一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

寂しくて、つまらない

2014-05-25 18:13:03 | 雑記


      「寂しくて、つまらない」
      これ、私のことではありません。
      ちょっと前に新聞に載っていた「人生
      相談」です。

      要点を書くと、
      「夫はカメラなどの趣味をもち、あと
      はパソコンに向かってばかり。
      旅行に付き合う気はなし。
      両親を看取り、娘や孫たちは忙しそう。
      好きだった読書も目が疲れる。
      寂しくてつまらなくて、どうしようも
      ありません」

      相談者は70代女性。
      同世代でもあり、心境がよく分かるだ
      けに身につまされます。

      この場合、回答はだいたい決まって
      います。
      「友達を持ちなさい。
       何か趣味はないのですか」
      といったもの。

      ところが、この日の回答は違った。
      これも概略を書くと以下のように。
      「人間は老境に入って、やがて死を
      迎えるのではなく、その前に無境と
      いうものがある。
      虚無というのではなく、欲徳や執着
      から解放される境のことをいう」

  
      さらに続きます。
      「無境に入ると、それまで思い悩ん
      でいたことがウソのように消えて、
      周囲を静かな目で見られるように  
      なり、他人を許せるばかりか、自分   
      も許せるようになる」

      「そしてそのご褒美に、過ぎ去りし
      日々の楽しかった出来事に記憶が
      もう一度よみがえるようになる。
      大丈夫ですよ。
      寂しさやつまらなさは、いっときの
      こと。
      貴女にもいずれ、無境のときがきま
      すから」

      という回答でした。
      (回答者は白川道という作家)

      これが名回答か「迷」?かは分かり
      ません。

      私に分かるのは、
      相談者はいま幸せなんだということ。
      家族に不治の病の人がいたら、そんな
      こといっていられませんから。
      その日、その時を過ごすのが精一杯で。

      そして、もう一つ、いえることは、
      人間はどんな人にでも幸福、不幸が
      ないまぜに押し寄せるということ。

      私もこの歳(とし)になって、
      ようやく分かったのです。

      えっ、じゃ不平はいわないかって?
      いえいえ、日常は文句たらたらです。
      
      

      ※ 2~3日前、近くの笛田公園の
       横を通ったら、ゲートボール大会
       でもあるのか、運動場にたくさん
       の年輩者が集まっていました。
       みなゼッケンをつけて、いくつも
       のチームに別れて。
       私には球を打ち興じる趣味はない
       ので、ほほえましく横目にみて通
       り過ぎましたが。
       彼らにもみな一様に幸福、不幸を
       感じるときがあるのでしょう。
       
       
       

      
    

深海生物萌え

2014-05-24 17:17:25 | 雑記


       深海にすむダイオウイカがあちこちで
       捕獲されたり、ちょっと前には何年間
       もエサを食べないで生きている
       ダイオウグソクムシが話題になった。

       これなんか、どう見てもでかいダンゴ
       虫にしか見えないのだが。

       驚くことに最近、若い女性の間で深海
       生物が大人気なのだという。

       どこの水族館でも深海生物の前は
       若い女性でいっぱいで、係官の話だと
       「水槽の前でじっと見入る女性が多い。
       深海生物のゆったりとして、ほとんど
       動かない様子に心ひかれるようです」
       とのこと。

       これまで「かわいくない」「不気味」
       とされたキャラクターがなぜ、そんな
       に愛されるのか。

       どうやら「キモかわいい」として、
       かわいいだけでは満足できなくなった
       女性のニーズにマッチしたらしいのです。

       もともと「萌え」とは植物の芽生えの
       こと。
       ここから未熟で幼いもの、さらには
       幼さのゆえに大事に護ってあげたい
       感情が生まれるだそうです。

       専門家によると、
       経済的な自立など、女性の立場が次第
       に強くなってきて、小さいものをいと
       おしむ、守ってあげたいという心理も
       生まれてきたのだというが。

       さらに、丸みを帯びると女性の「萌え」
       度はアップする。
       たしかに、
       曲線はかわいらしさや落ち着きを与えて
       くれるものね。

