一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

辰(年)から巳(年)へ

2012-12-30 07:49:32 | 


     暮になって出たり入ったりして落ち着かない。
     しかしこのまま1年の〆をしないのも気持ちがわるい
     ので、明日からの外出の前にご挨拶を。

     年末の特番で「今年の十大ニュース」などをチラっと
     みて、唖然とした。
     ついこの間の事件や出来事が「えっ、そうだっけ」と
     いった感じなのだ。

     こちらがボケているせいもあるけど、余りあわただし
     くて、7月に行われたロンドンオリンピックですら
     遠い過去のように思える。

     清少納言は『枕草子』でいみじくもこういった。

       ただ過ぎに過ぎゆくもの、
       帆かけたる舟、人の齢(よわい)、
       春、夏、秋、冬。

     とにもかくにも、何とか無事に1年を終えられたこと
     と、みなさまのあたたかい励ましをいただきましたこ
     とに感謝して。

     くれぐれも佳きお年をお迎え下さいますよう。

    (写真はすっかり準備の整った鶴岡八幡宮の大鳥居)
     
     

アベノミクスとX’マスケーキ

2012-12-25 15:19:45 | 雑記


     この間の総選挙をうけて今日は野党に陥落した民主党
     の代表を選ぶ日、
     明日は3年3ヵ月ぶりに政権奪取した自民党の組閣が
     決まる。

     景気対策も外交も被災地の復興もぐずぐずしているヒマ
     はない。迅速にやってもらいたい。

     それにしても、このところアベノミクスという聞きなれ
     ない言葉が行き交っている。
     これは安部総裁の構想する経済政策のことをいうらしい。

     それはそうとこのシーズン、クリスチャンでも何でもない
     者にとっては、やはりケーキでしょう。
      
     ちょっと出かけると、街にも駅構内にもいたるところに
     ケーキ屋が出店して呼び込みをやっていて、かつての
     バブル景気の頃を思い出した。

     
     そのX’マスケーキだが、なんでもTVの情報によると、
     このところの不景気でずっと5号(直径15cm)が
     主流だったのに、
     今年は一気にUPして7号(21cm)が売れ
     筋なのだという。

     これはアベノミクスへの期待感のあらわれなのだ聞いて、
     これまたびっくり。
     そんなことに直結するのか。
     それだけ国民の大多数が景気対策を望んでいるというこ
     とだといわれると、そんな気もする。

     ところでわが家だが、やっと念願かなってホルトハウス
     房子さん家(ち)のケーキになった。
     (見た目は大変地味です)

     ホルトハウス房子さんの店は、鎌倉山の奥まったところ
     にひっそりとある。
     4~5人坐れるカフェもついて、手作りケーキとお茶も
     いただける。

     わが家から歩いて十数分で行けるので、私も散歩しながら
     時折のぞかせていただくのだが、ちょっと高価で手が出ない。
     それなのにすごく人気があって、去年のこの時期には予約が
     いっぱいで、買うことができなかった。

     今年は早めに予約して、写真のようなケーキに。
     やや小さめのブッシュドノエルのようなもので、「冬物語」
     という名前がついている。          
     (周囲の飾りものはわが家の雑貨)

     それでお味は?
     洋酒がほどよくきいて、しっとりして確かにおいしい。
     市販の一般のケーキと比べてどお?
     う~ん、それを表現する言葉を持たない。
     それ以上は趣向というか、好みの問題というほかない。

     輪切りにして一切れいくら?なんて、無粋なことは止しま
     しょう。
     おいしいものをちょっぴり戴くのが贅沢といわれたら、
     また返す言葉もないのだ。
     
     

     

     
 
          


     

     

一杯のコーヒーを所望するように

2012-12-22 09:23:31 | 雑記


     このタイトルは本当いうと「死にたくなる」だが、
     それではいかにも物騒なので、ぼやかした。
     つまり、まるで一杯のコーヒーを所望するように、
     いとも簡単に「死にたくなる」のだ。
     (死にたいなんて不遜なことと承知の上)

     夏の暑さで死にたくなり、こう寒くなるとまた、死に
     たくなる。
     年末になると、恒例のようになっているひどい風邪。
     市販の薬では効かず、結局医者にかかる。
     (免疫力が弱まったせい?)

