一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

人生相談

2016-01-31 08:51:41 | 雑記



      きのうの続き。

      そもそも人生相談とは何でしょう。
      (かつては身の上相談とも云った)

      進路や身辺のことに悩み、有識者の意見
      やアドヴァイスを聞いてみたい。
      そんな気持ちでするのではないだろうか。

      というのも、
      私もかつて、人生相談をしたことがある
      からである。

      今からン十年前
      (相当古いはなしである)
    
      私は大学三年か四年で21~2歳。
      親は郷里に帰って教師になることを強く
      望んでいた。
      しかし私は、教師になることにヴィジョン
      (恰好よく云えば)が見いだせず、
      漠然と東京にいつづけることを希望して
      いた。

      だが、東京で自活できる仕事に就ける自信
      もなく、現代でいう就活もしていなかった。
      (すべてにおいて劣等生だった)

      さて、どうしたものか。
      悩みに悩んで、当時購読していた朝日新聞
      の相談コーナーに手紙を書いた。

      回答者は森田たま・麗子(作家・デザイナー)
      親子で、たまたま採用されて回答をもらった。
      回答は結論からいうと、こんな内容だった。
      
      「郷里に帰りなさい。田舎に帰って、あなた
      のような人こそ、地域のリーダーとして活躍
      して欲しい」

      あたたかいお言葉であった。
      ところが、私はこの回答を読んだ瞬間、東京
      にいよう!! と決意したのである。

      そこに何があったのか、分からない。
      思うに、
      相談者はニッチもサッチもいかない状態ながら、
      自らの心に秘めたものを持っていて、
      それを後押しして欲しいのではないか。

      イエスでもノーであっても、
      その時の第三者のご意見で、自分の気持ちを
      確かめ、よりクリアにするのではないか、と
      思う。

      私はその後、若き日の青臭い悩みを思い出し、
      苦笑することはあっても、その選択を後悔
      したことは一度もなかった。
      なぜなら、自分で決めたことだからである。

      ここから前回のブログの話にもどるが、
      回答者が多少荒っぽいアドヴァイスをしたり、
      非常識な回答をしたとしても、それに憤慨
      したり、クレームをつけることはナンセンス
      なのだ。
      新聞社が青くなって謝罪文を書け、なんて
      もってのほか。

      相談者の心はすでに決まっていて、
      この回答によって、自らが決断するのである。

      な~んて、こんなことを云う私も相当に
      年とったものとお笑いください。


      ※ 通りすがりに見た雪の日の大仏さま

      

      

世は理不尽だらけ

2016-01-30 14:40:35 | 雑記


      また整体院にいき「週刊新潮」を見て笑って
      しまった。
      目下、週刊誌を読むのはこの整体院のみ。
      しかも最新号とは限らず、適当に読むので
      これも12月の最終号か1月初週のものだ
      ったと思う。

      内容は数学者である藤原正彦氏の「管見妄語」
      というものである。

      氏は10年ほど前、ある新聞社から人生相談
      の回答者の依頼をうけた。
      氏は数学者だから人間には興味がない。
      奥さんも「どう考えても無理。無常識だから」
      という。

      断ることに決めた。
      ところがその時に奥さんがふと放った言葉で
      引きうけることになったのだから、これも
      何かの縁かもしれない。
      「でも、無常識者の回答って、もしかしたら
      面白いかもしれない」

      ふたをあけてみると、意外にも高評だった。

      21歳の女子大生の相談
      「これまで親の云うとおりやってきて大学にも
      入ったけれど、意義が見いだせない。大学を
      中退するかどうか悩んでいる。でも親を悲しま
      せるかと思うと、ふんぎりがつかない」
  
      回答
      「はい、あなたのような優柔不断では何もでき
      ない。どうせできないなら、親孝行しなさい。
      そのうち自分の力で(自らの途を)見つけるこ
      とができるでしょう」