       それと、深海生物はまだナゾの部分が
       多くて、そこに神秘的なものを感じる
       のではないでしょうか。

       よく分からないもの、神秘的なものに
       惹かれるのは、人間の永遠のものです
       から。

       ※ 江の島水族館のクラゲコーナーで。
        クラゲも見ていて飽きない。

       
       

       
       

身の始末

2014-05-18 16:11:21 | 雑記



      「認知症で行方不明者がほぼ1万人」
      こんなニュースがこのところ立て続け
      に出ている。

      先日はNHKの報道番組をみていた
      家族から申し出があって、
      7年ぶりに再会したというニュース
      もあった。

      それに不随して、施設に入っていた間
      の生活費、介護費用(1000万円)
      を自治体が請求するとか、しないとか、
      現実のきびしさに愕然とした人も
      多いだろう。

      そんな中、私は新聞の折り込みチラシ
      に、スーパーの安売りと並んで
      「遺品、財産整理いたします」
      というのを見つけて、ぎょっとした。

      TVでは何回か観たことはあるけれど、
      ここまできたか、という感じ。

 
      つまり、一人暮らしの人が誰にも看取
      られることなく病気などで死亡し、
      しばらくしてから遺体が見つかる孤独
      死のケース。
      遺族に連絡しても忙しいとか、心情的
      に拒否して、代わって遺品整理をおこ
      なう代行業者のことをいう。

      最初は「すきま産業」だなと、興味
      深くみていたが、このところは業者が
      増えて、なかには
      「天国へのお引越しのお手伝い」
      などと銘打ったものもあるらしい。
      それだけ需要が多いということだろう。

      しかし、ただ単にゴミ屋敷を片づける
      とは異なって、その人の一生と向き合
      う仕事、
      生半可な気持ちでやれる仕事でない
      ことは確かであろう。

      ああ、生きるのも大変、
      死ぬのも大変である。
      

      
   
        
      

忘却とは……

2014-05-17 18:38:10 | 雑記



      「忘却とは……」といったら、
       往年の人たちはピンと来るだろう。
      「忘却とは忘れ去ることなり」と。
       さらに続く。
      「忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」

  
       ご存じ、「君の名は」のナレーションで
       ある。

       
       私自身はリアルタイムでは知らないの
       だが、母や姉から聞いている。
       またラジオやTVで何回も再現された
       から、まるで自分がその場にいたよう   
       な感じさえするのだ。

  
       来宮良子のナレーション、古関裕而の
       ハモンドオルガンで。
       当時のラジオドラマは生放送だったの
       で、劇中のBGMも古関が即興で演奏
       したのだとか。


       想い出ばなしはこれくらいにして、
       現在では
       「忘却とは生まれ来ることなり」
       なのだという。

       新聞によると、
       脳の海馬にある「歯状回」という部位
       で神経細胞が生まれることで記憶が
       失われ、「忘却」が起きることが
       マウス実験で確認した。
       (米科学誌サイエンス)

       逆にいうと、
       「嫌な記憶を忘れさせて
       心的外傷後ストレス障害などを治療
       する方法も期待できる」らしい。

       この実験は大人と子供のマウスを箱
       に入れて電気ショックを与えた場合、
       大人のマウスは学習から4週間後も
       記憶が残って足をすくませたが、
       子供のマウスは1~2週間後には
       すっかり忘れて、足をすくませるこ  
       ともなくなったという。

       マウスの実験ですか。
       何だかな~という気がしないでも
       ないが、
       何事もこうした実験からはじまるの
       だろうから、馬鹿にはできないかも
       しれない。

       ※ 通りすがりにみたお宅の前で。
        「庭のローリエです。
         ご自由にお持ちください」
        と書いてあった。

メタボより低栄養

2014-05-11 18:10:08 | 雑記
      
       


           

       檑亭の昼食メニュー 

         せいろ     \882
         山かけそば   \997
         そばとろ    \997
         天ぷらそば   \1522

       
       他にそば定食や、本格的な会席料
       理などもありますが、
       昼食にはちょうど手ごろともいえ
       ます。
       (庭園には甘味処の露庵もある)       
       

