一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

視線を上げれば

2013-04-30 17:23:10 | 雑記


     昨日はこちら(横浜方面)に避難しているIさん
     の励ましを兼ねて、鎌倉を歩こうとなった。

     ふたを開ければIさんは奥さんのデイサービスの
     時間の関係で来れなくなり、集まったのは神奈川
     住まいの6名。
     Iさんは息子や孫と離れての避難生活で、奥さん
     の介護もしているのである。

     (福島県)南相馬市の中学校を卒業した同級生。
     2~3年ぶりの人もいるが、M子ちゃんは中学を
     卒業後一回も会わず、47~8年ぶりの再会だ。

     おそらく電車で隣り合わせに坐っても気がつかない
     だろう。
     話しているうちに糸がほぐれるように思い出され、
     そういえば大人しかったM子ちゃんの面影とつなが
     ってくる。

     思えば、全員が高度経済成長期に都会に出てきた
     仲間だ。
     サラリーマンとなった人もいよいよ定年をむかえ、
     家庭におさまった女性陣は、子や孫からも解放され
     て趣味に旅行にと自由を謳歌している。

     なかでKさん夫婦は中央林間で理髪店をいとなみ、
     いまや無くてはならない人、中心人物なのだ。
     何をやるにも彼がいなくては始まらず、なかなかの
     ムードメーカーでもある。

   
     いくら中学時代に時間をもどしても、現在の姿は
     想像できない。これまでの生き方、来し方が今に
     つながっていると思えば、感慨もひとしおである。     

     みなそれぞれに多難な時期があったであろう。
     人知れぬ思いに涙を流したこともあったにちがいない。
     だけど、いっさいの愚痴は無し。
     方言に笑いころげるなかに、それは隠されている。

     多難といえば、2年前の東日本大震災はそれを超える
     驚天動地のことであった。

     昨日集まったなかの半数以上が、津波の被害にあって
     生家跡も分からない状態である。

     それでも人間は生きていかなくてはならない。
     前を向いて、ちょっと視線を上にあげて。

     ※ そういえば下ばかり見ていた時には気づかなかった
      が、視線を上げれば山フジが見事である。
      写真は昨日いった鎌倉文学館の裏山のフジ
      
      
     
     
     
     

          


森のカフェ

2013-04-27 17:54:26 | 雑記


     庭に植えるべく樹木の種類を決めかねてまたも
     葉山の植木屋にいってきた。
     (たいそうな樹を植えるのではなく、あくまでも
      害虫につよく、手入れもしなくていい、手抜き
      の樹をえらぶためである)

     海岸にそって車を走らせると、由比ヶ浜から材木座
     を過ぎたあたりから、ちょっと趣がちがってくる。
     海にはサーファーというよりヨットが多くなり、
     道路をへだてれば深い緑……。

     
     葉山といえば葉山牛、葉山コロッケ(これは一個
     70円だそうだが、まだ食べたことがない)もあるが、
     ほかの有名店がそちこちに。

     美術館をはじめとして、
     プリンで有名な「マーロウ」、菓子舗の「日陰茶屋」、
     ケーキ屋の「サン・ルイ島」等々。
     「サン・ルイ島」はわが家の近くに小さなケーキ店
     があるのだが、最初はどこにでもある田舎のケーキ屋
     と思っていた。

     
     それにしてはお値段もそれなりのもので??と思って
     いたのだが、本店が葉山だと分かってからは妙に納得、
     心から羞じ入った私でした。


     それらの店が一か所に集まっているのでなく、緑のなか
     にポツンポツンと点在している。
     そのせいか、全体的にゆったりとして、時間がゆっくり
     流れている感じなのだ。

     所詮、せかせか人間には縁がないのだろう。
     落ち着きのない私のような者にはもっと人間くさい町が
     似合っているのだわ、と思いながら今日はひとまず
     パス。


     さて、今日から世間でいうゴールデンウィークに入る。
     私をのぞく家人が明朝から南の島にいってくれるので
     バンザ~イ(いってらっしゃ~い)なのだ。

     来客と、目の前に迫った課題と、外出のいくつかと、
     書きかけの原稿をどれだけこなせるか。
     気持ちだけ解放されて、与えられた課題の半分も終わ
     らないだろうなと思いつつ
     (これまでの経験から)
     一服入れた。

