一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

過不足あり、なし

2013-03-31 18:08:10 | 雑記


      昨日、人のコミュニケーション能力について書いた
      ばかりなのに、今日はそれを実感する日となった。

      DVDレコーダーが不調で修理を依頼していたの
      だが、日曜にも関わらず今日来てくれたのである。

      メーカーから派遣されてやってきた技術屋(あえ
      てこう呼ぶ)は、30代半ばとおぼしき男性。

      物静かな語りで実に的確、私のトンチンカンな質問
      にも、分かりやすい口調で説明してくれる。

      レコーダーは購入して4年目で、だいたい家電製品
      (情報家電も含む)
      は修理するなら新しいのを購った方がいいですよ、
      等といわれるのではないかと覚悟していたのだが、
      なんのなんの、そんな心配はなかった。

      デッキの本体を開けて、頭脳にあたる配電盤(彼は
      そういった)を交換することで直るという。

      そうかそうか、頭脳に当たるところねえ、人間も
      頭の配電盤を交換できたらいいのに……なんて
      つぶやいているうちに修理完了。

      後は細かい調整をいくつかして、完全に復活した。

      それにしても今日の技術屋は優秀だった。
      言葉は多からず少なからず、的確な説明で、もの
      静かだが慇懃ではなく、客(私のこと)のニーズ
      に100%こたえた。

      部品を交換して微調整している間、昨今のパソコン
      から携帯端末といった話になった。
      いずれも人間が創ったものだが、アナログもいいよ
      ねえという結論に達して、この若い技術屋の感性に
      驚いたのだった。
      

      次に家電製品を買うなら、こんな社員を擁している
      メーカーのを購入しようと思ったほどである。

      ここまでは過不足なしの完璧といえるほどの話。

      レコーダーも直ったことだし外出しようと玄関を出た
      ら、今朝方の風で飛ばされた植木鉢やジョーロ
      が目に入った。


      その先にはシャクナゲ。
      桜と同時くらいに花が咲いたのだが、何とも弱々
      しくて生気がないのだ。
      手入れしないためか、土がダメなのか、もともと
      高山に咲くものを低地に持ってきたためか、
      分からないけど、こちらは大いに”不足あり!”

      
      

      

はてさて

2013-03-30 18:40:46 | 雑記


     いつだったか、ひょいとつけたNHKテレビで
     「雑談のすすめ」というのをやっていた。

     ちょっと観ただけなので前後の脈絡は分からない
     のだけど、人が他の人と接するとき、雑談が思い
     がけない効果を発するというような内容だった。

     例えば営業マンのトークでは、車とか保険とか、
     その商品がいかに良いものであるかを力説すれば
     いいというものではない。力を入れて話せば話す
     ほど警戒されてしまうという。

     また会社で社員のフリートークを禁止したら、
     ぎすぎすして、それが大きな事故につながること
     にもなった。
     (ある乳業会社の食中毒はお客さんからあったク
      レームを初期段階でおさえることができず、
      大事故に発展した)

     どんな小さなミスでも隠すことなく、それが上司に
     いえる環境づくりには、むしろ雑談が欠かせない
     のだそうだ。

     「雑談」というと、いかにも「雑」な感じがするが、
     要はコミュニケーションであろう。

     そういえば私にも心当たりがある。
     郵便局、銀行、歯医者、整骨院、美容院……
     最近いった生活にかかわる場所でも、客または患者
     とコミュニケーションを取りたがらない、または
     取り方が下手な所は、私にとってはバツ。

     たとえちょっとした買物、パンと野菜などでも、で
     きれば双方に(自分を含めて)余裕を持ってほしい。
     (無理して喋ることもないが、笑顔もコミュ二ケ―
      ションの一つ)

     
     もっと大きな買物でいえば自転車や車、生命保険の
     加入(これも1つの買物)、さらに仏壇、墓地、家に
     いたっては、決断にいたるコミュニケーションに
     すべてがかかっているような気さえするのだ。

     
     つまりいくら気にいった仏壇、墓地でも相手がイヤ
     なら購入しないということ。

     ああ、なんて単純!と思うけど、案外、人間のやる
     ことはそんなことで決まってしまうのかもしれない。

     コミュニケーションの取り方が上手くできなくて悩
     んだ私だから、よけいに敏感になったともいえる。

     ところがところがである。
     このところとみに感じるのは、自分が相手に気をつ
     かい過ぎて、いわずもがなのことまで云っていってし
     まい、自己嫌悪に陥ること。

     ちょっと喋りすぎたなあ、あんなこと云わなくても
     ……と思う場面が多くなった。

     相手との距離感がつかめないというか、やはり私は
     コミュニケーションが下手だなあ、と反省しきりな
     のです。
   

     
  
     

