一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

ああミステイク

2019-03-31 19:35:15 | 雑記

       明日4月1日、
       新元号が発表されるのにあたって
       大きなミスをしてしまいました。

       今日が平成さいごの日ではなく、
       明日はあくまでも公表の日。
   
       新元号が替わるのは
       5月1日。

       なので、
       平成さいごの日は
       4月30日。

       私のちっぽけな決断も
       あと一ヶ月あるというわけ。

       夕方、車を運転していて
       カーラジオを聴いている途中で
       はっと気づきました。

       ハハハ

平成さいごの日

2019-03-31 14:30:32 | 雑記


      とうとう平成さいごの日を迎えた。

      残された時間はあと半日。

      時代が変わるわけだから、
      新しいことを始めるのにもちょうど好いと、
      ここ何日か考えてきた。

      先ず、
      新しいことを始めるには、
      旧いことを棄てねばならぬ。

      なにを棄てて、  
      なにを始めるのか。

      いよいよ決断のとき。 

      残された時間をしがらみなく、
      自由にのびのびと過ごすために、
      きっぱり決めようと思う。

      {このブログ、実は大間違い。
       夕方になって気付き、
       次回のブログで訂正しました}

      ※ 午前中、街に出て大仏さまの前を
        通ったら、さくらがちょうど見ごろ。
そこで一句
        「散る桜 残る桜も 散る桜」
                 良寛



   

      
      

ひとまず

2019-03-30 14:42:15 | 雑記


        またもパソコンのはなし。

        今週半ば、
        私のパソコンを預かってもらってメンテナンス。

        2泊3日。

        その間、仮のパソコンをお借りしたのだが、
        車検のときの代車と同じで
        落ち着かないのなんのって。

        そして帰ってきたパソコン、
        いやあ快適!!
  
        回転(?)もはやいし、
        迷惑メールもいっさい入らないから、
        これまでの苦労はウソのよう。

        実に気持ちいい。

        あのストレスはどこへ。
        時間ばかりかかって、ちっとも進まなかった作業。
        
        本来はこうだし、
        元をただせば、
        パソコンなんて使わない時代は、
        もちろんメールなんてなかったし、
        余計な気苦労なんてなかった。

        いかし、
        いったん手にいれた便利グッズ、
        その味を知ってしまうと、もう手放せない。

        結果、
        余計な気苦労を背負い、
        時間のロスも半端ない。

        総合的にみると、
        時間、金銭面、その他もろもろ
        損か得か分からないけど、
        禁断の木の実をかじったことは事実。

        だが、
        このパソコンも遅かれ早かれ、
        年内にはWinndou10に替えなきゃならないのだ。

        一度手に入れれば
        半永久的に使えるものではない、このIT機器、 
        もう頭も気力も追いつかない。

        いまは、
        ひとまず収まったパソコンの乱にほっとして、
        戯れているようなもの。

        ひとまず、である。   
              
        
  
        

花冷え

2019-03-29 15:14:21 | 自然


       東京では全国でもっとも早く
       桜が満開になったとか。

       ここ鎌倉はちょっと奥まっているせいか
       まだまだ。

       樹によっては2分か3分咲きもあるけれど、
       ソメイヨシノはほころび始めたところ。

       今春は花粉症がひどく、
       一週間おきに病院に薬をもらいに行き、
       服薬しているのだけど、  
       まだ改善しない。

       そんなこんなしている間に
       桜の季節になってしまった。


       ああ早い。
   
       そして今日は、
       花冷えだ。

       いったん仕舞った冬物を出して羽織っている。

       桜の季節にありがちな「花冷え」

       北海道では「リラ冷え」というのだそうな。

       あと2日で3月も終わりで、
       新学期がはじまる。

       ちょっと気合を入れて
       新しい年度を迎えたいところ。

       そのためには、
       この花粉症とおさらばしなくちゃ。

       ※ 隣家の庭のさくら
         このブログを書いている部屋から見えて
         楽しませてもらっている。
  
      
       

後悔などあるはずもない

2019-03-24 07:22:40 | スポーツ


       運動オンチの私、
       野球も高校球児の甲子園試合を見るくらい。

       メジャーリーグはおろか、
       日本のプロ野球にもほとんど興味もないのだが、
       今回のイチロー選手の引退会見には、
       ちょっとウルッとした。

       ユニホーム姿で会見場に現れたイチローは
       冗舌だった。

       メジャーに挑戦した2001年を振り返り、
       こういう。

       「新しい世界に挑戦するのは大変な勇気。
        成功と思うからやりたい、
        できないと思うから行かないという判断
        では後悔を生む。
        やりたいなら挑戦すればいい」

