一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

目覚まし時計

2016-10-30 07:08:11 | 雑記


       みなさんはどんな目覚まし時計を使っておられる
       のでしょうか。

       なかには時計をセットするが、必ずその5分前
       に目を覚ますという達人もおられます。

       私がいま使っているのはアラームが鳥の鳴き声に
       なっているもの。

       ウグイス、コルリ、クロツグミ、ホオジロ、
       カッコウ、アカショウビン、イカル、ランダム
       (最後2つはどんな鳥なのでしょうか)

       とあって好きなものを選べるようになっているの
       ですが、私がいちばん気にいっているのは
       カッコウです。

       カッコウの初夏を思わせる爽やかな感じがとても好き。

       年中、初夏の装いというのもナニだけどォ。
       だけど困ったことに、あまり気持ちよくて、
       いつの間にかアラームを止めて二度寝してしまうのです。
       自然にアラームを止める技は取得したようで(笑)。

       それからが最悪!

       二度寝はたいてい夢を見ます。
       そして、その夢はろくなことはない。
       学校に遅刻したとか、約束の日を忘れてしまったとか、
       トイレに行きたいのに見つからないとか……。

       あの焦燥感って、何でしょうかね。
       何か、トラウマがあるのでしょうか。

       だいたい私の睡眠の質はよくないです。
       だらだらと寝ていたい。
       夜、すぐ眠れるのは有難いけど、昼間も面白くない本
       なんか読んでいると、すぐ眠くなってしまう。

       たくさんの歌を詠み、12人もの子だくさんだった
       与謝野晶子も嘆いていました。
       死んだらいくらでも眠れるのに……と。

       本当に同感です。
       冥途に行ったらいくらでも眠れるのです。
       せめてこの世ではメリハリをつけて生きたいものです。
       
       それにはまず、睡眠の質を上げなければ。

       


  

猫の手術

2016-10-29 07:04:30 | 雑記


        わが家の猫(アメリカン・ショートヘア♂)が
        ある日突然、餌を食べなくなった。
        2日ほど様子をみていたがネコハウスのなかで
        じっとしている。
        思いなしか痩せたようである。

        家人が近くの犬猫病院に連れていった。
        調べてもらったら膵臓に悪性の腫瘍ができている
        という。
        そこでは手術ができないので紹介状を書いてもら
        って川崎の日本動物高度医療センターへ連れてい
        くことになった。

        手術日が決まり、その日は家人が仕事の都合を
        つけて立会うことに。
      
        いやはや。
        猫といえど、人間並みである。
        
        思わず私の口から出たのは
        「猫のホスピスはないの?」
        だった。

        猫(名前はマロ)は飼って15年目になる。
        そろそろ寿命ではないか、という思いが頭を
        過ったのだ。

        大手術(痛い思い)までして生かしていいのか
        どうか。もしホスピスがあったなら、安泰に
        してさいごを送らせてもいいのではないか。

        ホスピスに対して家人の返事はなかった。

        ともあれ手術が終わり、一週間ほど入院して
        先週、帰ってきた。

        マロは元気になった。
        傷口を舐めたりひっかいたりしないよう、
        エリザベスカラーをつけてうっとうしそうだが、
        餌も食べはじめた。

        改めて感心したのは
        動物は具合が悪くなると餌も食べず、じっとして
        いること。
        昔は飼い猫が姿を消してしばらく見ないと思った
        ら、縁の下などでひっそり死んでいるのを発見
        したものだ。

        人間なら痛いの苦しいのと、さぞ訴えるであろう
        に。
        野性の動物は本来、そういうものなのであろう。

        そして、調べて唖然とした。
        猫の寿命は10~16年とか。
        さらに、
        飼って15年とは人間の年齢に換算すると
        (諸説あるが)
        72歳くらいなのだそうだ。

        ならば、マロは私とほぼ同年齢!!