     ※写真は昼食のため立ち寄った森のカフェ。
      ここも海岸通りから山の方に入ったところに
      ポツンとある。
      テラス席はペットOK。
     
     
     

               

美しく、勁(つよ)い人

2013-04-21 16:57:01 | 雑記


    アウンサンスーチーさんは単に「美しい」だけでなく
    「勁(つよ)い人」が加わる。

    「疾風に勁草(けいそう)を知る」というが、まさに
    苦難にあってはじめて、その人の節操の堅さや、意
    志のつよさがわかるという、たとえ通りである。

    彼女はかつて京都に住んでいたことがある。
    1985年の10月1日から翌年の3月30日までの9ヵ月
    間、京都大学の客員研究員として。
    (ビルマの母親に会いにゆく3年前のことである)

    研究テーマはビルマ独立運動の歴史で、それには
    お父さんの故アウンサン将軍が深く関わっていたの
    だった。
    (アウンサン将軍は建国の父ともいわれる)

    日本に留学中のスーチーさんをよく知る大学教授は
    よく覚えていて、
    「美しく、穏やかで、洗練された英国式淑女という
    風情で、きれいな英語で話をする、気品のたかい
    素晴らしい女性であった」
    と語っている。

    また、こんなエピソードも。
    「京都では次男のキム君も一緒で、修学院の京大
    国際交流会館に滞在していた。自転車で川端通りを
    同センターまで通ってくるのだが、裾の長いロンジ
    ー(スカート)が車輪にからまるんじゃないかと
    心配したものです」

    若くて溌剌としたスーチーさんの、勉学にいそしむ
    姿が目に浮かぶようです。

    そして今回、どこの映像でも見られたスーチーさんの
    髪飾り。
    あの鮮やかな花の髪飾りは、再会することなく死別し
    た英国人の夫とかつて誕生日に贈りあった花で、
    これをいつも身につけていることで、無言の抵抗を
    示しているのだという。

    スーチーさんはあちこちに華やかな印象をのこし、
    19日に帰国された。

    ※ 写真は首相官邸を訪れたときのもの

    

    

美しい人

2013-04-20 15:30:28 | 雑記


     ミャンマーのアウンサンスーチーさんが13日に
     来日して以来、新聞に載っている彼女の映像には
     人を惹きつけてやまないものがあった。
     実に美しい人である。

     1945年生まれだから、現在67歳。
     ミャンマーの非暴力民主化運動のリーダーで、自宅
     軟禁3回、合計14年9ヵ月という経歴からも波乱万丈
     な生き方をしてきたかが分かる。
     (現在は軟禁解除)

     母親がインド大使だったためデリーで初等教育をうけ
     その後、イギリスに留学して27歳で英国人と結婚。
     2人の男の子にもめぐまれ幸せな生活を送っていた。

     母親の病気見舞いのため(当時の)ビルマに戻った
     のは1988年43歳のとき。
     以来、夫と子どものいるイギリスに帰ればビルマに
     再入国できなくなるため、そのまま居残って祖国の
     民主化運動を続けるのは、みなさん御存じの通り
     である。


     1990年に行われた総選挙ではアウンサンスーチー
     率いる国民民主連盟が大勝した。
     しかし軍政側は「民主化より国の安全を優先する」と
     権力の移譲を拒否し、これには国際的にも激しい非難
     を招いた。


    
     これによりアウンサンスーチーはノーベル平和賞を
     受賞。
     しかし軟禁中のため授賞式には出席できず、受賞演説を
     おこなったのはなんと21年後の2012年である。

     実際、軍事政権の圧力はひどく、夫がガンを患っている
     ときも夫や子どもたちのミャンマー訪問を認めず、
     夫は1999年死亡。
     ついに夫妻の再会はかなわなかった。

     ※ 写真は映画の一コマのような美しい映像
      (新聞より転載)

   

     
     
    
     

     

子安の里

2013-04-14 19:52:53 | 自然


     私が惹かれたのは御用邸から十数分ばかり山を
     のぼった子安(こやす)の里である。
     (正確にいうと、御用邸は三浦市葉山町で、
      こちらは横須賀市の範疇になる)

