shiotch7 の 明日なき暴走

ビートルズを中心に、昭和歌謡からジャズヴォーカルまで、大好きな音楽についてあれこれ書き綴った音楽日記です

Retouch / Martin Haak Kwartet

2010-05-09 | Jazz
 私の人生の大きな喜びの一つは未知の名曲・名盤との出会いである。今でこそレコードや CD は殆どネットで買っているが、ヤフオクや eBay を知る8年前までは週に1回は必ず大阪・京都・神戸のレコード屋を回っていた。ハッキリ言って交通費もバカにならないし、よくもまあ飽きもせず毎週毎週出かけていったものだと思うが、奈良に住む私にとって当時はそれしかレコードを買う手段がなかったし、足を棒にして歩いた分、掘り出し物に出会えた時の喜びは何よりも大きかった。
 大阪の中古レコード屋で当時私が贔屓にしていた良心的なお店の殆どが今では閉店してしまったが、そんな中でも私が一番好きだったのが大阪日本橋にあった EAST というお店である。店主の佐藤さんご自身が年に何度かヨーロッパへ買い付けに行かれることもあって他店とは一味も二味も違う品揃え、しかもめっちゃ良心的な値付けがされていたこともあって私は足繁くお店に通い、そのうち顔や名前も覚えていただいて親しくお話を伺うようになった。
 佐藤さんにススメていただいた盤は100%ハズレ無しで、イザベル・オーブレのフレンチ・ボッサ盤やギュンター・ノリスのビートルズ・カヴァー盤、ペトゥラ・クラークのジャズ・スタンダード盤にジリオラ・チンクエッティのディズニー曲集など、そのどれもが私の嗜好のスイートスポットを直撃する好盤だった。そんなある時、レコード買い付けから帰ってこられたばかりの佐藤さんが “shiotch7さん、こんなん好きちゃう?” と言ってかけて下さったのがマルティン・ハークという未知のオランダ人ピアニストのアルバム「レタッチ」に入っている「アローン・アゲイン」だった。弾むようなパーカッションが刻むウキウキするようなリズムに乗って、ゴキゲンにスイングするピアノがギルバート・オサリヴァン一世一代の名曲を軽快に奏でていく。原曲の素朴な旋律の最もオイシイ部分を抽出してスインギーなジャズに仕上げているところが何とも痛快で、私は即座に “コレ下さいっ!!” とコーフン気味に(笑)叫んでいた。
 ライナーが英語じゃない(オランダ語?)のでこのピアニストのことは何も分からないが、収録曲はジャズの有名スタンダードからポップスの名曲に至るまでヴァラエティーに富んでいて、そのメロディー重視の選曲基準は実に分かりやすい。サウンドの一番の特徴はやはりパーカッション入りのピアノ・カルテットという一点に尽きるだろう。小賢しいことを一切考えず、ポップなメロディーを心躍るようなリズムに乗せてスインギーに演奏することに徹しているのが何よりも素晴らしい(^o^)丿
 まずは A面のアタマからいきなり歯切れの良いパーカッションの乱れ打ちで始まるガーシュウィンの A-①「ザ・マン・アイ・ラヴ」、もうノリノリである(^o^)丿 ギルバート・オサリヴァンの A-③「アローン・アゲイン」といい、スティーヴィー・ワンダーの B-①「ユー・アー・ザ・サンシャイン・オブ・マイ・ライフ」といい、パーカッションが入ったことによってウキウキワクワク感が増強され、聴いてて思わず身体が揺れるような強烈なスイングが生み出されている。又、デューク・ジョーダンの B-②「ジョードゥ」やジェローム・カーンの B-④「イエスタデイズ」といったジャズの定番曲でも跳ねるようなピアノを中心としたカルテットが生み出すグルーヴが絶品で、サバービアな雰囲気横溢のサウンドが耳に心地良い。
 ミディアム・スローから始まって徐々に盛り上がっていくビートルズ・カヴァー A-②「フォー・ノー・ワン」も品格滴り落ちるエレガントなピアノがエエ感じで、その絵に描いたような小粋で歌心溢れるプレイはこのピアニストが只者ではないことを物語っている。アントニオ・カルロス・ジョビンの B-③「ワンス・アイ・ラヴド」ではヴァイブの洗練されたサウンドが楽しめて、アルバムの絶妙なアクセントになっているように思う。
 確かにネットのワン・クリックで欲しい盤が自宅に届くという便利な時代になったが、その裏では信頼できるレコード店がどんどん姿を消していっている。 EAST も、 VIC も、しゃきぺしゅも閉店し、関西では神戸のハックルベリー以外はもうロクな店は残っていないので、今更レコード屋巡りを再開する気にもなれないが、お世話になったお店のご主人たちとの楽しいやり取りを経て買ったレコードを見るたびに、猟盤ツアーに熱中していた当時を懐かしく思い出す今日この頃だ。

マルティン・ハーク

Living Without Friday / 山中千尋

2010-05-08 | Jazz
 ジャズの曲というのは殆どがスタンダード・ナンバーかジャズメン・オリジナルである。スタンダードの素晴らしさは今更言うまでもないが、かと言ってその数にも限りがあり、毎回毎回同じようなスタンダードばかり演るわけにもいかない。そこでオリジナル曲の登場となるのだが、正直言って心に残るようなメロディーは10曲中に1曲あれば良い方で、先日取り上げたミシェル・サダビィ盤のような超名曲に出会える確率は極端に低い。ジャズのオリジナル曲で多いのが、その場でテキトーにデッチ上げたようなテーマから各プレイヤー任せの一発勝負!みたいなノリでソロを回し、最後に又テーマに戻って終り、みたいなパターンだ。もしベニー・ゴルソン級の作曲家があと10人ぐらいいたら(←テナーはやめてね...笑)、ジャズはもっと親しみやすい音楽になっていただろう。
 スタンダードにも限度がある、オリジナルはハズレが多い、となると残るは他ジャンル曲のジャズ化しかない。以前このブログでも取り上げたアイク・ケベックやジョン・ピザレリなど掘り出し物も結構多く、クラシックやポップス、歌謡曲などの必殺のメロディーをジャズ・フォーマットで聴けるのが実に新鮮で面白い。そういえば「ジャズ代官」とか「ルパン・ジャズ」なんていうのもあったなぁ...(笑) これからもこの分野はライフワークの一つにしていきたいと思っているが、そんな私が目からウロコというか、思わず唸ってしまった屈指の名演が山中千尋のデビュー・アルバム「リヴィング・ウイズアウト・フライデイ」に収められた③「ア・サンド・シップ(砂の船)」だった。
 中島みゆきが'82年にリリースした傑作アルバム「寒水魚」に収められていた知る人ぞ知る隠れ名曲を見つけてくる彼女のセンスにも脱帽だが、何よりも感銘を受けたのは、潤んだようなピアノの音色でこの曲の髄を見事に引き出し、オリジナルとは又違った彼女独自の哀愁舞い散る世界を作り出していること。そのメロディーの歌わせ方は聴く者の心の琴線をビンビン震わせる絶妙なもので、原曲を知っていてもまるで彼女のオリジナル曲のように聞こえるところが本当に凄い。私の中ではレイ・ブライアント・トリオの「ゴールデン・イヤリングス」やミシェル・サダビィの「ブルー・サンセット」のような大名演と並んで “哀愁のピアノトリオ” の殿堂入りしているキラー・チューンだ。
 私的にはこの1曲だけでも “買い” なのだが、それ以外のトラックもハンパなく素晴らしい。アルバム冒頭を飾る①「ビヴァリー」は彼女のオリジナルだが、大海原の上をゆったりと飛ぶカモメのイラストが印象的なジャケットのイメージそのもののオープニングで、陽光降り注ぐ地中海の海辺のテラスで聴いているかのような開放的なサウンドが耳に心地良い。ブリリアントな午後(笑)にピッタリの “時が止まった感” が味わえる爽やかなナンバーだ。
 アントニオ・カルロス・ジョビンのボッサ・スタンダード②「イパネマの娘」はノーテンキな原曲を換骨堕胎したかのような大胆なアレンジがめちゃくちゃカッコ良く、音の粒立ちのハッキリしたメリハリの効いたピアノに緩急自在なドラムス(←女性です!)と骨太なベースが絡んでいくという硬派な演奏が楽しめる。こんなカッコ良い「イパネマ」には他ではちょっとお目にかかれない。
 アルバム・タイトル曲の④「リヴィング・ウイズアウト・フライデイ」は哀調の③から一転してスピード感抜群の現代的なピアノトリオ・ジャズが展開されており、トリオが一体となって疾走するようなガッツ溢れるダイナミックな演奏は実にスリリング。小柄で可愛らしい外見からは想像もつかないような彼女のハードボイルドな一面が窺い知れる1曲だ。
 リズム・セクションのレベルの高さが分かる⑤「クライ・ミー・ア・リヴァー」、軽やかなリズムに乗ってメロディアスにスイングする⑥「パブロズ・ワルツ」(←これ大好き!)、エキゾチックなメロディーに涙ちょちょぎれる⑦「バルカン・テイル」、静謐な空間で繰り広げられるインタープレイに聴き入ってしまう⑧「ステラ・バイ・スターライト」、テナーのプレイは苦手やけど作曲家としては素晴らしいウエイン・ショーターの曲をピアノトリオ・フォーマットで魅力的にスイングさせる⑨「ブラック・ナイル」、そしてラース・ヤンソンの⑩「インヴィジブル・フレンズ」でアルバムのクロージングを爽やかにキメるという、今時珍しい(←といってももう9年前の録音だが...)捨て曲ナシのアルバムなのだ。
 彼女はこのデビュー盤を含め、ピアノトリオに定評のある大阪のマイナー・レーベル澤野公房から3枚のアルバムを出した後、大メジャーのユニバーサルへと移籍して6枚のアルバムを出しているが、個人的にはノビノビしたスイング感が感じられる澤野時代の盤の方を愛聴している。特にこのデビュー・アルバムは “山中千尋を聴くならまずはこの1枚から” と自信を持ってオススメできる “メロディー良し、リズム良し、スイング良し” と、まさに言うことナシの1枚なのだ。