     
     それにこのところ、朝起きると瞼が腫れあがったり、
     目のふちが赤く、何かにかぶれたようになっている。
     最初、寝相が悪いせいかと思ったが、何日たっても
     良くならない。


     あんまり腫れあがって瞼が垂れたときには、TVで
     見た「視界狭窄症」を疑い、皮膚科にいった。
    (視野が狭いのはオマエの心だろうと突っ込みながら)

     そしたら花粉か何かのアレルギーで、これまた流行
     なんだとか。塗り薬と飲み薬をもらってきた。
    
     しかし「死にたい」なんていったら年寄りの繰りごと
     と取られるのがオチだから、いわない。
     それに死にたい、死にたいという人に限って病院に
     マメに通い、せっせと薬を飲んでいる。

    
     あっ、自分がいい例! 今になって気づいた。

     前回、夜明けのことを書いたが、いつの間にかあれ
     から10分以上おそくなっている。
     ああ、地球は回っているのだ。
     こうやって1日、1ヶ月、1年が過ぎるのだと実感
     する。

     折しも昨日は冬至。
     写真のようなユズを8ヶも湯船に浮かべた。
     風呂に入りながら面白くなってユズをもみもみして   
     いたら、(柑橘類の)揮発成分が出て、ヒリヒリし
     て入れなくなった。

     そういえば何年も前、ミカンの皮がアロマの替わり
     になると聞いて入れたら、やはりヒリヒリして痛い
     と家族から文句いわれたことを思い出した。

     あれって、乾燥させればいいのだろうか。
     愚かなことは繰り返す。
     こんなことも厭世の1つの原因です。
     

     

       
 

     

     

     
     


     

この刻(とき)だけは

2012-12-16 16:47:09 | 自然


    「食べる」「寝る」を最優先させるので、いつも
    ではないが、私はたいてい早起きである。

    午前4時に起きて(これはほとんど趣味!)簡単
    な朝食や洗濯機をまわし、机に坐るのが4時半、
    新聞をパラパラめくり、パソコンを起動し、
    前日書いたことなどをチェックし、
    またまたコーヒータイム。

    カーテンをあけると窓から見える山の稜線が少し
    明るみはじめる。
    今の季節でいえば、夜明けは6時2~3分から
    15分の間。

    
    コーヒーをすすりながら暁光をながめる。
    この刻だけはポジティブシンキングになって、
    あれやこれやの憂さを忘れて、よし今日も元気で!
     な~んてけなげに思ったりする。
    
    
    しかしそれも束の間、
    陽が昇ればすっかり現実にもどって、もとのもくあみ
    なのだが。   

    ほんの10分少々の時間。
    私にとっては至福の時間なのだ。

    (写真は10日間ほど前の夜明け。
     ついこの間までは月の下に「明けの明星」
     が見えたのだが、天体ショーもどんどん
     変わる) 

  ※ 「夜明け」で思い出した。
    藤村の『夜明け前』である。出だしは、
    「木曽路はすべて、山の中である」
    ではじまる。
    1886年までの幕末、明治維新の激動期を中山道
    の宿場町であった信州木曽路の馬籠宿
    (現在の岐阜県中津川市馬篭)
    を舞台に、主人公の青山半蔵をめぐる人間模様を
    描いた小説である。

    藤村晩年の大作で、よほど根気がないと読めない。
    私も何度も挫折して、途中でやめ、また読んでは
    やめしたことを思い出した。

     かくほどに本当の「夜明け」を迎えるのは大変な
    ことなのである。
    
      
 
    

おっとっと

2012-12-14 10:54:14 | 季節


      街に出るとクリスマス一色の中に選挙カー。
      白い手袋をした候補者とウグイス嬢が、飼い主に
      連れられた犬にでも手を振りそうな気配だ。
      「ご声援、ありがとうございます」
      この候補者に何を託せばいいのか。