     写真のような里山で、人家がぽつぽつと点在する
     だけの光景に一瞬、落人の里?と思ってしまった。

     後でパンフレットをみれば、
     子安は江戸時代には秋谷村の小字で、この地に多い
     軽部姓の家の祖先が開いたと伝えられる、二十数戸
     の集落なのだとか。

      
     畑仕事のほか、かつては炭焼きなどの山仕事を生業
     としていたとかで、その名残であろうか、現在でも
     坂道のところどころに無人販売所(野菜売り場)
     がある。

     えっと思ってみると、坂の上のほうに農家らしき家
     があって、なるほどと思うのだが。
     (そのくらい、家が少ない)

     その近くに車を停め、採ったばかりの竹の子を買って
     きた。

     この美しい里山にこんな歴史というか過去があり、
     スーパーもコンビニもないまま現存しているのが
     奇跡にちかい。

     賑やかなところに慣れた人には寂しいかもしれない
     が、鎌倉の観光地からちょっと離れた、秘境の地と
     もいえる。
     

     

御用邸前を通り過ぎました

2013-04-14 18:14:22 | Weblog


     前回するつもりだった葉山は緊迫状態のなか、ふさわ
     しくないと思ってパスした。

     葉山といえば葉山マリーナ(日本ヨット発祥地)や
     裕次郎の碑もあるが、保養地の名を高めたのは何と
     いっても御用邸であろう。

     いずれも縁のない私なので、さっと通過しましたが、
     堅牢な門を見ながら、天皇一家が葉山にお出でにな   
     ったときの映像を思い浮かべました。
     御用邸のまん前が一色海岸で、お邸が浜辺とつなが
     っているのです。

     よく皇室御一家が、小さなお子たちと波打ち際で
     たわむれていますね、あれです。

     一つ新しい情報をいえば、大正天皇が亡くなられた
     のは、この葉山の御用邸だったそうです。

     
     この日は歩いて通る人もなく、ひっそりしていました。
     少し離れた七里ガ浜や江の島の海には、サーファーや
     ヨットマンであふれている(冬でも)のに、
     葉山の海は人っ子一人なし。
     夏になれば海水浴客もくるのでしょうか。 
     





一つ一つ見れば

2013-04-13 16:55:54 | 雑記


      このところ北朝鮮の挑発行為がはげしさを増し、
      中距離弾道ミサイル「ムスダン」の発射準備が
      整ったとか、「あとはボタンを押すだけ」といった
      ニュースに一瞬、緊迫感が走った。

      TVでは過度に騒がないようにといっているし、
      チャンネルを変えればいつも通りバカ笑いの
      番組が流れているのだが。

      一方で、私もこんなノーテンキなブログを掲載して
      いいのだろうかという思いもあり、何となく落ち
      つかなかった。

      このブログはあくまでも個人的なもので、
      政治、経済、宗教、教育面での大局的な議論は
      しないというスタンスではじめた。
      (もっとも最初から「論」は持っていないのだが)

      そのため、話題は日常の雑事にかぎられ、
      しかも極めて狭量な忘備録のたぐいになってしまう
      のである。

        ∞   ∞   ∞  ∞  ∞

      今朝起きたら、トップニュースは淡路の地震だった。

      それにさっき着いた夕刊には
      「アウンサンスーチー氏27年ぶり来日」
      とある。
      ロンジー(腰巻き)という民族衣装をまとった、
      たおやかなスーチーさんの姿に、このところのモヤ
      モヤも一掃されたような気分になった。

      ソメイヨシノはいつしか葉桜になって、今は八重桜
      が満開である。

      八重はその風情からして重々しく、あまり好きでは
      なかったが、一つ一つみれば実に可憐でソメイヨシ
      とはまた違った清さがある。

      国際間の問題もさまざまなれど、たった一つの地球
      である。一つ一つの国もこうありたいものだ。
      
      

      
      
      

      

春耕

2013-04-07 16:36:58 | 自然


       春耕の田や少年も個の数に  
                   (竜太) 

