津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

白杉庄助なる人

2013-05-29 08:07:53 | 歴史

慶長二年の頃、有吉立行の家士であった白杉庄助なる人物が、忠興御預かりとなり「御直勤仕」となり、御鉄炮三拾挺頭を仰付けられている。
これはこの時期有吉立行の「勝手向殊之外逼迫」がその原因である。借金が多く「返済の為に上知仕、御扶持方計りにて取続候間、家中之者共も当前之家来ハ先ツ暇を遣し候・・・・」訳である。このとき、与太郎安政(十五歳)御擬作二千石を拝領している。
戦つづきでどの家も出費が甚だしく、特に有吉家においては大事な家臣を賄う事が出来ずに暇を出し、これを受けて白杉は細川家の直臣として組み入れられた訳である。(以上綿考輯録巻十一--忠興公・上 p137)

三年後慶長五年立行が木付で大友義統と戦っていた折には、立行の妻まんが木付の陣中に手紙を送っているが、生活の困窮ぶりが吐露されている。生まれたばかりの子(英貴)をかかえ戦乱の中を逃げ惑っている。

さてこの白杉庄助であるが、細川家家臣略系譜には白杉少一家が存在するが手元にある先祖附をみるとどうやら異流であるようだ。
あちこちの戦でその功名ぶりが語りつがれているが、白杉庄助のその後がいかなるものであるのか、史料を見いだせないでいる。 

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3 コメント

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白杉庄助さんについて (白杉真一郎)
2017-11-07 12:15:15
はじめまして。
私のご先祖について調べているうちに、こちらのブログにたどり着きました。全然関係ないかもしれないのですが白杉庄助さんについて気になりまして、私の先祖は、わかっている事は出石藩士で仙石政明が上田藩から移封してきた時に一緒に来たという事(家紋は丸に隅立の四ツ目です)までで、そこから前の事はわかっていないのですが、何か関係有るかと思いまして、功績などわかる物があれば教えていただけないかと思っております。

宜しくお願いいたします。
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藤村→白杉→坂→白坂 (津々堂)
2017-11-08 13:11:00
サイトをご覧いただき有難うございます。
細川藩の白杉氏の遠祖は藤村権兵衛様で近江で出生、京極丹後守に仕えられ丹後で天正八年死去、その子が白杉宇兵衛様で奥州・田村隠岐守に250石で仕えるも延宝三年死去、その子で初代の方は幼くして父が死去したため、母方の姓を名乗り坂仲平で元禄年中に細川家に仕えています。二代目は白杉姓を名乗られていますが、坂姓を継がれた男子も居られたのでしょう。
先祖附の内容からすると、御家とは直接のつながりはないように思われます。
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ありがとうございました。 (白杉真一郎)
2017-11-09 17:18:11
貴重なお話、有難うございました。
今後、調べていく上で参考にさせていただきます。
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