        私にもし、今、悪性の腫瘍が発見されたとしたら、
        どうするか。
        一度も手術をしないで、安易にホスピスという
        選択はしないだろう。

        猫の手術は他人(猫)ごとにではなく、急に身近
        なものとなった。

       ※ エリザベスカラーをつけたマロ
         ベランダに出たくてドアを開けてくれるのを
         待っている。        

        

        
        
        
        

        

やりたいこと できること やらなければならないこと

2016-10-23 08:18:47 | 雑記


        登山家の田部井淳子さんが亡くなった。
           
        昨日、ヤフーニュースで知ってあっと声を出した。
        それが今朝、朝刊をみて現実のものとなった。

        享年77歳。まだまだ若い。
        女性初のエベレスト登頂という金字塔をつくりあげ、
        その類まれで強靭な体力、知力、精神力でもって
        「死」というものがなかなか結びつかない。

        生命あるもの、必ず死ぬということが分かっていて
        も、いつ死ぬか分からないところが難しいところ。

        いつか何かで読んだ言葉を思い出した。

        ① I want to do
        ② I can do
        ③ I have to do

         やりたいこと、できること、やらなければならないこと
       とは違う。
       この三つのdoのうち、③ばかりだとつらいし、ストレス
       がたまってしまう。
     
       常時②ばかりに安穏としているとマンネリになって新鮮味
       がない。
       ①を夢みて、そればっかり口にしながら少しも挑戦しな
       いというのも寂しい。

       人生は①②③がうまくバランスよくできているのが
       楽しいのかもしれない。
       できることと、やらなければならないことを優先して
       たまには新しいことに挑戦する。

       それが楽しく生きる必須かも。
       そのためには心身健康でなければ……。
       呆けているヒマはなさそうだ。

       ※ 田部井淳子さんの登頂に敬意を表して

        

一十百千万

2016-10-22 08:09:30 | 雑記


          先日、ある人から面白いことを聞いた。
          
          「一十百千万」が大事なんだって。

          何のことかと思ったら、なるほど。


          「万」は一日一万歩あるくこと
          これは難しい。歩くことは好きだけど、時間が
          取れない。5000歩ずつ2回すればいいのだ
          が、それには散歩と、他の外出(図書館や買い物)
          などを入れなければならない。

          基本、急ぎの用事や雨天の時は車を使うし、
          生活の質と健康アップとのバランスを取るのが
          なかなか大変なのである。

          「千」は千語を読む、しゃべる、書く等々。
          これは案外こなしているかもしれない。
          新聞も走り読みにしても一応読むし、本も必要
          欠くべからずのもの。
          「書く」こともワードでならそれくらい書いて
          いるかもしてない。
          「しゃべる」に関しては、出かけさえすれば、
          体操教室でもどこでもしゃべる。
          ただ、家にいたのではしゃべらない。
          
 
          「百」は階段を百段のぼること。
          これは散歩で可能である。
          いつも歩く散歩コースで森の中に入るのに、毎日
          200段はのぼる(あちこち合算して)。
          もともと鎌倉はアップダウンの土地が多いので
          脚はきたえられる。
  
          友人は家の階段を昇り下りするだけでもOKと
          いっていた。

          「十」は一日十回は大声で笑う。
          これは家のなかにいては駄目。何かの会合に出れば
          大声で笑う機会が多いが。
          
          これが「一」番健康でぼけない方法だという。
 
          これを教えてくれた友人は年に2~3回は海外に行く。
          それには70代後半、80代の方もいて、みな好奇心
          旺盛で、率先して遺跡めぐりや観光地を歩いていて、
          話も前向きなのだという。
          
          友人は元気な高齢者に共通しているのは「好奇心」
          ではないかといっていた。
          なるほど、キーワードは「好奇心」かもしれない。
          
          つまり、ひきこもりは最も忌避すべきこと。
          身体の健康にも影響するし、痴呆症にもなるという
          ことか。
          
            
          ※近所の家の萩
          

シニア世代

2016-10-16 07:34:47 | Weblog


         昨日のブログで古稀を超えた世代を「枯葉期」と
         いって気になっていたが、
         「シニア世代」が妥当かもしれない。

         そのシニア世代、なかなか難しい。

         散歩の途中、道路から少し引っ込んだところに
         新築の家があった。
         ちょっと普通の家にしては駐車場が広いし、造りも
         変わっているなと思っていたら、民間のディサービス
         施設だと分かった。

