一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

紫琴、その後(続)

2013-11-27 20:03:15 | 読書


    折しも拙著の刊行と合わせるように、
    紫琴の生まれた地(岡山県備前市西片上)に
    記念碑が建った。
    「清水紫琴(豊子)生誕の地」
    という標識である。

    そして、高校の先生などを中心に「文学道」
    といったものが出来ないかといった動きも
    ある。

    これまで地元でもほとんど知られなかった
    紫琴のことが、今回のことで一人でも多くの
    方に知っていただけたら、本当にうれしい。
    

    そんな折、朝日新聞備前支局から取材を受け
    たのは10月に入ってからだったろうか。
    そして掲載された。
    (朝日新聞岡山版 2113・ 11・12)
 

    「清水紫琴 実像に迫る」の
    出だしはこんな風にはじまる。

    「明治時代、雑誌の評論や小説を通して女性
    の地位向上を目指した現備前市出身の作家
    清水紫琴(1868~1933)の生涯が本になった。
    平塚らいてうよりも早く先駆的な論調と作風
    で世間に注目されながら、あまり知られてい
    ない紫琴の姿を、今も同市に住む支援者の
    子孫の記憶を交えて描いている」

    
    私の希(ねが)いは、地元の方に紫琴の
    ような女性がいたことを誇りに思ってほしい。
    その上、紫琴をよりよく(正しく)知っていた
    だければ望外の幸せでもある。


紫琴、その後

2013-11-22 08:15:33 | 読書
  

    『清水紫琴 幻の女流作家がいた』を上梓
    して間もなく、大きな転機があった。
    出版社を通して古在由秀さんからお手紙を
    いただいたのである。

    古在由秀さんは紫琴の孫で、現在85歳。
    高名な天文学者で、
    (紫琴一家は「朝日人名辞典」に子息と孫
     をふくめて4人も載るほどの学者一家)
    紫綬褒章、文化功労章などの受賞もされて
    いる方なのである。

    ああ、紫琴のご遺族のことなど全く考えも
    せずに本を刊行してしまった。
    私に余裕があれば、どんなことをしてでも
    探しだして取材すべきであったろうと思っ
    たがすでに遅し。

    お手紙は、
    「当時の自由民権運動のことがよく解った」
    というような丁寧な書き出しではじまり、
    私の杞憂など払拭してくれるものであった。
    

    とてもうれしく有難かったのは、
    今回、お手紙とメールのやりとりで、これ
    まで(資料不足から)解らなかったことが 
    いくつか判明したことである。

    さらに、
    古在由重氏(紫琴次男・哲学者)が亡くな
    った時の資料が藤沢の大庭図書館に寄贈
    されていることも分かった。

    由重氏の資料だけでも7~8000点。
    それとは別に「紫琴関係」として400点
    ほど所蔵されていたのである。

    いずれも門外不出の貴重な資料ばかり。
    目下、大庭図書館に通って調査中である。

    膨大な資料の中から、精査して要点を絞り
    込まなければならない。
    そう思っている最中である。

    ※ 写真は藤沢市湘南大庭市民図書館

    
    
    

怖わっ!

2013-11-14 17:55:00 | 雑記


    前回のブログ、大(Oh)ミステイクでした。
    お友達に指摘されるまで気づかないのです
    からOh 怖わっ!です。

    画家の名前から「ゴヤ・イ」が抜けていて、
    つまり、かの「ゴヤ」のこと。

    しかも……もう書くのが恥ずかしいくらい。

    
    机に突っ伏しているのは女性ではなく、
    よく見ると男性ではないか。
    (太ももなど筋骨隆々として、男以外の何
     者でもない)

    
    さらに、これはゴヤそのものだというのだ。
    
    フロックコートみたいなのをスカートと見て
    しまったのだが、嗚呼……。

    プラド美術館の注釈書にはこんな風にある。
    「理性に見捨てられた空想はあり得ない怪物
     を生み出すが、理性と結ばれれば諸芸術の
     母となり、その驚異の源となる」

