一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

春の嵐

2014-03-30 14:44:54 | 読書


     昨日までのうららかな天候とは
     うって変って、今日は春の嵐に。

     東京は明日31日あたりが桜満開
     なんだって。
     ここ鎌倉はやや辺境地のせいか、
     まだ2~3部咲き。

    
     あまり早い季節の巡りについて
     いけないこちとらは、
     桜よ、あまり急ぐじゃないよと
     云いたいところである。

    
     花よりだんご。
     お花見弁当はやや高級感の傾向
     とあったが、これじゃお弁当屋
     さんも大いに当てがはずれたこ
     とであろう。


     閑話休題。
     ヘルマン・ヘッセの小説に
     『春の嵐』というのがあった。
     (高橋健二訳 新潮文庫)


     ヘルマン・ヘッセの過激なまでの
     感受性と、情熱的で静かな情愛が
     ちらりちらりと主人公クーンを
     通して見え隠れする切ない小説
     である。

     実際は暴走した橇とともに、少年
     時代の淡い恋と健康な左足とを
     失ったとき、クーンは音楽に向か
     うというストーリーなのだが。


     とかく、春の季節はそのまま
     すんなりとは行ってくれないもの
     らしい。
     こんな句を見つけた。

      あと何を喪う 春の嵐かな
              (武藤嘉子)
      春嵐にバイオリズムの狂いけり
              (次井義春)
     

梅とチョットコイ

2014-03-26 16:12:34 | 自然


     先週末くらいから急にぽかぽか陽気に
     なり、庭の草木もいっそう生彩を増し
     てきた。

     今年のウグイスの初鳴きは2月28日。
     (めずらしいことに日を覚えていた)
     その後、寒のもどりがあったりして
     次に聞いたのは3月15日。
     月末になってからは日に日にさえずり
     が上手になって、毎朝鳴くようになった。

     でもまだ本調子!という感じではなく、
     このところの主役はコジュケイである。

      ♪チョットコイ
       チョットコイ♪

     と人を呼びとめるようにけたたましく
     鳴く。

     ところで現在、俳句の季語で「花」と
     いえば桜だが、
     もともとは梅のことであった。

     奈良時代にできたといわれる「万葉集」
     には梅を詠んだ歌が100首以上ある
     のに、桜は40首ほど。
     いかに梅が珍重され愛されたかが分か
     るであろう。

     それで(桜の)お花見の話題が出るよ
     うになったが、その前にちょっと一言。

     梅が今、最大の危機にあるという。
     先日、青梅(東京都の西部)の梅が
     ウメ輪紋ウィルスにやられて伐採しな
     ければならないというニュースが
     流れていた。

     私も何年か前に青梅まで行ったことが
     あるが、見事な梅林であった。
     (神奈川にも曽我の梅林があるが)

     ちょっとマイナーないい方をすれば、
     私は、ちょっと奥まった偏狭な地に
     あってこそ梅林にふさわしいという
     気がして、青梅が好きなのだ。
     (青梅線の青梅駅から単線の奥多摩行
     きに乗りかえた記憶がある)


     桜の華やかさ、あでやかさ、明るさも
     いいが、寒いころにそっと咲く梅の
     ひかえめさ、地味さにちょっと軍配
     を上げたくなる今日この頃の私なの
     である。
     
     
     
     ※ 写真は鎌倉・円覚寺の梅
     
     

呑珠庵

2014-03-23 11:42:32 | 雑記


      渋澤龍彦は幻覚から解放されると
      やることがなくなった。
      何しろ15時間の手術に耐えた後で、
      体中に大小8本の管がささっている
      ため、本を読むこともできない。

      退屈のあまり、自分の号を考えるこ
      とにした。
      
      声帯を完全に失っているので声を出
      すことができないのだから、
      無声、亡声はどうか。
      永井荷風が断腸亭と号し、上田秋成
      が無腸としたように。

      あるいは魚は声がないから、
      魚声居士としたらどうか。
      いや、これもおもしろくない。

      とつおいつ考えた末に、
      呑珠庵という号がひらめいた。

      自分が咽頭に腫瘍を生じたのは美し
      い珠を呑みこんでしまったためで、
      珠がつかえているから声が出ないと
      いう見立てである。

      スペインの蕩児ドン・ジュアンに
      音が似ているところも気にいった。

      呑珠庵。
      響きもいい。

      そうして渋澤は個室のベッドに仰向
      けに寝たまま、呑珠庵の号を採用
      することにしたのである。


      
      ああ、重篤の病得て、この頭脳の
      明晰さ。
      

      渋澤が読書中に頸動脈が破裂して
      ついに帰らぬ人となったのは、
      この手術から9ヵ月後である。
      

      読書中に絶命するなんて、
      羨ましいといえば羨ましいが、
      59歳の若さである。
      存命ならどんな作品を遺したろう
      と、惜しまれる。

