一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

1年も終わり

2017-11-26 07:41:23 | 雑記


       朝晩はさすがに冷え込むが
       日中は小春日和がつづいた昨日、
       通りかかった田んぼで「はさ掛け」をみた。

       鎌倉にも田んぼがあって、
       農家の方が家で食べるためだけにお米をつくって
       いるのだろう。

       農家生まれの私は一つ一つの作業がなつかしい。
       今となってはお米をスーパーや宅配便で買う身だが、
       晩秋の田んぼの近くを通るときの乾いた稲の匂い
       に、子どものころの思い出がよみがえる。

       いくら機械化がすすんでも、
       お米は人の手作業なしには成り立たない。

       春先の田おこしにはじまって
       5月の連休のころの田植え、
       苗の植わった青田、
       その間、農家の人の水路確保は欠かせない。
       (その昔、この水争いは村落の騒動まで引き起こした
        ことは文献にも出ている)

       やがて夏がきて、炎天下、
       稲穂が出て、空には入道雲がもくもく。
       稲妻が鳴り、雷雨もある。

       そして秋になれば、真っ黄色い絨毯のような稲田に一変。
       その上を昔だったらトンボが飛びかっていたが、
       今や、トンボの姿もあまり見られない。
       
       「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
       という句を思わせる、ずっしりと実った稲穂。

       二百十日の前後には台風の襲来で、
       農家の方々は稲が倒れないかと冷や冷や。
     
       やがて気がつけば稲刈りがはじまって、
       今はほとんど機械だから、
       またたく間に田んぼは裸状態になる。

       そして「はさ掛け」……。

       これら一連の流れは季節の移り変わりとともに、
       移行していく。
       作業を見て、季節が変わったことを実感し、
       農家の方のご苦労を知るのは、私だけではないだろう。

       「かさ掛け」ですっかり乾いた稲束は脱穀機で
       玄米になり、それから白米に変わる。

       「かさ掛け」を見ると、
       ああ、また一年が終わると思う。

       ほっとするが、一方で年末を思わせる、
       せわしない風物詩である。




       
       
    

人間失格

2017-11-25 09:21:06 | 読書


      必要があって太宰治を読んでいる。

      『人間失格』は『斜陽』『ヴィヨンの妻』『走れメロス』
      と並んで太宰治の代表作の一つだ。

      「恥の多い生涯を送って来ました」
      これからも分かるように、
      主人公は極端に人や物から身を避け、
      まるで現代のひきこもりのような生活をしている。

      それゆえ、彼は一つの解決策として
      「道化を演じる」ことを学ぶ。
      
      余りにも道化が過ぎて、
      私が若い頃に読んだ時はそれほど思わなかったが、
      (私が歳をとったせいであろう)
      この小説が滑稽譚にさえ思えてくる。

      繊細でもろく、自意識過剰でコンプレックスの塊。
      これは太宰自身を投影しているのだろう。

      太宰はこの小説を書きあげた一ヶ月後に 
      愛人の山崎富栄と入水自殺した。
      わずか38歳である。

      それ以前にも太宰は4回自殺未遂を繰り返しており、
      2回目は道ずれとなった女性だけが死んだ。
      そのため自殺ほう助罪に問われたが、
      実家の長兄の働きで罪はまぬがれた。

      3回目の自殺未遂の後、
      鎮痛剤に使った薬物中毒に苦しめられる。
      精神が混乱し、家族に病気治療と偽られて
      精神病院に入れられ、
      それが「人間失格」となって
      小説に結実するのである。

      一方で太宰は、
      妻・美知子との間に娘をもうけ、
      同年に、歌人の太田静子の間にも娘が生まれている。
 
      前者は作家の津島佑子であり、
      後者は同じく作家の太田治子である。

      
      ここまででも情報が多すぎて、
      私の理解は及ばないのだが、
      太宰治はいまだに若い人から熱狂的に支持され、
      人気は衰えない。
      その人気に迫るべく、もう少し読んでみよう。
      
           