    ふ~ん、分かるような分からないような。

    ゴヤも40代で不治の病に侵され聴力を失っ
    たというから、病んでいたのね。

    それにしても私はやっぱり眼が悪いのか、
    これはもう脳の問題かもしれない。
    
    

理性の眠り

2013-11-10 17:30:50 | 健康


    過日、お友達からお誘いをいただいて鎌倉の
    近代美術館にいってきた。

    私は趣味に「絵画鑑賞」と書きたいほど
    (一回も書いたことはありません。笑)
    絵を見るのは好き。
    何の前知識もなく、ぶらっと入った画廊など
    で感性を揺さぶられる絵に出会うと、その日
    はほくほくした気分になる。(笑々)

    で、ちょっと前衛的な絵になると、な~んも
    分からないから、タイトルを見る。
    それが「無題1」とか「無題2」だったり
    して……。

    先日、私の目に止まった(心に引っかかった)
    のは、あのゴヤの絵。
    (ゴヤ・イ・ルシエンテス・フランシスコ 1746~1828)
    
    タイトルはこうついていた。
    「理性の眠りは怪物を生む」

    ん、ん?
    女性がテーブルに突っ伏して眠っている。
    背後には魑魅魍魎(ちみもうりょう)とした
    ケモノ(巨大なコウモリなど)がまさに襲い
    かかろうとしている絵。

    「理性の眠り」とは?
    この女性は精神がおかしくなっているに相違ない。

    実は、
    私もアレルギー体質をなおすために漢方薬を
    処方してもらっていることは、このブログでも
    以前に書いた。

    一ヶ月に一度、漢方医のところにいって医師が
    「調子はどうですか」というから、
    「疲れが取れません」とか
    「やる気が出ません」とかいう。

    すると医師は
    「じゃあ、今回はこれとこれを組み合わせましょう」
    といって、処方箋を出してくれる。
    それを薬局に持っていって薬をもらってくるのだが、
    夏頃に飲んだ薬が怖~イ夢を見たのだ。
    (組合わせが悪かったのか)

    ケモノは出てこなかったが、学校に遅れる、仕事で
    大恥をかくとか、ひどい忘れ物をして大失敗する
    といった……。
    つまり、私にとってそれは「怪物」そのもので、
    まさに、
    「理性の眠りは怪物を生む」
    だったのね。

    その次に行ったときに
    「夢をみて疲れます」といったら、
    「そうですか。じゃあ止めましょう」
    とかいって、その薬は止めになりました。

    一体、どうなってんの?
    という感じだが、
    とりあえず家に帰って、漢方薬をいれている菓子箱
    に張り紙をしました。
    「理性の眠りは怪物を生む」と。
    

    

    
  


    

冬がくるまえに

2013-11-06 14:36:20 | 雑記


    今朝方は一気に冷え込んだ。
    午前3時頃だったか(寒くて)一度目がさめ
    たのはいいが、目覚ましを止めて再び寝て
    しまった。
   (一応4時半にベルが鳴るようセットしてある)
    

    起きたのは5時半。
    あっ!と思ってカーテンを開けたら朝日が
    出るちょっと前だった。
    近頃は早起きできなくて、朝日が山際から
    出てくるのに間に合えばいいことにしている。

    ♪ 冬がくるまえに♪
    という歌があったが、連休後の天気はおだやか
    で、まさに小春日和。
    歌のハーモニーが聞こえるようだ。
    これに油断していると、キリギリスではないが、
    厳しい冬がくるぞ!!

