一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

弱り目にたたり目

2011-09-28 20:46:53 | 雑記



     足くじきに続き、腰くだけの話。

     ここ3日ばかり腰のあたりがあやしかった。
     にぶーい痛みがある。
     数年前に腰痛をやっているので早めに整形
     外科にいった。
     先週足をくじいていったばかりだ。

     レントゲンを撮ったらやはりちょっとゆが
     んでいる?とのこと。
     足をかばって歩いていたからか、小さい子
     相手に中腰になることが多いせいか。
     医師が
     「どっちだと思う?」というから
     「う~ん」と答えに窮すると
     「両方でしょう」といわれてしまった。

     腰に電気マッサージみたいなものをかけ
     て、またまた痛みどめの飲み薬と湿布薬。
     「湿布薬はまだあるよね」と医師がいう
     から、実はーーと口ごもる。

     先日ブログに書いた通り、余りたくさん
     の湿布薬をくれるので腹立たしくて、
     1日に5回も6回も張りかえていたら、
     残り少なくなっていたのです。
   
     正直にいうのも恥ずかしく、それこそ腹立
     たしかったのだが(今度は自分に対し)
     仕方がない。
     使ってしまったというと、またまた大量の
     湿布薬をもらってしまった。

     かくして今日は大量の薬袋をさげ、時間も
     たっぷり消費して(10時にいって3時に
     帰宅)、ぐったり疲れて帰ってきた。
     あ~腹立たしい。

     (写真は鎌倉山の萩)

直耕の人

2011-09-22 22:07:09 | 自然



    実はこの田んぼを1人で耕していたのは80歳
    くらいのおじいさん。

    田起こしというか、冬中放っておいて固くな
    った土をクワで起こすのだ。
    おじいさんは来る日も来る日も(3月はまだ
    寒かった)1人で黙々と作業をしていた。

    田んぼはこの写真のずっと向こうまで数枚
    あって(ひとつが2~3畝くらい?)、
    えっ、1人でやるの?と半信半疑というか
    信じられないでいた。

    いつも通るたびに、あっまだやってる、と
    思って1ヵ月くらいたったろうか。
    1つ終わると次の田んぼ、それが終わると
    また別の田んぼと移って、とうとう全部
    やりおおせた。

    昔読んだ安藤昌益の本に
    「直耕(ちょっこう)の人尊し」
    というのがあった。
    安藤昌益は江戸時代に生きた東北の医師。
    つまり自然に学び、自然と共に生きること
    の素晴らしさを説き、直接耕す農民こそ
    尊いといっているのだ。
    
    さしずめ、このおじいさんは直耕の人と
    いうことか。
    毎日、直耕どころか何ら生産しないで
    虚業に生きる私などは大いに恥じなけれ
    ばならないと思った。

    ところでおじいさんの仕事はまだあった。
    田んぼに水を張り、耕運機が入るための
    準備をすること(作業名は分からない)。
    それをまた腰を曲げて1枚1枚、飽くこと
    なくやっていた。
   
    そしてとうとう、息子さんらしい(とい
    ってもキャップの下から白髪が出ていた
    から60代後半?)男性の出番となった。
    耕運機をつかって田んぼ全体をならすのは
    息子さんの役目なのだろう。
       
    さすがに機械は早い。2~3日で終わって
    しばらくご無沙汰していたらいつの間にか
    田植えも終わっていた。
    多分、それも田植え機でやったのだろう。

    これでおじいさんの家族構成が読めた。
    おそらく兼業農家というよりも、米作りは
    ほんの片手間で、息子一家は他に仕事が
    あるのだろう。

    最初、1人で農作業をするおじいさんを
    見て、
    (腰を曲げて地味な作業をするのがつら
     そうだったので)
    無理しなくていいのに、こんなに苦労し
    て何の娯しみがあるのか、と思ったり
    した。
    だが、これは私の不徳のいたすところ、
    大いに反省しなければならない。
    おじいさんにとっては、田んぼに出てクワ
    を握っている時がもっとも楽しく、それが
    生きる張りあいにもなっているのだろう。
   
