていた頃なので、いかにこの曲のインパクトが大きかったか分かろうというものだ。
 ジャズの基本パターンの一つとして、まずは全員でテーマ・メロディを奏で、次に各プレイヤーで順にソロを回してアドリブを展開し、最後にもう一度全員でテーマを奏でて終了、というのがあるが、この①「ファイヴ・スポット・アフター・ダーク」ではベニー・ゴルソンの見事なアレンジによってその究極の姿が示されている。いわゆる “ゴルソン・ハーモニー” と呼ばれる管楽器の心地良いアンサンブルは絶品で、ゴツゴツしたテナー・サックスとフワフワしたトロンボーンの織り成すほとんどユニゾンに近いシンプルなハーモニーが実に快適なのだ。まさにマジックである。叉、ファンキーにしてブルージーでありながらも日本人好みのするマイナー調メロディーも心の琴線をビンビン刺激する。こんなカッコイイ曲、ロック/ポップス界を見渡してもそうそう無いのではないだろうか?それと忘れてならないのがピアノのトミー・フラナガンの好演である。1分45秒から始まるベニー・ゴルソンのウネウネしたテナー・ソロ(この人はコンポーザー、アレンジャーとしては最高だがテナーの音は最低最悪!)の後を受けてトミフラの清々しさ溢れるピアノが滑り込んでくる瞬間の快感を何と表現しよう?まるで後光が差すかのような、天上の世界の夕暮れ(?)のような美しさ... サイドで光るトミフラ一世一代の名演だと思う。
 とにかく①が屈指の名曲名演なので「ブルースエット」といえば「ファイヴ・スポット・アフター・ダーク」でキマリ、みたいに思われているところが多々あるが、残りの5曲だって文句なしに素晴らしい!②「アンディサイデッド」はスイング時代のヒット曲なのだが、それが斬新な解釈によるリズム展開によってカッコ良いファンキー・ジャズに変身しているのには驚かされる。ベニー・ゴルソンという人はポール・マッカートニーのように舞い、リチャード・カーペンターのように刺す、ジャズ界屈指のメロディ・メーカーでありアレンジャーだということがよくわかる。この曲でもトミフラは大活躍だが、汚い音を撒き散らすゴルソンのテナーだけはええかげん堪忍してほしい。
 いきなり①の続編のようなゴルソン・ハーモニーが炸裂して涙ちょちょぎれるアルバム・タイトル曲③「ブルースエット」はこれまたカッコ良いマイナー・ブルース。モダン・ジャズかくあるべしと言えそうなナンバーなのだが、ここでも荒れ狂うゴルソンのサックス・ソロだけが難点だ。それ以外は申し分のない名曲名演だと思う。
 風雲急を告げるようなイントロから一気に駆け抜ける④「マイナー・ヴァンプ」はフラーのイマジネーション豊かなトロンボーン・ソロといい、相変わらず美しくスイングするトミフラのピアノ・ソロといい、もうお見事という他ない。演奏をガッチリ支えるジミー・ギャリソンとアル・ヘアウッドのリズム隊も賞賛に値するプレイを聴かせてくれる(^o^)丿
 ①がオモテの名曲なら⑤「ラヴ・ユア・スペル・イズ・エヴリウェア」はウラの名曲である。ここではさすがの悪童ゴルソンも曲の力に屈したのか、あるいはややスローテンポで典雅な曲想が功を奏したのか、ブヒバヒ吹きまくるのを抑えているようで大変よろしい(^_^) 叉、トミフラの神々しいソロが名曲名演度数を更にアップさせている点も聴き逃せない。ジャズってエエなぁ... (≧▽≦) としみじみ感じさせてくれる1曲だ。
 ラストの⑥「12インチ」でも前曲に続いてゴルソンは大人しくて行儀がいい。最初っからそうせんかい!とツッコミを入れながら、温かくまろやかなゴルソン・ハーモニーに身を委ねる心地良さ... あまり言及されないが、ここでもリズム隊がエエ仕事しとります。
 この「ブルースエット」は私の “ジャズ入門盤” であり、多分死ぬまで聴き続ける“永久盤”、全6曲どこを切っても最高のメインストリーム・ジャズが楽しめる、捨て曲なしの大名盤だ。