人生相談

2017-11-19 07:15:18 | 雑記


        買物やウォーキングで外を歩いていると、
        色づいたイチョウが目につく。

        朝晩の寒さと風ですっかり葉を落としてしまった木、
        ちょうど見ごろの真黄色のもの、
        場所によるのか、まだまだ緑の残っているイチョウ
        等、さまざまだ。

        ことほどさように、イチョウもさまざま、
        人間もいろいろである。

        このところ新聞の人生相談で心に残っているものが
        あったので掲載したい。(毎日新聞10月30日)

        相談者(Q)は47歳の女性
        回答者(A)は作家の高橋源一郎氏


        (Q)8年間、公私ともにパートナーだった男性に
          恋人ができた。仕事はそのままと云われている
          が、釈然としない。
          芸術系の仕事で、2人だから創りあげてきたも
          ので、すぐには辞められないし、
          切なく、とてもつらい。

        (A)芸術(創作)関係の仕事と聞いて、同業者
          としてお答えしたい。
          つらく切ない悩みが少しずつ薄らいだとしても、   
          あなたの内側から痛みが消えてゆくことはない
          でしょう。
          それは「失う」ことの痛みです。
          しかしながら、あなたはこれからいろいろな
          ことを失っていくでしょう。
          パートナーを失うことは、その始まりにすぎ
          ません。
          若さを、美しさを、健康を、感覚の鋭さを……。
          それは耐えられない苦しみしか生まないで
          しょうか。
          そうではないことを知っているはずです。
          なぜなら、
          あなたが従事している「芸術」は、
          「失う」ことが苦しみでなはいことを、
          人間に伝えるために存在しているからです。
          一枚の絵、一つの曲、一篇の詩、一冊の小説、
          どれも何かを失うことと引き換えに創りださ
          れたものばかりです。
          それらを創った人は、たとえ世の中から評価
          されなくても決して後悔しないはず。
          なぜなら、
          創りだすこと自体が、彼ら自身への幸せな
          贈り物であることを知っているからです。


         ……と、余りに見事な回答に、
         思わず長々と引用してしまったが、
         相談者はこれで納得したでしょうか。

         でも、自身が悩み、もだえて回答を出すしか
         ないのです。
         そして、やがて月日が経ったとき、
         ふと気づくのです。
         かつて新聞の相談で得た回答が当たっていた
         ことに。
          
         まさに人生いろいろ、男もいろいろ
         女もいろいろ、
         である。


          

チバニアン

2017-11-18 07:20:31 | Weblog
 

        「地球史にチバニアン(千葉時代)誕生へ」
        というニュースを新聞で知った。

        チバニアンとは安易な造語と思ったら、
        ラテン語で「千葉時代」を示すのだそうな。

        およそ地球の歴史で77万~12万6千年前の
        年代というから、気の遠くなる話だが。

        つまり教科書で習った「ジュラ起」や「白亜紀」
        と同じような地層のことか。

        
        では一体、
        チバニアンとはどんな時代のことをいうのか。

        「地球の磁場が逆になっていることが明確に
         読みとることができる」
        というのだが……。

        簡単にいうと、、
        「北極と南極が真逆になって、磁場が正反対に
        なっている」
        ということらしい。

        スケールが大き過ぎてすぐには理解できないが、
        地球の歴史46億年の中で、
        このような現象は複数回起っているようで、
        このチバニアンという時代は、
        磁場の逆転が「最後に起った時代」として
        とても重要な役割を持っている
        のだそうだ。

        このチバニアンという名前の由来となったのは
        「千葉県市原市の養老川沿い」
        というが、いちど見てみたいものである。

        ともあれ、
        煩瑣なことで振り回されている日々、
        ちょっとロマンを感じさせる話題ではある。


        ※新聞掲載の写真より

フラリーマン

2017-11-12 07:34:07 | 雑記



       サラリーマンの世界でいま何が起こっているのか。

       このところ、働き方の改革で残業禁止となり、
       早く帰宅できるのに街中をフラフラしている
       人を「フラリーマン」と呼ばれるのだと聞いて
       笑ってしまった。