      というもので、それはそれで事なきを得た。
      次にもまた、20代の女性から相談がきた。

      「父親の行動が余りにも理不尽でイヤでたま
      らない。家族が食事中帰ってきて
      『お茶をくれ』『漬物を出せ』
      とわざとのように要求する。
      TVのチャンネルは子供が見てようとお構いなし、
      勝手に替える。
      この横暴な父にどこまで我慢すればいいのか
      と思うと腹立たしくてならない」
 
      回答
      「お父さんは一日会社で働き、遅く帰ってから
      娘に次々と命令するのは当然。
      親孝行を娘に教えているのです。
      学校では先生が生徒を教え育てているのだから
      生徒よりエライ。
      親に手伝いを頼まれた子は親に従い、先生に
      宿題を出されたら生徒はやらなければならない。
      文面でみるかぎり、お父様は正常な範囲で、
      不平を持つべきではない」

      この回答が物議をかもし新聞社にはクレームが
      殺到した。
      だけでなく担当部長が青くなって謝罪文を書いて
      欲しい、と云ってきたのだという。

      氏は文責は自分にある。世の中にはいろんな人
      がいるのだから放っておけばいい。
      謝罪文は書かない、と断った。

      ところが部長は(新聞の)不買運動なんか起こ
      ったら困るから、と引き下がる気配がない。

      結論は「氏が自分から回答者を降りた」
      ということになるのだが、
      私はおかしくてならなかった。
      世の中は理不尽だらけなのである。

      今でも家事の手を休めて思い出し笑いをしている。

      (これは文面どおりではありません。記憶をも
      とに書いていることをお断りします)
      

      ※ 通りがかりに見た雪の日の建長寺
        

書家・金澤翔子さん

2016-01-24 16:09:16 | 雑記



      今日はふと思い立って、
      北鎌倉の円覚寺(大方丈)で開催されている
      金沢翔子さんの書展をみてきた。

      言うまでもなく金澤さんは国内外で活躍する
      ダウン症の書家である。
      5歳から書道教室を開いているお母さんの
      指導でめきめきと力をつけ、
      20歳の時には京都最古の建仁寺で個展を
      ひらいたり、12年にはNHKの大河ドラマの
      タイトル「平清盛」を揮毫したりした。

      今日は残念ながら揮毫はなかったが、
      個展開催の16日には円覚寺仏殿で席上揮毫
      が行われ、大勢の人を感動させたそうだ。

      しかしながら同展には
      ドラマで使われた「平清盛」や「佛心」「心」
      「夢」「風神雷神」「無」といった、テレビや
      新聞なので紹介された書が大方丈の畳の上に
      ずらりと並び、圧巻であった。

      一つ一つの解説もさることながら、
      「生まれて何日か後、ダウン症です」と
      医師から伝えられた時のお母様の心境なども
      履歴に書かれていて、胸を打った。

      そして小学5年生だったか、担任の先生から
      面倒見きれないからという理由で登校を拒否
      された時の衝撃ーー。
      お母様は切なくてやりきれなくて、懸命に
      「写経」に打ち込ませたのだという。

      席上揮毫をする際、
      翔子さんは手を合わせ、天井をあおぎ、
      何かを祈るようにつぶやいた後、
      一気に書きあげるのだそうだ。

      それでなければ、あの弾けるというか、
      ほとばしるような、生き生きとした
      力強い筆づかいはうまれてこないだろう。

      東日本震災の場を訪れて揮毫した
      「共に生きる」という書にも私は力を
      もらった。

      (円覚寺での書展は2月12日まで)


      ※ 北鎌倉まで一部はバスを利用したもの
       の、四分の三は歩いたため今日の漫歩計
       は28000歩超え。
       足より腰が痛い。


     
      