      ああ、早い。
      去年の年賀状だってこの間書いたばっかりなのに……
      とついため息が出てしまう。

      年をとると1年が早い、というのはよく聞くことだ。
      このブログでも2回くらい、このことに触れた記憶が
      あるのだが、それでもこの季節になると性懲りもなく
      同じことをつぶやいている。

      子どもの頃は見るもの、聞くもの、すべてが未知の
      世界で新鮮だった。
      それに引きかえ、大人になると、日々のことはくり
      返しで、真新しいことなんてぜ~んぜん。

      毎日入る情報だって、どこかで聞いたこと、見たよ
      うなことばかり。
      グルメ番組なんて、胃袋の許容量が少なくなった今   
      では見る気もしない。

      それに季節の変化も1年を早めているような気がする。
      暑さ寒さも彼岸までというが、近年は彼岸過ぎても
      暑く、寒い。     
      
      こちらが年々、季節の変動にうまく対応できなく
      なったせいもあるが、まるで季節は四季ではなく、
      二季になったのではないかとさえ思える。

      それでもこうして無事でいられたことに感謝しな
      ければならないだろう。
      愚かな私でもたまには殊勝な気持になるのです。

      (写真は街角でみたサンタ、
       いまにも落っこちそうで「おっとっと」
       あ、これ選挙関係者には禁句だった)
       
   
     
     
      

      
      
      

猪か山賊か

2012-12-11 18:11:37 | 雑記


       翌日、多少の興奮といくばくかの惜別の思いを抱
      いて帰りのバスに乗った。
      こんどは南相馬ーー福島ーー東京の逆ルートである。

      途中の山越えは折からの紅葉と前日の雪がマッチし
      て目の覚めるような絶景だった。
      やはり美しさは自然のきびしさがあってこそ、
      ぬくぬくと暖まっていてはそれなりのものしか得ら
      れないのだろう。

      すると車掌(運転手)の声。
      「途中イノシシが出る……いや、イノシシのような
      歩き方をする人がいるのでシートベルトはお締めく
      ださい」

      そうか、イノシシか。いや、イノシシのような歩き
      方をする人か。笑った。

      地図でみると明らかだが、かなりの山越え(峠越え)
      だから、イノシシだって出るだろう。
      昔なら山賊だ。
     
      それにしても昔の人はよく歩いた。

      みちのくといえば芭蕉である。
      芭蕉が平泉を訪ねた後「尿前の関」(しとまえのせき)
      を越え、

        蚤虱 馬が尿する 枕元

      の句で有名な堺田の関守の家に泊ったのは陰暦の5月
      15日(陽暦7月1日)である。

      江戸を出て50日も経っていた。
      結局そこでは梅雨の大雨にたたられ2泊、ようやく
      尾花沢に向かうが、途中の山刀伐峠(なたぎりのとうげ)
      で四苦八苦、土地の若者に案内してもらってようやく
      峠越えをした。

      尾花沢では旧知の清風に会って気持ちもほぐれ、疲れも
      癒されたようで、10日間という長逗留になった。
      そこでこんな句をよんだ。

        涼しさを 我が宿にして ねまる也

      今や舗装された道路をバスで越え、句もつくれない私は
      新幹線に乗ってから爆睡した。

      (写真はバスの窓からみた紅葉と雪)
      
            
      
      

      
           

トンネルを抜けると

2012-12-08 17:37:06 | 


      福島に行ったのは新橋の会合の翌朝。
      場所が中華料理店だったので、前日の昼から
      飲んだ紹興酒が心配だったが、
      (少し控えめに飲んだこともあって)
      なんとかクリアした。

      以前にも書いたが、常磐線なら直通のところが
      鉄路が3・11以来封鎖されたままなので、
      東北新幹線で福島までいって、そこから高速
      バスに乗るという迂回方法をとらなければな
      らない。

