一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

やさしい日本語で話そう

2017-10-29 07:57:47 | 雑記


      東京オリンピックまであと1000日と聞いて、
      ああ、もうそこまで来たか、という感じがした。
      1000日なんて、あっという間である。

      気のせいか、観光地はこのところ外国人が一層
      増えた気がする。
      鎌倉の街でも、先日歩いていたら寺院への道を
      聞かれたし、各地の名所でも同じような現象が
      起きているらしい。

      道を聞かれたり、地図を持ってウロウロ明らかに
      迷っている外国人を見かけたらどうするか。
      やはり一瞬、(自分の)英語は大丈夫か、
      とためらってしまう。

      ある地方では、無理に英語を喋らなくてもいい。
      むしろ、やさしい日本語で!というキャンペーン
      をしているという。

      例えば、
      「早く打ち解けて」→ 「早く仲良くなって」
      「集合」→ 「集まってください」
      災害の例でいえば、
      「安否確認」→ 「生きているかどうか、けがを
              していないか調べること」
      「高台に避難」→ 「高いところに逃げて」
      「マイナンバー」→ 「12ケタの数字。すべての
                人が1つ持っています。
                個人番号とも言います」

      といったような。

      どうやら日本を訪れる外国人観光客の何割かは
      「日本語を話したい」または「簡単な日本語なら
       分かる」ということで、
      四苦八苦して英語を話したり、外国人を避けて
      しまっては、むしろ逆効果だということになった
      らしい。

      その場合、
      二重否定や受け身、敬語、方言は使わない方が
      よいとのこと。

      これを聞いて、
      道に迷っている外国人を見かけたら気楽に声を
      掛けようと思う人も多いだろう。

      そして私は、
      現在使われているIT用語、
      これを何とかして欲しい。
      IT用語こそ、「やさしい日本語」で話して
      欲しい、と切実に思うのだ。


      ※またも週末の台風襲来で
       紅葉にはまだ早いイチョウの葉がたくさん
       落ちていた。
      
    
      
      

夏目漱石と鎌倉

2017-10-28 09:15:57 | 読書


      夏目漱石は1867年(慶応3)生まれ
           1916年(大正5)死去(49歳)

      つまり
       昨年、没後100年
       今年、生誕150年
      
      で、各地で漱石の展示や講演が行われている。

      先日、「漱石と鎌倉」という講演が相次いで
      開催されたので、両方とも聴講してきた。

      漱石が鎌倉とゆかりがあるなんて知らなかった
      ので、大変勉強になった。

      北鎌倉にある東慶寺には「漱石参禅百年記念碑」
      が立っている。
 
      東慶寺は北鎌倉駅を降りるとすぐ目の前にある
      由緒ある寺院。
      山門を入ると、先ず、うっそうとした樹木に
      囲まれていることに驚く。
      パワースポットそのもので、
      夏でもひんやりしている。

      そういえば、漱石の有名な小説『門』には
      東慶寺に関してこんなくだりがある。

      「山門を入ると、左右には大きな杉があって、
       高く空を這っているために、路が急に
       暗くなった。
       その陰気な空気に触れた時、宗助は
       世の中と寺の中との区別を急に覚った」
                 (『門』より)

      漱石はまだ夏目金之助という名前であった頃
      (明治18年 19歳)
      仲間と江の島や七里ヶ浜、鎌倉へと遊びに
      きている。
      まだ東海道線が開通していなかった。

      その後、東京帝大を卒業し、
      東慶寺を訪れたのは高名な僧侶に会って、
      「参禅」するためである。

      やがて松山中学や熊本五高の教師に赴任し、
      31歳のとき鏡子夫人と結婚。

      病弱な妻が静養のため鎌倉に行ったので、
      漱石も鎌倉と東京をなんども往復している。

      3年間の英国留学の後、
      帝大講師をへて
      『吾輩は猫である』を発表した後、
      朝日新聞社に入社。
      はじめて「漱石」を名乗った。