『世界女神大事典』

2016-01-16 16:45:02 | 読書

     引き続いて本の紹介になるが、いつも
     ずっこける私だから、たまには真面目
     な話題でもいいだろう。

     『世界女神大事典』
              原書房
     
     やはり岡田明子さんが一部執筆されて
     いる、なんとタイトルどおり世界の
     女神に関する大事典なのである。
     
     堅苦しいかと思いきやそうでもなく、
     ご覧のようにカラフルな美しい表紙の、
     エピソードがいっぱい詰まった本なの
     だ。

     事典だから通読する必要はないだろう。
     そう思って私はまず岡田さん執筆部分
     (メソポタミアの女神)に目を通した。

     それによると、メソポタミアとはギリシャ
     語で「川の間の地」という意味だそうで
     ある。
     そうか、(大学)受験の時にこれが分かっ
     ていたら世界史の成績も良かったろうに、
     と今頃になって思うのである(笑)。

     事典だからあちこちめくる。
     「ファンタジー」の項の「ハリーポッター」
     を読み、次から次へ。
     
     このあたりは馴染のものが出てくるので
     面白い。

     一つ例を挙げると、
     アニメで有名な宮崎駿監督の「もののけ姫」
     のサン。

     つまり、物語の主人公で山犬に育てられた
     サンは周囲から「もののけ姫」と呼ばれて
     いる。

     その一部を要約すると、
     両親に捨てられ山犬に育てられたサンは
     人間を憎んでいる。
     しかし人間の少年アシタカを知ることにより
     彼にだけは心を開くようになる。
     その間にいろいろが事件があって、やがて
     サンはアシタカに恋心を抱くようになるの
     だが、
     それは「森の処女神としての聖性」を
     失うことでもあった。

     本文ではそれを「聖性の喪失」と表現して
     いる。
     なるほど!と納得。
     もっともっと書きたいところだが、長くな
     るのでこのへんで~。

     このように、ほんの一端を紹介しただけ
     だが、一つの女神には一つならずそれ以上
     の物語が秘められている、
     ということが分かって面白かった。

     こういう大書は図書館にあってもいいかも
     しれない。
     よかったら図書館にリクエストして必要
     なときにめくって欲しい。


          
    

     
     

『起源』

2016-01-11 15:52:21 | 読書


    
    「『起源』古代オリエント文明:西欧近代文明の背景」
       ウィリアム・W・ハロー著   岡田明子 訳
                    (青灯社)

     友人の岡田明子さんが翻訳された大著である。

     「起源」とは何とも人類の根源というか、
     なにかしら心の奥底から湧きでる好奇心をそそら
     れる言葉である。
     タイトルからして「西欧近代文明」の起源、
     つまり、日本人である我々の文明そのものの
     起源ということであろうけれど。

     いま手に入ったばかりで読了するには時間が
     かかるが、「訳者あとがき」を一部紹介して
     おこう。

     「ところで電気・ガス・水道完備・男女同権・
     テレビ・パソコン・マイカーは当たり前、普段
     から洋装で、ベッドで就寝、フローリング、
     ウオッシュレットだって珍しくもないという
     現代の私たちの日常は、一昔前の日本人だった
     らまったく想像すらできなかったような
     『西欧の近代生活』にどっぷり浸かっている。
     そう思いながら本書を読むと、都市生活と自然
     回帰・田園生活とのギャップ、農耕・牧畜・冶金
     の産物利用とハイテク産業、『お金』と有価証券・
     カード類、冠婚葬祭の儀式・葵祭や神田祭など
     各地の祭礼の伝統と宗教、女性の社会進出と
     『ガラスの天井』の存在や、少子化問題などなど、
     『古代オリエント文明由来の背景』はまさに
     『私達現代日本人の生活』の随所にもみられる、
     といえるのではないだろうか」
                  P641~642引用
     
     
     決して難しくない、むしろ気持ちのいい、
     含蓄のある言葉である。
     たまにはこういう書物を手にとって、わが
     身辺を見回したり、振り返ったりしてみる
     ことも必要ではないでしょうか。

     興味のある方は是非手にとって、ご一読くだ
     さい。

     

     

ああ、勘違い

2016-01-09 13:31:29 | Weblog


      たまに行く整体院で週刊新潮を見るのが
      ちょっと楽しみになっている。
      五木寛之のエッセイ「生き抜くヒント」
      を読むのだ。

      先日のは「一日一驚のすすめ」という
      タイトルで、こんな風に書いてあった。

      60歳を超えてから人間、あまり驚かなく
      なった。物事すべて既視感(デジャヴュ)
      にとらわれて、喜びも悲しみもすでに
      想定内のことで新鮮味がない。