    毎晩、今日も精一杯働いた!と満足して
    すぐに眠ることができたら本望にちがいな
    いのだ。その前に、晩酌の1杯くらいやる
    かも知れないけどね。

    現実には、おじいさんにもそれなりに気苦
    労があるかもしれないのだが、あれこれ思
    うと稲刈り時期が楽しみになった。    

    
    
    

案山子(かかし)が立ちました

2011-09-22 21:17:21 | 自然



     時々車で通る道沿いに田んぼがある。
     引っ越してきたとき身近に田んぼがあること
     に驚いたのだが、そこに先日案山子が立って
     いた。
     やっぱり実りの秋だものなあ、とひとしお
     感慨深かった。

     というのも、この田んぼが耕されはじめたの
     は震災直後のこと。
     3.11震災で故郷が未曾有の打撃をうけ、
     たくさんの犠牲者が出たことはもちろん、あの
     美しい田園が荒廃したことにショックをうけて
     いたからだ。

     そのとき思ったのは、
     これから田植えの準備がはじまるのだなあ、
     ということと、
     故郷では田植えもできない土地になってしま
     った、ということ。
     この2つの思いが交差して複雑な気持ちだった。

     あれから半年。
     故郷では叶わなかったけれど、ここではこうして
     稲が実りはじめた。
     やがて稲穂は頭を垂れるほど重くなって、一面
     真っ黄色な絨毯のようになるだろう。

     でも今どき、案山子?!
     その意外さが可笑しくて、用もないのにわざわざ
     車で通ったりした。

     でも今朝がた通ったら、田んぼの端っこに雀が
     群がって実り始めた稲穂をついばんでいまし
     た。
     少しは案山子に遠慮しているのでしょうか。
     

     
     
     

足をくじくの巻

2011-09-19 19:54:19 | Weblog


    あまり大きな声ではいいたくないが、足を
    くじいてしまった。
    家の駐車場にいたる3段ばかりの階段で
    ひょっとした調子に右足がくず折れたよ
    うになったのだ。(転んだというのでも
    踏みはずしたのでもない)
    
    不注意というかせっかちというか、とき
    どき階段でアブナイことがあるので
    日頃から気をつけてはいたのだが。
    こんなこと人にいうと、歳だから~、とか
    自分の年齢を考えろ!といわれるのがオチ
    なので、ホントは人にはいいたくないの
    だが。

    その日は車で用事をすませ(運転はさしつか
    えなかった)、家に帰るとズキズキ痛み出し
    時計を見ればもう病院は閉まった時間。
    急患でいくほどもなし、と保冷剤で冷やして
    一晩様子をみることに。

    翌朝いちばんに病院へ。
    実は引っ越してきてから病院通いは初めてな
    ので、全く情報がない。
    仕方なく最寄りの総合病院にいったのだが、
    連休前のせいか混んでいました。

    先ず総合受け付けで待ち、次に向かった整形
    外科で待つこと待つこと。
    こういうときって、受け付けが未完だったの
    ではないかと心配になる。
    私も(整形外科)の窓口で「あのう、まだ
    待ちますか?」と聞いてしまったが、私だけ
    でなく他の人も何人も聞いていました。

    その都度、窓口のお嬢さんが「大丈夫ですよ、
    もうすぐですからね」とやさしくいうのだが、
    そのもうすぐがなかなか来ない。
    たかが足をくじいたくらいでこんなにイライラ
    するのだから、もし重篤な病気を告知されたり
    したらどうするのだろう。
    病気の重みにつぶされる上に、待ち時間の苦
    痛……先ずは忍耐力をつけなければならない、
    と思ってしまった。

    ※ ここで読書という手があるといわれるかも
     しれないが、私はなぜか病院で本が読めない。
     いつ呼ばれるか気が気でないことと、待ち合い
     室にたいがいかかっているTVなんかが気に
     なって集中できず、何倍も疲れてしまうのだ。

    ようやく呼び出されて、医師のもとへ。
    わずか30秒くらいの問診でレントゲン室へ
    回される。
    そこだけはすぐに終わったのだが、再び整形
    外科へ。
  
