shiotch7 の 明日なき暴走

ビートルズを中心に、昭和歌謡からジャズヴォーカルまで、大好きな音楽についてあれこれ書き綴った音楽日記です

Midnight Blue / Kenny Burrell

2009-06-30 | Jazz
 どんな楽器にもいえることだと思うが、達人といわれるプレイヤーは他のミュージシャンがどんなに頑張っても出せない彼ら独特の音を持っている。他のギタリストがエディー・ヴァン・ヘイレンと同じギターで同じチューニングをしても、どうしてもあの音が出せないと語っていたのを何かの記事で読んだことがあるのだが、要するに表面的な音像を真似ることはできても、人間の持つ “体内リズム” に起因する “間” や “タメ” をコピーすることは不可能ということだろう。世界中に無数に存在するゼッペリンのコピー・バンドがどうしてもジミー・ペイジやジョン・ボーナム独特の “間” を再現できずに四苦八苦しているのを見ればよく分かる。この何分の一かの “タイミングのズレ” によって聴き手に与える印象がガラリと変わってしまうのだ。特にヴォーカルを入れないインスト中心のジャズにおいてはこれが演奏の出来を左右する重要な要素になってくる。黒人ミュージシャン特有のタイミングの粘りが高いテンションを作り上げ、いわゆる “揺れるようなブルース感覚” を生むのだろう。
 私がジャズを聴き始めて最初にハマッたミュージシャンはケニー・バレルというギタリストだった。華やかなサックスや日本人の大好きなピアノに比べると、ギターというのはジャズ・コンボの中では比較的地味な楽器と言えるのだが、この楽器はバレルの手にかかると水を得た魚のように活き活きとした音を発し、自由闊達に歌い始める。彼のプレイはアーシーなドライヴ感に溢れ、フロントのホーン陣と渡り合えるだけの力強さを兼ね備えているのだが、何よりも彼のプレイを特徴づけているのはそのハードボイルドなギターの音色であり、ジャジーなセンス溢れるコード・ワークなのである。そのブルース・フィーリングに根ざしたセンス溢れるプレイは唯一無比で、ブラインドをやってもすぐにバレる(笑)ぐらい個性的なサウンドなのだ。そんな彼の “都会的なブルース感覚” が最も顕著に表れたアルバムが63年にブルーノート・レーベルからリリースされた「ミッドナイト・ブルー」である。
 ギター、ベース、ドラムスというピアノレス・トリオにコンガが加わったカルテットに、曲によってはスタンリー・タレンタインのまっ黒けなテナーをフィーチャーしたサウンドはまさに深夜の大都会、それも世俗的な猥雑さと洗練されたクールネスというアンビバレンスが似合う街、ニューヨークの夜をイメージさせる。特にアルバム・タイトル曲の④「ミッドナイト・ブルー」はテナー抜きのベーシックな編成のため、彼のギターの魅力を思う存分堪能できる仕掛けになっており、ブルージーなフィーリングをモロに表出せずにアーバン感覚溢れるセンスの良い語り口に昇華させてしまうバレルのプレイが最高にカッコイイ。これはもう、ほとんどハンフリー・ボガードの世界である。サウンド面ではコンガが意外なほど効いており、全編を支配している軽快なスイング感がたまらない(≧▽≦) 
 それ以外の曲も絵に描いたようなカッコ良いモダン・ジャズのオンパレードで、クリアなタッチで歌心溢れるプレイを聴かせてくれる①「チトリンス・コン・カルネ」、ソフィスティケイトされたソウルフルなプレイが素晴らしい②「ミュール」、バレルの繊細な感覚が存分に発揮された哀愁舞い散る③「ソウル・ラメント」、黒っぽさ全開のアンサンブルの中で聴ける知的でコントロールされたソロに耳が吸い付く⑤「ウェイビー・グレイビー」、俗っぽさの中に人生の哀感を漂わせたようなプレイが渋い⑥「ジー・ベイビー・エイント・アイ・グッド・トゥ・ユー」、バレルが次々と繰り出すアーシーなフレーズが生み出すグルーヴが圧巻の⑦「サタデイ・ナイト・ブルース」と、捨て曲なしの完璧なアルバムなのだ。
 ジャズもロックも元をたどればブルースに行きつくというが、このバレル盤はそんなルーツ回帰サウンドを満喫できるモダン・ジャズ・アルバムの大傑作だ。

Kenny Burrell - Midnight Blue

この記事についてブログを書く
« Michael Jackson's Memorable... | トップ | Here Comes...El Son »