       さらに積み重ねた偉業については、
       こういって実感をこめた。

       「自分の限界をちょっと超えることを繰り返す。
        その積み重ねでしか自分を超えられない」

       ときに目を潤ませることはあっても、
       決して涙を見せない。

       むしろ爽やかな笑顔で、
       日米28年目の野球人生を振り返って、
       こう結んだ。

       「最後にこのユニホームを着て、
        この日を迎えられたことを幸せに感じます。
        後悔などあろうはずがありません」

        ※ TV画面から

コンビニ事情

2019-03-23 10:22:52 | 雑記


       このところ立て続けに
       (私としたことが) 
       ネットショッピングを3件ほどしてしまった。
 
       本来、
       ネットやTVショッピングが好きでないのだが、
       買物にいく時間が取れなかったことと、
       この時代、そういったものに慣れておくことも
       必要だと考えはじめたのである。

       それで支払いは、
       ① カード
       ② 現金引換え
       ③ コンビニ振り込み(前払い)
       の三方式に(結果的にだが)なった。

       ①のカードは便利だが、
       なぜか見えないところでお金を引き落とされる
       不安感というか、不信感がある。

       ②の現金引換えは宅配便の人にお金を払うケース。
       これが一番私にとっては納得するのだが、
       手数料が260円ほど加算されることを考慮しな
       ければならない。

       ③はコンビニでの前払い。
       これはコンビニに出向く手間は要るが
       支払いが済むと即、業者から配送する旨
       メールが入るので、手早い対応に感心。

       私はこんな時にしかコンビニに行かないのだが、
       ここからが本題。

       例の24時間営業云々の話題。

       深刻な人手不足がことに、
       地方のコンビニに大きな影響を与えているらしい。

       深夜休まず営業すれば赤字がかさむばかり。
       それに対して本部は24時間営業を建前と
       して、それに反すれば多額の反則金を科す、
       といった問題だ。

       そもそも店舗が24時間開いている必要が
       あるのかどうか。

       たしかに、
       世の中には深夜に働いている人もたくさんいて、
       そういった人は惣菜や飲み物など買いたいだろう。

       それに、コンビニが開いていれば、
       防犯上、安心といった人もいるらしい。

       しかし、コンビニの場合、
       都会と地方では大きく事情が違ってくる。

       眠らない東京の街では、
       終夜営業のコンビニも客が絶えず、
       稼働率はたかい。

       一方、深夜に数えるほどの客しか来ない
       地方の店舗で、やればやるほど赤字になり、
       人員確保もできない状態で続ける必要が
       あるとは思えない。

       つまりケースバイケース。
       地域事情をふまえ、
       営業時間は店舗にまかせてもいいのではないか。       
      

       すでにファミリーレストランの「ロイヤルホスト」
       が終日営業をやめるなど、
       外食、小売り業界で取り組みが進んでいる。

       時代を先取りした商品やサービスで、
       業界をリードしてきたコンビニで、
       なぜ対応が遅れているのか。

       そもそも24時間の看板を下ろさないことが
       成長につながるのか。

       めったにコンビニに行かない私だが、
       今後もこの成り行きに注目していきたい。
       
       

       
   

       
       
       
      

       
       

泳ぐのに、安全でも適切でもありません

2019-03-17 08:10:46 | 読書


      今日は江国香織著の
      『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』
      について。

      英語でいえば、
      It's not safe or suitable to swim.
ということになる。

      著者は、
      この看板をアメリカ大陸を旅行中、
      湖畔で見つけたそうだ。

      直訳すれば表題のようになるが、
      これが映画の字幕であれば、
      「遊泳禁止!」
      となるだろう。

      それをあえて、
      学校英語のように直訳するあたり、
      江国香織作品の醍醐味があるのだが。

      ここでは小説のあらすじについては触れない。

      だが真髄をいえば、
      著者はあたかも、
      [to swim]を
[to live]かのように
      小説のなかで「生きる」ことを語っている。

      本のあとがきにはこう書いてある。
      「人生はもちろん泳ぐのに安全でも適切でもないが、
       彼女たちが蜜のように一瞬を生きたということを
       ……
       小説のうしろに、ひそかにひそませることが
       できたら嬉しい」

      著者によれば、
       「瞬間の集積が時間であり、
        時間の集積が人生であるならば、
        私はやっぱり瞬間を信じたい。
        安全でも適切でもない人生で、
        長期展望にどんな意味があるのか」
      ということになるのだそうだ。

      江国香織作品は平易で読みやすい。

      決して難しいことは書いていないのだが、
      その示唆するところは深い。 
        
      (お詫び)
       文中、一部はみだして列がそろわない
       ところがあります。
       いくら修正してもなおらないので、
       悪しからず。
        

      

ああ、パソコン

2019-03-16 09:59:12 | 雑記


      迷惑サイトがしきりと入るようになってから
      2~3ヶ月経ったろうか。

      消しても消しても
      雨後のキノコ(竹の子?)のように
      ニョキニョキと生える。

      ああ、わずらわしい。

      と思いつつ、
      その都度削除して作業にはいるのだが、
      またもや要らぬサイトが画面を覆う(怒!!)

      そのうち、
      ワード(文書)が開かなくなった。

      えっ、えっ、
      半ばパニック状態に。
      (とりあえず急ぎの原稿をなんとかせねば!)