    レントゲンの結果が出てこないのか、またま
    た待たされて、ようやく医師の診断へ。
    幸い骨は折れていなかった。温めるのは悪い
    のでお風呂は足を入れないように、とのこと。
    (どうやってお風呂に入るの?逆立ちしろと
     いうのかい?!)
    毒づきながらやっと会計窓口へ。
    ここでも待つのですねえ。

    病院を出たときはとうにお昼を廻っていました。
    それから処方箋をもって薬局にいかなければな
    りません。
    5~6人待って、差し出されたのは痛み止めの
    飲み薬と、山ほどの湿布(5枚入りのが5袋)。

    そういえば引っ越し前にレジ袋一杯の湿布薬が   
    出てきて(腰痛で診断うけたときのもの)捨て
    てきたのでした。
    でもたしか、1袋くらい残していたはず……
    そう思って昨夜探したのだが見つからなかった。    
   
    それを思い出して、    
    「そんなに要りません。半分にして下さい」
    むっとした顔でいうと、 
    「処方箋に書いてある通りです。もし半分にす
     るなら、もう一度先生のところに行って書き
     なおしてもらって下さい」
    とのこと。

    またあの病院に引き返せって?
    疲れていたしお腹もすいていたので、こちら
    いい返す元気もなし。完敗!

    というわけで連休中はそこらをウロウロするだ 
    けでした。

    ※ 写真は水鉢のホテイアオイ。薄紫のが2つ
      咲きました。
      その下にはメダカ、子メダカ、孫メダカ
      曾孫(ひまご)メダカまで4世代が同居
      している。
      木漏れ日がまぶしい。樹の上では法師ゼミが
      ♪オーシーツクツク 
        オーシーツクツク♪    
    

もうひとつの便り

2011-09-16 21:05:00 | 雑記



     福島からの便りをUPしたばかりだが、今日
     もうひとつの便りが届いたので、どうしても
     それはお知らせしなければならない。

     今日、昔の同級生のK君から葉書がきた。
     K君自身は現在神奈川在住なのだが、この春、
     郷里の福島からこちらにきている避難組を連
     れて、わが家に寄ってくれた。
     
     そのときに、海岸に近いK君の家は津波に流
     され、お兄さん夫婦が行方不明になったこと
     をはなした。
     その後、お兄さんだけは見つかり、遺体の確
     認に仙台まで行ってきたともいっていた。
     (安置所は仙台だったのだ)
     だが、お義姉さんが行方不明のままだった。

     それが、今回やっと義姉さんが見つかった
     というのである。
     (以下、K君の便りを抜粋)

     「東日本で行方不明の義姉が4月5日に千葉
      県銚子沖で船に発見されました。
      身元が判らず居ましたが、DNA検査で
      9月9日に確認され家族の元に帰ることが
      できました。ありがとうございました」
     
     4月5日に発見された遺体が身元不明のまま
     置かれ、やっとDNE鑑定で判明したのが
     9月9日だという仕事のノロさ。

     他にもいっぱいやらなければならない業務
     があることは分かるが、その間とどめ置か
     れたご遺体に対し、どう釈明すればいいか。
     また待たされているご家族のことを思うと
     ……
     掛けることばが見つからないことはもちろ
     んだが、思わず葉書を手にしたまま絶句し
     てしまった。

     分かることでいえば、
     K君は奥さんともども何回も郷里に出向き、
     避難してきた人たちの面倒もみて、すくな
     くとも明るくふるまっていた。     

     そして思うのは、
     他にもこのようなケースはあるに相違ない
     ということ。
     やはり震災のことは忘れてはいけないので
     ある。風化させるわけにはいかないのである。

     (写真は秋の七草のひとつ、なでしこ)
      

     

福島からの便り

2011-09-14 20:42:23 | 雑記



    友人知人から送られてくる近況や写真など、
    どれひとつとっても明るいニュースはない。
    これが現状なのだろう、みんな精一杯頑張
    っているのだものと思う。
    そして、せめてこちらが元気を出してエネ
    ルギーの発信源にならねばと思いつつ、
    ややもすると、暗くなる気持ちに負けそう
    になる。