ア・サンド・シップ


中島みゆき「砂の船」

Spanish Steps / Hampton Hawes

2010-05-06 | Jazz
 5月に入ってからというもの、大西順子に始まりキョロシー、コスタ、ジュディベリ、サダビィと、愛聴ピアノトリオ盤を取り上げてきたが、一見何の脈絡もなさそうでいて実は一つの共通点がある。どれもみなベースがブンブン唸り、ドラムス(特にブラッシュ!)がビシバシ躍動感溢れるリズムを叩き出し、その音の洪水の中からスインギーでグルーヴィーなピアノが聞こえてくるという、剛力リズム・セクション盤ばかりである。逆にリズム隊が脆弱でピアノばかりが突出したようなピアノトリオはソロ・ピアノを聴いてるみたいで全然面白くない。ということで今日は、弾けるようなリズムで “連休の谷間疲れ” を吹き飛ばしてくれるような元気が出るピアノトリオでいきたい(^o^)丿
 ハンプトン・ホーズと言えばドライヴの効いた快適なスイング感が身上のピアニストで、アップテンポの曲で聴かせる軽快でメリハリのあるフレーズは唯一無比の素晴らしさである。そんなホーズの代表作と言えば何故か世間では判で押したようにコンテンポラリー・レーベルの「トリオVol. 1」(1955年)ということになっているが、本当にみんながみんなそう思っているのだろうか?確かに良い盤には違いないが、他にもっと凄い演奏はいくらでもゴロゴロしているように思う。
 ホーズの全盛期は1952年の「ピアノ・イースト・ピアノ・ウエスト」から58年の「フォー」あたりまでで、その直後に麻薬所持で5年の刑を打たれ、復帰した時にはあのインスピレーションが迸る様なプレイはすっかり影を潜めていた。まぁ麻薬が切れたらこんなモンなのかもしれないが、シャバへ復帰後の諸作は駄演凡演の連続で、ホーズは50年代で終わったと思っていた。
 そんな彼がヨーロッパへの旅行中にドイツのSABA レーベルに世評も高い「ハンプス・ピアノ」を録音したのが1967年のこと。確かに新天地の空気を吸ってリフレッシュしたのかホーズもかなり好調なプレイを聴かせているが、収録曲の半分がベースとのデュオという眠たいフォーマットのせいでリズム派の私にはいまいちピンとこなかった。もちろん残り半分のピアノトリオではクラウス・ワイスのブラッシュがスルスル滑って気持ち良いことこの上ない「枯葉」のような名演もあるにはあったが、SABA/MPS 録音ということで音質が良すぎるせいか、アルバム全体を通して私がジャズに求めるガッツに乏しいように思えた。901さん流に言えばガツン!とこないのである。
 で、その翌年に英ポリドール傘下のブラックライオン・レーベルから出たのが何を隠そう私がホーズの最高傑作と信じて疑わない「スパニッシュ・ステップス」。このアルバムの何がそんなに凄いのかと言うと、ドラムスのアート・テイラーとベースのジミー・ウッディという2人のリズム隊が獅子奮迅の活躍で、出がらし状態(笑)だったホーズを奮い立たせ、奇跡的な名演を生み出したこと。アルバム冒頭の①「ブルース・イナフ」からもうアクセル全開状態でスリリングなピアノトリオ・ジャズが展開されるのだが、アルバム中最高のトラックはやはり必殺の③「ブラック・フォレスト」だろう。テイラーのブラッシュとウッディのベースが生み出す原始的ともいえる凄まじいエネルギーが圧巻で、私に言わせればこれこそまさにピアノトリオの理想形なのだ。
 このアート・テイラーと言う人は様々なセッションに引っ張りダコな割にはこれぞ!と言える名演がなかったように思う(←目立たないからこそフロントマンにとっては都合がよかったのかも...)のだが、この曲の後半部のドラムソロにおける狂喜乱舞の体はまさに “太鼓の乱れ打ち” という感じで、彼の一世一代の名演だ。尚、この曲は前作「ハンプス・ピアノ」の1曲目に「ハンプス・ブルース」というタイトルで収められているので、この2つのヴァージョンを聴き比べてもらえれば私の言わんとするところがわかってもらえると思う。
 このアルバムのもう一つの目玉は絶世の名曲②「ソノーラ」が収録されていること。実は前作「ハンプス・ピアノ」にも同名のジャズ・ボッサが入っており、てっきり再演かと思っていたがいざ聴いてみると全く違う曲で、こちらは哀愁舞い散るジャズ・ワルツに仕上がっているのだ。クレジットを見るとどちらもハンプトン・ホーズ作となっている。何で自分の作った2つの違う曲に同じタイトルを付けたんやろ?その辺の事情はよくわからないが、どちらも名曲名演であることに変わりはない。特にこのワルツ版「ソノーラ」は他のピアニスト達もカヴァーしているキラー・チューンだ。
 全盛期を過ぎてもう終わったと思われていたハンプトン・ホーズがヨーロッパの地で作り上げた起死回生の一発と言えるこのアルバム、大音量でかければ自宅が一瞬にしてジャズ喫茶に早変わりする必殺盤だ。

ブラック・フォレスト
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Blue Sunset / Michel Sardaby

2010-05-05 | Jazz
 お気楽三昧でグダグダ過ごしたゴールデン・ウイークも今日で終わり、明日からまた早起きして仕事に行かなければならない。もう気分はブルーそのものだ。ということで今日はそんなムードを反映してミシェル・サダビィの「ブルー・サンセット」でいこう。
 サダビィはカリブ海の西インド諸島にあるフランス領、マルティニーク島出身で、活動の中心をパリにおいている黒人ピアニスト。1970年代に仏デブス・レーベルから数枚のリーダー作を出し、CD時代に入ってからも日本のDIWレーベルなどから何枚ものCDをリリースしているが、彼の最高傑作と言えばやはり1970年にリリースした2枚、「ナイト・キャップ」とこの「ブルー・サンセット」に尽きるだろう。
 彼の一番の魅力はピアノのプレイ云々以前にそのオリジナル曲にある。ジャズ・ミュージシャンの書くオリジナル曲と言うのは大抵の場合、器楽的というか、まず第一に演奏ありきといった感じの無機的な、分かりにくいものが多いのだが、この人の作る曲は違う。日本人好みのマイナー・チューンが多く、それが聴く者の胸を締め付けるのだ。私は彼をベニー・ゴルソンやナット・アダレイと同じく、数少ないジャズの名作曲家だと思っている。
 このアルバムの魅力は何と言ってもタイトル曲①「ブルー・サンセット」に尽きるだろう。 “哀愁のピアノトリオ” なんていう副題が似合いそうな極め付きのマイナー・チューンで、フランス系の黒人という彼のルーツのせいか、独特の間が醸し出す不思議な哀感が胸に迫ってくるのだ。彼のタッチはピアニスティックな美しさを持っており、前半部は一聴白人ピアノ風にシングルトーンでやるせなくも美しい旋律を奏でながらも、その一方でブルージーなフレーズを繰り返しながら徐々に盛り上げていき、臨界点に達したところで一気にブロック・コードの連打でたたみかけ、ラストで又何事もなかったかのように淡々としたテーマに戻るという、実に心憎い構成になっている。低~く伸びるベースも気持ち良く、プレスティッジの「レイ・ブライアント・トリオ」あたりが好きな人は絶対にハマること間違いなしの、哀愁舞い散るスーパー・ウルトラ・キラー・チューン(笑)だ。
 タイトル曲以外も聴き応え十分で、ヨーロッパ臭さを感じさせないグルーヴィーなプレイがたまらない②「オールウェイズ・ルーム・フォー・ワン・モア」(←コレ名曲!)、カリブ直系のファンキーなプレイが面白い③「エンプティ・ルーム」、弾むようにスイングするサダビィにウキウキさせられる④「ウエンディ」、スロー・バラッドを切々と弾き切る⑤「ラメント・フォー・ビリー」、一転ジャズ・ボッサのリズムに乗って気持ち良さそうにスイングする⑥「カム・フロム・ノーウェア」と、サダビィの魅力がギュッと凝縮されたような1枚に仕上がっている。
 尚、このアルバムは写真のゴールド・カヴァーが 1st プレスで海外オークションでも滅多に出てこない激レア盤(デブス・レーベルやから “金パロ” ならぬ “金デブ” やね...笑)なのだが、LP1枚に $900 も出す気などサラサラない私は、ボートラとして同時期のアルバム「コン・アルマ」を1枚丸ごと追加収録した超お徳用日本盤CD で聴いている。アナログLPでよく見かけるジャケ違いの青文字タイトル盤は 2nd プレスで、センター・ラベルがAB面逆に貼ってあるというエエ加減な作り(私の所有している1枚だけでなく全ての盤がそうらしい...)なのだが、タイトル曲①が CD に入っているの(5:35)とは完全な別テイク(4:26)なので要注意。私はより洗練された感じがする CD ヴァージョンの方を愛聴している。

