朝晩はさすがに冷え込むが
日中は小春日和がつづいた昨日、
通りかかった田んぼで「はさ掛け」をみた。
鎌倉にも田んぼがあって、
農家の方が家で食べるためだけにお米をつくって
いるのだろう。
農家生まれの私は一つ一つの作業がなつかしい。
今となってはお米をスーパーや宅配便で買う身だが、
晩秋の田んぼの近くを通るときの乾いた稲の匂い
に、子どものころの思い出がよみがえる。
いくら機械化がすすんでも、
お米は人の手作業なしには成り立たない。
春先の田おこしにはじまって
5月の連休のころの田植え、
苗の植わった青田、
その間、農家の人の水路確保は欠かせない。
(その昔、この水争いは村落の騒動まで引き起こした
ことは文献にも出ている)
やがて夏がきて、炎天下、
稲穂が出て、空には入道雲がもくもく。
稲妻が鳴り、雷雨もある。
そして秋になれば、真っ黄色い絨毯のような稲田に一変。
その上を昔だったらトンボが飛びかっていたが、
今や、トンボの姿もあまり見られない。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
という句を思わせる、ずっしりと実った稲穂。
二百十日の前後には台風の襲来で、
農家の方々は稲が倒れないかと冷や冷や。
やがて気がつけば稲刈りがはじまって、
今はほとんど機械だから、
またたく間に田んぼは裸状態になる。
そして「はさ掛け」……。
これら一連の流れは季節の移り変わりとともに、
移行していく。
作業を見て、季節が変わったことを実感し、
農家の方のご苦労を知るのは、私だけではないだろう。
「かさ掛け」ですっかり乾いた稲束は脱穀機で
玄米になり、それから白米に変わる。
「かさ掛け」を見ると、
ああ、また一年が終わると思う。
ほっとするが、一方で年末を思わせる、
せわしない風物詩である。