一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

二階の主

2011-12-28 21:28:19 | 雑記


    谷崎潤一郎の小説『猫と庄造と二人の女』
    を読んだのはいつごろだったろうか。
    庄造の愛猫リリーに、結局主人である庄造
    と二人の女性(前妻と現在の妻)が振り回
    される話だった。
    
    私はむしろ小説そのものより、そうか、
    犬も猫も家族と同じように生活していれば
    1つの物語ができるのだなあと変な感心を
    した記憶がある。

    ところで、わが家の二階の主は猫。
    (アメリカンショートヘアの♂)
    人なつこくて人間に甘えるようにできてい
    る(改良した?)ので、ハッキリいって、
    私の好みではない。
    
    私は孤高を保つ、猫性を半分くらい残した
    のが好き!!
    今となってはスコティッシュフォールドの
    ♀猫がなつかしい。
    以前、わが家に預かったときには3日も姿
    を見せなかったし、ふと気がつくと(レー
    スの)カーテン越しにじっとこちらを見つ
    めていることがあった。
    この猫は一昨年、ニセコで残念ながら客死
    (?笑)してしまったが。

    わが家の主に話をもどそう。
    このあまり近づかないようにしていた猫に
    私はこのところ、ちょっと親近感をいだい
    ている。同類項のような。
    「同病相哀れむ」ではないが、ちょうど
    「老い」加減が同じなのだ。

    この猫はやんちゃな少年期だった頃、
    家具から家具へよじ登り、部屋中を猛ダッ
    シュで走り周るなんてのは朝飯前、
    歯磨きをしていると数えきれないくらい
    背中にのぼられたものだった。
    それがどうだろう、いまではあんなに嫌いだ
    った掃除機をかけても逃げようともしない。
    
    今では写真のようにパネルヒーターをバック
    に丸まっていることも多くなった。
    猫の10年は人間の何年くらいになるのか。
    まるで人間の一生を凝縮しているかのようで、
    猫を見るたびに複雑な思いに駆られる。

    今年は3・11東日本大震災はいうに及ばず
    最後になって金正日総書記の死去まで、全く
    予想できないことの多い1年であった。
    雪のニュースも続いている。
    せめて被災地の人たちに少しでもおだやかな
    冬であるよう祈っている。    
    

雪の便り

2011-12-23 16:57:17 | スポーツ


     極月もあと1週間ほどになった。
     例年だと雪の便りに何となくはしゃいだ気持
     ちになるのだが、今年は一層寒さが身にし
     みて切ない気分になる。

     会津や若松の方に避難している誰彼から果
     物が送られてきた。
    (家を借りている人、仮設住宅に入った人……
     さまざま)
     こちらから送るならともかく、と恐縮して電
     話をすると、
     「元気でやっているよ~という印だから心配
      しないで」という。

     いつもだとそれもまた嬉しいが、開封して
     一瞬「あっ」と胸がつまるのは県の(保険
     衛生協会による)合格証がついていること
     だ。
     「核種放射性元素測定結果報告書」という
     長ったらしものと「試験成績書」の2通。

     そういえば親戚がお世話になっている会津
     の農家からお米を取り寄せたときにも、試
     験結果証明書がついていた。
     実際にこれがついていれば消費者も安心し
     て食べられるが、生産者はどんなに切ない
     気持ちだろうと思うとやりきれなくなる。

     震災から9ヵ月半たって少しも気が晴れない
     のは、一向に被災した人たちの生活の見通
     しが立たないことだ。

     小中学と同級だったTちゃんのところは兄姉
     や甥姪など7人が犠牲になった。
     夏に線香あげにいったが、何もかも流されて
     自分の生家のあったところも分からなかった
     という。
     (Tちゃんは子供のころから頭のいい手先の
     器用な少女で、つい何年か前まで埼玉で御
     主人とテーラーの仕事をしていた)
     墓前に手を合わせ、
     「な~んにも出来なくてごめんね、というし
      かなかったよ」
     というTちゃんに、こちらも深くうなずくしか
     なかった。

     話をもどすと、今日も「会津は雪」というニュ
     ースが入った。
     (同じ福島県内でも太平洋側の南相馬と山
     合いの会津では大違い)
     みな、はじめての大雪を前に戦々恐々として
     いる。
     幸い、子供は大喜び!と聞いて少しは救わ
     れるが。  
     
     
   
       

    

病院のX’mas

2011-12-18 21:11:57 | 雑記
    ときどき思い出したように知人の入院している
    病院に見舞いにいく。
    そこはリハビリ付きの温泉病院なのだが、
     長期入院患者が多く、長い人は8年も10年も
    いると聞く。