     
      「墓地は死者の現住所」とは
      いうけれど、
      折しも春の彼岸は今日でおしまい。


      ※ 渋澤龍彦の墓石の横に立って
       いる墓碑。
       「渋澤龍彦」の横に、夫の最期
       を看取った龍子夫人の名前が
       見える。
       夫人はご健在である。



      
    

      
      

アダムの林檎

2014-03-16 17:10:58 | 雑記


      何が怖いって、私は病気になるよりも
      病院に入って平常心を失うことが怖い。

      ちょっと風邪ぐらいで病院にいっても
      気が散って週刊誌も読む気がしない。
      ただ漫然と(ぼおっーと)して時間を
      浪費するだけである。
      だから疲れる。

   
      まして入院なんかしたら……。
      本来の病気より、異空間というだけで
      気が滅入って、それこそ精神を病んで
      しまうだろう。


      物書きはだいたい自意識過剰でワガマ
      マだから、病院は大嫌い。
      どうしても病院に行かなければならな
      いとなると、
      場につれていかれる家畜のように
      シュンとなってしまう人が多い、
      そう思っていた。 

     
      
      ところが、渋澤龍彦の著書を読んで
      こんな対処法もあるのかと目を見開か
      された。
      これは彼の精神力なのだろうか。
      強靭な、というべきか、ほとんど
      思想といってもいいかもしれない。

      下咽頭ガンで気管支を切開したため、
      いわゆるノドボトケも失った。
      ヨーロッパでいうところの
      「アダムの林檎」である。


      突起物を失った代わりに、喉の下に
      ぽかりと一つの穴があいた。
      これによって呼吸するのである。
      鼻は無用の長物となった。

      見舞客はいう。
      「その穴は一時的なもので、いずれは
      ふさいでしまうのでしょう」
      渋澤は声が出ないから筆談で答える。
      「いや、そうじゃない。私が生きてい
      るかぎり、この穴はいつまでも開いて
      いるのです。ふさいだら死んでしまう」

      ここにいたって、見舞客とこんな話が
      できるだろうか。
      私だったら、痛いのつらいのと嘆き、
      陰々滅々たる状況を切々と訴えるで 
      あろう。

      そう思う一方で、
      私は、ここに一つの光明をみる思いが
      したことも事実である。
      病気を客観的にとらえ、幻覚を直視し、
      医師との会話すらも分析すれば、
      入院もまた異なったものになるに相違
      ない。

      私はまたひとつ生きる勇気をもらった
      気がしたのである。

      ※ 静かで趣のある浄智寺の山門
      


          
      
      
  
      
      
      
      

幻覚

2014-03-13 14:27:46 | 雑記


     渋澤龍彦は1986年(S61)下咽頭癌
     で気管支を切開し、声を失った。
     (亡くなる前年、58歳のときである)

     東京の慈恵医科大学に入院して15時間の
     大手術をうけた。 
     痲酔からさめ、手術から3日目に痛みどめ
     の薬を点滴してもらったところ、ひどい幻
     覚におそわれた。

     これは奇怪というかユニークな体験でも
     あるので記しておきたい。

     痛みどめは一種のモルヒネで、合法でも
     あるのだが、
     先ずシミひとつない真っ白な天井に東京都
     の地図が詳細にあらわれた。
     何々区というような文字まで見える。

     「おい、天井に地図が描いてあるだろう。
     おかしいな。どうして病院の天井に地図
     なんか描いてあるのかな」
     声が出ないから、筆談で面会にきた奥さん
     に聞いた。
     
     「え、地図なんか描いてないわよ。あなた
     目がどうかしたんじゃない」
     奥さんにそういわれても地図は一向に消え
     ない。

     蛍光灯にはゴシック体でカンディンスキー
     とモンドリアンの文字がはっきりと見える。
     どちらも抽象絵画の巨匠である。

     換気孔やスプリンクラーといったものが
     少しずつ動きだしたかと思うと、
     やがて舞楽の蘭陵王そっくりのおそろしい
     顔になり、鎌首をもちあげてにらんでいる。


     また部屋の隅のロッカーにガウンが吊るし
     てあり、その上にドライフラワーが飾って
     あるのだが、そのドライフラワーがガウン
     を着た巨大な怪人となっておびやかされる
     のにも閉口した。


     大きなクモあるいはカニが節くれだった   
     脚で這いまわったり……
     いずれもリアルでなまなましい現実感と
     存在感にあふれるものばかりであった。


     しかしこれは外部に投影されたもので、 
     目を閉じると瞼の裏に別の幻覚があらわ
     れた。
 

     インドの寺院の浮彫のように、半裸の男
     女がからみあったかと思うと、場面が
     変わって東南アジアの市場のような風景
     になり猥雑な行為をしたり、品物を強引
     に売りつけたりする。
          