ブルー・サンセット

You And The Night And The Music / Judy Bailey

2010-05-04 | Jazz
 ジャズ界ではよく “幻の名盤” とか言って入手困難な稀少盤を必要以上にありがたがる傾向がある。もちろん優れた内容の盤も多いが、中には “何でコレが名盤やねん?” と首をかしげたくなるような盤まで稀少価値だけで5桁6桁の値がつくという浮世離れした世界である。私も最初はワケがわからず傍観を決め込んでいたのだが、実際に海外オークションをやってみてだんだんそのカラクリが分かってきた。
 当時、廃盤店主の多くは年に2~3回海外買い付けに行ってオリジナル盤を仕入れてきたものだが、一部の業者はネットを駆使して eBay オークションで安く落札したものに法外な値を付け、リッチで盲信的な常連客に売りさばいて暴利をむさぼり続けた。彼らの入札競争によって落札価格が高騰し、結局それが海外のセラーを強気にさせるという悪循環を招き、人気のあるオリジナル盤は庶民の手の届かない高嶺の花になってしまったのだ。
 今日取り上げるジュディー・ベイリーはジャズ界では珍しいオーストラリアの、しかも女性ピアニストということで、これは商売になると踏んだのかどうかは知らないが上記の業者が彼女のデビュー・アルバム「ユー・アンド・ザ・ナイト・アンド・ザ・ミュージック」(1963年)を “ピアノトリオのコレクターなら持っていて当り前” とか言ってマニア心を煽った結果、コレクターの間であっと言う間に超人気盤になり、今では10万円前後で取り引きされていると聞く。もう開いた口が塞がらない(゜o゜)
 こう書いてくると値段が高いだけで中身はイマイチ、みたいに思われるかもしれないが、このアルバムに限って言えば聴き応え十分な内容で、“持ってて当り前” とは言わないまでも(笑)持っていて決して損はない名盤だと思う。私は良い音で聴けさえすれば1円でも安い方がいいので、業者連中が狙わないニュージーランド盤を16,000円で手に入れた。 NZ 盤はオリジナルの AU 盤とレコード番号が違うだけで他は殆ど同じなので、私としてはめっちゃオイシイ買い物だった(^.^)
 このアルバムはタイトルに「ナイト」が付いた曲ばかり集められており、それらがピアノトリオ・フォーマットで演奏されている。全体的な印象としては“オーストラリアの女ビル・エヴァンス” といった感じで、それもリリシズムがスベッタだの転んだだのといった内省的な演奏ではなく、エヴァンスの本質とでもいうべきハードボイルドなプレイが楽しめるのが嬉しい。しかも単なるエヴァンス・エピゴーネンでは終わらないオリジナリティーも随所に感じられるのだからもう言うことナシだ。
 私がまず気に入ったのはタイトル曲の A-①「ユー・アンド・ザ・ナイト・アンド・ザ・ミュージック」。エヴァンス・ライクなカッコ良いフレーズの速射砲といい、ヴァンガード・ライヴを彷彿とさせるようなベースとのインタープレイといい、実にテンションの高い演奏が繰り広げられる。短く切断されたブツ切りフレーズの波状攻撃やチェンジ・オブ・ペースの妙なんかもエヴァンスが憑依したかのようなプレイで、この手の音が好きなファンにはこたえられない演奏だと思う。
 先日キョロシーの名演を紹介したばかりの我が愛聴曲 B-③「ナイト・イン・チュニジア」も疾走感溢れるプレイがめっちゃスリリングで、縦横無尽にスイングしながらもピアノの鋭いアタック音が炸裂、ベースもブンブン唸りを上げて暴れ回るという理想的な展開だ。他にもスローなソロ・ピアノ風のイントロから一転して急速調のトリオ演奏で駆け抜ける A-②「イン・ザ・スティル・オブ・ザ・ナイト」や典雅にスイングする A-④「ディープ・ナイト」、威風堂々たるランニング・ベースに乗って美麗フレーズが続出する B-①「ザ・ナイト・ハズ・ア・サウザンド・アイズ」なんかかなりエエ感じ。一方スローな B-②「ナイト・アンド・デイ」や B-④「ラウンド・ミッドナイト」ではやや凡庸な演奏に終始しているように思う。
 とまぁこのようにエヴァンス好きな日本のピアノトリオ・ファンには大ウケしそうな内容なのだが、なぜか未 CD 化のままである。権利関係とか色々複雑なのかもしれないが、日本のレコード会社も毎回同じようなラインナップで再発を繰り返す暇があったら、こういう盤を CD 化してくれたらエエのに...

ジュディー・ベイリー

The House Of Blue Lights / Eddie Costa

2010-05-03 | Jazz
 5月に入ってピアノトリオが続いている。昭和歌謡やハードロックにかまけて最近あまりジャズを聴いてなかったので久々に聴いてみようという軽いノリ(←いつものパターンです)で思いついた盤をテキトーにアップしていたのだが、901 さんから “ガツン!とくるピアノ... 次はエディ・コスタかな?” とコメントをいただいたので、早速そのアイデアに便乗することにした。ということで今日はエディ・コスタの「ハウス・オブ・ブルー・ライツ」です(^.^)
 エディ・コスタという人はジャズ界ではどちらかと言えばマイナーな存在で、リーダー作もジュビリー、モード、コーラル、そしてこのドット盤と、マイナー・レーベルに4枚あるだけで若くして自動車事故で夭折してしまったのだから普通なら忘れ去られてしまいそうなものだが、彼の場合は違った。相棒のベーシスト、ヴィニー・バークと共に “50年代速弾きチャンピオン” の異名をとる天才ギタリスト、タル・ファーロウのアルバムに参加して一躍その名を知らしめていたからだ。特に「タル」収録の「イエスタデイズ」におけるスリリングなプレイは彼の才能が如何なく発揮された素晴らしいもので、中低域をハイスピードで弾きまくるタルにユニゾン奏法で絡んでいくピアノがめちゃカッコ良かった。
 彼はピアノの他にヴァイブ奏者としても知られているが、ヴァイブでは没個性で平凡なプレイに終始していたのに対し、ピアノのプレイは非凡な才能の煌めきに溢れていた。彼のピアノの一番の特徴は低音域を駆使した力強いタッチにあり、ガンガン弾きまくる左手のハンマー奏法が絶妙なドライヴ感を生み出し、メロディアスにスイングする右手とまるで対話しているかのように独自の世界を形作っていく。これは他のピアニストには見られないユニークな奏法で、聴き手は知らず知らずのうちに彼のスイングに惹き込まれていってしまうのだ。
 この「ハウス・オブ・ブルー・ライツ」は1959年にベースのウェンデル・マーシャル、ドラムスのポール・モチアンと組んで作り上げた彼の最高傑作で、何と言ってもジジ・グライス作のタイトル曲①「ハウス・オブ・ブルー・ライツ」が断トツに素晴らしい。まるでドラキュラが出てきそうなジャケットの雰囲気と相まって、妖気すら漂うハードボイルドな演奏がめちゃくちゃカッコイイのだ(^o^)丿 マーシャルとモチアンの生み出す正確無比なリズム(←コレ快感!)に乗ってコスタの左手が縦横無尽に暴れ回り、自由に歌いまくる右手と組んずほぐれつしながら一気に駆け抜け、10分という長さを全く感じさせないピアノトリオ史上屈指の名演になっている。とにかくこのユニークな低音ゴリゴリ・プレイ、ハマると癖になること請け合いだ。
 ①が凄すぎて他のトラックが霞んでしまいがちなこのアルバムだが、③「ダイアン」、④「アナベル」で聴ける圧倒的なスイング感も捨て難い。ここでもリズム・セクションの二人がめっちゃエエ仕事しており、コスタも気持ち良さそうに弾きまくっている。特に③におけるマーシャルの弾むようなベースは彼のベスト・プレイの一つに挙げていいと思う。盤石なリズムに乗ってスインギーなフレーズが続出する⑥「ホワッツ・トゥ・ヤ」も彼特有の低音域を巧く使った独創的なタッチで卓越した表現力と豊かなイマジネイションを感じさせる名演になっている。
 このアルバムはCD化されてすぐに買った記憶があるが、そのあまりの素晴らしさにどーしてもオリジナル盤が欲しくなり廃盤店を廻って値段を調べたところ、モノラル盤35.000円に対してステレオ盤が18,000円だった。何なん、この17,000円の差は?実際、50年代のステレオ盤というのはコンテンポラリー・レーベルのような一部の例外を除いては技術的にまだまだ稚拙で音像の定位に違和感を覚えるような盤が多く、 “オリジナル盤はモノラル” というのが私の家訓であり、信条であり、座右の銘だったのでかなり迷ったのだが、値段の差があまりにも大きかった(←ほとんど倍近い値段やん!)ので結局ステレオ盤をチョイス、買って帰った日に恐る恐る針を落としてみて “DOT ULTRA STEREOPHONIC” の意外なまでの音の良さに大喜びしたのを覚えている。その後、モノラル盤を聴く機会があったが、ハッキリ言ってステレオ盤の方がエエ音していた。まぁたまたまこの盤に限っての事だとは思うが、何かめっちゃ得したような気がしで妙に嬉しかった(^o^)丿