    そんなとき第一原発の近くから南会津に避
    難している姉のところの息子一家からお礼
    の葉書が送られてきた。
 
    抜粋すると、
    「3月13日、只見町にはまだ2mの雪が
     ありました。短い春、夏、そして秋へと
     季節は移り、もう大震災から半年……
     原発事故による避難生活を送る中、たく
     さんのお心遣いをいただき、心より感謝
     申しあげます」
    とあり、奥只見の山をバックに夫婦と子供
    3人の写真がうつっている。

    さらに、
    「縁あって訪れたこの地で、人のつながり
     の大切さを感じ、雪国ならではの丁寧な
     暮らしぶりを学んでいます」
    とつづき、
    現在、夫は環境放射線測定の仕事に就き、
    妻は近くの農園で米とトマト作りの手伝い
    をしているという。
    「下を向きそうなとき、たくさんの応援者
     がいることを心の支えにして頑張りたい」
    
    また、7月末には只見町を記録的な豪雨が
    襲い、土石流や浸水などの被害があったこと
    を気づかい、
    「お世話になっている農園のお米を大切な人
     に食べさせたい。初めての米作りを通して  
     ここの米を応援したい」
    と綴っている。

    姉のところは百年以上もつづいた果樹園なの
    だが、今回の原発問題で一家中で南会津の
    只見町に避難しているのである。
    おそらく2時間くらいの制限帰宅があったくら
    いで家にも帰れない状況ながら、
     この明るさ!
     前向きの姿勢!
    強じんな精神そのもので、これはどこから
    くるのだろうと驚いている。

    はてさて、この「笑顔担当」だという嫁さんは
    (結婚前)都会のOLをやっていたのでは?
    と思うのだが、たしかなことは分からない。
    (ン十年前に結婚式に出たときの記憶)

    おまけに葉書の表書きには、
    「固定電話がないので郵便、メールで連絡
     いただけるとうれしいです」
    と添えられていた。
    

    

ワークショップ”ばおばぶ”

2011-09-10 21:54:07 | 雑記



    何といっても驚いたのは”ばおばぶ”の
    超ナチュラルな風情。

    一見、TVドラマにでも出てきそうな昭和
    初期の古い家屋のように見えるが、
    (田舎育ちの私はこんな家屋に馴染んでいる)    
    云い方を変えれば、
    絵本か童話に出てきそうな隠れ家的な雰囲
    気のあるカフェとなる。

    入口から何やら独特の雰囲気。
    家全体が樹木やツタなどにおおわれ、中に
    いると外の喧騒がウソのようで、何十年か
    前にタイムスリップしたかのように思える。
    私はグリム童話のヘンゼルとグレーテルが
    迷いこんだ魔女の家を想像してしまった。

    ここはオーガニック・カフェでもあるので
    飲み物、食べ物の食材ひとつにもこだわっ
    ている。
    白砂糖は使わない。甘味は甜采糖かメイプ
    ルシロップ、またははちみつ。
    塩も天然塩で、食材すべてが無農薬か低農
    薬のものだという。
    そういえば出された焼き菓子はほんのり甘
    く、どこか懐かしい味だった。

    こんな不思議な空間を愛する人は多いらし
    く、一度訪れるとやみつきになるのだとか。
    たしかに1週間たつのに、あの存在感が頭
    から離れないでいる。

    (写真はテラスの階段。内部から透かして
     見ると、こんな感じなのです) 
   

    
    

    

    
    

明日10年/半年

2011-09-10 21:08:16 | 雑記



     9・11米国同時多発テロから明日で10年/
     奇しくも東日本大震災からは明日で半年に
     なる。

     3・11震災はいまさら云うまでもないが、
     9・11テロと違った意味で歴史的大惨事
     であり、それに誘発された原発事故は明ら
     かに人災といっていいだろう。

     半年もたつとボランティアは少なくなり、報
     道も明るいニュースにどうしても目を向けが
     ちだが、実際に私のところに寄せられるのは、
     まだ瓦礫の残る古里の土地であり、立ちなお
     れない姿である。