'89 アリナミンVドリンクCM



Waltz For Debby / Bill Evans

2009-06-10 | Jazz
 私はロックやポップスだけでなくジャズも聴く。しかしジャズと名がつけば何でもいいという博愛主義者ではない。ロックやポップスは一部の例外を除けばリスナー・オリエンテッド、つまり “売れてナンボ” なので、不快感を覚えるような奇妙奇天烈な曲や演奏は稀なのだが、ジャズは発想が違うのかそのあたりが野放しになっており、洗練されたスインギーなジャズが存在する一方で、ワケの分からない “変なジャズ” も横行しているというのが実情だ。だから初めてジャズを聴く人が何かの間違いでこのような “変なジャズ” に手を出すと大やけどをすることになる。
 今から思えば私はジャズと実にラッキーな出会い方をした。当時はネットで試聴するなんて手段はなく、頼れるのは活字情報のみだったので、とにかく様々なレビューの行間を読みながら1枚また1枚と買っていった。まぁアタリとハズレが8:2ぐらいの割合だったので、それほど高い授業料を払わずにジャズの良否を見抜く眼を養うことが出来たように思う。
 今、良否という言葉を使ったが、ジャズと名のつく音楽の中で私がどうしても受け入れられないのがジョン・コルトレーン系のサックス、いわゆるシーツ・オブ・サウンドというヤツで、空間を埋め尽くすようにウネウネと汚い音を撒き散らす一派である。不快感に耐えながら演奏者の自己満足に付き合うほど私は心の広い人間ではない。 “新主流派” と呼ばれる連中の無機質な音符の羅列にしか聞こえないモード・ジャズやフュージョンまがいのエレクトリック・ジャズ、環境音楽みたいなECM系ジャズもお断りだ。あんなのがジャズだと言うのなら私はジャズ・ファンの看板を即刻返上したい。ましてやただムチャクチャやってるだけのフリー・ジャズに至ってはただの騒音雑音の類にしか聞こえない。ハッキリ言ってゴミ以下だ。とまあこういう具合で一口にジャズといっても色々あるので、一歩間違うととんでもなく不愉快な思いをさせられてしまう。
 私が愛してやまないのは、ガーシュウィンやコール・ポーター、アーヴィング・バーリンといった偉大な作曲家たちが遺したスタンダード・ソングを素材に、気持ち良くスイングするアコースティックなフォービート・ジャズ、言い換えればポップス・ファンでも十分楽しめるような “分かり易い” ジャズ、聴いてて思わず身体が揺れるような快適なジャズである。このブログではそのような “古き良き” ジャズを取り上げていきたい。不快なジャズ、退屈なジャズ、キモいジャズがお好きな人は他所へ行ってくださいね(笑)
 で、最初の1枚は何にしようかと思ったが、すぐに頭に浮かんだのがビル・エヴァンスの「ワルツ・フォー・デビィ」だった。この盤はどんなジャズ紹介本にも載っているベーシックな1枚で、表面上は聴きやすいので初心者向けのイージーリスニング・ジャズだと誤解されるきらいがあるが、とんでもない話だ。よくよく聴けば、エヴァンスのピアノとスコット・ラファロのベースの火の出るようなインタープレイの応酬といい、妖しげなムードを醸し出すポール・モチアンの絶妙なブラッシュ・ワークといい、非常に高度な演奏が展開されている。難しいことを難しく表現するのは誰にでも出来るが、難しいことを易しく表現するのは並大抵のことではない。しかもそれをそれと感じさせずにサラッとやってのけてしまったのがこのビル・エヴァンスのヴィレッジ・ヴァンガード・ライブ、「ワルツ・フォー・デビィ」なのだ。
 このアルバムはエヴァンス・トリオの高い音楽性を感じさせる究極のバラッド①「マイ・フーリッシュ・ハート」、絵に描いたような名曲名演②「ワルツ・フォー・デビィ」の2曲がとにかく有名だが、残りの4曲もすべて素晴らしい演奏ばかりだ。モチアン一世一代の名演③「デトゥアー・アヘッド」、エヴァンス・リリシズムの真骨頂⑤「サム・アザー・タイム」、3者が一体となって疾走する様が実にスリリングな⑥「マイルストーンズ」と、甲乙つけがたい内容だが、私が一番好きなのが④「マイ・ロマンス」。スロー・バラッドだった原曲が斬新な解釈で料理され、スインギーなピアノ・トリオ・ジャズとして聴く者の前に屹立する。ペギー・リーの「ベイズン・ストリート・イースト」収録のメドレーと共にこの曲の最強ヴァージョンだと断定したい。
 これは初心者でも何の抵抗もなくスーッと入っていける一方で、何年もジャズを聴いてきたベテランが聴いても満足できるだけの奥の深さを持った、ピアノ・トリオ・ジャズの最高峰に位置する1枚だと思う。

