一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

ぺスカドール

2011-05-31 19:54:09 | 雑記



     「ぺスカドール」
     カニと海鮮料理の店。

     学生時代の後輩が30年来ご夫婦でやってい
      る店で、時にライブもやる。

     
     何でもなければビールのジョッキ片手にカニ
     や海鮮料理をたらふく食べ、この上にラテン
     音楽を聞いて多いに盛り上がるところだが、
     今回は震災のチャリティーディナーとなった。
     (もちろん毎日ライブをやっているわけでは
      ないので、おいしい食事と静かな会話が
      基本なのだが)
      
     (宮城県)気仙沼出身のオーナーの肝いりで
     はじまったのだが、それに賛同する20数名
     が集まったのである。
     オーナーはこの日の売り上げをすべて故郷に
     寄付するという決断をされた。

     すでに4月に1回行われていて、人数が多い
    ため2回に分けたのである。
     また6月には、他のメンバーが今度は東京の
     ライブハウスでチャリティーコンサートを
     おこなう。

     TVなどでタレントや著名人がいろいろな催
     しをやったりボランティアで現地の人を元気
     づけたりする報道はみている。
     だがたいていの人は、気持ちはあってもその
     手段を知らなかったり、自分がいってはかえ
     って迷惑ではないかと思ってためらったりす
     る。
     (募金活動なども街中ではやっているから、
      それなりに協力はしていても)

     だから食べて飲んで、それがお役に立つのな
     ら……と思って当然だろう。
     今回はそういった人たちの集まりだったような   
     気がする(ありがたいことに)。
     それなのに、というか、だからこそなのか、
     みな熱く語り、オーナーの報告に熱心に耳を
     傾け、励ましの拍手を惜しまなかった。

     当事者の1人である私は、というと、
     微力ながらも親戚や知人に直接、または高校
     の東京支部を通してなど協力させていただ
     いてはいるのだが、もう一歩踏み出さなくて
     ならないと思っていたところだった。

     聞くところによると、
     ぺスカドールのオーナーたち20数名が発起
     人となって、気仙沼には奨学金制度がつくら
     れたという。
     
     ならば私は、
     本で得たお金は本に、という思いで、
     現地の図書館に寄付を思い立ったのである。
     (もちろん、私ごときがやれることは知れて
      はいるが)
     私の故郷の南相馬市には3年前に新しい図
     書館ができて、なんと、郷土コーナーには
     私の本も並んでいるのである。

     故郷の町全体の未来図が描けない今、
     図書館そのものもどうなるか分かないの
     だが。
     1日もはやく元気になって、本をひもとく
     ひとときを持って欲しいと切に願っている。
     (今回、この非常時に文学は何をできるか、
      を考えてきた。これに関してはいずれ、
      別の機会に話すこともあろうかと思う)

     それにしても”ぺスカドール”とは西語で
     ”(海の)漁師”という意味らしい。
     「酒とカニ」ときたら「女」といきたいと
     ころだが、今回は「酒とカニとボランンテ
     ィア」となったようです。

     ※「ぺスカドール」は相鉄線の天王町駅前
       0分。
       写真は店内に貼ってあるオーナーの顔 
       写真。ライトが反射している。
       こちらの技術不足で切れてしまったが、
       写真の下方には山盛りのカニがあって
       それを食べているショット。

     

     

     

梅雨入り

2011-05-28 16:27:13 | 季節


     関東地方も梅雨に入りました。
     こんなにすっきりというか、すんなり梅雨入り
     が発表されるのも記憶にないくらい。
     やはり1951年に統計がはじまって以来、関東
     では2番目の早さ、東海は3番目タイだそうだ。

     雨が続くと被災地の瓦礫の山や、地盤のゆるみ
     からくる土砂崩れが心配になります。
     昨日、田舎(南相馬市)に電話をしたら田植えが
     できない(禁止されている)、畑にたわわになっ
     ているナスもキュウリもスナップエンドウも食べ
     られない(こちらも禁止)と嘆いていた。

     南会津に避難している親戚は、女たちが独自に
     勉強会をはじめたという。放射能の影響は?
     政府のいうことは信じられるのか? 今後、
     子供たちをどう育てていったらいいのか等々、
     じっとしていられなくて動きだしたらしい。

