一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

作家 佐多稲子

2012-10-27 18:44:31 | 人生


     その前に佐多稲子について語らなければならない。
     
     佐多稲子 (1904~1998)
     小学校を中退してキャラメル工場で働く。この体験が
     後にデビュー作となった(24歳)。

     なかなかの苦労人で、料亭の女中や丸善の店員なども
     やり、一度結婚に失敗している。
     その後、カフェの女給となり、そこは「驢馬」という
     同人誌の溜まり場で、窪川鶴次郎や中野重治、堀辰雄
     らが出入りしていた。

     稲子は彼ら文学青年たちによって文学の深淵に触れ、
     創作をはじめる。
     もちろん彼らのマドンナだったのだ。
     稲子のハートを射止めたのは窪川で鶴次郎で、結婚後
     は夫の非合法活動を支えるために、稲子が働いた。
     なのに、たびたびの窪川の不倫で離婚。
      
     なんと佐多稲子というペンネームを使うようになった
     のは離婚後のことだとか。
     (それまでは窪川稲子という本名で書いていた)

     私が彼女の作品で一番好きなのは「水」という短編。
     
     東京に働きに出た幾代という少女が、突然の母親の訃報
     に上野駅のホームで泣き崩れるシーンである。

     「グリーンのセーターに灰色のスカートをはいて、その
      背をこごめ、幾代は自分の膝の上で泣いていた。
      …………
      すぐ頭の上の列車の窓から、けげんな顔で人ののぞく
      のも知っていたが、どうしても涙がとまらず、そこよ
      りほかの場所に行きようもなかった」

     稲子58歳のときの作品である。
     文庫本でわずか数ページの短いものだが、これによって
     私は短編の妙味を知った。素晴らしい小説である。

    (写真は手元にある文庫本。この中に「水」が入っている)
 
     

女優 原泉

2012-10-20 19:06:09 | 人生
 


     原泉(1905-1989)
     
     女優・原泉といってもピンと来ない人が多いかも知れ
     ない。だがこの写真をみれば、ほとんどの人が ああ
     と思うだろう。

     主役をはる女優さんというよりか、見事な老け役で
     名脇役といった印象である。
     いつから老け役になったのか分からないが、私が見た
     ときにはすでにおばあちゃん役が多かった。

     (私が)都庁前すれちがったときは鶴のような細い首
     に渋い和服を召していらして、映画やTVドラマで
     見る上品な老婦人そのもの。
     都会の似合う洗練された女性という感じであった。

     なぜ女優・原泉に興味を持ったのか。多分彼女の夫
     がプロレタリア作家であり評論家の中野重治と知って
     からだと思う。

     そう、二人は同士であり、盟友でもあったのだ。
     そのせいか原泉はきれいで可愛いだけの女優という
     より、もの言う女優、ちゃんと考えをもっている役者
     だと思うようになった。

     さらにいえば、中野重治と作家・佐多稲子の関係で
     ある。
     佐多稲子といえば『キャラメル工場から』がデビュー作
     の実力派作家。
     しかもミーハー的にいうと、理知的な美人だ。

     佐多稲子は中野重治の死後、『夏の栞 中野重治をおく
     る』を書いた。
     これは中野のガン闘病記であると同時に、佐多稲子の
     筆力で恋愛小説につくられている。

     いったいどうなっているのだろう。この三人の関係は?
     いずれも理性のある知識人であるだけに不思議でなら
     なかった。 
     

     
     
     
     
       

都庁物語

2012-10-18 22:03:11 | 雑記



     きびしい残暑の残る9月中旬、所用で都庁付近に行った。

     用事があるのは新宿パークタワービルだったのだが、初めて
     の場所で道不案内だったので都庁を目指していくことにした。

    
     以前なら歩いて当然だったのに、暑さのせいにして地下鉄
     大江戸線に乗って一つ目。
     ああ、私もヤキがまわったものだ。

     
     地下鉄の出口から出ると、目の前には都庁の建物がそびえて
     いる。
     

     この付近は超高層ビル街で、住友ビル、三井ビル、センター
     ビルなどがひしめいていて、何かの会合や食事などで昔は
     結構利用したものである。

      だが、ずっと神奈川県民で、いまだ都民になったことのない
     私は一度も都庁の中に入ったことがない。
     いや、一回くらい物見遊山で入ったことがあったような気が
     するが、はっきりとした記憶はないのである。

     そういえば新宿西口と都庁の中間にある京王プラザホテルで
     は、親戚の娘さんと知人を通しての青年とのお見合いの席を
     とりもったこともある。
     縁談は成立しなかったけれど。