       新宿や渋谷、新橋などの繁華街で同僚や友人と  
       飲むわけでもなく、
       (居酒屋のいくほどお金に余裕がない)
       時間をつぶすように自販機でカップ酒を飲んだり、
       ベンチでスマホをいじったりして長時間過ごす彼ら。

       なぜ彼らは退社するとフラリーマンに”変身”
       してしまうのか。
       彼らにもワケがある。

       家事は妻ペース。
       TVのチャンネル権もなし。

       30代、40代の彼らは子供は小さく、
       妻からすれば
       夫は子供を寝かしつけてから帰って欲しい。
       家事を手伝ってくれるわけでもないから、
       早く帰ってくる夫は邪魔以外の何者でもない。
       妻も大変なのである。

       かくして夫はコンビニや書店に寄ったり、
       「まだ早すぎる」時間に自宅の最寄り駅に
       着いてしまったら、
       カフェで本を読んだりして過ごす。

       分かるなあ、
       この気持ち。

       会社員でもなく家庭人でもない、この中途半端
       な気持ち。

       新聞の特集記事では、
       「これでは将来の夫婦関係にも左右しかねない。
        街中でフラフラしないで、とにかく家に帰る
        ことです。
        そうしないと本当に帰れなくなりますよ」
       と警鐘をならすが、
       いいではないですか、これで。
       
       さらに、この機会なのだから、もっと時間を有効
       に使うべきだ。
       例えば、習いごとをしてキャリアを磨くとか……
       なんて新聞には書いてあるけど。
   
       う~ん、そういうことを出来る人もいるが、
       私はフラフラするのも悪くないと思う。
       そこから何かが見えてくれば、だが。

       ああ、かつて、
        ♪ サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ
       なんて歌があったが、
       私は、サラリーマンの後ろ姿に哀愁を感じるので
       ある。
       
 
       ※ 通りかかった空地のすすき

ちゃらい

2017-11-11 08:54:23 | 雑記


        ちょっと分からない語彙があるとネット検索
        するようになって、
        辞書をひく機会がめったになくなった。

        それでも広辞苑だけは手放せなくて、
        古ぼけた背表紙を時折ながめている。

        よく、無人島に一人で暮らすことになって、
        一つだけ持っていけることになったら、
        な~んて仮定の質問をうけたりするが、
        もしそういう場面に出遭ったら、
        私は迷いなく広辞苑を選ぶ。

        電波は通じないからパソコンは使えないだろうし、
        辞書と百科事典を兼ねた広辞苑なら、
        退屈しないだろうと思うからだ。

        その広辞苑が10年ぶりに改定されることに
        なったらしい。
    
        そうか、言葉というものは時代とともに変わった
        り、新しい語彙も増えたりするからねえ。

        こんどの改訂版で新たに追加された項目は
        1万項目にも達するという。

        たとえば、
        震災・原発関連では、
        「東日本大震災」や「安全神話」など。
        IT用語の
        「フリック」(指を画面に触れて滑らせる)
        社会問題化した
        「ブラック企業」
        そのほか、
        「がっつり」や「ちゃらい」
        も広辞苑入りしたというから、
        改めて新語の増加に驚く。

        新しいというか、若者の風俗に弱い私であるが、
        どれもこれも日常に使っている言葉だし、
        最後の「がっつり」や「ちゃらい」なんてのも
        最近は面白がって使っている。

        一方で、
        一過性の流行で終わってしまいそうな
        「アラサー」とか
        「TPP]
        「ググる」
        「ゆるキャラ」
        などは見送られたというから、
        何でもかんでも入ったわけではないようだ。

        個人的には、
        地名の「浜通り」が収録されたのに驚いた。
        私は原発問題で話題になった福島県の太平洋岸、
        つまり、「浜通り」の南相馬市の出身なのである。

        こんなこと、ちっとも名誉ではないし、
        うれしくもないのだが。

        
        

        