      だが、何度やってもダメなものはダメ。

      とうとう、
      パソコンインストラクターのMさんに
      来てもらった。

      やはり、
      ワードが開かなくなったのは、
      迷惑サイトのせいだったことが判明。

      サイトの処理をやってもらって
      どうにかワードは開いたが、
      重要なことを宣告された。

      ワードが開いたのは一時的なもの。

      まだまだ表に出ない迷惑サイトが隠れていて、
      それの処理をしなければならぬ。

      そのために後日、
      Mさんにこのパソコンを託して
      24時間体制で削除してもらい、
      (その間は仮のパソコンを貸してもらう)
      直してもらう。

      だが、その前に、
      もっと重要なことを云われてしまった。


      遅かれ早かれ、
      このパソコンは使えなくなるらしい。
      

      期限は来年の1月。

      つまり、
      私が現在使っているのは
      Window 7で、
      2020年の1月14日をもって、
      Window 10に
      切り替わるというのだ。

      何ということ!!

      今のパソコンをつかって3年ちょっと。
      やっと慣れたというのに。

      この手間ヒマを考えたら頭が痛くなる。

      いや、
      時間とお金をかければいいというわけではない。

      パソコンが替わったら、
      それに慣れるまで、
      大変な労力が要るではないか。

      もはや、私は、
      パソコン嫌いの、
      パソコン依存症。

      これなしには情報はおろか、
      原稿も書けないし、
      読書会その他の資料づくりもできない。

      かくして私は、
      今日も見えない敵におびえつつ、
      ブログを書いているのです。

       
      
      
      

      

月に吠える

2019-03-10 09:58:09 | 読書



       前回のブログで
       萩原朔太郎の『猫町』を取りあげたら、
       やはり『月に吠える』について
       触れたくなった。

       朔太郎の父は東京帝大を首席で卒業して
       前橋で医院を開業する超エリートながら、
       長男の朔太郎は、
       小学、中学、高校と中退、
       大学もうまくいかないという劣等生。

       そういう経歴が創作にも影響しているのか、
       どの詩も病的で暗い。

       朔太郎が処女作の詩集『月に吠える』を
       刊行したのは大正6年、
       30歳であった。

       遅咲きの詩人ながら、
       序文を北原白秋、跋文を室井犀星が書き、
       詩壇、文壇から激賞され、
       一気に名声を高めた。
       

       決して明るくはないが、
       どこか読み手の心を揺さぶるところが
       あって、放っておけない詩。

       2つほど紹介しておこう。
       
       「卵」
        いと高き梢にありて
        小さな卵ら光り
        あふげば小鳥の巣は光り
        いまはや罪びとの祈るときなる。

       「猫」
        真っ黒けの猫二匹
        悩ましい家根うらで
        ぴんと立てた尻尾の先から
        糸のような三日月がかすんでいる
        「あわわ こんばんは」
        「あわわ こんばんは」
        「おぎやあ おぎゃあ おぎやあ」
        「おわああ ここの家の主人は病気です」

        
       
       

猫町

2019-03-09 07:00:38 | 読書



       必要があって萩原朔太郎を読んでいる。

       朔太郎といえば、
       詩集『月に吠える』
       だが、
       今回はあえて『猫町』について。

       『猫町』は散文詩風の短編小説である。

       これには、いろいろな猫が出てくる。
       私はこれを読んだとき、
       朔太郎の抱えている苦悩、憂鬱、煩悶が
       分かるような気がした。

       つまり、
       私もこんな感覚になって迷子になったことがあり、
       他人事ではないような気がしたのである。
              

       『猫町』はこんな風にはじまる。

       「私(主人公)は毎日4、50町(30分~1時間)
        くらいの散歩をしていた。
        田舎町のどこでも、商人は算盤をはじき、役人は 
        煙草を吸い、来る日も来る日も単調な暮らしを
        続け、次第に年老いていく人生を考えている。
        ……その日もやはり……」

       こんな風に、もの思いにふけり、
       人生を考えながら散策する詩人。
       やがて道に迷い、
       気がつけば猫だらけの町にいた。

       そして、
       「詩人は道をなくしていた」
       「迷子になった」
       
       やがて、
       現実にもどされたときの不思議な感覚!

       自分は一体、どこの世界にまぎれ込んで
       いたのだろうか。
       夢か現(うつつ)か?

       私(内田)は
       歩いて図書館に行った帰り、
       完全に道をうしない(迷子になり)  
       一時間半ほど、さまよい歩いて、
       やがて現実に生還した。

       それは決して悲惨でも、寂しくもなく、
       幸福な体験であった。

       もっとも私の場合、
       詩人の要素とはほど遠く、
       単なる「方向オンチ」といったものだが。

       昔、年寄りはよく言ったものだ。

       「季節の変わり目は気がふれる」
       つまり、精神状態がおかしくなる。

       私は、そのたぐいかもしれない。