     そんなことをあれこれ考えていたら、ふとあることを思い出
     した。

     あるとき都庁前に差しかかったとき、女優の原泉さんとすれ
     ちがったのだ。
     
          

空とぶネコ

2012-10-13 14:47:02 | 雑記



     日々、進化するチビ猫の所業にニンゲンが振り回されて
     いる話は前回述べた通り。

     これに刺激をうけたのか、先輩猫のマロが急に元気づい
     たのには驚いた。
     なんと、ひがな一日丸くなって寝ているだけの
     (たまに掃除機をかけにいくと薄眼をあけて見るていど)
     マロが、ギザギザの網をジャンプして、気がついたら階下
     に降りてくるようになったのだ。
     メタボで老体の体をおして、である。

     これは老猫の脳がチビ猫によって活性化したとしか思え
     ない。
     よくニンゲン界でも、老人施設に幼稚園児が訪問すると
     お年寄りが元気になるというが、それと同じことなのだ
     ろうか。

     私はわが身に置きかえ、う~んとうならざるを得なかった。

     
     しかし、さすがにマロは階段の下からはジャンプできず、
     人が境のしきりを開けてくれるのをじっと待っている。
     これはこれで厄介だが。


  
     一方のチビ猫は、往復のジャンプなんてお手のもの、下に
     降りたら最後、わずかなスキをねらって戸外へ。
     あっ、と声をあげる家人をあざ笑うかのように一目散に
     飛びだしてゆく。
     どこでどうしているのか、夕方、いつの間にか帰ってきて、
     二階で素知らぬ顔をしてエサを食べたりしている。

     
     ニンゲンは当然それに対処すべく、これまで以上に知恵を
     しぼりましたよ。
     例えば、少し涼しくなったことを幸い、網戸にすることは
     避ける。
     洗濯ものを干すときも極力、戸を開けっ放しにしない。
     玄関を開ける際も目配りを忘れないように、等々。

     家人はもちろん、日によってわが家にお出でになるベビー
     シッターさんにも協力をお願いした。
     
     ところが、ところがである。
     このチビ猫、二階のベランダから飛び降りたのだ。

     これを目撃した家人はただもうびっくり。
     「猫が空を飛ぶのをはじめて見た!!」

     二階のベランダから下の庭まで5~6㍍以上(?)はあろ
     うか。
     ついでにいえば、チビ猫の名前は「そら(空)」であった。

     「空とぶ空?」
     いったい猫の身体的能力はどこまであるのか。

     こうなったらベランダにも出さず、窓という窓を閉め
     きって厳戒態勢をしかねばならない。
     秋晴れの日など、家の中の空気も入れ替えたい。
     そのためにチビ猫を一部屋に押し込めようものなら、
     ギャアギャアうるさいのなんの。

     現在のところ、名案なしの状態が続いている。
    
     (写真は不意に訪れるお客のために貼った玄関の張り紙)     

     
    

     

魔女って?

2012-10-08 19:36:53 | 行事



     あまり暑い暑いと恨みたったらしく書いたせいか、その翌日
     からめっきり涼しくなった。
     というか寒いくらいで慌てている。

 
     ああ、暑くもなく寒くもなくちょうどいい秋晴れの日はいつ
     来るのか。”にっぽん晴れ”なんて言葉、久しく使っていない。
     あ、またぼやきがはじまった。
     これって、こちらが急激な気温の差に対応できなくなったせ
     いだけなのかもしれない。

     この連休、あちこちで催し物がひらかれた。
     一昨日は鎌倉山の方から賑やかな声が聞こえるので出かけて
     みたら、”鎌倉山フェスティバル”をやっていた。

     といっても商店街というようなものではなく、自宅カフェ、
     自宅骨董店、自家製パン、自家製ケーキといった、(営業と
     いうよりは趣味で)自宅の一室を解放してやっている家が
     点在しているだけのもの。
     いつもと違うのはその庭先や道路に面した狭い空き地に
     フリーマーケットが出ていたことである。

     こういったも催しをどこで知るのか、結構マニア(?)みた
     いな観光客がきていて、それなりに賑わっているのだった。
     
     私はウクレレのライブを楽しませてもらっているうちに寒く
     なり、その横に出ていたお店でハロウィンのカボチャと、
     バジルの小鉢を買って帰ってきた。

     
     聞くところによると、近頃は幼稚園やママ友の間で
     ハロウィンパーティーが流行っていて、一回だけの衣裳に
     子供のだけでン千円、親のも入れるとン万円にもなるのだ
     そうだ。
     そのうちクリスマスイベントのようにハロウィンも一般化
     するのだろうか。

     帰ってNHKの俳句番組をみていたら、こんな句が入選句
     に入っていた。
 
       もう魔女になれぬ齢や ハローウィン

     あれ、魔女ってたいがいおばあさんじゃなかったけ?      
  