      その上、鬱状態になった。
      これではいけないと「よろこびノート」
      を作ったというのである。
    
      「電車のなかでスムーズに坐れた」
      「ネクタイが一度で気持ちよく結べた」
      「探していた本が見つかった」
       等々。
      
      探せば「一日一喜」だけでなく結構ある
      ものだそうだ。
      これですっきりして、鬱状態から抜け出
      すことができた。

      ところがしばらくしてまた鬱がぶり返した。
      今度は「悲しみノート」を作った。
      「大好きな大福を買いにいったら売りきれ
       ていた」
      「室内の観葉植物が枯れた」
      「ペットが老衰で元気がない」
       等々。
   
      これも結構あるそうで、気持ちに張りが
      出てきた。

      しかし、やっぱり鬱はやってきた。
      そこで今度は「びっくりノート」に切り
      替えた。
      「びっくりしたなあ、もう」ってやつだ。

      「長年、長男だと思っていたが戸籍を調べ
      たら次男だと分かった。長男は生まれて
      間もなく早世していたのだ。
      (両親と幼くした別れたので、そのことは
      聞いていなかった)」
      等々、これも結構探せばあるそうだ。

      
      私は筆者の気持ちがよく分かった。
      年齢を重ねると、おいしいものも美味に
      感じられない。
      かつては嬉しくてたまらなかったお祭り
      なんかも、ちっとも面白くない。
      たまに景気づけようと新しい調度品や
      新しい洋服などを買っても、華やぐのは
      ほんの一瞬だけ。
      
      これが齢をとることなのかなあ、と
      がっくりする。
      それを何とかしようと、「〇〇ノート」
      を作って、せめて気持ちだけでも、
      という筆者の心意気に共感し、大作家で
      もこうなのだから、と大いに慰めにも
      なった。


      ここで私は大いなる勘違いをしている
      ことに気づいた。
      
      なんと五木寛之を余りにも老成した思考
      から、
      阿川弘之氏(阿川佐和子さんのお父様)
      と思っていたのだ。

      眼では「五木寛之」と読んでいるのに、
      いつしか頭では「阿川弘之」と思い
      込んでいるこの錯覚!!
      
      恐ろしいというべきか、あきれたと
      いうべきか。

      (家に帰って五木氏の年齢を調べたら
      今年で御年84歳。
      『青春の門』や『大河の一滴』といった
      ベストセラーから、いつまでも若いと
      思っていたのだ)
      
      さしずめ私は「ああ、勘違いノート」
      でも作るべきだろう。


      ※ 本文とは関係ないが、
        若宮大路の入口にたっている大鳥居。
        日の暮れが早い。
   


      

除魔 じょま? まよけ?

2016-01-05 15:36:21 | 雑記



     今日5日、ようやく初詣に行きました。
     鎌倉八幡宮に。

     いつか正月3日に行ったところ、
     たいこ橋を渡って境内に入ったところから
     びっしり初詣客がひしめいて、30分並ん
     でも1~2㍍しか進まず、あきらめて
     帰ったことがあるので、三が日は近寄らず
     あれこれ予定があって、とうとう今日に  
     なってしまったのです。

     おかげでスムーズに参拝客がながれて
     イライラすることもなく、無事お参り
     ができました。

     八幡宮ではちょうど「除魔神事」が行われ
     ていました。
     大勢の人出を予想してか、大きなモニター
     画面での中継もあったりして。
 
     折々に神事に出くわすことが少なくないの
     ですが、これは初めてです。     

     「除魔」とは何とよむのでしょう。
     「じょま」「まよけ」??

