津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

幕末の玉名で西洋銃製造 詳細な古文書見つかる

2013-05-26 08:14:51 | 新聞

昨年10月24日、平田稔様から御著「幕末熊本の軍制と鉄砲」をご恵贈いただいた。

                                        

南関・玉名地方での熊本藩の鉄炮製造について、並々ならぬ熱意を以て研究にあたられていた。その一部はこの著の中にも紹介されているが、玉名亀甲の名刀・胴田貫の技術集団が銃の製造にあたっていたことに確信を持っておられたようだが、その確たる証拠が得られないでいた。今般その事を裏付ける資料が発見された事が新聞に報じられた。

今日の熊本日々新聞のWEB版の記事である。http://kumanichi.com/news/local/main/20130526001.shtml

私事で恐縮であるが、私の姉が亀甲の小山家に嫁いでいる。西洋銃製造の総責任者として小山寿太郎の名前が見受けられるが、その家系を詳らかに承知していない。今は亡い姉夫婦の話では、広い屋敷内にある畑を耕していると、鉄滓が地中から見つかるという話をしていた。
今般の古文書の発見で、平田様の更なる研究に拍車がかかると思われるが、小山家についてもいささかの情報が得られるものと期待している。


きのうのブログで、三宅家七代当主の鉄炮の破裂による事故死について記した。この事故は天明元年の事である。鉄炮製造が未だ完成されたものでないことを伺わせている。今般のこの洋式銃の製造は、古文書から安政年間であることが判る。約80年程経過しているとはいえ、技術の進歩と技術者たちのあくなきチャレンジに驚かされる。平田様のレポートが待たれる。 

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