       これからの暑いとき、
       お蕎麦をつるっといきたいところ
       ですが、
       最近は低栄養に気をつけましょう
       といわれる。

       低栄養とは、エネルギーとたんぱく
       質が不足した状態で、
       蕎麦などはそれの典型的な例で
       ありましょう。

       肥満やメタボよりも警戒が必要な
       低栄養。

       とくに高齢になると、消化機能が
       落ちて栄養や水分が充分摂取でき
       なくなり、
       それがゆくゆくは寝たきりや、
       認知症につながるのだという。

       いやですねえ、
       かつては肥るから食べるなといわれ、
       今では食べろ、食べろといわれる。
       
       万事、うまくはいかない。
       自然にまかせて、いずれ消滅するの
       は許されないらしい。
       
        

檑亭(らいてい)

2014-05-11 17:48:39 | Weblog


      ともあれ、天界への階段を登って
      お蕎麦でも食べましょうと
      檑亭へ。

      檑亭は鎌倉山が宅地開発された
      当時の様子を伝える貴重な建物
      で、鎌倉市景観重要建築物に
      指定されている。

      廻遊式庭園になっていて、石仏、
      石塔、竹林、梅林、季節の草花
      が楽しめる。

      3・11の地震の後は石仏や石塔
      が倒れたりしたが、
      現在は修復している。
      (震災の後、郷里の避難組をつれて
       ここ神奈川にいる同級生たちと
       訪れたのであった)

      ところで「檑亭」の名前の由来だが、
      「檑」は「すりこぎ」のこと。
      古来、すりこぎは山椒の幹で作るの
      か最上とされ、
      昔、この地に山椒の木が多くあった
      ことからつけられたのだという。
      ちなみに現在、山椒の木はさっぱり
      見当たらない。
   

     ※ 写真右は八角堂。
      奈良の法隆寺を模して建立された。
      ここが庭の中心部で、
      「まんだらが丘」と呼ばれている。
    
      左は藁屋根の数寄屋風で、奥に茶室
      がある。
      

天界への階段

2014-05-10 17:57:57 | 雑記



      ついでといってはナニだが、ここまで
      きて触れないのは胸くそわるいので、
      最後まで書いてしまおう。

      夫婦池の上池を奥まですすむと、
      木の枠を組んだ急な階段がある。
      「く」の字を3回ほど曲がるように
      踊り場(?)ができているとはいえ、
      かなり急な階段で、一気には登れない。

      私はひそかに「天界への階段」と呼ん
      でいるのだが、
      確かにハアハアいって昇れば、
      (かなりきつい!)
      別天地の趣きではあります。

      別に下が地獄で、上が極楽だとひがん
      でいるわけではありません。
      下の生活地帯にいる私としては、
      気が向いたときだけ、この急な階段を
      登って
      「浄土にお邪魔します~」という
      感じなのだ。

      いわゆる鎌倉山の森林で、前方には
      江の島をのぞむ眺望がひろがる。
      森のあちこちにケーキ屋さんやティー
      ルームが点在し、
      奥まったところには、
      ときどき婦人雑誌に登場するホルト
      ハウス房子さんのお店もあります。

      (ミーハー的にいえば、子息の不祥事
      で早朝の番組を降板したキャスターの
      M氏の大邸宅も)

      あ、私はこんなことをいうつもりで
      はなかった。

  
      階段を登りきってちょっと左にいくと、
      蕎麦処、会席の「檑亭(らいてい)」
      があって、ここの蕎麦がおいしい。

      こんど道を聞かれたら、
      ここを教えようと思っていたのです。
      下(の世界)にはレストランも食堂も
      ないのだから。

      ※ 階段を上から見たところ
       カメラアングルが悪くて
       急なこう配がうまく撮れない。
      
      

山フジ

2014-05-05 18:55:05 | 自然



     今日、夫婦池の横を通ったら、
     なにか知らない鳥がきていました。

     池のほとりの看板には
     「キビタキ、カワセミ、アオゲラ、
      アオジ、シジュウカラ、メジロ、
      コゲラ、ウグイス、ホトトギス」
     といった小鳥の写真があるが、
     私の目には何が何だか区別がつき
     ません。
     (メジロくらいは分かる)