     いずれにしても魔除け神事には違いないで   
     しょうから、ラッキーです。

     「立ち止まらないでください」
     「お参りが済んだ方から順にあけてください」

     案内人の声にうながされるように、私もお賽銭
     を投げいれて、手を合わさせてもらいました。

     それにしても、みなさんは何をお願いしている
     のでしょうか。
     統計によると、
     ①健康、家内安全 ②学問、受験、仕事 
     ③恋愛、結婚
     だそうです。

     番外編としては
     「お小遣いが増えますように」(30代男性)
     「宝くじが当たりますように」(40代男性)
     「厄年だけど、私は負けない」(20代女性)
     なんてのもあるそうです。

     もっとも人に話すと叶えられないという説も
     あり、云わないほうがいいかもしれません。

     私?
     恋愛も結婚、出産も関係ないので、自分の、
     そして周囲の人の健康と仕事でしょうか。

     明日から私も普通の日がはじまります。
     月並みだけど、今年が佳き年であるように
     願わずにはいられません。

    

     
      

新年早々ですが……

2016-01-03 10:11:48 | 雑記


       明けましておめでとうございます。

       新年にはふさわしくない話ですが……
       猫が暮れに死にました。
       若い方のソラという名前の猫(♂雑種)。
       クリスマスの翌日、26日に。

       掃除機をかけるたびに二階にあがるのですが、
       いつもホットカーペットの上に寝そべって
       いるので、寒いからかなと、私は異変に気づ
       きませんでした。

       家人がなんか元気がない、痩せてきたようだ
       といって犬猫病院につれていったら即、入院。
       
       いろいろ検査をして一週間ほど入院しました。

       結果は腹膜炎を起こしていて、獣医師の見立て
       だと、余り長く生きられない。このまま入院
       して点滴で永らえるか、住み慣れた家に帰って
       天命を待つか……
       と云われました。
       (このときは私も付き添った)

       我々は家に連れて帰ることを決断しました。
       (腹膜炎は親からもらったもので治らないと
        云われていました)

       二階の猫の居場所を万全にして、
       私は掃除機をかけるときだけ様子をみていま
       した。

       家人は2~3日置きに点滴を受けに病院に
       連れてゆき、そんなことで慰めておりました。

       そして3回ほど点滴でもたせて、
       その朝も肩で大きく息をしているので、
       私はまだ大丈夫だな、と思ったくらいです。

       その夕方、またも家人が点滴をしに連れて
       いったところ、(点滴が終わって)
       帰りの車のなかで事切れていました。

       あっけない死でした。
       痛いとわめくわけでもなく、ウーウー唸る
       わけでもなく、ひたすら天命を待つ、と
       いった風な静かな死。

       思えばこのソラには大部悩まされました。
       人になつくことをしない。
       運動機能が普通の猫以上で、二階のベランダ
       から跳び降りる。
       一度外に出たら3~4日帰ってこない。
       (その間、どこかで餌を調達しているので
        しょう)
 
       この猫によって網戸はメチャメチャ、唐紙
       も破く。餌やトイレの砂袋を食いちぎって
       中身をぶちまける。
       和室に自分で戸を開けて入って汚す。

       家人が思い余って、二階の猫スペースを
       球場のように網で囲ったのですが、それで
       もスキをねらって逃亡した。
       まるでソラと人間の知恵比べで、完全に
       人間が負けていました。

       あれほど乱暴狼藉を働いた猫が、
       こんなに簡単に死ぬなんて!!

       ソラが我が家にきて3年半。
       人間でいえば、何歳になるのでしょうか。

       ソラに最も手を焼き、いちばん嫌っていた
       のは私でした。
       そんな私の目から涙がこぼれました。
       まさに鬼の目にも涙、です。

       ソラは我が家にきて幸せだったでしょうか。
       もしかしたら、野良猫として生きたほうが
       ずっとソラらしく生きられたかもしれません。

       家人が動物供養のお寺さんにいって焼いて
       もらって帰ってきました。
       
       後には14年にもなる老猫が残されました。
   
       近頃、この猫と私の寿命比べのような気が
       しています。

       そんなこんなの新年、
       今年もよろしくお願いします。    

   
       ※ 在りし日のソラ
         近所の森が大好きだった。