ハウス・オブ・ブルー・ライツ

Jancsi Korossy

2010-05-02 | Jazz
 ヤンシー・キョロシーはルーマニアのピアニストである。ヨーロッパのジャズと言うと世間では、クラシックの素養をベースにモードやフリーを消化してそれらをヨーロッパ的な感性で表現したような60年代後半以降の盤が主流だが、 “クラシック=眠たい、モード・ジャズ=退屈、フリー・ジャズ=精神異常” と感じる私にとってはほとんど無縁の音楽と言っていい。現にこのキョロシーにも69年にドイツのMPSレーベルからリリースした「アイデンティフィケーション」という人気盤があり、当時はキョロシーで唯一CD化されていた盤ということで興味を引かれたのと、有名スタンダードを演っているから多分大丈夫やろうと油断した(笑)こともあって、私もそのCDを買って聴いてみたのだが、これがもう聴くに堪えないフリーなアドリブの嵐で、スタンダードのメロディーをギッタギタに破壊し尽くすようなアホバカ・プレイにブチ切れた私は即刻中古屋へと売り飛ばしたものだった。
 しかしノーマから復刻されたこの 10インチ盤「ヤンシー・キョロシー」は違った。元々は65年録音のエレクトレコード盤がオリジナル(EDD 1104)で、まだモードやフリーの悪しき影響を受けておらず、良い意味での “アメリカのジャズのコピー” 的色彩が強い、清々しいバップ・ピアノが楽しめるのだ。それもそんじょそこらに転がっているようなノーテンキなバップ・ピアノではなく、異常なまでにハイ・テンションでスリリングなプレイが聴けるのだからコレはもうこたえられない(≧▽≦)
 全8曲入りのこのアルバム、まずは何と言ってもA面1曲目の①「ナイト・イン・チュニジア」、コレに尽きる。シャキシャキしたドラムスにブンブン唸るベースが絡みつき、鋭利なナイフのようなピアノ音の速射砲がスピーカーから飛び出してくるイントロを聴いただけでそのただならぬ気配、尋常ならざるテンションの高さが伝わってくる。とにかく小賢しいことは一切抜きでピアノトリオの王道を行くような直球勝負と言える演奏で、トリオが一体となって燃え上がるその様は筆舌に尽くし難い素晴らしさだ。ピアノのハネ方とアタック音のメリハリのつけ方なんかめっちゃカッコエエし、ハイ・スピードでガンガン弾きまくりながらも溢れるような歌心がビンビン伝わってくるそのプレイにジャズ・ピアニストとしての抜群のセンスを感じてしまう。漲るパワー、迸り出るエネルギー...そのすべてが圧巻だ。
 超有名スタンダード②「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」は実を言うとそのメロディー展開も気だるいテンポもイマイチ好きになれない私の苦手曲なのだが、このキョロシー・トリオの演奏はすんなり入っていける。キョロシーの絶妙な間の使い方とドラムスの瀟洒なリズムが生み出す独特のグルーヴに思わず聴き入ってしまうのだ。あまり好きでもない曲をここまで聴かせてしまうのってある意味凄いことだと思う。
 ③「ブルース・フォー・ギャレイ」でもまるで黒人のようなグルーヴィーなピアノが楽しめて言うことナシ。①②③と聴いてきて、ジャズ後進国ルーマニア出身というハンデは微塵も感じさせないし、むしろ本場アメリカの凡百ピアニスト達よりも遥かにジャズを感じさせるところが凄い。ただ、④「ジュニア」、⑥「ボディ・アンド・ソウル」、⑦「ティップ・トップ」はソロ・ピアノなのでパス(笑) 誰が何を弾こうとジャズのソロ・ピアノは苦手だ。
 B面アタマの⑤「ブロードウェイ」は私の愛聴スタンダード曲の一つだが、ここでもキョロちゃん(←チョコボールかよ...笑)の端正で温か味のあるピアノと張り切りまくるベース、そして乱舞するシンバルが絶妙なバランスを保ちながらスインギーな演奏を聴かせてくれるし、ガーシュウィンの名曲⑧「バット・ノット・フォー・ミー」でもスイング感溢れるノリノリの演奏が楽しめる。まさに “ジャズは歌心とスイングだ!” と声を大にして言いたくなるような名曲名演だ。
 彼のエレクトレコード音源としてはもう1枚、4人のピアニストのトリオ演奏を集めたオムニバス盤10インチ「ジャズ・イン・トリオ」(EDD 1164)があり、そこに収められたチャップリンの「ライムライト」とナット・アダレイの「ワーク・ソング」も同好のピアノトリオ・ファンなら必聴だ。私はこの2枚のキョロシーが好きで好きでついには eBay でルーマニアのセラーから2枚ともオリジナル盤を買ってしまった(笑) どちらもピカピカ盤を結構安く買えてラッキーラララだったが、ノーマからこれらの全音源を1枚にまとめたコスト・パフォーマンス抜群のCDが出ていた(NOCD 5681...今は多分廃盤)ので、アナログに拘らないならそちらが断然オススメだ。

ナイト・イン・チュニジア
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プレイ・ピアノ・プレイ ~大西順子トリオ・イン・ヨーロッパ

2010-05-01 | Jazz
 私がジャズを聴き始めたのは1993年頃だった。ビルボード誌の集計方法改悪によって全米チャートがラップやヒップホップといったワケのわからんブラック・ミュージックだらけになり、それまで愛聴してきた80’s系のポップなロック曲が激減したため、洋楽に愛想を尽かした私は何か夢中になれる音楽はないモンかと色々なジャンルの音楽を聴き漁り、私を夢中にしたロックのノリに近いものをジャズのスイングに感じたのだ。非常に乱暴な言い方になるが、私にとっては AC/DC のタテノリ・ロックもアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズのファンキー・ジャズも、思わず身体が揺れてしまうという点では似たようなモノだった。
 ジャズを聴き始めて私が最初にハマったのがいわゆるひとつのピアノトリオというフォーマットで、最初の1年ほどは “寝ても覚めてもピアノトリオ” 状態が続いた。管が入らない分、大好きなブラッシュやアコースティック・ベースの音が堪能できるし、何よりもサックス界の一部に蔓延していたシーツ・オブ・サウンドとかいう暑苦しい奏法につきあわされるリスクが無くなるからだ。
 まだインターネットも何もなかった当時、ジャズ・ド素人の私にとっての情報源はスイング・ジャーナルというジャズ専門誌だけだった。そんな SJ 誌で当時大プッシュされていたのが大西順子という日本人ピアニストで、ちょうどデビューしたてでいきなりセンセーションを巻き起こしていたこともあり、私も早速彼女のデビュー・アルバアム「Wow」を買ってきて聴いてみた。コンテンポラリーなジャズ・ピアニストの多くはエヴァンス派といってパラパラと流麗に弾くタイプが主流なのだが、彼女のピアノは力強くガンガン弾きまくるスタイルで、まるでデューク・エリントンの「マネー・ジャングル」を聴いているかのような錯覚にとらわれるほど豪快なプレイが楽しめ、私はいっぺんに彼女のファンになった。
 その後の彼女は数々の名盤を生んできたジャズの聖地、ニューヨークのクラブ “ヴィレッジ・ヴァンガード” でのライヴ盤を始め、破竹の快進撃を見せるのだが、そんな彼女のキャリアのピークを記録したライヴ盤が1996年にリリースされたこの「プレイ・ピアノ・プレイ ~大西順子トリオ・イン・ヨーロッパ」である。この盤は96年7月にヨーロッパで行われたモントルーを始めとする3つのジャズ・フェスティバルに彼女が出演した時のセット・リストの中からベストのプレイを収録したもので、トリオが一体となって展開するスリリングなプレイがたまらないピアノ・トリオ・ジャズの名盤だ。
 特に気に入っているのがアルバム・タイトルにもなった①「プレイ・ピアノ・プレイ」で、エロール・ガーナーの隠れ名曲を探し出してくる嗅覚も大したものだが、それを完全に消化し、さらにパワーアップさせてまるで自分のオリジナル曲のように弾きこなしてしまうあたり、もうさすがと言う他ない。そのか細い腕からは想像も出来ないようなパーカッシヴなピアノのドライヴ感、ドラムスのシャープな切れ味、ベースのゴリゴリした押し出し感... それらが渾然一体となってライヴならではの生き生きした空間を感じさせてくれるところが何よりも素晴らしい。大西順子のベスト・プレイの一つに挙げたい名曲名演だ。
 有名スタンダード②「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」はいきなりアドリブから始まる大胆な展開で、最初は何の曲を演っているのか???なのだが、このアドリブが又凄まじく、火の出るようなインプロヴィゼイションの連続に言葉を失う。その眼も眩むようなスピード感は圧巻だ。残りの5曲はすべて彼女のオリジナル曲だが、これが又甲乙付け難い出来の良さ。ダイナミックなプレイに圧倒される③「スラッグス」、急速調で変幻自在のプレイを聴かせる④「トリニティ」、唯一のバラッドでありながら緊張感溢れるモンク風ナンバー⑤「ポートレイト・イン・ブルー」、端正な導入部から一気に順子ワールドへ突入し凄まじいインタープレイの応酬を聴かせる⑥「クトゥービア」、そして彼女の代表曲の一つ⑦「ザ・ジャングラー」ではスタジオ録音ヴァージョンを凌駕するスリリングなプレイが楽しめてもう言うことナシだ。
 エレピやシンセサイザーに手を出して失速してしまう前の、オーソドックスなフォービート・ジャズを演っていた頃の大西順子は本当に凄かった。それを如実に物語っているのがこのライヴ盤なのだ。