     (夜、ライトの下で撮ったのでぼやけた写真)
 

     

百日紅

2012-10-06 18:19:27 | 自然



     10月も1週間が過ぎたというのに、まだ暑い。
     通学の女子高生は9月になったとたん紺色のセーター
     を着ていたけど、あれはおしゃれだろうか。
     
     こちらはまだ夏の暑さが体中に残って抜けない。
     TVで今日の最高気温は26℃というが、体感的には
     28~30℃くらいあって、とてもおしゃれどころで
     はないのだ。

     かくして、夏中着ていた(着くたびれた)Tシャツが
     手離せない。
     いい加減歳をくっているのだから、たまにはシックな
     装いをと思うのだが、着やすさが先にきてしまう。

     暑いせいか、真夏の花の百日紅がまだ咲いている。
     子どもの頃はサルスベリと呼んでいた。
     サルが登っても滑るというが、猿が聞いたら
     ナメンナヨというだろうか。

     百日紅は耐病性があって扱いやすいせいか、最近は
     公園や近所のお庭などにもよくある。
     でも私は車で走っていて、ふと通りすがりのお寺などで
     見かけると何ともいえない気持ちになる。

     庭木や街路樹だと、どうしてもちまちまとカットしてし
     まいがちだが、お寺などにあるのはよく茂って伸び伸び
     しているのが好もしい。
     そういえば、こんな句があった。

       無住寺と人はいふなり百日紅  
                     正岡子規

     子規は旅をしていて、こんな寺を見つけたのであろうか。
     最近の人の句ではこんなのも。

     
       百日紅 きのうのことは存じませぬ

     (俳誌「里」に載っていた新田美智子さんという人の句)
     

     「昨日のことは存じませぬ」
     ずいぶんシレッとした物言いである。
     この暑い夏、百日も咲きつづけるにはこれくらいの図太い
     神経がなければやってらんない。
     昨日のことにうじうじ拘泥していたら、身がもたないし、
     目の前にはやることがいっぱいだ、
     な~んていうのだろうか。

     「昨日のことは存じませぬ」
     ああ、一遍いって涼しい顔をしてみたい。
     
     

     
     

       
     

今年の案山子

2012-10-02 16:42:19 | 雑記



     ときどき通る道路沿いの小さな田圃に今年も案山子が
     立った。
      だが、この手作りの案山子も虚心では見れない心境である。
     

     先日、故郷(福島県南相馬市)の知人Sさんから便りが
     あった。
     Sさん夫婦は娘さんの嫁ぎ先の埼玉県にしばらく避難し  
     ていたのだが、昨年秋に故郷の奥さんの実家に一時戻ら
     れた。

     その間、月に2回ほど、埼玉の病院に入院したままの
     義母(奥さんのお母さん)を見舞うため600㌔を車で
     往復。何度も道を間違え、限度だったとか。

     そのため今年の2月に思いきってつくば市に転居、幸い、
     お義母さんも同じ市内の病院に転院できたのだという。     
     Sさんご夫婦にとって、これで8回目の転居となる。


     故郷の自宅は現在、警戒区域から避難解除準備区域と
      なり、掃除などで入ることはできるが、寝泊まりはでき
     ない状態にある。
     (これまではいちいち申請を出して許可をもらって
      1~2時間の滞在のみ可能だった)

     現在は60坪の畑を借りて秋野菜から冬支度の準備に
     汗を流している。
     妹さんのところに預けていた、しば犬のゴンを引きとり
     ようやく落ち着いたといわれるが、これまで一日たりと
     安穏な日はなかったであろう。

     
     晴れた日には掃除を兼ねて家屋に風を入れるために自宅
     に向かう。
     唯一の鉄路であった常磐線は茶色に錆び、場所によっては
     丈高い草におおわれ、小鳥やカラスのいない住宅付近は
     野生のサルやイノシシが出没、見たことのない不気味な
     沈黙の光景に化しているとか。

     それでも故郷の空は今日も澄みきって、イワシ雲がたな
     びいている。
     だが、田畑にはかつてのような秋の実りのいろはないと
     結んでいる。

     
     Sさんは書を愛し、なかなかの読書家でもある。
     
     故郷の田畑が秋の色に染まる日は、いつになるであろう。
     近くの小さな田圃が色づくのを見るたびにSさん夫婦を
     思い、故郷の空に思いを馳せるしかできないでいる。