     被災した人たちはいいたいこともいわずにじ
     っと耐えている印象があったから、逆にこち
     らも元気をもらった感じで明るくなった。
     たとえ同じ結果しか得られなくても、TVや
     新聞の報道を鵜呑みにするのと、自ら得た知
     識でそれらを聞くのでは大いに違うだろう、
     と思った。

     だが、こうしちゃいられない、行動を起こさ
     なくてはと思って動きだした人たちだが、
     リーダーシップをとる人がいなくて困って
     いる。
     吾こそは!なんていう人は一人もいない。
     皆、控えめな人ばかりなのである。
     それでどうしたかというと、「リーダーが
     いなくてもやりましょう」ということにな
     ったのだとか。

     ただ見守るしかないこちらとしては、同じ
     向を向く人たちが集まれば会話が増える、
     笑いも起こる、心身ともの活性化にいいだ
     ろうと思うしかないのである。
     先日の新聞(5、20毎日新聞)にこんな
     川柳が載っていた。

      哀しみを知って笑いを深くする
                  
     東松島市の津田公子さんの句で、家を流され
     避難所での生活から生まれたのだそうです。
     そのコメントがいい。
     「野菜を切ったり、皿を洗ったりする時のや
      りとりで、自然にふっふっと笑えるんです。
      そうだねえって感じで」

     人間、究極に追いつめられたら笑うしかない?
     「哀しみを知って笑いを深くする」
     いやあ、これこそ人間の笑い、本物の笑い、
     深いですねえ。

     それに反し、こっちの笑いは浅い!軽い!
     雨の中出かけて先ほど帰ってきたのだが、
     ボーっとしていたら車(2か月の新車)を車庫
     のポールにぶつけてがっつり(?)傷つけてし
     まった。
     これまでも新車に乗るたびに(そんなに回数が
     多くはないが)なぜか必ず2~3ヵ月目にぶつ
     けて傷つけてきた。
     その度に思う。ああ、他人さまの車でなくて
     良かった!!
     (わが車への愛車精神はない)

     朝から降った雨で庭のメダカの水はあふれそう。
     そういえば、「井の中の蛙大海を知らず」は
     「されど空の高さを知る」
     と続くのだった。
     さてさて、
     先日のmichioさんのコメントにあった、
     井伏鱒二の『山椒魚』ではないけれど、池の
     メダカはもしかしたら自分ではないか?
     そんな気がしてきた。
     
     
     

     
     


     
     

     
   
     
 
   

正の走流性

2011-05-22 17:09:01 | 雑記


    用が済んでの帰り路、鶴岡八幡宮前の若宮大
    路を歩いていたら花屋の店先でメダカを売っ
    ていたのでつい買ってしまった。
    蒸し暑くなると、食べ物もそうだが、観賞用に
    も清涼感があって水っぽいものが恋しくなる。
    
    でもそこはものぐさな私、一瞬迷ったが、次の
    瞬間にはメダカならさほど手もかからないだろ
    うと思ったこともたしか。
    写真は金魚鉢のような入れ物に入ったメダカ、
    ややオレンジがかったのが3匹いる。
    最初2匹と思っていたが、よく見ると3匹いた。

    家に帰ったら、なんと、家人も庭の池(?)
    用にメダカをペットショップで10匹も買って
    きた!
    池といっても大きな火鉢を池に見立てたもの。
    (まあメダカから見れば火鉢も大海のような
     ものであろう)
    春になったら飼おうと、水草だけを入れていた
    のだが、同じ日に集中するとは……。

    家人の話ーー
    「エサ用のメダカも1匹10円で売っていたが、
     その上の40円(1匹)のを買ってきた」
     (こちらは黒いやつ。種類は分からない)
    私ーー
    「エサ用のメダカ? 可哀そうに!」
    (完全にこの小さな生き物に感情移入している)

