津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

銭亀橋と御成橋見付枡形

2012-06-29 16:37:29 | 地図散歩

 
寛永13年1月初旬、江戸城総郭の造営が始まり、細川家は銭亀橋の架橋と御成橋見付枡形を受け持つことになる。総奉行は松井興長が勤めた。
銭亀橋とは細川家上屋敷(龍之口邸)の前にあった道三堀の道三橋の上流程近い場所である。昭和35年に発刊された「江戸城とその付近」をみると、銭瓶橋としている。初めて橋が架けられたのは慶長期のようで「慶長見聞集」には、この場所から銭瓶が発掘されたと記されているという。小さな橋だが切絵図でも確認できる。
一方の御成橋見付の枡形は延べ164間に及ぶ大工事であった。幸門とも呼ばれ将軍家の増上寺参詣の道筋に当っている。溜池につづく外堀に虎の門・新橋・幸御門(御成橋門)・土橋・難波橋・芝口橋と続いていた。現在は新橋駅から有楽町よりの高架の下となっているらしい。櫓門は津軽家が担当した。 

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