     医師に訴えると、幻覚といったおおげさ
     なものではなく、ストレスによる神経
     過敏の症状にすぎないといった。

     だが渋澤は、あれほど鮮明なイメージを
     伴うものがストレスからなどという曖昧
     なものから生ずるはずはない。
     あきらかに薬物による中毒だと思った、
     というのだが。
     (病院ではそのことを明確にしたくない
     らしく、最後まではっきりした説明をす
     ることを避けていた)


     五日目には幻覚はぴったりとあらわれな
     くなった。

     奇妙な乱交パーティが見られなくなった
     かわりに、本も読めないから退屈になっ
     たというが。

     私は副作用のない漢方薬で変な夢をみた
     という経験があるので、
     癌の痛みを緩和するモルヒネなら大いに
     あることだと思った。

     そして重篤な病気になったとき、
     どんな幻覚をみるのだろうと恐ろしくも
     あり、どきどきするのである。

     
    ※ 渋澤龍彦著
      『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』
                   立風書房
     
     
     
     
     
     

渋澤(龍彦)ワールド

2014-03-08 15:33:38 | 読書



      ある同世代の人(男性)が2倍の速さで
      歳をとっているような気がすると云って
      いたけど、全く同感である。
      ついこの間、お正月を迎えたばかりと
      思っていたのに、昨日は菩提寺からお彼
      岸の供養の報せが届いた。

      ぼやくのはこのくらいにして、
      渋澤龍彦のお墓に詣でたのは昨年の晩秋
      だった。

      鎌倉に住んで3年ちょっと、これでも鎌
      倉の文人、作家に敬意を表して鎌倉文学
      館には四季折々、常設展、特別展なども
      足をはこんできた。
      だが、故(個)人の墓に詣でるのは初め
      てである。

      その日、北鎌倉の浄智寺で朗読講座があ 
      り、その企画の一環として墓参もふくま
      れていたのである。

      渋澤龍彦といえば北鎌倉に在住した作家
      (1987年逝去。59歳)で、
      マルキ・ド・サドを日本に紹介する傍ら
      人間形成や文明の暗黒面に光をあてる
      多才な作品を発表。
      というより、
      怪奇小説、幻想小説で有名である。

      その怪奇、幻想、官能的な美への追及は
      死ぬまでやむことはなく、独特な渋澤
      ワールドを創りあげた、
      と私は思っている。

      実をいうと、
      むかしのボーイフレンドが渋澤が翻訳
      した『悪徳の栄え』(上下巻)を絶賛し
      ていて、それを契機に恋は終わった
      (私がフラれたのだが)
      というニガイ思い出があって、渋澤文学
      はずーっと敬遠していたのだ。
      (失恋の傷の根は深い)

      ところがところが、
      上記の本は置いといて、他の作品を読む
      となかなか味わい深いのである。
      長年読まずに失礼したというより、
      損した感じなのだ。

      齢70にして新しい作家を発見すると
      いうのは悦ぶべきか、嘆息すべきか。

      ちなみに「サド裁判」で有罪になり、
      渋澤は世紀末美術の画家、
      エゴン・シーレの言葉にちなんでこう
      いった。
      「芸術作品はひとつとして猥褻なものは
      ない。それが猥褻になるのは、それを見る
      人間が猥褻な場合だけだ」

      ※ 浄智寺にあるお墓には今でも渋澤
       ファンが訪れ、彼の好きだった洋酒
       や煙草が供えられている。

      
      
      


      

      

      
      

『アンネの日記』再び

2014-03-02 14:14:57 | Weblog


      東京都内の公立図書館で計308冊の
      『アンネの日記』が何者かによって
      破りとられた事件。
      それが町の本屋にもおよび、池袋の書
      店(ジュンク堂池袋本店)では2冊の
      新しい本が被害に遭ったという。

      最初、私はこのニュースを聞いたとき、
      タチの悪い愉快犯くらいにしか考えて
      いなかったのだが、
      これだけ被害が大きくなってくると、
      「悪質な迷惑行為」として三面記事では
      すまなくなってきているようだ。

      すでに国際問題にまで迫り上がってきて、
      日本の「右傾化」を心配する向きもある。

      いや待て。
      これまで歴史的にも、反ユダヤ主義的な
      行動がほとんど見られなかった日本である。

      確かに大戦中、日本はナチスドイツと同盟
      関係にあったが、ナチスの再三の要求にも
      かかわらずユダヤ人迫害に同調することは
      なかった。

      それどころか、ユダヤ人に「命のビザ」を
      発給した杉原千畝(ちうね)は世界的にも
      知られている。
      また、そのビザで日本にきたユダヤ人の
      滞在延長を助けた小辻節三(せつぞう)
      など、ユダヤ人が恩人と仰ぐ日本人も
      少なくないのだ。

      幸い、イスラエル大使館からは「杉原千畝」
      名で300冊寄贈する旨の申し出があった
      という。
      
      ともあれ犯人は日本人なのか、単独犯、
      または組織的な犯行なのか、
      根の深い事件ではないことを祈るのみ
      である。