    もともと魚関係が好きな私だが、メダカを飼う
    のははじめて。
    子供の頃、それこそ小川でメダカが泳いでいた
    のを見ていた者としては、わざわざお金を出し
    て飼う人の気が知れないと思っていた。
    それに、観賞用か何か知らないが、ガラスの器
    なんかに入れて飼うという滑稽さ!
    不自然なことこの上ない。
    ちゃんちゃら可笑しくて、何だかメダカにバカ
    にされそうな気がしたものだ。

    それがどうだろう、嬉々として買う、この変貌!
    多分、こちらが老いたせいにちがいない。
    認めたくはないが。

    ところで、   
    メダカが流れに逆らって泳ぐのを<正の走流性
    (そうりゅうせい)>というのだそうだ。
    その反対が<負の走流性>。
    でも<正の走流性>は多くの魚類に共通の習性
    で、メダカ特有のものではないらしい。

    そもそも<走性>とは、
    生物がある刺激源に対して一定の方向性をもっ
    た行動をとることをいう。
    走光性、走熱性、走流性……という風に。
    さしずめ私なら、走睡性、走食性、走本性……
    といったところか。

    そういえば、
    「とかくメダカは群れたがる」といったのは
    平林たい子だったか。
    一方、井伏鱒二はこういった。
    「人間は大なり小なり群れをつくる習性をもっ
     ている」

    どっちにせよ、メダカはあんまりいい譬えには
    使われないようだ。
    

荒地の恋

2011-05-19 20:55:46 | 読書


     どうしてこうなったかというと、昨年まで朝日
     新聞の論説委員をされていた河谷史夫氏の
     『本に偶う』を読んでいて、そこで書評に取り
     あげられていた本書を読みたくなったのである。

     ねじめ正一著『荒地の恋』
     田村隆一、北村太郎、鮎川信夫……など、いずれ
     も戦後詩を代表する詩人が、すべて実名で書かれ
     ている評伝、どちらかというと硬派の恋愛小説な
     のである。
     マスメディアにも登場し、記憶に新しい現代詩人だ
     けに、その手法には驚くほかない。

     朝日新聞の校閲部長の任にある北村は「荒地」の
     同人だが詩作は少ない。
     そんな北村が53歳のとき、無二の親友である田村
     隆一の妻・明子と恋に落ち、同棲生活をはじめる。
     北村にも健全な生活があったのだが、妻子を捨て、
     社にもいられなくなった。
     
     家庭も職場も棄てて択んだ明子との生活。
     あらすじだけ追えばスキャンダラスな話だが、そこ
     には人間とはなにか、詩とは、生きるとは……と
     いったようなことを考えさせられるものがある。

     田村といえば無頼派の詩人。
     親友と元・妻の駆け落ちを容認するような、そんな
     2人に尚も甘えてくる田村隆一という不思議な人物。
     一方、北村はそれを機に堰を切ったように創作意欲
     が湧き詩集も次々と出て、高い評価を得る。

     著者であるねじめ正一は直木賞作家、さすがに読ま
     せるだけのものがあるが、プライバシーの問題は
     どうなっているのか。
     インタビューではこう語っている。

     「家族の方が読んだらどう思うかという気持ちはあ
      りましたから、ずいぶん取材もしました。
      (北村の恋人となる)第2、第3の女性など、登場
      人物の女性たちにしょっちゅうお会いしてこちらの
      意図を汲んでもらいました」

     異論はなかったのかーー

     「(連載した)雑誌は必ず送っていたし、生原稿も
      読んでもらって、何か問題がありますか、と聞いて
      いました。とくに北村さんの娘さんなどは回が進む 
      につれ、変わってきて、父親の北村さんが家を出て
      からどういう生活をしてきたのか、どんな思いで
      生活していたか小説のなかで知りたい。そういう風
      に意味合いがちがってきました」
  
      個人情報云々というまえに、これほど踏みこんだ
      小説を実名で書くパワーに脱帽である。それは著者
      自身の力量というか人間性というべきのものなの
      だろう。
      
      それにしても、
      「家庭人として日々をまっとうしていては詩は書け
       ない」という正気と狂気ーー
      「詩は道楽では書けない」
      箴言としてはドスがききすぎる。

      明子とも別れた北村は、こんどは若い女性を得て
      新たな創作意欲を復活させたかに見えたが、腎不
      全で死去。69歳であった。

          
      
