一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

カラスウリの実

2020-09-29 15:01:39 | 自然

       ついでに記すが、
       カラスウリの実。

       あの白いレース状の花とは結びつかぬ、
       真っ赤な実なのである。

       ヤブのなかで ひときわ目立つ。
       なぜ、かくも赤い実をつけるのか。

       ますますもって 不思議である。

       わざと目立つ実をつけ、
       小鳥に食べてもらうようにしたのか。
       (それによって種が運ばれ、繁殖する?)

       ちなみに、
       カラスウリという名も どこから来たのか。

       一説に、
       カラスが好んで食べる、
       ないしは 熟した赤い実が カラスが
       食べ残したように見えるから、
       といった説があるが、たしかなところは
       分からない。

       いよいよもって 不思議な植物なのである。

       (記事を一回にまとめたいところ、
        このブログは写真が一枚しか掲載できないので、
        2回になってしまった。あしからず)
  
       

カラスウリ

2020-09-29 14:36:19 | 自然
       夏、森を散策していると、
       草の茂ったところや ヤブの草木に
       からみついて 咲いていたカラスウリ。
   
       夜行性の花だから、ぱっと開いているの
       には、めったにお目にかかれない。

       正しくいえば、
       開花は日没から一時間くらいだそうだが、
       薄曇りの日など、
       間違えたのか、半開きの状態だった。

       白いレースがかかったような花。
       なんだか怪しげで、
       とても触れたり、手折ったりする気にはなれない。

       なにゆえに、これほど美しく、妖艶に咲くのか。
       しかも夜間。

       今回調べて分かったのは、
       こうした目立った花となったのは、
       夜行性のガ(蛾)を呼びよせるため。

       一般に 夜行性の花は 香りもつよい。

       ガも夜行性の昆虫で、
       長い口吻(こうふん)で蜜を吸い、
       花も受粉のため、
       つまり 双方に好都合というわけなのだ。

       自然というのは 何ひとつ無駄はない。
       人間にとって不思議でも、
       そこには あるべくしてある自然の摂理なの
       だろう。

       

        
   

加賀千代女

2020-09-27 09:54:35 | 雑記

      「朝顔や つるべ取られて もらい水」

      解釈の必要もない、
      加賀千代女の歌である。

      もはや 「つるべ」なんて 死語ではあるが、
      どことなく 情景が見えて、
      ほっこり(?)する歌である。

      千代女は 江戸中期の俳人。
      武家政治、男社会のなか、
      こんな形で足跡を残していることに、
      現代の我々はハッとする。

      ちなみに、千代女は こんな歌も詠んでいる。

      「何着ても うつくしくなる 月見かな」
      「夕顔や 女子(おなご)の肌の 見ゆる時」

      ※ 千代女は加賀の出身だが、江戸に出て、
        歌碑は 麻布狸穴の薬王寺にある。
        (晩年、剃髪したので 歌碑には「千代尼」
         とある)


      
      

つるべ落とし

2020-09-27 08:47:35 | 雑記

        猛暑はお彼岸を境に去って、
        気がついたら すっかり日が短くなっていた。

        つまり
        「秋の日は つるべ落とし」です。

        なぜ、つるべを落とすように
        ストンと日が暮れてしまうのか。
 
        日没後、しばらく空が暗くならず、
        ぼんやりと明るさが続くのを「薄明」という。

        これは 上空の大気が太陽光を散乱させる
        ことで生じる自然現象なのだが、
        秋になると この現象が短くなるので、
        急に真っ暗になった感じがするのだとか。

        夏の喧騒は どこへやら、
        ちょっと拍子抜けして 人恋しくなる季節でもある。
 
        
      

金子みすず その2

2020-09-22 08:33:34 | 読書

       死後、埋もれかけた みすずの詩は、
       昭和中期になって
       詩人の矢崎節夫によって発掘され 出版されました。

       いま、私たちが みすずの詩に触れることが
       出来るのは、こういった研究者のお陰ですね。

       ところで、みすずが命を懸けてまで守りたかった
       娘のふさえさんは どうしたのでしょうか。

       結局、ふさえさんは みすずの遺言通り、
       母(ふさえにとっては祖母)に育てられます。

       3歳で母に死なれた ふさえさん、
       しばらくは 母に棄てられたと思い込んでいた
       そうです。

       しかし、遺品のなかに みすずの遺した「南京玉」
       という 小さな手帳がありました。
 
       それには 幼いわが子の たどたどしい言葉
       (おしゃべり)が書きつらねてあったのです。

       ふさえさんにとっても、この「南京玉」は
       宝箱のような存在だったのでしょう。

       ふさえさんは 母の分も長生きして、
       70歳過ぎても 乞われれば、
       母の想いを語ったそうです。

       