さくらナウ

2013-03-28 10:16:19 | Weblog


    「さくらNow」というべきか、
    「抜歯Now」というべきか。

     昨日、ここ数日滲(し)みて痛かった奥歯を
     抜いた。というより、抜かれた。

     抜歯は何年ぶりか。親知らずを抜いて以来だか
     ら20年ぶりくらいかもしれない。
   
     そのときは町の歯科医院でレントゲンをとった
     ところ、(親知らずが)横に寝そべるように生
     えていることが分かり、大学病院の口腔外科に
     まわされたのだった。
    

     そのときは(親知らずだったこともあり)さほど
     のこともなかったが、昨日は歯科医に「抜いた方   
     がいいですよ」といわれた時、一瞬、逡巡した。

     雑に扱ってきたばっかりに……長年つきあってきた
     歯に申し訳ないような気がしたのだ。
     それと同時に、そのうち「(生命までも)切り取った
     方がいですよ」といわれるような気がした。

     麻酔注射をして5分。
     奥歯は長年頑張ってきたわりには、あっけなく抜けた。

     家に帰って2時間経っても麻酔がとけず、口のあたりが
     変な具合だった。

     激しい運動と長めの入浴はダメといわれ、これ幸いと
     痛み止めを飲んで寝たのだが、一夜明けても違和感が
     消えない。

     
     これから少しずつ失って、最後には生命まですっからか
     んに失くしてしまうのだろう。
     この落ち着かない気持ちは、何か大事なものを一つ
     失くした喪失感だったのだ。

     そのせいか、帰りに見た桜がやけに滲みた。

     (昨日の雨にけぶる桜林)

     

     

    

願わくは

2013-03-24 15:56:56 | 自然
   

     梶井基次郎の「桜の下には」を出して西行を書か
     ないのは不公平であろう。
     というわけで、先刻ご存じの西行の歌を。

       ねがはくは
       花のもとにて
       春死なむ
       そのきさらぎの
       望月の頃

     西行は平安末期の歌人で、生命を深くみつめ、花や
     月をこよなく愛した。

     17歳で御所の北側を警備する職につく。
     武術にもたけ、「北面の武士」(一般の武士とちが   
     って官位がついた)にえらばれ、北面生活の歌会で
     腕をみがいた。

     
     西行はルックスもよくて、かなりのイケメンだった
     とか。
     ところが「北面」のエリート生活から足を洗って
     出家したのが22歳。

     
     どんな苦悩があったのだろう。
     皇位継承をめぐる政争をまぢかに見てイヤになった
     とか、高貴な女性に恋をしたとか、自らの弱い性格
     をなおすためだとか、いろいろいわれているが、
     正確なところは誰にも分からない。

     以降、各地を行脚し、吉野では10万本の桜をみて、
     こんな歌を詠んでいる。

     「花に染む心のいかで残りけん
           捨て果ててきと思ふわが身に」
     (この世への執着を捨ててきたはずなのに、なぜ
      こんなにも桜の花に心を奪われるのだろう)

     西行が73歳で亡くなったのは旧暦の2月16日。
     釈尊が入滅されたとされる「きさらぎの望月」の
     翌日である。

     つまり、西行は歌のとおり「そのきさらぎの望月
     (満月)の頃」に死んだのである。

     『源氏物語』の「花宴」の巻にも、
     春二月、きさらぎ月に南殿で桜の宴がひらかれ、
     和歌を交わし、音曲を奏し舞いに興じるくだりが
     ある。

     旧暦2月の「きさらぎの望月の頃」とは、いまの
     新暦でいうと3月末から4月頃であろうか。
     (旧暦は年によって月と季節感が微妙にずれる)

     73歳は当時としては長生きであったが、冒頭の
    「願わくは」の歌は、西行が亡くなる十数年前の
     ものだという。
     
     やはり桜というのは、その年齢なりに何かを
     感じさせるものなのであろうか。

     (写真は鎌倉・本覚寺のしだれ桜)
     
     
     
 
     

桜の樹の下には

2013-03-23 19:07:06 | 自然


      花粉症がつらい、つらいといっているうちに、
      桜が咲いて、もう満開だという。
      こちら鎌倉は少し遅れると思っていたら、今日
      外出の際にみると、昨日今日で一気に咲いて、
      もう見ごろではないか。

      毎年、開花予報にやきもきして早いの、遅いの
      というのだが、こんなにスムーズにあっけなく
      満開になってしまうと、かえって物足りない気
      がしないでもない。各地では予想以上に満開が
      早かったため、花見対策に大わらわだという。

      
      梶井基次郎はこういった。

      「桜の樹の下には屍体(したい)が埋まっている。
       これは信じていいことなんだよ。
       何故(なぜ)って、桜の花があんなにも見事に
       咲くなんて信じられないことじゃないか」