    「冬がくる前に」ではないが、
    先日、メガネを新調した。
    生活用とデスク用の二つを持っていて、一つを
    壊してしまったからである。

    メガネ店にいってあれこれ検査、ためし掛けを
    したりして、
    結局「近近(きんきん)」という老眼鏡を買う
    ことにした。
    上はパソコン用、下のレンズは本や新聞、資料
    などを読むために。

    目下心配なのは免許証更新のときの視力検査。
    現在、運転は裸眼なので、検査にいってメガ
    ネ必要となったらあわてるのではないかと、
    考えるだけでドキドキしてしまう。

    そんなことを店頭で話したら検査してくれた。
    結果は裸眼で0.8と0.7で、
    更新のときのラインは0.6なので、まあ
    ぎりぎり。
    
    しかし次回の更新のときは分からないので、
    葉書がきたら前もって検査した方がいいと
    いわれ安心した。

    えっ、メガネ店で補聴器も?
    びっくりして聞いたら需要は多いのだとか。

    良かったら検査だけでもといわれ、やって
    もらうことにした。
    (検査室に入ってツーとかキーンとかいう
     音を聞き分ける検査)

    近頃、TVの司会(MC)の喋りが聞きとれ
    ない。ことにお笑い番組の人気タレントの
    早口が。
    それに病院の待合室で名前が呼ばれるまでの
    緊張感。
    先生によってはくぐもった声の人もいて、
    それがマイクを通すと余計聞き取れない。

    先日なんか、二回呼ばれてやっと自分だと
    気づいた。
    さらに、いつ呼ばれるかと聞き耳を立てて
    いると、他の人の名前を自分だと勘違い
    したりして……。

    検査結果、「聞こえ」は特に問題なし。
    ふ~ん、おかしい。
    神経的なものなのだろうか。

    ※ 写真向かって左が旧、右が新。
     (見た目はほとんど変わりなし)

書けなかったこと

2013-11-02 18:49:34 | 雑記


     11月に入った。
     年賀状、おせち予約、紅白司会、今日は流
     行語大賞云々……と急くことばかりである。

     このブログでは重いテーマでどうしても
     書けなかったことを今日は書かなければ
     ならない。

     10月30日毎日新聞朝刊の一面トップ
     は<福島「全員帰還」断念>であった。

     そんなの知っている!といったら不遜か。
     帰れる人も帰れない人も身近にいるから
     だ。

     たとえ自分の家に帰れたとしても、汚染
     されているから米も作れず、青々と生育
     した畑の野菜も食べられない。

     
     仕事を失い、何を楽しみに何を生きがい
     に生きていったらいいのか。
     生きる方途を見つけられないでいる人が
     ほとんどで、見るにつけ聞くにつけ
     つらかった。

     私はずっと考えてきた。
     人は何によって生きるのだろう。
     パンのみにて生きるにあらずというけれ
     ど、それに続く言葉が見出せないのである。

     そんなときだった。
     9月のはじめに「梨のたより」が届いた。

     福島第一原発のある(福島県)双葉郡大熊
     町で代々果樹園をひらいていた親戚は、
     震災当日から二つに別れて避難していた。
     若夫婦と三人の子供は南会津只見町に、
     老夫婦は会津若松の仮設住宅に。

     息子が千葉に離農した梨農園を見つけ、
     昨年から一人でいって手入れをしていた。
     家族で行きたかったが、小中学生の子供
     たちが学校に馴染んで友と別れるのが
     つらく、終業式を終えて3月に晴れて
     家族が合流。

     そして新天地で育てた初の梨が届いた
     というわけである。
     みずみずしくてとてもおいしい梨だ。

     聞くと今年はお世話になった方々にお礼
     と近況報告を兼ねて送るだけで、販売は
     しない。

     そして只見町の子供たちにも食べさせた
     いと思い、地元の学校給食センターに
     児童生徒401人+先生の分を送った
     のだという。
     子供たちからはお礼の手紙やメールが
     きて、かえって励まされた。

     どんな逆境にあっても未来にぽっと
     光が差し込めば人は生きられる。
     私は立派な梨を手に実感した。
     老夫婦も住環境が整うのを待って
     千葉に移住する。