モントルーの大西順子・ジャズ名曲メドレー


プレイ・ピアノ・プレイ

The Last Concert / Modern Jazz Quartet

2010-02-17 | Jazz
 ジャズにしてもロックにしても、アーティストの音楽性というのはまずそのルーツに根差した確固たるサウンドがあり、それを橋頭保にして様々なエッセンスを取り込んでいくというパターンが多いのだが、ごく稀なケースとして、相反する二面性を同時に保持しているユニークなアーティストがいる。私にとってそんなアンビバレントなグループの筆頭に挙げられるのがモダン・ジャズ・カルテット(MJQ)である。
 MJQ はどんなジャズ入門用ガイド本にも載っていると言ってもいいぐらいの人気コンボで、ジャズ初心者の頃の私もご多分にもれず、推薦盤として紹介されていた「ジャンゴ」や「コンコルド」を買いこんだ。その抑制の効いたクールなサウンドは唯一無比なもので、特に哀愁舞い散る「ジャンゴ」やメロディアスにスイングする「ソフトリー・アズ・イン・ア・モーニング・サンライズ」なんかはめちゃくちゃ気に入って聴いていた。しかしその一方でピアニスト、ジョン・ルイスの導入したクラシック的な要素には本能的に違和感を覚え、全く聴く気にならないトラックもいくつかあった。
 ポジティヴ思考の私は “まぁ全曲楽しめへんでも何曲か当たりがあればそれでエエわ(^.^)” と自分に言い聞かせ、第2第3の「ジャンゴ」や「ソフトリー」を求めてやはりジャズ本で推薦されていた「フォンテッサ」と「たそがれのベニス」を買ってきた。しかし聴いてみてビックリ、どちらもスイングのスの字もない、とてもジャズとは思えないような眠たいサウンドで、私は “コレのどこがジャズやねん!” と怒りのあまり盤をブチ割りたくなった。今から考えれば音楽評論家の提灯記事を信じた私がアホだったのだが、結局割らずに(笑)中古屋へ即、売り飛ばしたが、あの非ジャズ的な響きを持ったクラシックもどきのサウンドがトラウマになって、その後しばらく MJQ を聴かなくなった。
 そんな私の眼を開かせてくれたのが彼らの解散コンサートの模様を録音したライヴ盤「ザ・ラスト・コンサート」だった。ライヴだからか、あるいは “MJQ としてはこれが最後” という特別な想いからか、スタジオ録音盤では端正な演奏が売り物だった彼らが実に熱いプレイを展開しているのだ。これには本当に驚いた。ヴァイブのミルト・ジャクソンはグループを離れたソロ作品の数々でファンキー&ブルージーなプレイを聴かせてくれていたので元々大好きだったが、鼻持ちならないクラシックかぶれ野郎と思っていたジョン・ルイスまでもが火の出るようなアドリブを連発している。ベースのパーシー・ヒース(←私的には最も過小評価されているジャズ・ベーシストだと思う...)とドラムスのコニー・ケイのリズム・セクションは文句ナシにスイングする第1級のリズム・セクションだ。そんな4人が一丸となって繰り広げるハイ・テンションな演奏が圧巻で、私はこの盤を聴いて “MJQ はライヴに限る!” と確信した。
 Disc-1 では兎にも角にも①「ソフトリー...」に尽きる。この曲はこれまでも何度も繰り返し演奏され、レコード化されてきてそのどれもが名演なのたが、ここで聴ける「ソフトリー...」はそれらの存在が霞んでしまうぐらいの素晴らしさ。いや、世に存在する全ての「ソフトリー...」の中で断トツの私的№1がこのヴァージョンだ。⑥「ブルース・イン・A・マイナー」は起承転結のハッキリしたドラマティックな構成を誇る8分近い大作ながら、そのスインギーなプレイの波状攻撃で一気呵成に聴かせてしまう。ただ、ライナーにジョン・ルイス作って書いてあるけど、どう聴いてもテーマになってるメロディーは「朝日のあたる家」そっくりだ。まぁ別にどっちでもエエねんけど...笑
 チャーリー・パーカーの⑦「コンファメーション」ではグループが一丸となって疾走するようなホットでファンキーなプレイが楽しめるし、⑫「イングランズ・キャロル」もめちゃくちゃスイングしていて、コレがあの眠たい「フォンテッサ」を作ったコンボかと耳を疑いたくなるぐらい素晴らしい。アドリブ・フレーズとかも含めた全体の雰囲気は①「ソフトリー」の弟分みたいな感じの曲だ。
 Disc-2 では⑨「ジャンゴ」でスタジオ録音ヴァージョンとは全く違うアドリヴを聴かせるミルトの凄さに改めて驚愕。無尽蔵と思えるかのように汲めども尽きぬアドリヴ・フレーズの連続は圧巻の一言だ。⑩「バグズ・グルーヴ」で渾身のベース・ソロを披露するパーシー・ヒースのプレイにも耳が吸いつくが、私が何よりも好きなのはテーマのメロディーに合わせてオーディエンスが手拍子するところ。 S&G の「バイ・バイ・ラヴ」でも感じたことだが、これこそライヴの醍醐味ではないか!何度も繰り返すが MJQ はライヴで最高に輝くジャズ・コンボなのだ。

↓再結成後の1982年ライヴ。ラスト・コンサート・ヴァージョンよりテンションが低いのはしゃあないか...(>_<)
"Softly as in a Morning Sunrise"Modern Jazz Quartet in London.

Stan Getz In Stockholm

2010-02-04 | Jazz
 私は1920年代から40年代半ば頃までに作られたアメリカのポピュラー音楽、いわゆるスタンダード・ナンバーが大好きで、そんな中でもどちらかというと声を張り上げて歌うようなスケールの大きな歌よりも、小粋に洒落っぽく鼻歌で歌えるような唄、いわゆる “小唄” に目がない。 “クールに、軽やかに、粋にスイング” が私の信条なので、歌心溢れるミュージシャンによって見事にジャズに昇華された小唄の数々を聴くと、一過性音楽を持続性音楽に変えてしまうジャズという音楽の懐の深さに感動してしまう。そんな “粋なジャズ” の第一人者がテナーのスタン・ゲッツである。
 ゲッツと言うとまず名が挙がるのが「ディア・オールド・ストックホルム」の名演で知られる「ザ・サウンド」やボサノヴァで大ヒットした「ゲッツ~ジルベルト」、「オ・グランジ・アモール」の一点買いで「スウィート・レイン」、そして万人が認めるゲッツの最高傑作「スタン・ゲッツ・プレイズ」あたりだろうが、私が一押しの隠れ名盤は “飛行機のゲッツ” の愛称で知られるこの「スタン・ゲッツ・イン・ストックホルム」である。
 全8曲、すべてB級スタンダード・ナンバーでオリジナルは一切なし。エエわぁ、この割り切り方。しかもシナトラのレパートリーになっているような唄モノ系が多い。スタン・ゲッツという人の真骨頂は誰もが知っている親しみやすいメロディーを分かりやすく一級のジャズに仕立て上げるところにある。私は基本的にはロック/ポップスを聴いて育った人間なので、美しいメロディーを気持ちよくスイングさせたジャズが好きなのだ。例えば①「インディアナ」や④「アイ・キャント・ビリーヴ・ザット・ユーアー・イン・ラヴ・ウィズ・ミー」といったアップ・テンポの演奏なんかもう聴いているだけでウキウキワクワクしてしまう。そのスムーズなキー・ワークによる軽やかなプレイはこれらの曲が持つ “粋” を見事に表現しているし、変幻自在というか、縦横無尽というか、まるで口笛でも吹いているかのようなその淀みのないインプロヴィゼイションのアメアラレ攻撃は圧巻だ。
 ゲッツをこのように気持ちよく歌わせたのは選曲の良さもさることながら、北欧産リズム・セクションの充実ぶりも大きな要因だろう。ピアノのベンクト・ハルベルクが絶妙なバッキングでゲッツを盛りたて、ベースのグナー・ヨンソンがしっかりと音楽の根底を支え、ドラムスのアンドリュー・バーマンの正確無比なブラッシュ・ワークが演奏全体に抜群のスイング感を与えている。特にハルベルクの小気味良いプレイは名手テディー・ウィルソンを彷彿とさせる素晴らしさで、これで気分屋ゲッツが乗らないワケがない。ワン・ホーン・アルバムの成否はリズム・セクションで決まるという絶好の見本と言っていいだろう。
 スローな②「ウィズアウト・ア・ソング」、③「ゴースト・オブ・ア・チャンス」、⑤「エヴリシング・ハプンズ・トゥ・ミー」、⑥「オーヴァー・ザ・レインボウ」では歌詞の内容を熟知しているかのようにテナーで “歌って” いるし、ミディアムでスイングするシナトラ・ナンバー⑦「ゲット・ハッピー」や⑧「ジーパーズ・クリーパーズ」での流麗なソロを聴いているとレスター・ヤングの音をモダン・ジャズのリズムに乗せて一筆書きのようにスムーズにインプロヴァイズしていくというゲッツ芸術の頂点を見る思いがする。特に⑧のリラクセイション溢れる絶妙なスイング感にはもう参りましたという他ない。このアルバムは歌心一発で聴き手をノックアウトしてしまうジャズ・テナーのワザ師ゲッツが放った会心の1枚なのだ。