  

     

     

潮干狩り

2011-05-17 17:17:24 | 雑記
    
     GWさいごの日曜日、家人が潮干狩りでアサリを
     採ってきた。
     場所は横須賀の走水海岸。
     ちなみに横須賀は海軍カレーが有名である。

     何を隠そう、この私、潮干狩りとかドジョウすくい
     (安来節ではありません、つまり魚釣りなど)
     が大好きなのです。
     でもここ何年か日焼けが怖くて今どき海辺には
     行けない。

     シミが出来るのが怖いのではなく、日に焼けると
     皮膚が炎症を起こして痒くなるのです。
     気をつけているのだが、もう今年も首筋に赤い
     発疹ができて先日薬局で薬を買ってきたばかり。
     その薬が効かない。やはり皮膚科に行かなけれ
     ならないのか。
     こんなことを毎年くりかえしているのである。

     なので、私は人が取ってきたのを食べるのみ。
     下ごしらえをおさらいすると、
     アサリは採取場で入れてきた海水に2~3時間
     つけて砂を吐かせる。
     (写真はバケツで砂を吐かせているところ。
      突っ込んでいるのは小さい子の手で、足では
      ありません)
     海水がなければ3%の塩水をつくる。
     (1リットルの水に塩30グラム=海水と同じ塩分)

     次に水道水に30分ほどつけて塩抜きした後、
     貝と貝をこするようにして汚れを取り除いたら準備
     OK。(面倒だが、ここはていねいに)
     食べるのはあっという間で、酒蒸しと味噌汁に
     したら旨かったです。

     貝をいじっていたら、村一番の貝採りばあさんを
     思い出した。
     ばあさんは実は中学校一厳しいH先生の母親。
      (私は習っていないが、姉たちは担任の先生だった)
    
     H先生も怖いが、その母親(ばあさん)の風情も
     なかなかのもの。口も手も達者で、たいていの人
     は太刀打ちできないやり手なのだ。

     聞くところによると、ばあさんは貝採りの季節に
     なると朝3時ごろ起きて、海辺に行く。
     海水と淡水が混じるところ(汽水域)には立派な
     貝がいて、なんでも高く売れるのだそうだ。

     ばあさんの採った貝は上質で、病人のいる家では
     高くても買う。また、ばあさんが目星をつけて
     行った家が買わないと近所に悪口をいいふらすの
     で、買わないわけにはいかない。

     とまあ、いわくつきのばあさんなのだが、そうい
     う人にかぎって(小金を貯め込んでいるくせに)
     ケチで、嫁さん(H先生の奥さん)とも仲が悪く、
     とうとうH先生夫妻は家を出ていってしまった。

     何年かして(私が東京に出た後)、そのばあさん
     が死んだと聞いたときは、なんだかホッとした
     ような、名物ばあさんがいなくなって寂しいよう
     な変な気分になったものだ。
    
     ここまできて気がついたのだが、ばあさんの採って
     いたのはアサリではなくシジミだった!!


     

     


     

     

600字

2011-05-13 10:23:08 | 雑記
いつも災害のことばかり考えているわけではないが、
常に頭から離れないことは確かである。
そんなとき昨日(12日)、毎日新聞の「くらしナビ」
版に投稿が載り、何人かから問い合わせや感想を
寄せられたので、そのことについて少し。

いつかこのブログにも、小中学時代の旧友が故郷から
避難してきた友人を連れてわが家に集まったことは
書いた。
最寄り(横浜近辺)の旧友数人。
なんせ急だったので、ほかにも仲間はいるのだが、
みな田舎の親戚を自分のところに避難させている者
ばかりで、当日都合がつかなかったのだ。

家やお墓まで流され、家族を失った同級生の名前が
次々と出た。
こちらにいるのは就職や進学で都会に出てきた者ばかり。
1960年代はじめといえば、まさに右肩あがりの時代、
高度経済成長期のまっただ中であった。
楽しいことばかりではなかったけれど、帰ればいつでも
温かく迎えてくれる故郷があるからこそ頑張れた(よう
な気がする)。

