津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■赤坂口の戦い

2015-09-06 08:00:36 | 歴史

 大河ドラマ「花燃ゆ」では、四境戦争(長州征討)がいかにも簡単にかたずけられ、長州勢の一方的勝利として描かれたことにはいささかの不満がある。
ドラマの事だから目くじらをたてることもないのだが、高杉晋作が唯一大敗を期して逃げ帰ったのが赤坂口の戦い(7月27日)で、その相手こそ細川藩の精鋭である。
坂本竜馬は海上にあって艦上から大砲を放って助勢しているがこれとて特段の成果は上げていない。
竜馬は細川勢の陣所から戦利品を持ちかえったような書状を書き残しているが、現在では偽文だとされている。

もともと出兵に二の足を踏んでいた細川勢は、この勝利のあと7月30日には熊本へ退却をはじめる。
豊前小笠原家は強力な味方を失い、8月1日居城小倉城を自焼させて香春方面へ撤退した。
この後小倉勢のゲリラ戦は長州勢に少なからぬ被害を与えている。
一族の老中・小笠原長行が小倉口の総督として指揮をとったが、将軍家茂の死の報を得て戦線を離脱するという暴挙により、勢いを得た長州勢に勝利は傾いて行った。慶應3年1月和議が成立、小倉口の指揮をとった高杉晋作はその年の4月14日に死去した。
長州勢の勝利を目の当たりにした高杉だが、赤坂口での無念の敗戦はすでに過去のものとなっていたのだろう。

以前「歴史秘話ヒストリア」で高杉晋作が取り上げられたことがあったようだが、四境戦争を詳細に取り上げてもらえないものだろうかと思っている。
NHKに手紙を出そうかしら・・・・・・
 

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