ネット犯罪

2017-11-05 07:30:07 | 雑記


       ここ数日、私のスマートフォンがおかしくて、
       原因が分からず振り回された。

       メール受信の点滅はするのだが、
       開けない(受信箱にメールが入っていない)。
       送信もできない。

       別に急ぎの用事でなければ一向に構わないのだが、
       これでは緊急の際に困る。

       やっぱりショップに行ってみてもらわなくちゃ……
       と日程を考えていると、
       突然、開通したりする。

       それで安心すると、
       また不通状態になる。

       こんなことを複数回繰り返し、
       結局、ショップへ。

       簡単になおった。
       原因はWi-Fi設定がONになっていたため
       だという。

       ショップ店員は「自然にONになることもある」
       というが、
       私が無意識に(押してはいけない箇所を)
       押したに相違ない。

       もともとIT機器に弱いのだが、
       ますます自信がなくなった。


       ところで、
       神奈川県座間市内のアパートで見つかった
       9個の人間頭部の犯罪ーー

       なぜこのような残虐な事件が?
       何の目的のために?
       殺害方法は?

       犯人は見つかったが、分からないことだらけ
       である。

       どうやらネットがからんでいるらしい。

       事件発覚のきっかけとなった23歳の女性は
       一緒に自殺する人を探しているとのツィート
       の後に行方不明となっていた。

       警察は容疑者が女性の自殺願望につけ込んで
       ネットで接触したとみている。

       それにしても、
       こんな簡単に人がつながって、
       これほど安易に殺せるものだろうか。

       ネットショッピングは簡単で便利な面もあるが、
       このような残虐な犯罪につながることもある。

       ネットのウェブサイトの「ウェブ」とは、
       クモの巣のこと。
       URLの「WWW」は「ワールド・ワイド・ウェブ」
       つまり、世界的なクモの巣の略で、
       地球を覆う情報ネットワークのこと……。

       もう分からない。
       もしかしたら、周辺一帯に、
       見えないクモの巣が張られているのかもしれない。

       現代に生きる人の「闇」……なんて、
       これからの文学も変わっていくのだろうか。


       ※ 急に冷え込んで、
         洗濯物のタオルにくっついていたテントウ虫
         (綿棒の先っぽくらいの小さなテントウ虫)

夜明け前

2017-11-03 14:40:24 | 読書



       いつものように早朝の散歩をしていたら、
       ふつうなら同じくウォーキングをする人とか
       犬を散歩させている人くらいしか会わない
       のに、
       どこかのTV局?か何かのワゴン車が2台
       停まっていて撮影していた。

       「ドラマか何かの撮影ですか」
       と聞くと
       「景色撮ってるの」
       だという。

       ちょうど日の出前で、高台からは遠くの山並み
       と、その下にある家々がぽぉ~っと赤く染まった
       ところである。
       
       折よく飛行機雲が筋をつくっていて、
       それにしてもまあ、こんなに朝早く(6時ごろ)
       ご苦労なこと。
       いったい、何に使うのか。

       写真では逆光と半暗闇でよく見えないが、
       若い男性のスタッフ8人くらいがカメラを据えて
       じっ~と見守っている。

       私はお邪魔をしないよう、さっとその場を去って、
       歩きだしたのだが、
       夜明け前といえば、
       島崎藤村の小説『夜明け前』である。

       冒頭は
       「木曽路はすべて山の中である」
       ではじまる。

       ストーリーはこんなではなかったか。

       中山道の木曽馬籠宿で17代つづいた本陣・庄屋
       の当主・青山半蔵は、王政復古に陶酔し、
       森林を制限する尾張藩を批判していた。
       
       下層の人々への同情心がつよい半蔵は
       新しい時代の到来を待っており、
       明治維新に希望をもつが……

       新しいものと旧いものとのせめぎあい、
       時代はそう簡単に変わらないのである。

       いずれにしても   
       読むのにかなり苦労したことを覚えている。
       こういう長編小説を読むのには体力が要る。

       そして、冒頭の文だけ強烈な印象として
       残っているのだ。