     そういえば私がカワセミをはじめ  
     て見たのもここだった。


     よく写真集などで見る、青い宝石
     と呼ばれるやつ。
     湖沼の枝や石などに止まって、
     じーっとして。
     思索する鳥!といった趣さえ感じ
     られた。
     ただ単に、エサをねらっているの
     かもしれないが。


     背中の青色と腹部のオレンジ色の
     コントラストは何ゆえか。
     自然は無駄なものをつくらないと
     いうから、なにか意味があるので
     しょうね。
     それにカワセミは案外小さいのに
     も一驚です。
     (雀よりも小柄に感じられました)
     

     そのときもつい引き込まれて見て
     しまい、携帯の写真を撮るのも忘
     れてしまった。

     ※ 今日の夫婦池
      山フジって、猛々しいのにも
      びっくり。
      藤娘を思わせる庭フジとはまっ
      たく別物です。

夫婦池

2014-05-05 18:15:57 | 自然


       夫婦池は、今から330年前の江戸
       時代、天領のころ、
       当時のお代官(成瀬五佐衛門重治)
       が笛田村に灌漑用水として掘らせた
       ものらしい。
              

       そういえば、各地にある池は
       農民が困らないよう、用水のために
       つくられたものが多い。
       こんなところにも営々と稲作で
       培ってきた日本人の歴史が感じ
       られます。

       ここ夫婦池は、  
       上池と下池の2つあって、
       橋で分けられている。

        
       池には鯉と亀、お天気のいい日には
       亀がぷかぷか浮いてきて、甲羅干し
       をしていて、まっことのどか。

       
       ふだんはあまり人も来ない。
       たまに地元の人が犬をつれて散歩し
       たり、鯉にパンをやっているくらい
       です。

      
       ※ 桜のころの夫婦池













       
 
       

       

道を聞かれる

2014-05-04 17:28:21 | 雑記


     超のつくほどの方向音痴である私は
     東京に出ると、とたんに方角が分か
     らなくなる。

     めったに行かないが、たまに画廊を
     覗いたり、友人と待ち合わせるため
     銀座あたりに(年に1回くらい)
     出ることがある。
     そんなときに地下鉄の改札口を出た
     時にゃ、目も当てられない。

     思えば、私は18歳で東京に出て
     きてから、ずっと道に迷っている
     気がする。
     つまり、この齢になっても田舎者の
     気風が抜けないのだ。

     まあ、そんなことはどうでもいい。

     いくら地図をながめても、道路標識
     をみても(見れば見るほど)分から
     なくなる。若者なら何のことない、
     スマートフォンでさっと調べてしまう
     のだろうが。
     (残念ながらスマホは持っていない)

     なので、いつからか駅員なり、売店の
     スタッフなり、通行人なりに道を聞く
     ことにしている。
     (田舎者丸出し!)

     ありがたいことに、みなさん、とても
     親切に教えてくださる。

     
     そんな私が、逆に道を聞かれる羽目に
     なった。
     場所はわが家の周辺で、
     買物の帰りに、散歩の途中など。

     断わっておくが、
     わが家のあたりは観光地ではない。
     
     だが、時折、観光客が迷いこんでくる
     ことがある。
     たいがい、家から数分のところにある
     夫婦(めおと)池か、現在つつじが美
     しい仏行寺あたりがお目当てらしい。

     何の目印もない住宅地なので、
     みなさん地図を上にしたり横にしたり
     して途方に暮れておられる。

     今日は熟年のご夫婦、昨日は一人旅の
     女性であった。

     「私も同じ方向ですので、途中まで
      ご一緒しましょう」
     私は、銀座の恩を、鎌倉で返す、
     つもりで嬉々としてご案内する。

     
     道々、お天気のことや、盛んに聞こえる
     ウグイス、ホトトギスのことなど話して
     あっという間に、お別れの時間に。
     「助かりましたあ」

     これも一期一会。
     ああ、かくして今日も終わってしまった。

     ※ 夫婦池に立っている案内版