Bill Evans - Waltz For Debby
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うさぎのラビット / 中村尚美

2008-12-09 | Jazz
 カフェ・マヌーシュのベーシスト、中村さんの1st CDである。タイトルは「うさぎのラビット」。内容はカフェ・マヌーシュのようなマカフェリズム溢れるジプシー・スウィング・ミュージックではなく、ストレートアヘッドなピアノ・トリオ・ジャズである。彼女は今後もカフェ・マヌーシュと並行してご自分の「うさラビ・トリオ」の活動を行っていくそうで、まさに八面六臂の大活躍だ。そんな中村さんのブログに「うさラビCDが残り25枚になりました。増版はしませんので残りは早い者勝ちです」とあるのを見て慌てた。「まだあるからいつかそのうち...」をやって入手し損なった数々のレコードやCDの悪夢が甦ってきたからだ。特にこのような自費出版に近いマイナー・レーベルの場合、アマゾンやHMVでも扱っておらず、絶対枚数が少ないのでネット・オークションにも出てこない。速攻で販売元へオーダーし、何とかゲットした。5月に行われた「高槻ジャズ・ストリート」のライブでの阿修羅のようなベース・ソロのインパクトが強烈だったので、このCDもめっちゃ楽しみだ。タイトル曲の①「うさぎのラビット」は可愛くて軽快なメロディーを持った曲で、ちょうどビル・エヴァンスの「リトル・ルル」みたいな寛いだ雰囲気だ。10分30秒があっという間に過ぎていく。YouTubeにアップされてるPVではクレイアニメのうさぎがジャズのビートに合わせて跳ねる姿がめちゃくちゃ可愛い。②「追い風」はピアノの生田さんのナイス・アシストで中村さんのよく歌うベースが際立つナンバーだ。スロー・バラッドの③「輝くいずみ」は塩入さんのブラッシュ・ワークがヴァンガード・ライブのモチアンみたいでゾクゾクする。⑤⑧は同タイトル「あなたのいない世界で」のトリオ/デュオ・ヴァージョンだが、トリオの方が耽美的でデュオはテンポ・アップして力強くスインギーに、というのが面白い。今まで毛嫌いしていたデュオ・フォーマットだが、こんなにスイングされたら考えを改めざるを得ない。それは⑥「午後の紅茶」、⑦「迷子犬」、⑨「パラダイス」、⑩「詩人と雨」のデュオ全曲に言えることで、ドラムがいない分中村さんのベースが自由に歌いまくっている印象が強く、繊細でありながらも爽やかでシャープな演奏が楽しめる。聴き終えてみれば大満足の72分だった。晴れた日の午後に日向ぼっこでもしながらゆったりした気分に浸りたい時にピッタリの1枚だ。

うさぎのラビット