あれから50年近く、気がつけば半世紀にもなろうとして
いる。
その間に、故郷にこれほどの惨事が待ち構えていようなど、
誰が想像したであろうか。
奇しくも福島第一原発一号機が設置許可されたのは
1966年である。

福島原発は東京(を中心とする関東エリア)に電力を
供給するためであって、現地で使うのは東北電力である。
つまり東京組の(とあえていう)我々は、その恩恵に浴
して安穏と暮らし、ぬくぬくと電力を消費してきたのだ。

避難してきた友人をはじめ、故郷の人たちはそれを知って
いて、恨みがましいことをいう人は一人もいない。
みな都会に出ていった娘や息子、兄弟姉妹の幸せや東京の
繁栄を願ってやまない。

ついでにいえば、田舎に残って田園を守り、年寄りを看と
り、町村の祭りを支えてきたのも今回被災した人たちなの
だ。
そのことを我々は肝に銘じなければならない。
そんな思いで書いた文章である。

ああ、それにしても600字というのは短い。
ほかにもいいたいこと、書きたいことはいっぱいあるのだ
が、がむしゃらに前だけを向いて生きてきた半生を省み、
たまには振りかえって立ち止まることも必要かな、と
思いはじめた。


終わるもの、始まるもの

2011-05-08 15:54:57 | 雑記



     昨年の11月半ばまで住んでいた家の処分を業者
     に頼んでいたのだが、この段になって更地にす
     ることになって、先日その写真が送られてきた。
     (ここまでくるのに少しばかり?の紆余曲折が
     あったのだが)

     全く跡形もなくなった敷地をみて、感傷とはち
     がうが、ある種の感慨がないわけではない。
     40年近く住んだ家、自分の人生の最も忙しい
     時期をすごしたところだ。
     あれがピーク?
     そう認めたいような、そうでもないような。
     いやいやこれからひと山もふた山もあるような
     気がする。
     むしろ、そうあって欲しいと思うのですが。
     
     新天地にきて気がついたら間もなく半年、ああ
     早い~。     
     それでも、気にいった散歩コースがいくつかで
     きた。
     先日、その1つを通り抜けたらまたまた面白い
     ものを発見した。
     鎌倉山に通じる裏道で、竹藪に面した急な坂に
     なっている。(だいたい裏道が好きなのです)
     樹の間から遠くの街並みは見えるのだが、木陰
     は鬱蒼として時折、地元の人が通るくらい。

     ついこの間までは桜がきれいだった。
     いまは細い坂道を覆うような竹藪(孟宗竹)に
     筍がにょきにょき出て、近くの家のこいのぼり
     を眼下に見て、ちょっとした穴場なのである。
     
     そこで見た小さな張り紙ーー
     「小さなカフェ
      駄菓子を焼きました。キャビンはこの上↑」
     (写真は上の表玄関で撮ったので↓になっている)
     孟宗竹の竹藪に面した、しかも家は急坂の斜面
     の上に建っている。
     こんな人目につかない所に客が来るのだろうか。

     ようやく坂を昇りきり上の通りを回ってみると、
     家の表にも同じような張り紙がしてあった。
     (それでもバス道路からはかなり引っこんでいて
      人通りは少ない)
     なのに外から見たところ、それらしき2階の一角
     にお客が数人!!

     別にイヤラシクのぞいたわけではなく、外からお茶
     をする光景が見えたのです。
     この家の住人は見たことがないが、よほど人を
     もてなすことが好きなのか、或いはお菓子作り
     がこうじてこうなった?

     およそものぐさな私にはとても出来ない。
     で、散歩の愉しみとして時々のぞかせてもらう
     ことにした。
     終わるものと始まるもの。
     ちょっと意味あいは異なるが、ものぐさはものぐさ
     としていくしかない。
     

     

        
  

変わるもの、変わらないもの

2011-05-03 19:48:09 | 雑記



     前回掲載した写真の説明が間違っていたので
     訂正します。
     前回の写真で、2本の木の向こうに見えるのは
     「海」ではなく「阿武隈山脈」でした。
     この写真でいうと、白い車の向こうが「海」
     になります。