      新幹線だと東京駅から福島駅まで1時間半。
      そこから南相馬市までバスで2時間なのだが、
      どうしてもバス発車までかなりの待ち時間が
      出る。(バスは1日4往復)

      ま、ロスというか、近頃はそれを逆手にとって
      コーヒーを飲みながら本を読むことにしている
      のだが。

      東北新幹線は山間地帯を走るのでトンネルも
      多い。
      東京駅を出発して1時間、郡山の手まえから
      もう雪景色になって、福島到着の頃は真っ白に。

      現地の人は慣れているから平気な顔をしている
      が、すっかり軟弱になってしまった私は首をす
      くめて、すべらないよう転ばないよう、へっぺ
      リ腰(これって標準語?)で歩く始末。

      コートの襟を立ててバス待ちしていたら、同じ
      年代の女性がいらして、埼玉の避難先から相馬
      の家に行くところだという。
      「避難先はどこ?」
      と聞かれて、とっさに言葉が出なかった。

      相馬は太平洋に面しているので、さすがに山側
      の福島ほどではなかったが、今冬初の降雪で
      日陰には白いものが残っていた。

      で、肝心の取材は、 
      中央図書館で詩人の若松丈太郎さんにお目にか
      かり、有意義なお話をうかがい、貴重な資料も
      たくさんいただいてきました。

      本は東京にいても手に入るのだが、関連資料や
      それにいたるまでの経緯、エピソード、苦労話
      等はやはり直接お会いしないと得られない。
   
      書く上で、そういったものが案外生きるので、
      労を惜しんではいけないということでしょうか。
      いつも横着で安易な道ばかり選んでいる私は
      反省しきりなのです。  

      
      目下はそれの整理、いただいた資料に読みふけ
      っているところです。

      (写真は高速バスからみた福島市街の雪景色)
      
      
      

      

      

      
      
      

      

一声は一声でも

2012-12-04 13:44:49 | 雑記


    今日、衆議院議員総選挙の公示日。
    朝10時、近くの集会所の前を通ったら二人の候補者
    の写真がすでに貼られていた。
    30分後、帰りにはもう1枚増えていて、これから又
    用事で出かけるのだが、ほぼ出そろっていることだろ
    う。(午後3時現在)

    お昼のニュースでは各党の党首がいわき、福島市、
    飯館(いずれも福島県内)で第一声を上げたと伝え
    ていた。
    原発、消費税、景気、TPP……問題は山積みだか
    ら、選挙までの12日間は選ぶ側も問われる日々で
    ある。

    こちらは一声は一声でも候補者ではなく「汽笛一声」
    のこと。
    といえば新橋駅のSL広場である。

    1872年(明治5)新橋ーー横浜間を初めて汽車が
    走った。 
    1972年(昭和47)鉄道百周年を記念して、新橋
    駅前に写真のようなSLが設置された。
    (これは「C11 292号」とのこと)
    
    今では渋谷のハチ公前と同じように待ち合わせの場所
    となっている。

    なぜこんなことを思い出したかというと、先週末、
    学生時代のサークルの集まりがあって、新橋に出かけ
    たからである。
    SLの前では日に3回(12時、15時、18時)に
    数秒間汽笛が鳴ることになっていて、ちょうどその時間
    帯に通ったものだから、昔懐かしい「ボオーッ」という
    音を聞いた。

    で、肝心の集まりは20名ほど。
    物故者も少なからずいて、誰彼の噂から病気のはなしへ。
    当日の出席者はそれなりに元気だった。
    (元気だから出てくることができた!)
    それでもそれなりに病歴はあって、勤めていた頃とちが   
    って時間も(それなりの)お金もある現在、最も関心
    のあるのは健康ということか。

    脂ぎって野性味のある昔日を思うと、ちょっと寂しい気
    がしないでもない。
    もっともこれはお互い様でもあるが。

    誰でも老いることはできる。
    だが、誰しも自分の思ったように老いることはできない。

    帰りの電車の中でそう思った。
    (おのれの肝に銘じることとして)