一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

進化か退化か

2015-07-25 20:04:08 | 雑記


     ジャイアントパンダは「大熊猫」
     と書くのだそうだ。
     これからしても、パンダはクマ
     の仲間だということが分かる。

     ならば本来雑食で、肉も食べる
     はずではないか。
     実際パンダがもっているタンパク
     質を分解する酵素は、普通のクマ
     と変わらないという。

     それがササしか食べないという
     のは……?
     
     進化の過程でうまみを感じる味覚
     センサーが壊れたために肉のおい
     しさが分からず、食べる気になら
     ないのだとか。

     確かにあの風姿では他の動物の
     肉をめがけて狩りは大変そうだ。
     それで肉を食べずに済むよう、
     味覚を失ったのだろうか。

     一方でペンギンも甘味、苦み、
     うまみが分からず、塩味と酸味
     しか感じられないのだそうだ。

     こちらは南極の過酷な環境の
     中でエサを丸のみしているうち
     に、複雑な味を感じる能力が
     損われたというから、気の毒
     という他ない。

     これをして進化というのか、
     はたまた退化というべきな
     のか。

     人間だって……、
     じっくり食事を味わう習慣が
     なくなると、いずれ味覚も
     衰えてくるかもしれない。

     もっとも、このところ何を
     食べてもおいしい!と感激
     することのない私の場合は
     単なる加齢のせいなのだろ
     うが。

     
     
     ※通りかかったお宅の庭で
     

生かされて

2015-07-25 14:38:42 | 雑記


     早朝(4時頃)起きて窓をあける
     と森の方からヒグラシの鳴声が
     ぶわ~んと聞こえてくる。
     夕方、うす暗くなるころにも
     カナカナカナカナと輪唱のよう
     な声が響いてくる。

     ヒグラシは温度、日の光に敏感
     に反応して鳴くらしいから、
     明け方、夕刻に一斉に鳴くのだ
     ろう。

     それに、十日ほど前からみんみん
     蝉が加わった。
     
     昼間はまだ、晩稲(おくて)の鶯
     が盛んにさえずっている森である。

     ヒグラシの泣き声は坊さんのお経
     のように聞こえるし、
     みんみん蝉が体を張って鳴くのを
     聞くと、ひと夏の生命に賭けて
     いる生物の必死さが伝わってきて、
     しみじみとした気持ちになる。

     新聞にこんな投稿があった。
     85歳の女性。夫は95歳だという。

     還暦、古希、喜寿、米寿と祝いを
     してもらった。
     戦後70年、よくぞここまで生きて
     これたと感無量である。

     近年、エンディング手帳とか、
     身の周りの整理をせよとか盛んに
     いわれるが、
     人間一寸先は闇。
     生かされている今日から、死を
     準備せよ、なんて聞きたくない
     というのである。

     遠方にいようと、子や孫たちが
     いいようにしてくれるだろう。
     自分たちもそうやってきたのだ
     から、というのだ。

     何という達観した言い方。
     これほど気持ちよくいえるのは、
     よほど日頃から覚悟して、
     我が身を見据えているからに
     ちがいない。

     私はむしろ、その潔(いさぎよ)
     さに胸を打たれた。

     蝉の声に急かされ、毎日せかせか
     と先を急いでばかりいる私である。
     
     

     
     

やりたいことが何もない

2015-07-19 11:50:49 | 雑記
   

     現代の子特有な、というつもり
     はない。
     目の前に課題が山積していて
     もふと、な~んもやりたくな
     いこともあるし、
     もしかしたら課題は一種の自分
     への枷(かせ)のようなもので、
     本当は心からやりたいことなど
     何もないのでは、と思ったり
     するからだ。

     またもや草食男子を持つ親の
     悩み。
     回答者は高橋源一郎氏である。

     Q:大学生になった長男は高
     校生の頃から友達はおらず、
     教室でも一人。大学は自分で
     哲学科を選んだ。
     若いのに外に出ることもなく、
     心配でならない。

     A:一言でいうと、長男は
     至極「まとも」である。
     哲学科を選んだというが、
     いまの若い者にはめずらしく
     考えることが好きなのでしょう。

     だとすると、考えれば考える
     ほど分かってくるはず。
     他人を理解するのは難しいと
     いうことを。
     やりたいことなんて簡単には
     見つからないし、友達といっ
     てもみんな上べだけのつきあ
     いにすぎないこと。

     学校なんて偶然に集められた
     だけのものだし、
     友達ができれば結構。できな
     くても何の差しさわりもない。
     それでいいのではないでしょ
     うか。

     ちなみに私(高橋)は
     20代の頃、友達ともまったく
     会わず(いなかった)、
     ひたすら生活のために肉体労働
     をしていた。
     いま思うと懐かしい。
     やがて、友達に会ったのです。
     「本」という友達に。


