一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

サーカスがやってきた(補)

2019-05-26 10:24:53 | 雑記


       令和の時代、
       ともかくも戦禍の中でない世の中で
       のんびりサーカスを楽しむことができる
       ことは有難いことです。

       中原中也の詩にこんなのがあります。

       タイトルは「サーカス」

       「幾時代がありまして
        茶色い戦争ありました

        幾時代がありまして
        冬は疾風吹きました

        ……  ……
        ……  ……

        サーカス小屋の高い梁
        そこに一つのブランコだ 
        見えるともないブランコだ

        …… ……
        …… ……

        屋外は真っ暗 暗(くら)の暗(くら)
        夜は劫々(こうこう)と更けまする
        落下傘奴(らっかがさめ)のノスタルジアと
        ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」

        サーカスの空中ブランコは
        中也にとって
        「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」
        といった感覚だったのでしょうか。

        ※ 舞台中は禁止でしたが、
          フィナーレだけ撮影OKでした。
        

サーカスがやってきた

2019-05-25 07:19:00 | 雑記



       驚いたことに、
       当地にサーカスがやってきた。

       しかも歩いて20分ほどのところに。

       ちょうど空地になっていて、
       来年あたりに市役所が移転する予定地。
       (旧市役所の建物は耐震問題で移転せざるを
        得なくなり、現在も場所探しに揺れている)
       
       そこにサーカス?

       噂には聞いていたけれど、
       本当かしら?
       と思っているうちに
       ある日、突然、テントが張られた。

       本当だったのだ。

       買物や図書館にいくついでに見ていると、
       あれよあれよという間に
       設備が整ってくる。

       そして、いよいよオープン。

       もう近くに行くだけで
       音楽が聞こえ、
       観客のワーッという歓声まで漏れきこえてくる。

       何を隠そう、
       私はサーカスが大好き。

       子どもの頃は親の方針であまり見せてもらえなかった
       けれど、
       所帯を持ってからは、
       子どもをダシに何回か行きました。

       そして、子が成長してからも。
       今では一人で行っても娯(たの)しめる。

       ついでにいえば、
       外国の大がかりなサーカス団より、
       日本の家族的な小さなサーカスが好き。

       しかも、動物を使わず
       人間だけのサーカス。

       つまり、人間技が大好きなのだ。

       今回のポップサーカスは
       外国のスタッフも多かったけれど
       どちらかというと小規模で理想的。

       舞台と客席が近くて
       エキサイティング!!

       いやあ、童心にかえって盛り上がりました。
       
       
       

オレはオレ、しんどいことに

2019-05-19 08:37:17 | 雑記



       おそらく
       初めてにして最後の10連休も終わり、
       いままさに5月病に季節。

       この春、
       進級した中高生や大学生は大丈夫だろうか。

       いや、
       そろそろ疲れの出る新入社員は
       無事にこの時期を乗り超えられるだろうか。

       かく云う私も、
       なんだか体がだるくて
       しんどいなあと思うことがしばしば。

       これって、5月病?

       こんなとき、
       まどみちお詩集を読みホッとした。

       まどみちおは誰もが知っている童謡「ぞうさん」
       (童話屋)を作詞した詩人。

       詩「くまさん」は
       冬眠から明けたクマが寝ぼけて
       「ぼくはだれだっけ?」
       川面に映った顔を見て
       <そうだ ぼくは くまだった よかったな>
       とニッコリ。

       詩「うさぎ」は、
       <うさぎに うまれて うれしい うさぎ>
       ではじまる。

       どちらも自己肯定な歌詞だ。

       次にちょっと気になる詩。

       詩「イヌはイヌだ」は
       <イヌはイヌだ いつでもイヌだ ふしぎなことに>
       <ネコはネコだ いつでもネコだ あきれたことに>
       
       一連二連とこう続いて
       いきなり「オレ」が登場する。

       <オレはオレだ ときどきオレだ しんどいことに>

       この「しんどいことに」がリアルで笑ってしまう。

       そうだ、
       疲れた時にちょっと肩の力を抜いて、
       <私は私だ、しんどいことに……>
       と笑ってしまおう。


       ※ 車で通りがかりに見た花ショウブ

       
     
      




       

       

涙点(るいてん)プラグ

2019-05-12 16:29:07 | 健康


       白内障の手術をして5ヶ月、
       そちらの方は早々に完治したのだが、
       同時にドライアイが発覚した。

       一日に3回、
       (初期は日に4回)
       処方された目薬を点眼しているのだけど、
       一向に改善されない。

       現に、
       眼が疲れて痛くなることもしばしば。
       (PCが原因だとは分かっているのだけど)

       そのため昨日の診察で、
       涙点プラグを挿入することに。

       最初、
      「るいてんプラグ」と聞いて
       何のことか分からなかった。

       「るいてん?」
  
       何度も聞きかえした。

       眼科医の説明によると、
       こういうことらしい。

       ドライアイは文字通り、
       眼の表面が乾いてしまうこと。

       「涙は主涙腺から分泌される。
        主涙腺から分泌された涙は、 
        涙点という鼻側の上と下の2ヶ所の
        出口から鼻の方へ排出される。
        この涙点に<涙点プラグ>という
        シリコンでできたものを挿入して、
        ドライアイを改善する」

       これは手術の一環だそうで、
       私は、つまり、
       「涙の出口に微小のプラグを挿入して、
        (フタをして)涙を貯め、
        それでドライアイを緩和させることね」
       と解釈して同意した。