     「春耕」は俳句の季語にもなっているそうだ。

     暖かくなると田舎者の血が騒ぐわけでもないが、
     ちょっと土いじりでもしたくなる。

     となると庭の樹木のあれこれも気になり、家人が
     ちょくちょく出かけて気にいっている葉山の植木
     屋さんにいった。

     植木屋といっても近頃は「○○造園」は古く、
     ガーデニング&エクステリアといった名前をつけ
     ているところが少なくない。

     今日いったところも「Kia Ora」(キオラ)とい
     う名前のシャレた店である。

     一見して植木職には間違いないのだが、数々の樹
     木から、可憐な草花まで、数限りなく~。
     さらに葉山のナチュラルオーガニック
     (アボカドオイルやプロポリス自然食品など)
     も置いてあるところがユニークなところか。

     またまたいえば、オーナー(40歳前?)と2人
     いた若い庭師もまあ、イケメン揃いで、
     見た目ばかりかと思ったら、人当たりもよく、
     知識も抱負なのだ。

     それで分かった。
     こういう店が流行るのは、いわゆる雑誌感覚という
     か、樹木の配置から庭師まで、カラー頁を埋める
     ような装いのせいであろうと。


     やはり、
     造園というよりはガーデニングORエクステリア、
     植木職人というよりは庭師で、
     泥臭いイメージは駄目なのか。


     今日のところは植木のあれこれ、庭に植える際の
     注意等々を教えてもらった。

     
     近々、その、雑誌から抜け出たような庭師の兄
     ちゃんが、わが家の庭を見にきて、アドバイス
     してくれることになっている。

 
     でも、あんまり手のかかる庭作りはいやだなあ。
     放っておいて、そこそこ楽しめるのがいい。

     (写真は「Kia Ora」の入口付近。奥のしもた屋
      風の小さな家屋が庭園にいくつか置いてあって、
      それが風情に一役買っている)
 
     

     

      

涙活(るいかつ)

2013-04-06 16:51:00 | 雑記


      「涙活」と書いて「るいかつ」と読む。

      最近、新聞雑誌でこのことばを見つけて何と
      読むのか分からなかった。
      まして、意味も。

      「就活」「婚活」「独活」「離活」「住活」「終活」
      ……(なかには「妊活」なんてのもあるそうだ)
      等々、「○活」が大流行である。

      「涙活」は週末などに思いっきり涙を流して
      ストレスを解消する。そんなイベントもすで
      に行われているという。

      実際には、泣けそうな映画を上映して、あたり
      かまわず泣ける時間を提供する、イベントの
      名称は「涙の時間」。

      たしかに暗い映画館は泣きやすいし、いま話題
      の「レ・ミゼラブル」なんていいかもしれない。

      だけど、そのときはスッキリした感じでも、映画
      館を出たとたん現実にもどされて、より虚しく
      ならないのだろうか。
      (私はそんな経験をしたことが何度もある)

      何でも脳神経生理学からいうと、
      「人は感動すると交感神経の緊張が高まるが、涙
      を流すと副交感神経優位にきりかわり、寝ている
      とき以上に脳が休んだ状態になる」
      のだとか。

      でも、それって一時的な逃避で、根本の解決には
      ならないのでは?
      私はずっとそう思っていたのだけど、大丈夫なん
      だって。

      ストレスの根本原因は解決できなくても、コントロ
      ールには役立つ、そうです。

       う~ん、こんどためしてみっか。

      (写真記事は「読売新聞」)
            

      
      

まど・みちお

2013-04-04 17:56:03 | 読書


     まど・みちお、といえば ♪ぞうさん。
     ♪ぞうさん といえば まど・みちお である。

     今日いった銀行で、備えつけの雑誌とともにおいて
     あった、まど・みちおの詩集から。

       「消しゴム」
      自分が書きちがえたのでもないが 
      いそいそと消す
      自分が書いたウソでもないが
      いそいそと消す

      
      そして消すたびに けっきょく
      自分がちびていって
      消えてなくなってしまう

      
      いそいそと いそいそと
      正しいと思ったことだけを
      ほんとうと思ったことだけを
      自分のかわりのように 残しておいて


        「おなら」
      おならは えらい
      でてきたとき 
      きちんとあいさつする

      こんにちわ でもあり
      さようなら でもある
      あいさつを……

      せかいじゅうの
      どこのだれにでも
      わかる ことばで……

      えらい
      まったく えらい

     今抱えている原稿に行き詰まって、今朝から同じ
     ところを何回も何回もいじくりまわしている私は、
     こんな素直であっけらかんとした詩に、ただただ
     感心しているのである。