   
     ……という最後にオチがつく
     ような話であるが、
     古希を過ぎた私もちょっと
     考えさせられた。

     ※写真は近所のお宅の塀に
      飾ってある「天使の置物」
      (頬づえをついている)と
      ワイングラスの草花。
      このお宅は四季折々に花と
      かブーケとか何かしらの
      飾りものをおいて、
      いつもウエルカムの心意気
      満載である。
      宅配便の呼び鈴にもびくっ
      とする私宅とは大違い。
       
 

新国立競技場

2015-07-18 14:52:38 | 雑記


     昨日の新聞、夕刊によると、
     2020年東京五輪・パラリン
     ピックの主会場となる新国立競
     技場の計画を抜本的に見直すこ
     とになったという。

     物議をかもした案件だが、
     建設費用もふくめて徹底的に
     議論し直したほうがいい。

     ところで、
     古代ローマ時代にベズビオ山
     の噴火で埋没した都市ポンペイ
     の遺跡には、建物の壁に円形
     闘技場のイベントの広告が
     残っているのだそうだ。

     「10組の剣闘士の戦いが×日
     にポンペイで開催される。公認
     の野獣狩りがあり、天幕も張っ
     てあるだろう……」

     野獣狩りとは獣と人間、または
     野獣同士を戦わせる見せ物で、
     広告には最初に主催者の名前が
     明記されている。
     日よけの天幕が張られることを
     うたう広告が目立つのは、
     地中海地方の炎天下での観戦
     には不可欠だからであろう。
     (木村凌二著
     「古代ポンペイの日常生活」)

    
     今日のローマに残るコロッセオ
     も天井部分に日よけの天幕を
     張る設備があったという。
     現代なら、開閉式の屋根つき
     スタジアムといったところか。

     さて、
     今回の新国立競技場の見直し
     だが、売り物だった開閉式の
     屋根は五輪の後にして、
     8万人収容のスタンドは仮設
     とし、とりあえずは
     6万5千人の常設席の規模に
     するらしい。

     計画変更は建設費と工期の
     見積もりが甘く、19年の
     ワールドカップに完成が
     間に合わなくなるためと
     いう。

     一体、どうなっているのか。
     規模が大きすぎてこちとら
     庶民には分かりかねるが、
     分かっていることは一つ。

     古代ポンペイの闘技場は
     富裕層の個人財産で建てら
     れたが、
     こちらは国民の税金が使わ
     れることだ。
     計画をめぐる現状と責任は
     はっきり説明すべきであろう。


     ※ 写真は何年前かにみた
       古代ポンペイ遺跡展の
       カタログより
     
   
    

     
      
     
     
   
     

一生もん

2015-07-12 11:19:26 | 雑記


    泳ぎと自転車乗りは一生もん
    と思っていたが、
    そうではなかった。

    泳ぎは最近泳いでいないので
    分からないが、
    自転車が駄目になったのは
    車に乗るようになってから
    である。

    
    自慢ではないが、これでも
    高校3年間は自転車通学だ
    ったのだ。
    雨の日も風の日も、もちろん
    雪だって、傘を差して自転車
    に乗った。

     
    つまりバスや電車を利用する
    より、時間の調整が自分で
    できるので、かえって好都合。
    私のようにワガママな者には
    打ってつけの乗り物だった。


    それが……、
    車を運転するようになって、
    愕然とした。
    自転車だとバランスが取れな
    い。怖くて乗れないことに
    気づいたのである。


    自転車に乗りはじめたのは
    小学生のときだから、
    あんなに得意だったものが
    ……と小さな驚きだった。


    今日では高級自転車がある
    一方、傘のように安易に
    扱われて、放置されたり
    盗難も多いとか。
    わが家でも2人しか乗らな
    いのに3台ある。
    

    ところがこの自転車、この
    6月の道路交通法が変わっ
    て、自転車に関する規制が
    厳しくなったのだそうだ。

    そういえば昨日も車道を
    ゆうゆうと(?)と走る
    自転車にハラハラした。

    スマホを見ながら乗って
    いる若者も多いしね。
    (車もしかり)

    
    話は変わるけど、
    自転車のようなものは子供
    のときに覚えないとダメと
    思っていたが、
    夏目漱石が乗りはじめたのは
    ロンドン留学中だ。

    下宿屋の女主人にすすめられ
    たのだとか。
    (もっともその頃は自転車その
    ものが普及していなかったか 
    ら、日本にいたら乗らなかった
    であろう)

    「行こうと思う方へは行かない
    で曲がり角へくるとただ曲がり
    やすい方へ曲がってしまう」

    「或る時は石垣にぶつかって、
    向脛(むこうづね)をすりむき、
    或る時は立木に突き当たって
    生爪(なまづめ)をはがす、
    その苦戦云うばかりなし……」 

    
    とさんざんだった。
    (「自転車日記」)

    
    