     2枚とも荒涼とした光景に変わりはなく、どち
     らでもよさそうなものだが、現地を知ってい
     る者にとっては大事なことなのでしっかりと
     訂正しておきますネ。

        ☆   ☆   ☆

     昨日、どうしても連絡がつかなかった甥一家と
     震災から50日ぶりにやっと話すことができた。
      
     猪苗代の方にいるとは誰彼から聞いていたのだが、
     みんなはっきりとは分からない。
     ただ、電話が何回かあって無事だけは確認できて
     いたようなのだ。

     昨日聞いたところによると、現在は飯坂町のホテ
     ルにいて、すでに4回も避難場所を変えているの
     だとか。
     道理で居場所が分からないはずだ。
     人に教えようとしても、すぐまた移るとなると、
     知らせようもないのだろう。

     心配したよ~、いくら家に電話しても出ないし、
     番号が間違っているのではないかと思って電話局
     に確かめても変わってないというし、誰に聞いて
     も行き先は分からないっていうし……

     などととりとめもなく立て続けに話す私に、
     先方はゆっくりした口調でいった。
     家?
     福島第一原発から19.5㌔だもん、おばさん、
     帰れねえっぺ。

     迂闊にも私はそうとは思わず、とうに帰ったか、
     或いは別の理由で帰らなかったのだと思って
     いたのだ。

     仕事?
     ウンまあ、そのうち……
     こちらに心配かけまいという心遣いからなのか、
     これまたのんびりした口調で急いでるふうでも
     ない。

     欲しい物?
     おばさん、いまさら何~んもいらねえよ。
     こうして一家5人、一部屋に暮らせるだけありが
     てえと思ってんだよ。

     最近、加齢とともにせっかちで、とみに早口に
     なった私は大いに反省した。
     私はいつからこんなに何事も(必要以上に)
     急ぐようになったのだろう。
     田舎にずっといたら、こんな私でも分をわきま
     えて話したり行動したりできたのだろうか。
     
     内心、少なからずショックを隠しきれずに、                   
     私はその日のうちに郵便局に急いだ。
     (またも急ぐ!)
     手紙とともにしかるべきお見舞いを送るために。



     

明暗

2011-05-01 16:57:03 | 雑記


     花咲き、鳥が舞い、風薫る5月。

     昨日、人と会うために横浜方面に出かけたら連
     休だけあって人混みがすごかった。
     こうした賑わいも復興の援けになるかもと思い
     ながらも、複雑な気持ちは隠せない。

     というのも、小中時代の同級生から被災地の写
     真が送られてきたばかりだったからだ。
     これはそのうちの1枚。
     津波によって流された家屋、瓦礫の山は、自衛
     隊や消防隊の人たちによって片づけられてご覧
     のようになっているが、3・11の昼過ぎまでは
     そこで人々の平穏な日常生活が営まれていた
     のだ。
       (国道6号線から先2~3㌔は壊滅状態で、
      中央の2本の木の向こうは海)

     いつもはおちゃらけて冗談ばっかりいっている
     昔悪ガキ(いま普通のおじさん)も、さすがに
     涙が出て止まらなかったという。
     (家屋は流され実兄が遺体で見つかり、義姉は
      行方不明のまま)

     だけど被災した人々はみなけなげに頑張ってい
     て、わが身の不運を嘆いて自暴自棄になるのを
     見たことがない。
     誰ひとり海の悪口をいう人もいない。
     
     さらに、
     誰もいわないからあえて、ここで私がいわせて
     もらうのだが、
     現地の人たちの使うのは東北電力。
     福島原子力発電所は東京(を中心とした関東)の
     人たちのためにあるのだ。
     東北電力と東京電力のちがい。

     みんなそれを分かっていて恨みがましいことは
     一切、いわない(胸の中にしまっている)。
     相変わらず、息子や娘たち、または兄弟姉妹が
     いる東京(関東地方)の幸せを願うことに変わ
     りはないのだ。
     出郷してその恩恵に浴している我々は、今日の
     娯楽も明るさも田舎の人たちの犠牲の上に成り
     立っていることを忘れてはいけない。
      
     今回は田舎の人より、都会に出てきた人たちへ
     の警告ととるべきだろう。