         夏ごろから高齢者を送り迎えする車が出入りしていて、
         朝と夕方、ヘルパーさんに手を取られて車に乗り降り
         する高齢者の女性の姿が見られた。
    
         なぜか女性ばかりで男性の高齢者は見かけない。
         たまたま私が見かけたのが女性だったのかもしれない
         が、男性の高齢者はこういうところには来たがらない
         のだろうか。

         あるいは他の理由があるのかどうか、真相は定かでは
         ない。

         高齢者のディサービスとあって、私も前を通るときは
         なんとなく気にして見ているのだが、
         時折、歌なんかうたっているのが聞こえる。
         夏場は窓を開け放していたので、テーブルに折り紙
         らしきものがあるのがちらっと見えたりした。

         私は自分がそういう立場になったらどうだろう、と
         考える。
         折り紙は鶴も折れないし、
         「さあ、童謡をうたいましょう」
         といわれても素直に従えるかどうか。

         そういえばちょっと前に78歳の女性が
         〈私は怒っている〉というタイトルで投稿していた。
         記事によると、
         役所に用事があって出かけたのだが、間違えて一日
         早く行ってしまった。
         窓口の対応は、
         「おばあちゃん、登録は明日ですよ。いい? 
          明日ですからね。間違えないでね。大丈夫?」
         と幼児にでも話すような言葉であった。

         それに激昂しているのである。
         文字で書くとニュアンスが伝わりにくいが、
         その様子は手に取るように分かる。

         その女性の言い分はこうだ。
         78歳といっても何でも自分でしている。
         確かに日にちを間違えたのは悪いが、何も幼稚園児
         にいうような言葉つかいをしなくてもいいではない
         か。

         まあ、女性の自尊心がおおいに傷つけられた、と
         いうことではないだろうか。
         こういうことで、自立した高齢者が自信をなくす
         ことはよくあることだ。

         係員にしても悪気があったわけではないだろう。
         しかし、見た目で高齢者をうとんじたり、軽く
         あしらったりする場面もないではない。

         それを防ぐにはどうすればいいのか。
         どっぷりとシニア世代に浸かっている私だが、
         なかなか悩みは尽きない。


         ※ 通りすがりに見た畑のほうき草

         

         
         
         

思秋期

2016-10-15 10:49:17 | 雑記


         ここのところようやく秋らしい天候になったと思ったら、
         暖房が欲しいほどの寒さにあわてて長袖や上着を探しだ
         している。
         ついこの間までクーラーを入れていたのに。
         ガソリンスタンドのお兄ちゃんが
         「これじゃ四季ではなくて二季ですねえ」
         といっていた。


         森のなかを歩いていて落ち葉を踏むとカサコソと音が
         する。
         この陰には冬の気配がひそんでいて、つい、自らの
         来し方行く末なんぞを思ってしまう。

         先日、人と待ち合わせをしていて時間があったので
         本屋で立ち読みをした。

         『思秋期』(林真理子・和田秀樹対談)

         思秋期とは思春期に対峙する概念として提唱される
         心理学の用語なのだとか。
         身体や精神に衰えがみられる時期のこと。
         思春期同様に精神的に不安定であるのが特徴らしい。

         「思春」に対して「思秋」とはよくいったものねえ。

         つまり大人から老人に移り変わる時期のことで、
         枯れない老後を過ごせるかどうかは、思秋期次第なの
         だそうだ。

         「人生の九割は思秋期で決まる!」
         なんていう過激なのもあった。

         男おばさん、女おじさんにならないためには、
         日頃から好奇心をもって前頭葉を使うことだという。

         ここまできて、私はようやく気づいた。
         思秋期とはいわゆる中年期のことで、40~60歳
         くらい。

         では古稀を超えたら何というのだろう。
         「枯葉期」かしら。ハハハ
         
 
         

  

         
         
         

         
      

         

小さな物 つづき

2016-10-10 10:17:27 | 雑記




         今朝も台所の床に水をこぼし、ぞうきんで拭いた。
         昨日は出先で雨に降られ(傘を持っていなかったので)
         帰宅してすぐ足を雑巾で拭きとった。