インディアナ

Rokoko Jazz / Eugen Cicero

2010-01-18 | Jazz
 昨日 “クラシック音楽のジャズ化” 特集のことを少し書いたが、以前はジャズメンがクラシックの曲を演っていると聞くといつもネガティヴに捉え、色眼鏡で見ていた。実際、クラシックのジャズ化を大々的に謳ったジャック・ルーシェの「プレイ・バッハ」シリーズは完全にクラシック寄りでどれもこれもスイングしないトホホ盤ばっかりだったし、モダン・ジャズ・カルテット(MJQ)のリーダー、ジョン・ルイスに至っては、グループの音楽にクラシックもどきの演奏を持ち込むという暴挙に出て鬱陶しいことこの上なく、 “コレのどこがジャズやねん!” と言いたくなるような眠たい演奏は虫唾が走るほど嫌いだっだ。
 そんな “クラシック = 眠たいからイヤ” な私が唯一ハマったのがオイゲン・キケロというピアニストの演奏だった。キッカケは3年ほど前の G3 で「Softly As In A Morning Sunrise(朝日のようにさわやかに)」というジャズの有名スタンダード曲の特集をやった時に 901 さんが “冗談半分で” 持ってこられたキケロの「バッハのソフトリー・サンライズ」がそもそもの始まりだった。その旋律はタイトルとは裏腹にベンチャーズの(というかジョニー・スミスの)「ウォーク・ドント・ラン」だったが、そんなことよりもハジけるようなタッチでギンギンにスイングする彼のスタイルにすっかり惚れ込んでしまった。その日からネットでの情報を頼りに私のキケロ探究が始まった。彼はルーマニア出身のピアニストで、1960年代後半にドイツの MPS レーベルからショパン、チャイコフスキー、リスト等の作品集を出しているが、そんな中でも傑出した内容を誇っているのがデビュー・アルバムの「ロココ・ジャズ」なのだ。
 私は全くクラシックを聴かないので、曲名を見ても「XX曲 ○短調」とか、「XX組曲 第○番」とか、何のこっちゃサッパリなのだが、大切なのはジャズとしてスイングしているか否か、その一点に尽きる。私は彼のMPS 時代の音源をほとんど聴いたが、原曲がクラシックとはとても思えないぐらいバリバリにスイングしているのだ。そしてその原動力となっているのがドラムスのチャーリー・アントリーニだった。管入りハードバップであろうが、ピアノトリオであろうが、フォービート・ジャズを演らせたらヨーロッパでこの人の右に出る者はいない、と言われるぐらい強烈にスイングする人である。そんな彼が超高速ブラッシュ・プレイでキケロを煽りたて、それに対してキケロがノリノリのプレイで応えるという理想的な展開だ。バッハ?何様や?チャイコフスキー?それがどーした?誰の曲でもワシがスイングさしたるでぇ~... みたいな潔さが痛快だ。
 アルバム1曲目の①「ソルフェジオ・ハ短調」、いきなりの疾走系ピアノ・トリオ・ジャズだ。さっきクラシックは退屈と書いたが、その眠たい部分をキレイサッパリ削ぎ落とし、キャッチーなサビのメロディーを中心に高速でインプロヴィゼイションを展開していく。コレはたまらない。息をつく間もなく過ぎ去っていくハイ・テンションな5分43秒だ。②「スカルラッティのソナタ・ハ長調」、まるでイタメシのメニューみたいな名前のこの曲は聞いたことのないメロディーだが、相変わらず一糸乱れぬピアノ・トリオ・ジャズが楽しめる。キケロの流麗なプレイを支えるアントリーニのブラッシュがエエ仕事しとります(^.^) ③「クラヴサン曲集から小さな一生」でもやはり満を持したように0分34秒でブラッシュがスルスルと滑り込んでくる瞬間が鳥肌モノ。変幻自在のブラッシュ・プレイに息をのむ1曲だ。
 ④「バッハのソフトリー・サンライズ」は私でも知っている “チャララァ~ン♪” というフレーズが導入部に使われており、そこから一気にベンちゃんの「ウォーク・ドント・ラン」へとなだれ込む。キケロの躍動感溢れるピアノとアントリーニの瀟洒なブラッシュが生み出す歯切れの良いスイング感が絶品だ。⑤「幻想曲・ニ短調」はスローな前半部が眠たいが、2分28秒から一気に加速するところがエエ感じ。後半部はオスカー・ピーターソンばりの力強いタッチが楽しめる。⑥「マタイ受難曲より 神よあわれみたまえ」は以前ラジオ番組で日本チャーリー・パーカー協会の辻バードさんが “人類史上最高の曲” と大絶賛していたが、一体コレのどこが人類史上最高やねん?どうやら私の一番苦手な眠たいパターンがクラシックのファンには最高らしい。コレは私的には要らない曲だ。できれば最後までノリノリで行ってほしかった(>_<)
 このアルバムはジャック・ルーシェやジョン・ルイスのように変にクラシックに媚を売ることなく、あくまでもクラシック曲をジャズの素材として取り上げ、その旋律の美味しい所を活かして目の覚めるようなスインギーなジャズに仕上げた画期的な1枚だと思う。