    「人間万事漱石の自転車」は
    塞翁が馬なみに、先が見えぬ
    漱石の自転車運転への自嘲で
    ある。
      

※ 鎌倉もサイクリングロード
     がたくさんある。
    

        


覗雨(のぞきあめ)

2015-07-11 15:23:47 | 雑記


     降るなと思って傘を持って出か
     けると降らず、
     すぐ近くだからといって手ぶら
     で出かけるとドッと降る。
     こういうのを「覗雨」というの
     だそうだ。

     降ったりやんだり、そのたびに
     人があわてるのを天から覗い
     て楽しんでいるような雨との意
     味らしい。
     (「雨の言葉辞典」)


     関東は二週間ほどこんな天気だ
     ったが昨日から晴れ間が出て、
     今日は30度超えの猛暑日で
     ある。

   
     さて、心に残った新聞の
     「人生相談」より。
     先般亡くなった白川道氏にかわり、
     回答者は作家の高橋源一郎氏。

    
     Q:18歳の長女
     高校一年のときから不登校になり
     家族も本人も心が休まらない。

     A:昨今は大学生になってから
     「不登校」になる場合もある。
     世間や社会は、「不登校」の子
     供はある種の病気で、矯正すべ
     き欠陥とされがちだが、
     この考えがそもそも間違っている。

     (高橋が教えている)大学のゼミ
     に高校をやめ数年間ひきこもって
     いた学生がいるが、彼のお母さん
     は「学校へ行け」とも叱りも
     しなかった。
     「あなたがやりたいことを納得
     ゆくまでしなさい。あなたを信じ
     ているから」
     といわれたそうなのである。

     数年後、猛然と勉強したくなった
     彼は、検定試験を受け、大学入学。
     とても素敵で、情熱的な青年に
     育っていたとのこと。

     結論は、
     「みんなと同じ」である必要は
     ない。
     子供が自分で納得いく人生を歩め
     るよう、見守ってください。
     多分、ふつうより繊細で、考え深
     いお子さんですから。

     ということだった。
     子育てはとうに終わった私だが、
     なかなか味のある回答に考えさせ
     られた。


     

ミョウガを食べると

2015-07-05 09:18:38 | 雑記


     散歩の途中、近くの藪をのぞい
     たらミョウガが花開いているの
     を見つけた。
     白い柔らかそうな花である。

     子供の頃、大嫌いなものの一つ  
     であった。
     年寄りはどうしてあんなものを
     食べるのだろうと不思議に思っ
     ていた。
     他にもタケノコやフキなど、
     嫌いなものがたくさんあった。
    (それでなくても好き嫌いのはげ
     しい子供だったから)

     齢を重ねて、気がつけば、
     食の傾向も変わって
     こういった一癖も二癖もあるも
     のがいとおしい。
     主菜にはなり得ないけれども、
     食卓の名脇役といった感じで
     ある。
     

 
     ところで、このミョウガ、
     食べるとバカになるといわれてきた。

     「茗荷売り 銭を忘れて笑われる」

     落語にも、強欲な宿屋が客に財布
     を忘れさせようとミョウガを食べ
     させたら、
     忘れたのは宿賃の支払いだった
     という「茗荷宿」というのがある。

     だがTVでやった実験では、
     物忘れとミョウガとは無関係
     だった。
     むしろ、ミョウガの辛み成分で
     脳が活性化し、記憶力がよくな
     ったそうだ。

     一方で、
     ミョウガは「冥加(みょうが)」
     に通じて、神仏の加護を得られる
     という言い伝えもあるとのこと。

     いずれにしてもミョウガのあの  
     赤みを帯びた色といい、
     ピリッとした刺激味といい、
     いまの季節には素晴らしい食材
     である。

うるう秒

2015-07-04 13:59:12 | 雑記


     7月1日(水)早朝(朝8時ごろ)
     車を運転していたら、さかんに
     「今日はうるうびょう」
     だから、といっている。

     音声だけで聞くので「びょう」を
     「病」だと思い、
     「うるう病」という新種の病気で
     も出たのかなあ、と思った。

     よくよく聞くと
     「閏年」のことらしく、それでも
     「うるう秒」のことはピンとこな
     くて、何か狐につままれた感じ
     だったのである。

     この歳になって「うるう秒」とい
     う観念がなかった。
     よほどぼんやり生きているんだな
     あという感懐である。

     早速、調べました。

     原子時計で測られる標準時間と、
     地球の自転速度との間に生じる
     ズレを調整する目的で、
     数年に一度、不定期に挿入され
     る一秒間。

     写真は2012年午前9時に
     うるう秒が挿入されたときの
     写真である。

     ふつう、デジタル表示の時計
     では「59秒」の次に
     「00秒」となるが、
     それが「60秒」となっている
     のはそのためである。

     ああ、たったの一秒、
     されど一秒、
     なのである。