         このように困ったときに即出番となるのに、ふだんは
         ぞんざいに扱われるぞうきん。

         そういえば「ぞうきん」という詩集があるのを思い
         出した。


         <すぐ忘れられる ぞうきん
          台所のすみに小さくなり
          むくいを知らず
          朝も夜もよろこんで仕える
          ぞうきんになりたい   >

         牧師であった故・河野(こうの)進さんの詩集である。
         こんなのもあった。

         <まっ黒い ぞうきんで
          顔はふけない
          まっ白い ハンカチで
          足はふけない
          用途がちがうだけ
          使命のとおとさに変わりがない
          ハンカチよ
          たかぶるな
          ぞうきんよ
          ひがむな     >


         小学校の教師であったある人がいっていた。
         若い頃、産休、育休の代替教員で学校を転々として働き、
         子どもたちに慣れた頃に辞めなければならない。
         そんなとき、自分は使い捨てのぞうきんのようだと
         惨めな気持ちになり、世の中をのろったりした。
         だけど、この「ぞうきん」の詩で、それぞれの使命が
         あるのだと知らされたという。


         長い人生、ねたみそねみは付きもの。
         そりゃ、失敗したときなど、これが私の運命などと諦める
         こともできず、思わず他をのろったりすることもあるさ。
         そういうときに、こんな詩を読んだら心にしみるのだ
         ろうな。
         ぞうきんはぞうきんで使命を果たせばいいのだ。


        ※ 『ぞうきん』 河野進 著
                    幻冬舎
           
         
 

小さな物

2016-10-08 11:35:54 | 雑記



       先日、「小さな働き者」と題して<洗濯ばさみ>
       をよんだ歌が新聞に載っていた。
       その記事がいつまでも頭に残っているので
       それを紹介したい。
       (歌人・松村由利子さんの「うたのスケッチ帳」)

       
       「薄暗い部屋で私を出迎える
                 洗濯ばさみのAの倒立」
                         松村正直

        365日、毎日洗濯ばさみにはお世話になって
        いる私だが、それをこんな感覚で接したことは
        ない。
        たしかに「A」の倒立……、うふふと笑えてくる。
        どうしてこんな発想が出てくるのだろう。
        それは、やわらかな感受性、身近にある小さなもの
        への愛しさなのかもしれない、と羨ましくなった。
        

        「群よりはぐれ洗濯ばさみがとめてゐる
               ポテトチップスの袋の口を」
                         梅内美華子

        私もよくやる、お菓子や小麦粉の袋……など、
        すぐ洗濯ばさみで止める。
        それだけでなく郵便物も、家族へのメモも、時に
        は資料も。
        クリップでは心もとなくて、洗濯ばさみの方が
        安心する。
        まだまだある。本の読みかけも、ピアノの楽譜
        止めも洗濯ばさみの登場である。
        そんなに毎日使っているのに、私の雑さ!
        
        
        「風の日のゆれるこころを留めておく
                 淡青色のせんたくばさみ」
                         杉崎恒夫


        これは洗濯物だけではなく、揺れる心に注目した
        のだろう。
        なんという繊細さ、心にくいほど。
        誰にだって、気持ちがざわついて揺れることが
        ある。
        それを洗濯ばさみで留める、なんて……。

        私はこんな素敵な感性を持ちあわせていない。

渋谷界隈

2016-10-02 08:12:42 | 名所



         10月、神無月の出発もお天気が芳しくない。
         
         そんななか、用事で渋谷に行き、ちょっと時間
         が空いたので与謝野晶子が鉄幹と住んだあたり
         を歩いてみた。

         道玄坂を少しのぼって、左手にあるロッテリア
         を曲がり、迷いに迷ってようやく見つかった。
         「東京新詩社跡」と書かれた表示(モニュメント)
         である。

         鉄幹は前の妻との生活を精算してここに家を借り、
         大阪・堺から家出同然に出てきた晶子を迎え入れ
         た。現在の大都会の雑踏が想像しにくい、
         まだ渋谷村と呼ばれていた頃である。