オイゲン・キケロ バッハのソフトリー サンライズ

Bossa Nova Soul Samba / Ike Quebec

2010-01-17 | Jazz
 アート・ブレイキー、バド・パウエルと超メジャー級アルバムが続いたブルーノート4000番台の愛聴盤シリーズの最終回は一転してマイナーな盤である。ジャズの紹介本や雑誌で取り上げられるアルバムというのはいつも判で押したように皆同じで、先の2枚やソニー・クラークの「クール・ストラッティン」、ソニー・ロリンズの「サキソフォン・コロッサス」、ビル・エヴァンスの「ワルツ・フォー・デビィ」にマイルス・デイビスの「サムシン・エルス」(←キャノンボール・アダレイの、とは言いませんね、普通...)と、どれもこれもビッグ・ネームの有名なアルバムに偏ってしまい、一向にその先に話が進まないのが現状だ。しかし露出が少ないせいであまり知られてはいないが内容はめちゃくちゃエエ盤、いわゆるひとつの “裏名盤” がジャズ界にはゴロゴロしており、そんな “自分だけの名盤” を見つけていくことこそがジャズを聴く醍醐味だと思う。
 このブログに何度も登場する 901 さんや plinco さんと一緒に月に1度ウチの家で G3 という音聴き会をやっていることはこれまで何度も書いてきた。基本的にはジャズがメインでそこに時々60年代の懐メロも加わるのだが、毎回決められたテーマに沿ったレコードや CD を持ち寄ってみんなで聴きながらワイワイやるのがたまらなく楽しい。少し前にその G3 で “クラシック音楽のジャズ化” 特集をやった時に 901 さんが “コレ、めっちゃエエねん!リストの「リーベンストラウム」演ってんねんで” とおっしゃって1枚のレコードを取り出された。それが今日ご紹介するアイク・ケベックの「ボサノヴァ・ソウル・サンバ」である。
 まずは何と言ってもタイトルが凄い。ボサノヴァ+ソウル+サンバ??? 一体どんな音楽やってんねん?と思われそうだが、中身は至ってノーマルな穏健派ジャズ、ボッサのユル~いリズムに乗ってブルージーなムード満点のテナー・サックスが楽しめる寛ぎの1枚なのだ。特にサイドメンとして参加しているケニー・バレルのギターが絶妙な味わいを醸し出しており、リラクセイション溢れるプレイを聴かせてくれる。渋いなぁ... (≧▽≦) 
 このアルバムは CD で持っていて何度か聴いているハズなのに、不覚にも内容をよく思い出せず、確か「家路」入ってたよなぁ... それからバレルの「ロイエ」が良かった気がするなぁ... 正直言ってそれくらいの印象しかなかった。確かに一聴して強烈なブロウとかは皆無だし、ボッサの単調なリズムのせいもあってかどの曲も同じように聞こえてしまっていたのだろう。それが今聴くと寛ぎの要素が横溢でめっちゃエエのである。私も plinco さんも “エエなぁ...(^.^)” と喜んでいると 901 さんが我が意を得たりとばかり、“でもな、ホンマはこの次の「シュ・シュ」が一番エエねん!” とおっしゃるので皆で聴いてみることに... リズミカルなイントロに続いてケベックのテナーが滑り込んできた瞬間、一同 “おぉ~” と声にならない声を上げる。何と歌心に溢れたテナーだろう! 目からウロコとはこのことだ。しかも何という名旋律!まさに B面2曲目に名曲アリだ!!! とにかくコレはもう哀愁舞い散るテナーの名演ベスト3に入れたい大名演だ。
 ⑥「シュ・シュ」があまりにも良かったので、結局通して1曲目から皆で聴いてみることになった。ギターのケニー・バレル作の①「ロイエ」、コレも⑥と並ぶ哀愁の大名曲だ。ケベックのテナーも飄々とスイングし、そこに艶めかしいバレルのギターが絡んでいくという理想的な展開に涙ちょちょぎれる。それ以外にもドヴォルザークの③「ゴーイン・ホーム(家路)」やリストの⑤「リーベンストラウム(愛の夢第3番)」といったクラシックの名曲が見事にジャズ化されており、どっちの原曲も聴いたことがない私でも十分楽しめた。④「ミー・ン・ユー」や⑧「ファヴェーラ」でもケベックの肩の力の抜けたプレイがエエ感じ。実はこのレコーディングの3ヶ月後に彼は肺ガンでこの世を去るのだが、そんなことは露ほどにも感じさせない素晴らしいプレイの連続である。決して出しゃばらず寄り添うように唄うバレルのギターは助演男優賞モノだ。これはもう匠の技という他ない。
 このアルバムはバリバリのコアなジャズ・ファンよりも、ポップスや歌謡曲も聴く音楽ファンにオススメしたい “G3 認定ジャズ裏名盤”(←スイ○グ・ジャー○ル誌選定ゴールド・ディスクなんかよりもずっと信頼出来まっせ... 笑)の1枚なのだ。

アイク・ケベックのシュ・シュ

The Scene Changes / Bud Powell

2010-01-16 | Jazz
 “ブルーノートの1500番台” といえばジャズ・ファンの間では泣く子も黙る名盤の宝庫と言われている。すべてのジャズ・レーベルの中で断トツの人気を誇るブルーノート・レーベルの中でも特に1955~57年頃に録音されたものに歴史的な大傑作アルバムが集中しており、それらのレコード番号が1500番台だったということだ。しかしその呼称がいつの間にか独り歩きし始め、オークションでの価格も 1500番台というだけで付加価値が付き、アホみたいに高騰するようになってしまった。確かに超の付く歴史的名盤がゴロゴロしているし好きな盤も多いが、世間はあまりにも “栄光の(?)1500番台” を神格化というか、過大評価しすぎだと思う。
 そんな私がブルーノートの中で私が最も愛聴しているのは1500番台に続く4000番台の最初の頃(←1600番台は既にシングル盤で使われていたので不可、しゃーないので移転したばかりの新オフィスの電話番号に因んで4000番台にしたらしい...)、時期的に言うと1958年から60年頃に録音された盤である。ちょうどジャズがヒップな音楽として大衆に受け入れられ始めたのがこの4000番台シリーズ開始の頃で、昨日取り上げたアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズの「モーニン」(BLP 4003)がその切り込み隊として大ブレイクしたというワケだ。単なる数字の連続の区切りに過ぎない1500番台や 4000番台に何となく固有のイメージがあるのは、ちょうど昭和歌謡や平成J-Popsのようにその時代の空気を敏感に反映してのものと言えるかもしれない。
 そんな4000番台アタマの盤で私が大好きな1枚がバド・パウエルの「ザ・シーン・チェンジズ ~ジ・アメイジング・バド・パウエル・第5集~」(BLP 4009)である。そもそもこのパウエルという人は “ジャズ・ピアノ・トリオ・スタイルの創始者” と言われる超大物で 1940年代後半から50年代初めにかけて緊張感に満ちたスリリングなプレイを聴かせていたが、その後は精神疾患による入退院を繰り返し、そのせいか50年代中盤以降は好不調の波が激しくなり晩年なんかはボロボロのプレイもなくはない。このあたり、同じように天国と地獄を味わった天才レスター・ヤングとイメージがダブってしまうのだが、彼に「プレス・アンド・テディ」という晩年の名盤があるように、パウエルにも「ザ・シーン・チェンジズ」という超人気盤があるのだ。
 このアルバムは1958年録音ということで、初期の “ピアノ・プレイング・マシーン” みたいなパウエル(←コレも大好きなんやけど...)とは別人のような、人間味を感じさせるハート・ウォーミングなプレイが楽しめる。中でもCMに使われるほどの人気曲①「クレオパトラの夢」のエキゾチックなメロディー・ラインは絶品だ。ポール・チェンバースのベースとアート・テイラーのブラッシュが生み出す盤石のリズムに乗って、時には唸り声を上げながら気持ち良さそうに歌心溢れるプレイを連発するパウエルが素晴らしい(^o^)丿
 私は名盤と駄盤の違いはアルバム中の名曲含有率だと信じている。私の経験ではジャズでもロックでもお目当ての1曲を頼りにアルバムを買って聴いてみると他の曲は???... みたいなパターンが結構多い(←そういう意味でもビートルズって傑出してますね!)のだが、この「ザ・シーン・チェンジズ」は①以外の曲もキャッチーでスインギー、親しみやすいメロディーに溢れた全9曲ハズレなしという非常に稀有なアルバムなのだ。このレコードはパウエルがヨーロッパへ移住する直前に吹き込んだということで、B面曲のタイトル⑥「クロッシング・ザ・チャネル」、⑦「カミング・アップ」、⑧「ゲッティン・ゼア」、⑨「ザ・シーン・チェンジズ」(海峡を越え→新天地に近づき→そこに着いたら→景色が変わる)を見れば一目瞭然なように、パリへの憧憬で心底ウキウキ気分だったのではないか。必殺の①も聴きようによってはシャンソンの「枯葉」をパウエル的に高速回転させたようなモンやし...(笑)。全体的に日本人好みのマイナー調の曲が多いが、どこか溌剌としていて躍動的な感じがするのはそのせいかもしれない。
 とにかくこのアルバムはピアノ・トリオというフォーマットの一つの理想形と言ってもいいくらいのスインギーな演奏が楽しめる。小難しいジャズが大嫌いな私がロック/ポップス・ファンにも絶対の自信を持ってオススメできる、メロディー良し、リズム良し、演奏良しと3拍子揃ったピアノ・トリオ・ジャズの金字塔だ。