       

金子みすず

2020-09-21 10:21:09 | 読書
      今年は 金子みすずが逝って90年である。
      (26歳で自死)

      決して旧くはない。
      その やさしい視点、みずみずしい感性は
      現代でも充分 通じる。

      大正末~昭和のはじめにかけて星のように輝き、
      その詩は「婦人画報」や「金の星」といった
      雑誌に毎月 掲載され、
      西條八十からは「若き童謡詩人の巨星」と
      賞賛された。

      山口県生まれ。
      22歳で結婚して一人娘をもうけるが、
      夫は女グセが悪く、勤めていた書店をクビに。

      その腹いせか、みすずの詩作、雑誌への投稿を
      禁じた。
      
      ゆいいつの愉しみである詩作や、詩の仲間との
      文通をも禁じられ、
      みすずはどれほど悲しかったでしょうか。

      あげくに 夫から性病(淋病)をうつされ、
      夫婦生活は破綻、離婚へ。

      さらに夫は娘の親権を要求して譲らず、
      悲嘆にくれた みすずは、
      明日 夫が娘を迎えにくるという前日の夜、
      服毒自殺した。

      26歳の若さであった。

      
      
      

「ぶあいそうな手紙」

2020-09-13 17:27:48 | 雑記

       久しぶりに映画をみた。
       というより、所要で横浜に出た折、
       要件が早くすんだので 映画館に入ったのである。

       コロナ禍にあって、貸し切り状態、
       もったいない。

       「老い」をテーマとしたブラジル映画(女性監督)。

       ブラジル南部に住むエルネスは 78歳。
       隣国のウルグァイから移住してきて 46年になる。

       妻に先立たれ、頑固で融通の利かない彼は、
       離れて住む息子とも疎遠。
       視力もほとんど失ったので、大好きな読書も
       ままならない。

       そんな彼のもとに、かつて思いを寄せていた
       女性から手紙が届く。
       そして ひょんなことから知り合った 23歳の
       女性・ビアに手紙の代読と代筆を頼むようになる。

       彼が「拝啓」と書こうとすると、
       「そんな他人行儀はよくない」とダメ出し。

       映画はユーモアに満ち、決して暗くはない。

       世代も性別も異なる二人の交流。
       もしかしたら 社会の片隅で ひっそり死んで
       いったかもしれない 一人の老人が、
       生き生きと輝き、
       ビアもまた 抱えていた悩みが、
       老人によって癒されていく。

       いろいろ考えさせられたが、
       現代の78歳は こんなに老いぼれていないぞ、
       と思ったことはたしか。
       

夏目漱石

2020-09-11 14:59:34 | 読書
  
       漱石について、付け加えておかなければならない。

       夏目家は地元では名家。
       その五男として裕福な家に生まれた漱石だが、
       両親は子沢山を恥じて、生後4ヶ月の漱石を
       古具屋に里子として出した。

       1歳のときには、父の友人の養子として出される。

       ところが、この両親の離婚によって、
       漱石が生家にもどされたのは 9歳のとき。

       しかし、実父と養父の関係悪化により、
       夏目家に復籍したのは21歳になってからである。

       漱石が東京帝大の教職を蹴って、
       朝日新聞に入社したことは前回、書いたが、
       養父は朝日新聞社まで 金の無心に押しかけてきた
       という。

       こんなことから漱石は人間不信に陥り、
       極度の神経症と過敏症をわずらうことになったのは
       みなさん、ご存じのとおり。

       よく、鏡子夫人のヒステリーに悩まされた漱石
       のことが取り沙汰されるが、
       漱石自身が胃弱になり、より神経質になった
       ことは否めない。

       鴎外も最初の結婚に失敗して苦労はしたが、
       漱石はすでに 物心つく前から人生の辛苦を
       なめていたのである。

       こうしたことが その後の生き方に影響し、
       小説にも反映しているのであろう。