         晶子もまだ田舎からぽっと出の娘のようであった
         ろう。おもしろいエピソードがある。
         与謝野家に長くいたお手伝いさんは前の奥さんに
         加担して、髪の長い晶子をお化けのようだと
         悪口を(前の奥さんに)告げたという。

         そんなことはどこ吹く風、晶子はのびのびと歌作
         に専念し、その才能をいかんなく発揮した。

         当時、鉄幹は旧態依然とした歌壇の世界を変え
         ようと「明星」を発表し、文壇の風雲児として
         一躍脚光をあびていた。
         一方の晶子も同棲二ヶ月にして歌集「みだれ髪」
         を出版、歌壇を仰天させた。

         「その子はたち櫛に流るる黒髪の
                  おごりの春の美しきかな」
         「やわ肌のあつき血潮のふれも見で
                  さびしからずや道を説く君」

         
         こののびやかな歌はどうだろう。
         現在(いま)みても実に奔放な歌である。
         斬新でセンセーショナル、挑戦的ですらある。
         それは文壇のみならず社会に大きな衝撃をあたえ、
         批評が錯綜した。

         歌人の佐々木信綱は
         「著者は何者ぞ。あえて此の娼妓、夜鷹輩の口に
          すべき乱倫の言を吐きて、淫を勧めんとはする」
         と晶子を売春婦扱い。

         一方で評論家の高山樗牛は
         「その歌詞新たにして高く、情清くして濃。たしか
          に一家の風格を備えたり」
         と絶賛した。

         旧い文壇の体質にあきあきしていた若者の心を
         とらえたことはいうまでもなく、新詩社には文学
         を志す青年がたくさん押し寄せた。
         その中には石川啄木や北原白秋などもいた。

         鉄幹と晶子が渋谷に住んだのは四年間である。                        
          

コンビニ事情

2016-10-01 08:35:14 | 雑記

         

         今日から10月、
         コンビニにおでんが並ぶ季節になった。
         その横におせち予約のチラシがあったりして、
         あわてる。そんなに急かさないで、とチラシを
         横目にムッとする。

         ところで、コンビニの歴史は40年だそうだ。
         そういえば我々の世代が子育てしている頃、
         はじめてコンビニという名前を聞いたわねえ。

         食い盛り、育ち盛りの子どものいる家庭にとって
         コンビニは縁のない世界であった。
         カレー、鶏のから揚げ、おでん……、どれをとって
         も作る量はハンパない。
         それをコンビニで買っていたら、とても高価なものに
         なってしまうだろう。
         牛乳、ヨーグルト、野菜などもしかり。
         
                  
         その印象がつよくて、いまだに食料品はなかなか
         買えないのだが、それがどうだろう。
         高齢化一途の昨今、コンビニは結構便利なところ
         という認識に変わっているのだそうだ。

         80代の独り暮らしの女性いわく。
         「昔は1円でもやすいスーパーに行っていたが
          足がわるいこの頃は10円高くてもコンビニで
          済ます」
         
         なるほど、近くて便利、無駄な食糧を出さない、
         その都度使いきる、という点で、高齢者にとって
         コンビニは使い勝手がいいのかもしれない。

         まだまだ私はそこまでいかないが、
         かといって、振り込みはコンビニで済ますし、
         ついでにドーナツを買ったりする。

         それから、旅先で結構重宝したことを思い出した。
         ホテルの朝食をうっかり予約していなかった時
         など便利。
       
         ホテルの近くには24時間営業のコンビニが
         たいがい在る。
         朝、散歩がてら外に出て、コンビニに立ち寄り、
         作りたてのサンドイッチ、たっぷりのコーヒー、
         ヨーグルトなど、ついでにフルーツを買ったり
         しても、ホテルの朝食の半値ほどで済んでしまう。
         淹れたてのコーヒーがうれしい。
         

         現在でも出先でふとコーヒーが飲みたくなって
         コンビニに寄ることがあるから、まんざら縁が
         ないわけではない。

         というわけで目下、私にとって
         近くて遠い、遠くて近いコンビニなのである。