     ややもすれば沈みがちになる気持ちを奮い立
     たせるべく(家にいても暑いこともある)、
     前々からお知らせのあった集まりに行った。

     場所は金沢文庫の称明寺近くにあるのワーク
     ショップ”ばおばぶ”。
     ワークショップとは、仲間と共同で何かを
     創ったり、話し合ったりする場所のことをい
     うのだという。
     そういえば陶芸教室や読書会、水彩画、ヨガ
     や手芸、お地蔵さまの一刀彫り教室なんかも
     あった。

     私がその日参加したのは「わたしのはなし」
     という講座で、多言語習得に30年関わって
     きた知人の話を聞くというもの。
     もちろんワークショップであるから一方的で
     はなく、後でお互いの意見交換みたいなもの
     もあって、それはそれで参加しただけの発見
     はあるのだった。

     (写真は垣根のヤブにめり込んでいる”ばお
     ばぶ”の看板)

     
  
        
     
     

100年と3000年

2011-09-05 21:36:04 | Weblog



     『青鞜』100年のことを考えていると
     きに、わが知友から葉書を受けとった。
     それがなんと、レバノンからの絵葉書!

     思わず世界地図を開いてしまいました。
     よくニュースでレバノン情勢……云々と
     聞くけど、どこにあるか考えてもみなか
     った。
     レバノンはシリアやイスラエルとも隣接
     して地中海に面していました。

     古くはフェニキア人の故地だったとか。
     高校の頃の世界史の教科書に出てきたよう
     な……やっと知友と結びついてきました。

     彼女は古代オリエント史を専門とする方
     なので、そちらの方の探訪だったのでし
     ょう。
     文面には、
     「フェニキア人、ローマ人の遺跡を見学」
     とあります。

     2~3000年も地下に眠る遺跡と、
     100年前にはじまった(日本の)女性
     の自立の動き(一般には女性開放運動と
     いう)……
     暑さのせいばかりではない、頭がくらく
     らしてきた。

     (絵葉書の写真は6th-4th centuries B.C.
     とある。水差し?または酒器?)
 

『青鞜』100年

2011-09-04 20:49:42 | 雑記



    『青鞜』が発刊100年周年をむかえるの
    だという。
    「いま、青鞜を生きる」と題して記念集会
    がおこなわれ、先輩女性に敬意を表し、こ
    こはひとつ逃してはいけないだろうと思い、
    いってきた。
     9月3日
      於・三田の女性就業支援センター

    『青鞜』は1911(明治44年)9月
    ~1916(大正5年)2月までの4年半
    に52冊発行されている。

    えっ、もう100年?という思いと、
    まだ100年しか経っていないの?
    という思い。
    私はどちらかというと後者の方だ。

    『青鞜』のことはすでによく知られている
    し、また別の機会に語ることもあるだろう
    からここではあえてしない。
    実をいうと……この記念集会も行こうか行
    くまいか、迷った。
    もともと、堅苦しい集会や政治色の強い会
    合は極力避けたいところである。

    発起人やスピーチする顔ぶれをみると、高
    名な人ばかり(評論家、政治家、詩人、音
    楽家、キャリアウーマン等々)で、気遅れ
    がしたというか、行く前から引いてしまっ
    ていた。
   
    ところがやはり行ってみなければ分から
    ない。
    みなさん、さすが一家言持つ人ばかりで、
    自分のことばで話されていて実に気持ち
    よかった!

    行く前から億劫になっているのは、明ら
    かにこちらに原因がある。
    この頃、とみに感度が鈍くなった!!
    それに、ちょっとことばの借り物が多い
    のです。
    こういうときって、他の刺激的な場面に
    出くわすのがイヤなんですよね。
    自分の自信のなさがさらけ出されるので。
   
    これも老化現象?
    いえいえ、昔からそうなんです。
    すぐ守勢に入ってしまうというか、殻を
    破れない。
    本当は年齢のせいにした方が簡単なので
    すけど。

    実は自分の弱さに原因があるのに、年齢
    のせいにして逃げてしまうのは、卑怯の
    ような気もしてきた。   
    それに気づいただけでもよかった?!
    

    ※写真は創刊号の長沼(後の高村)智恵子
     の絵。