Cleopatra's Dream - Bud Powell Trio

Moanin' / Art Blakey & The Jazz Messengers

2010-01-15 | Jazz
 私が “モダン・ジャズ” という言葉を聞いてまずイメージするのはピアノ・トリオや管楽器1本のワン・ホーン・カルテットではなく、いわゆる “二管ジャズ” つまり管楽器2本(たいていはテナーとトランペット)をフィーチャーしたノリノリのファンキー・ジャズである。 “ファンキー” といえばホレス・シルバーの「ブローイン・ザ・ブルース・アウェイ」やジャッキー・マクリーンの「ニュー・ソイル」、それに以前ご紹介したソニー・クラークの「クール・ストラッティン」といった一連のブルーノート・レーベルのアルバムがまず頭に浮かぶが、そんな中でもファンキー・ジャズの極めつけ、代名詞的存在といえるのが今日取り上げるアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズの「モーニン」だろう。
 50年代ジャズ・アルバムのジャケットというのはカッコイイものが多く、中でもブルーノート・レーベルのジャケットは別格で、先の「クール・ストラッティン」を筆頭にめちゃくちゃセンスの良いデザインが目白押しだ。それらはすべて、リード・マイルスという名デザイナーがレーベル・オーナーであるアルフレッド・ライオンの意向に沿って作り上げたもので、レコード店のエサ箱を漁っていても BN のレコードは一目で見分けがつくほど個性的であり、ジャズ界のグッド・デザイン大賞をあげたいほどの “ジャケット名盤” が多い。
 このアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズの「モーニン」はリーダーのアート・ブレイキーのドアップ写真で、お世辞にもセンスが良いとは言い難いが、逆にコッテコテの黒人ジャズをこれでもかと詰め込んだファンキー・ジャズの決定盤のジャケットとしてはこれ以上のものは考えられない。まさに “音が聞こえてきそうなジャケット” と言えるだろう。メンバーはリーダーのアート・ブレイキー(ds)を筆頭にリー・モーガン(tp)、ボビー・ティモンズ(p)、ベニー・ゴルソン(ts)、ジミー・メリット(b)というジャズ・メッセンジャーズ史上最強の布陣である。
 このアルバムのタイトル曲①「モーニン」(←moan とは “うめき声を出す” という意味で、“朝” のことじゃありません、念のため...)は恐らくジャズメン・オリジナル曲では最も有名かつ人気の高いナンバーだろう。何と言っても61年の初来日で我が国にファンキー・ジャズ・ブームを巻き起こし、“ソバ屋の出前持ちまでもが口笛でこの「モーニン」を吹いていた” という伝説(?)を生んだくらいのキャッチーなナンバーなのだ。ピアノのティモンズが作ったこの曲はゴスペルのコール・アンド・レスポンスを大胆に導入しており、ピチピチと躍動するモーガンのトランペット、まるで酔っ払いの牧師のように(?)ガンガンとブロック・コードを連打するティモンズのまっ黒けなプレイ、地味ながら堅実にシメる所はキチッとシメるメリットの剛力ベース、そしてフロント陣を鼓舞するブレイキーのワイルドかつ正確無比なドラミングと、まさに絵に描いたような名曲名演だ。コレを聴いて身体が揺れなければ、ジャズはヤメといた方がいいと思う。
 この①以外にも血沸き肉踊るようなノリがたまらない②「アー・ユー・リアル」やゲバゲバ90分のテーマ(←古っ!!!)を思い起こさせるようなブレイキーのドラミングに耳が吸いつく⑤「ブルース・マーチ」など、どこを切っても充実のファンキー・ジャズが飛び出してくる。とにかく聴いていて理屈抜きに楽しいのだ。これでこそファンキーの権化、ジャズ・メッセンジャーズの真髄だろう。この後、ジャズは大衆音楽としての役割を放棄し、迷走した挙句に自滅してしまうのだが、そういったことを鑑みても、このアルバムが出た1950年代後半というのはジャズが最も美しかった時代だと言えるだろう。親しみやすいメロディーとリズムで大衆を魅了したこのアルバム、そのダイナミックなファンキー・サウンドは圧巻だ。

Moanin'-Art Blakey and The Jazz Messengers

Sonny Rollins Vol. 2

2009-08-30 | Jazz
 私は80年代半ばにアナログ・プレイヤーが故障したのをきっかけにそれまでのアナログLPからCDへの移行を行い、それ以降は90年代末までずーっとCDオンリーで音楽を楽しんできた。それまで買い集めたLPには思い出が一杯詰まっていたので捨てずに取っておいたのだが、プレイヤーがない以上聴くこともできず、新譜はもちろんのこと、LPで持ってる旧譜もCDで買い直して音楽を聴いたものだった。そんな私を再びアナログLPの世界へと引き戻したのが美人女性ヴォーカルのオリジナル盤だったことは以前ティナ・ルイスやジュリー・ロンドンの時に書いたと思うが、それはあくまでも1枚の平均価格が安い “ヴォーカル盤” 限定であり、ヘタをすれば3万5万は当たり前という “ジャズ・インストのオリジナル盤” の世界へは決して近寄らなかった。私は自分が “一旦ハマると徹底的にいく” 人間だとよ~く分かっていたので、そんな底なし沼みたいなおっとろしい世界に片足でも突っ込んでしまったが最後、まず間違いなく頭のテッペンまでドップリ浸かってしまうことは火を見るよりも明らかだったからだ。
 そんなある日のこと、いつものように京阪神猟盤ツアーを終えて例のティナ・ルイスと出会ったお店しゃきぺしゅ(←残念ながら先月閉店されたらしい...)でエサ箱を漁っているといきなり超豪快なハードバップ・ジャズがかかった。ここのお店のスピーカーはイギリスの小型モニター・スピーカー、Rogers LS3/a を採用しており、そのサイズからは想像もできないようなダイナミックな音を聴かせてくれるのだが、そんな LS3/a が渾身の力を振り絞るようにして迫力満点のサウンドを爆裂させていた。それは私の愛聴盤「ソニー・ロリンズ Vol. 2」で、“あっ、ロリンズのVol. 2 や!せやけどこんな凄い音してたっけ???” と思った私が店主の市川さんに “それってオリジナル盤ですか?” と尋ねると“いいえ、これはセカンド(プレス)です。でも音はあんまり変わらへんのとちゃいますか。オリジなら値段はこの何倍もするでしょうけど...” とのこと。そのセカンド・プレス盤には1万円の値札が付いており、会員割引で9千円... ヴォーカル盤を2枚我慢したらこの大迫力サウンドが手に入るんか... と考えた私は次の瞬間 “これ下さいっ!!!” と叫んでいた。もしこの日この時に大阪へ行ってなかったら、あるいはお店で別の盤がかかっていたら、その後の「プリーズ・プリーズ・ミー」金パロ盤や「ラバー・ソウル」ラウドカット盤といったアナログ盤ならではの悦楽もなかったかもしれない。そういう意味でこの「ソニー・ロリンズ Vol. 2」は私の音楽リスニング人生を大きく変えた1枚なのだ。
 音の話ばかりで肝心の音楽の方はどうなんやと言われそうだが、圧倒的なテナー・サックスの音、湯水のように溢れ出るアイデアにクラクラさせられるインプロヴィゼイション、音楽家としての卓越したセンス、品のあるユーモア、そしてそれらが混然一体となって生み出すハード・ドライヴィングなスイング感と、まさに全盛期のロリンズが楽しめる素晴らしいものだ。傑作が目白押しなこの時期のロリンズ作品の中でも特にこの盤からはジャズの持つエネルギー、スピード感が手に取るように伝わってくる。とにかく熱いのだ。 “熱くなくて何のハードバップか!” を信条とする私にとって、これ以上のハードバップ名盤はない。
 このアルバムの陰の立役者は何と言ってもアート・ブレイキーだ。彼の真髄は細心にして大胆なプレイでフロント陣を鼓舞するところにあると思うのだが、ここでの彼はリーダーの役目から解放され一ドラマーとしてまさに水を得た魚のように活き活きとプレイしており、特にロリンズのような最高レベルのミュージシャンがそれに刺激を受けて素晴らしいプレイを行うと、今度はそれにインスパイアされたブレイキーが更に素晴らしいプレイをするという相乗効果、ポジティヴな連鎖反応がこのアルバムを聴き応えのあるものにしている。
 後世に語り継がれる名盤には必ず “光る1曲” があるものだが、ここでは①「ホワイ・ドント・アイ」がそれだろう。イントロから全開で飛ばすロリンズ... 圧倒的スピードを誇る大型スポーツカー(絶対にアメ車やね... コルベットかな?)の如き疾走感で駆け抜ける彼を名手アート・ブレイキーが絶妙なドラミングで背後からプッシュしまくるという理想的な展開だ。私が好きなのは途中ロリンズがドラムとのヴァースを間違えるところ(4分29秒)で、そんなことはお構いなしに別のアイデアを出して乗り切ってしまうロリンズにたまらなくジャズを感じてしまうのだ。これをOKテイクにしたアルフレッド・ライオン(ブルーノート・レーベルの社長)の慧眼もさすがという他ない。続く②「ウェイル・マーチ」も①同様躍動感溢れるハードバップ・ジャズが展開される。ロリンズはもちろん、煽りまくるブレイキーのドラミングといい、スインギーなホレス・シルバーのピアノといい、バンドが一体となって燃え上がる様はたまらなくスリリングだ。
 セロニアス・モンクの③「ミステリオーソ」は9分を超える長尺の演奏だが全くダレない。ピアノはそのモンクで、これがまたロリンズの豪放磊落なテナーと絶妙にマッチしておりスリリングな興奮を巻き起こす。モンクはよく “スイングしない” とか “ヘタ” とか言われ好き嫌いの分かれるピアニストだが、一体どこを聴いとんのじゃ?不協和音を効果的に使いながら音楽をドライヴさせてるのがワカランのか? 途中フォスターの「キャンプタウン・レーシズ」のフレーズを織り込みながら(7分38秒)ブヒバヒ吹きまくるロリンズがカッコイイ(^o^)丿
 B面はA面に比べるとやや曲が弱いと思う。特に④「リフレクションズ」なんか曲が平凡すぎて演奏も間延びして聞こえてしまう。スタンダードの⑤「ユー・ステップト・アウト・オブ・ア・ドリーム」ではノリの良さは復活したものの、曲としてはロリンズのオリジナル曲①②の方が数段上だ。同じスタンダードでも⑥「プア・バタフライ」はB面で私が一番好きなトラックで、この “歌い上げていく” 曲想とロリンズのスケールの大きなテナーが見事にマッチしている。「プア・バタフライ」の名演といえばこのロリンズ盤が頭に浮かぶほどだ。
 ロックのジョー・ジャクソンが丸ごとパロッたアルバム・ジャケットも文句なしにカッコイイこのアルバム、ロリンズの代表作というよりはむしろジャズが一番輝いていたこの時代を代表する1枚と言っていいと思う。

ロリンズ Vol. 2