    だから部屋のメンバーはあまり変わらない
    のだが、今日は4人部屋の3人とも変わ
    っていた。
    定期的に部屋替えもするらしいから
    (マンネリを避ける?)、そのためかも
    しれない。

    ほとんどが寝たきりの患者で、皆看護師さん
    の補助で車椅子で移動する。
    今日は一人ひとりX’mas のプレゼントを
    もらってサンタさんと写真撮影もしていた。
    (サンタさんに扮するのはボランティアの人
     か)

    年間の行事で季節感を大事にし、ときには
    ミニコンサートのような催しもあるようだ。
    だが、患者も皆がみな、喜んでいる人ばかり
    ではない。
    
    全く無表情の人、一応気をつかって愛想笑い
    をする人、不機嫌をそのまま出す人……。
    (無表情も不機嫌も病気がそうさせている
    場合もある)
    そして、すぐその場の雰囲気に呑みこまれ
    てしまう私は、自分だったらどうだろう?
    と考えてしまった。
 
    それを考えると怖ろしい。
    入院によって即、自分のアイデンティティー
    も失ってしまいそうな私は、
    (なぜかそのことには自信がある!)
    入院したその日から痴呆症になってしまうよ
    な気がしてならないのだ。
    
    だから健康に気をつけなくてはならないの
    だが、そうしていても病気にならないとい
    う保証はどこにもない、といったネガティブ
    シンキングにおちいってしまう。
    
    ふと、思った。
    病院に見舞いにいくということは、疑似体
    験をして怖がる自分を確認しているのかも
    しれない、のだと。
           
    (写真は病院の入口にあったX’mas Tree)


    

最後の仇討

2011-12-15 14:22:36 | 読書


    12月といえば赤穂浪士、赤穂浪士とい
    えば仇討ち、なのに昨日は討ち入りの日
    だということを忘れていた。
    このところすべてこんな調子で、世の中から
    1日か1週間おくれ、はたまた1シーズン遅
    れで尾(つ)いていく感じなのである。

    討ち入りで思い出すのは吉村昭の「最後の仇
    討」である。

    明治13年12月17日、
   (明治になってから「仇討」は禁止されている)
    臼井六郎は叔父と父を殺され、仇討ちを決意
    し、ついに本懐を遂げる。

    これは実話をもとにしているのだが、
    仇討ちといってもそう簡単にできるものでは
    ない。
    故郷を捨て、身を隠し、しかも敵に出遭える
    のは百分の一にも満たぬ確率。
    果たして出遭えたとしても、仇討ちが成功す
    る保証はどこにもない。
    ヘタすると、こっちが殺(あや)められるか
    もしれないのだ。

    吉村昭はそのところの人間の心理も見事に
    描いていて、読んでいてハラハラドキドキ
    する。私の好きな作品の1つである。

    実際にどうしたか。
    主人公は当然のごとく殺人罪に問われ、終身
    刑をいいわたされる。
    しかし10年後の大日本帝国憲法発布の恩赦
    で出獄するのだが。

    ぼやけきっている私には仇討ちする相手も
    いないが、強いていえば「己」であろうか。
    
    



  

ムーンフェイス

2011-12-11 11:04:50 | 雑記



    皆既月食の昨夜、ある集まりの主催で『新版
    谷川雁のめがね』の合評会があった。

    この師走のただでさえ忙しいなか、新幹線で
    駆けつけてくれた人も何人かいて、有意義な
    ひとときを過ごした。
    その後でいただいたお酒もいい酒で、料理も
    おいしかった。

    このことの詳細は省くが、
    今朝起きたら見たことのないムーンフェー
    ス!! 鏡をみてびっくりした。

    先月来から引きずっている風邪で体重が2㌔
    ほど減り、それもすでに元どおり(それより
    少しオーバー気味)になったのだが、顔の
    しわくちゃはもどらないままだった。
 
    しかし、ムーンフェイスだろうと何だろう
    と顔がぱんぱんになればシワもホウレイ線
    も消える。
    これもいいかなと思っていたが、まぶたも腫  
    れぼったく、やがて(起きて1時間ほどして)
    頬が真っ赤なおかめ顔になった。

    これは血液の流れが悪いのだろう。
    夕べ飲んだお酒のせいだけではないはず。
    このところどうもおかしいと思っていた体の
    不調も、血のめぐりが悪いせいかもしれない
    と思いはじめた。

    目下いちばん心配しているのは頭!
    物忘れがひどく、ミスも多い。
    (前から多かったが、このところ輪をかけて
     ひどいのです)
    そのための時間のロスを考えたら……
    ああ、今年もこれで暮れゆくのかなと
    いささか心細くなる。
    
    以上、今日も愚痴で終わってしまった。

    (写真は途中でみた神宮外苑絵画館前の
     黄葉ーー都内でも屈指の黄葉スポット
     といわれる)

    

    

    
        
        
    



日米開戦70年

2011-12-08 21:05:21 | 歴史



     今日は12月8日。
     旧日本軍によるハワイ真珠湾攻撃から70
     年!!     

