一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

金子みすず

2011-06-11 15:13:32 | 読書


    今日で震災から3ヵ月。
    遠隔地はすっかり元のモードにもどっている
    けれど、行方不明者8000人、身元不明者
    2000人という地元の現実は変わらない。

    そんなこんなで延び々々になっていた旧友3人
    との再会が、やっとかなうことになった。
    どうせなら横浜そごうデパートでやっている
    「金子みすず展」を観ようということになっ
    たのである。

    金子みすずブームは何回かあった(ような気が
    する)が、毎回チャンスを逃していた。
    「大漁」や「わたしと小鳥とすず」など、やさ
    しくも感性ゆたかな詩を残したみすず。

    どんな少女時代を送ったのだろう。
    自殺したと聞くがなぜ? そこにはどんな事情
    があったのだろう……等々、
    分かったようで分からないことばかりであった。
    
    金子みすず
    明36(1903)-昭3(1930)
    主に大正末から昭和初にかけて詩作。    
    雑誌に投稿したことから西条八十に見出される。
    26歳の若さで自死し、今年は没後80年に
    なる。

    みすずは父に早く死に分かれるが、父が下関の
    書店に勤めていたことや、母の再婚相手(養父)
    が書店経営をしていたことから、幼くして本に
    親しみ、独自の感性を養ったようである。
    また学校では成績もよく、先生に当てられて
    よく自作のお話もしていたようだ。
 
    投稿をはじめたのは女学校を卒業して20歳の
    とき、『童話』『婦人画報』など4誌すべてに
    採用されたというから、その才は光っていたの
    だろう。
    当時は八十の他、北原白秋、野口雨情、三木
     露風、若山牧水といった詩人が活躍していた。

    みすず23歳のとき結婚するが、夫は放蕩を理
    由に勤め先をクビになり、自暴自棄になったあ
    げく、妻の詩作や投稿を禁じるようになった。
    (淋病をうつされるということもあったらしい)
    それが原因で夫婦仲もわるくなり、離婚。
 
    詩作を禁じられたこともさることながら、
    やはり3歳になった一人娘のこともあったにちが
    いない。
    最初はみすずが引きとることになっていたの
    だが、後に夫は娘の親権を渡さないと言い
    張った。

    みすずは絶望のあまり、写真館にいって娘に残す
    ポートレイトを撮らせると、その日のうちに
    服毒自殺したのだった。
    今回、その娘さん(といっても現在84歳)も母
    みすずのことを語っておられる。

    幼くして死に別れた母の記憶はなく、他人に聞か
    れるのもイヤだったが、8年前(ということは
    77歳のとき)母の形見の手帳「南京玉」を読ん
    で、母の愛情を深く感じたのだという。
    それは母娘の会話を、みすずが自筆で「象」とい
    う詩にまとめたものであった。

    母の愛を70年以上も経ってしる娘の哀しさ。
    娘への愛を70年も伝えることのできなかった母
    のさびしさ。
    
        
        
 

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