       手術といっても
       10秒~20秒で終わり、
       痛くもかゆくもなかった。

       家に帰って鏡でみても、
       なんら表情に変わりはない。

       果たして、
       これでドライアイが改善するかどうか。

       その前に、
       PCの長時間使用を改善しなければ
       ならないかもしれない。

       ※ 解説図はネットより引用
       
        
        
       

生命力

2019-05-10 18:23:47 | 雑記


      カマクラにも竹藪はある。     
 
      今の季節、
      散歩の折にひょっとして
      藪に顔をだした竹の子に出くわすことがある。

      私は立ち止まって
      しばし見とれる。

      なんという勢い。
      生命力。
  
      この世に出たばかりの竹の子、
      その、みずみずしさに見ほれる。
 
      この赤ん坊のような竹の子も、
      一週間もすると見上げるほどに伸びるのだ。

      詩人・萩原朔太郎にこんな詩がある。

      題は「竹」
      「かたき地面に竹は生え
       地上にするどく竹が生え
       まっしぐらに竹が生え
       凍れる節節りんりんと
       青空のもとに竹がはえ
       竹、竹、竹が生え」
      

      萩原朔太郎は今から100年も前の詩人。
      
      竹の子の成長にハッとさせられるのは
      昔の人も現代人も同じ。
      

ギョッ

2019-05-06 17:21:42 | 雑記


        
      部分パーマとカットのため
      美容院にいった。

      云われてびっくり。
      なんと1月7日以来の4ヶ月ぶりだという。

      自分としては、それほど久しぶりとは思わず、
      つまり、元々ショートカットのため、 
      さほどうっとうしいとは思わなかったのだが、
      鏡をみてギョッ!

      顔の劣化が激しすぎる!!

      一気に老けた?

      家の鏡がうぬぼれ鏡なのだろうか。

      美容院の鏡はリアルでウソつかない、
      ことは確か。

      現実にしばし呆然。

      これは何とかしなくちゃ。

      そもそも顔の劣化と
      髪の毛の乱れとで、
      余計にひどく見えたのかもしれない。

      わが身をなぐさめながら、
      カットを終えて帰宅。

      しかし、
      年齢のことを考えれば劣化も当然。

      せめて、
      これからは醜い高齢者にならないよう、
      少しは身なりに気をつけて、
      年齢相応の清潔さを身につけるよう、
      頑張ろう。

      

こどもの日

2019-05-05 09:01:42 | 雑記


       連休も終盤。

       昨日(4日)は新天皇の一般参賀がおこなわれ、
       ニュースでみた。

       戦争も震災もない、
       平和な「令和」であることは、
       国民すべての願い。

       今日はこどもの日である。

       所用で出かけたら、
       あちこちに鯉のぼり。

       なかでも
       休耕田となった田んぼ一面に泳いでいる
       鯉のぼりが目を引いた。

       5月の薫風にはためいて、
       見るだけで晴れやかな気持ちに。
  
       こどものイジメや虐待がニュースになる昨今、
       一人一人が伸び伸びと成長する時代であって
       欲しい。
       
       あれこれ思って帰宅したら、
       突然の雷雨。

       玄関のカギを開けるのももどかしく、
       あわてて洗濯物を取り込んだが、  
       すでに遅し。
    
       瞬間だが、停電にもなった。

       夕方3時間ほど雷雨がつづいて、
       夜にはすっきり。

       5月晴れ、
       のち雷雨の一日。

       そうだ、
       今日は柏餅を食べよう。


       
       
       

       

       
       

令和の朝日

2019-05-02 09:18:14 | 雑記


       平成さいごの日も
       令和さいしょの日も
       雨だったので
       待ち焦がれたお日さま。

       今朝、
       ちょっと明るくなって
       令和はじめての太陽を拝めた。

       でも、
       洗濯物を干すにはいまいちの天気。

       シーツやクッションカバーなど、
       天候待ちで溜まっている。

       連日、
       TVでは新天皇即位等々の行事や
       おことばが報道されているが、
       見たり見なかったり。

       とりあえず抱えている課題を
       ちょこちょこやって、
       気がついたら夕方。

       忙(せわ)しくても
       のんびりしても、
       一日って、あっという間なのねえ。
       
       目下は
       溜まった洗濯物を早くスッキリしたい
       という気持ち。

       明日は何日かぶりに快晴らしい。

       ※ ウォーキングの際、  
         山の高台から見た朝もや

       
       

       

令和の幕開け

2019-05-01 08:54:58 | 雑記


       令和時代が幕をあけた。

       昨日からのTV報道をみて、
       平成時代を懐古するものもあり、
       それなりの感慨もあった。

       新しく明けた令和。

       今日の朝刊にはこんなことが書いてあった。
       (毎日新聞「余禄」)

       「歳時記に<初音>という言葉がある。
        新年の季語だが、年が改まって
        過ぎた年を振り返ることをいう。
 
        つい昨日の何気ない出来事も
        <昔>にしてしまう時の改まり。

        <平成>をたちまち初音にして、
        <令和>の朝がやってきた。

        いわば今日は令和時代の元日だ。

        むろん改元は人の約束事にすぎないが、
        まるでまっさらな時間がたっぷりと
        与えられたような気分になるのが
        改まる時のありがたさか」

       しょせん今日は昨日のつづき、
       なんて醒めた思いでなく、
       ここはひとつ深呼吸でもして、
       令和時代を迎え入れることにしよう。

       ※ 近くのスーパーには「令和」のお菓子
         がずらり