      これは氏の『桜の樹の下には』という短編小説の
      一節で、主人公の気持ちを表しているのだ。

      「俺は(桜の美しさに)不安になり、憂鬱になり、
       空虚な気持になった。しかし俺はやっと分かった」
       
      


      たしかに、あんまり美しいものには、なぜか人間を
      不安にさせたり、憂鬱な気分にさせるものがある
      ような気がする。
      それが文学や、絵画や、音楽といった芸術を生み出
      すのではないか、そう思った。

      梶井基次郎の『桜の樹の下には』は昭和3年の作品
                    (あおぞら文庫)
     
      

      

      

ちりめんロール

2013-03-20 17:55:48 | 雑記


    
    スイスチャードは生でかじるとちょっぴり甘味
    があったけど、サボイキャベツはほんのり塩味
    が……私の舌がおかしいのかしら。

    
    料理法が思いつかず、定番のロールキャベツに
    なってしまった。
    葉っぱがちりめん状なので、ふつうのキャベツ
    より巻きやすいかも。

    その分、味もしみ込んで、おいしいのだが、
    だからといって(ちょっとヘソ曲りだが)
    ちりめんキャベツでなければ、という理由は
    どこにもない。

    総合的な感想は、
    こういう珍しいモノは、外のしゃれたレストラン
    で食した方がずっと素材がイキるのではないか、
    ということ。

    いつもと同じ食器、いつもと変わり映えしない
    テーブルでは、どんなしゃれた料理も、
    なんだかな~、という感じ。
    
    つまり、外ではちょっぴり新しいものに挑戦したり、
    冒険もしたいけど、内では安定を求めるという結論
    に達したのでした。

    

食してみれば

2013-03-20 17:29:40 | 雑記


     昔はそれなりに凝ったこともあったが、
     いまは料理に時間などかけていられない。

     ぱっぱと手際よく(というと聞こえはいいが)
     つまり手抜きで、美味しいのが一番。

     というわけで、スイスチャードはやはりオリーブ
     オイルで炒めものに。
     ベーコンがなかったので豚肉で代用した。

     生でかじったらセロリよりも筋っぽかったので
     茎をやや小さめに切って、強火で一気に。
     (かなり大きかったので)

     少しあくがつよいとかな~思ったけど、まあまあ
     イケる。
     (私、もともとあくのつよい野菜が好きなんです)

     後で調べたら、スイスチャードはホウレンソウの
     ように茹でてあく抜きするのが正解らしい。
     茹でたものをカシューナッツなどとあえるとおい
     しいのだとか。
     
     

スイスチャード

2013-03-17 18:56:17 | 雑記


     こちらも料理される前に急いでパチリ。

     茎がセロリみたいのだが、なんといってもカラ
     フル。
     大きくて肉厚の葉っぱは日本の「アカザ」に似て
     いる。

     地中海が原産のスイスチャードというんだって。    

     ホウレンソウの仲間で、カリウム、鉄分がホウ
     レンソウの倍近くもあるのだとか。

     となると、イタリアン?

     ハハハ、云ってはみたものの、
     私はせいぜいベーコンとオリーブオイルで炒める
     くらいしか思いつきません。

     なにぶん、新参者と付き合うということは厄介な
     ものです。

     

サボイキャベツ

2013-03-17 18:43:55 | 雑記


     前回の写真が分かりにくかったので、食べる前に
     もう一度登場してもらう。

     キャベツのちりめん状のもので、
     サボイキャベツというのだそうだ。
     なんでもフランスのサボイ地方で取れたので、
     その名前が付いたのだのだとか。
     (さしずめ「練馬大根」とか「深谷ねぎ」といった
      ものであろう)

   
     別名「ちりめんキャベツ」とあって、ようやく
     納得いった。

     生食でサラダとか、煮物にも。
     キャベツの柔らかいやつ、と思えばいいか。

去るもの、新しく来るもの

2013-03-17 17:58:33 | 雑記
  

     
     地下鉄、副都心線との相互直通運転開始にともなって、
     渋谷駅は昨夜から今日の早朝にかけて徹夜組の鉄ちゃ
     ん(鉄道ファン)もいたとか。

     かつて仕事で月に数回、東横線を使って渋谷駅を利用し
     ていた私だが、昨年いったらすっかり迷ってしまった。
     これじゃ、今度いくときは全くのお上りさんになって
     しまうだろう。

     何事も新旧交代の3月、
      ♪ 古い上着よ さよ~なら
        さみしい夢よ さよ~なら

     思わず口から出てしまったメロディに何だっけ?
     「青い山脈」の2番ではなかったか。

     何も交代するものがない私は、せめて家人が鎌倉の店
     で買ってきた新しい野菜(珍野菜)でも食することに
     しよう。

     でも、どうやって食べるのか分からないのだ。