     8月15日の終戦記念日はTVのニュース
     でも大々的にとりあげるし、ちょうど高校
     野球の最中で、甲子園では「黙とう」も
     あるから忘れようもない。
    「ああこの日この時に戦争が終わったんだ!」
     と、感慨深いものがあるが、
     12月8日の開戦記念日となると、新聞にも
     小さくしか載らず、論評もあまりないから、
     なんとなくスルーしてしまうところがある。

     ところが今年は違った。
     やはり、3・11があるからであろう。
     今朝の毎日新聞には、
     「破局へ踏み出した日
           日米開戦70年」
     とあった。
          
     新聞のこんな小さな記事も見逃さないし、
     開戦したこの日くらいはもっと戦争に突き
     進ませた当時の状況を検証しなければなら
     ないような気がする。
     12・8がくると毎年、どこか引っ掛かる
     ものがあったのはこのことだったのだ、
     と自分でも確認した思いだ。

     あれからずっと日本は戦争を放棄している
     のだから、もっと誇っていいはずなのに、
     思わぬしっぺ返しを食らってしまった。
     原発事故は次元を別にした戦争のような
     ものだから。

       ∞  ∞  ∞  ∞
 
     写真は戦艦「三笠」と東郷平八郎像。
     この間、横須賀に用があって出かけた際、
     (車でいったので早めに着き)時間調整
     のために寄った三笠公園(白浜海岸)で
     見かけてびっくり。
     こんなところで軍艦に出あうとは思わな
     った。

     「三笠」は明治37年の日露戦争では連合
     艦隊旗艦として戦い、日本海海戦では類を
     みない大勝利をおさめたといわれる。
     東郷平八郎は艦隊の総指揮者。

     ああこのとき、まだ日本は次々と勝利を
     おさめていい気になっていたのです。
     後は云うべくもなく…………。

     
     

わが想ふ顔

2011-12-04 17:34:09 | 季節


     前々回のブログについて少しフォローしなけ
     ればならない。
     銀座四丁目が師走が近づいたにもかかわらず
     静かだったことについて、
     震災後の自粛?、または不景気のせい?
     などといったが、正しくは節電といわなけれ
     ばならなかったであろう。
     
     震災から間もなく9ヵ月、気持ちがたるんで
     きたわけでもないのに、ちょっと言葉足らず
     であった。
     それでなくても世の中、明るすぎる。あちこ
     ちで見かける「節電中」の張り紙がとれる日   
     が来るのか、このままいっても何も不都合な
     こと無いような気がするのだが。

        ∞  ∞  ∞  ∞

     葉ボタンを見かけるとお正月が近づいたこと
     を気づかされる。
 
     この葉ボタン、てっきり外国からきたものと
     思っていたら、オランダ菜と呼ばれる渡来
     キャベツの葉を日本人が観賞用に品種改良し
     たものだという。
     それも江戸時代の園芸ブームの中で育種が
     進んだ古典園芸植物の1つとされ、以後、
     縁起のいい「正月花」として珍重されるよ
     うになったというから、驚いた。

       葉牡丹やわが想う顔みな笑まふ
                   石田波郷 

     この句からは、色とりどりの葉ボタンの寄せ
     植えに、家族や大事な人の笑顔が重なる
     光景が浮かぶ。
     被災地の人たちがこんなささやかな幸せを
     感じる日はいつ来るであろうか。

     埼玉県の親戚に8ヵ月避難していた知人は、
     先月、ようやく故郷に一歩近づいた。
     というのも、家はまだ「警戒区域」なので、
     このたび緊急避難準備区域から解除された
     奥さんのご実家に身を寄せることになった
     のである。
     ただ、お義母(奥さんの母)さんがまだ埼
     玉の療養病棟にお世話になっているので、
     月4回は奥さん共々、通わなければならない。

     それでも「先駆けて農にかかわる環境改善
     に手をうっていきたい」と、力強い言葉を
     語ってくれる。     
     この知人はなかなかの読書人で、折につけ
     感想を寄せてくれるのだが、落ち着いて
     農の合間に書をひもとく日が来ることを
     切に願っている。

     (写真は花屋の店先の葉ボタン)