      『門』を書いたのは明治43年のことである。

      それからも親しい友人と鎌倉に出かけており、
      明治45年の日記にはこんなことを書いている。
      
      「子どもを鎌倉に遣る。一汽車先に行って
       菅(注・友人)の家に入る。
       二階から海を見る。涼し……」
              (明治45.7.21)

      大正元年9月にも参禅をするため鎌倉を訪れ、
      その日は雨だった。(46歳)

      まだ北鎌倉駅はできてなかったというから、
      途中から俥で行ったのであろう。

      
      このように漱石と鎌倉は終生縁があって、
      私はまだまだ精査しなければならない、と
      思っているところである。

     ※ この日は漱石だけでなく
      小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)についての
      講義もあったが、
      ここでは触れない。
      
      

      

            

雨の鎌倉

2017-10-22 07:35:02 | 雑記


      雨が続いている。
      台風の影響もあって、今後風雨が強まりそうだ。

      先日用事があって、雨の中、鎌倉の高徳院まで出かけた。
      高徳院の書院で開催される講座を申し込んでいたため。

      高徳院といえば、大仏さま。
      雨にも関わらず、観光バスがひっきりなし、
      この日はほぼ半数が外国人だった。

      早めに着いたので、しばらく御仏を拝顔。

      雨にうたれ、下から見る御仏のお顔は柔和である。


      「かまくらや みほとけなれど
             釈迦牟尼は美男におわす夏木立かな」
                          与謝野晶子

      自然に与謝野晶子の歌が出てくる。

      この日は私も心おだやかだったせいか、
      ホントに御仏は美男だな、と思った。

      (こちらの心持ちひとつで、怖かったり、いかつい
       大男に見えたりするのです)

      ここで学者の言をつけ加えるなら、
      鎌倉大仏は「釈迦牟尼」ではなく、
      「阿弥陀如来」だそうな。

      後年、このことを晶子も聞いて間違いに気づいたが、
      訂正はしなかったという。

      私も、この歌はこのままでいいと思う。

      ※ 雨の中、下から見上げた御仏のお顔


      
      

      

選挙

2017-10-21 07:44:06 | 雑記


      3日前に期日前投票をしてきた。

      このところは選挙当日、予定がどうなるか
      分からないので期日前に投票することが多い。

      おそらく無作為に選別しているのだろうが、
      時事通信と、先日は読売、朝日(?)新聞共同の
      電話調査があった。

      ①選挙に関心があるかどうか。
       (大いに関心がある、無い、等)
      ②安倍晋三首相を信任するか、否か。
      ③投票する人は決まっているか、それは誰か。
      ④比例は何党に入れるか。
      ⑤あなたの年代は?

      等々の調査であった。
      これらはマスコミでいうところの事前調査に反映
      するのだろう。

      私は電話調査に答えながら、
      改めて考えることがあった。

      どこか一党だけ圧倒勝利をするのは良くないこと。
      できれば与党と野党が拮抗して切磋琢磨すること
      が理想である。

      そのためには受け皿となる野党に頑張って欲しい
      のだが、いろいろあって結果的に、
      野党がバラバラになってしまったこと。

      この体(てい)たらく、残念である。

      選挙前にこれ以上、突っ込むのは止めておくが、
      選挙はナマもので、なかなかにエキサイティング
      ではある。

      そもそも女性に選挙権が与えられたのは
      敗戦(太平洋戦争)後の昭和20年、
      72年前である。

      明治20年前後の自由民権運動時代には
      男性にも選挙権がなかった。
      選挙権どころか憲法もなく、
      国会も開かれていなかった。

      やがて直接国税15円以上おさめる満25歳以上の
      男性のみ選挙権が与えられ、
      大正14(1925)年にようやく
      男性の普通選挙が認められた。
      (25歳以上のすべての男性)

      その間、目覚めた女性たちの闘いは続き、
      それでも女性の選挙権は終戦まで得られなかった。

      長く壮絶な道のりの末に得られた選挙権である。

      棄権することなく、行使して欲しい。

      
      ※ 期日前投票は住所、氏名等を書くだけで
        簡単にできる。

      
      

      

雨女 雨男

2017-10-15 07:58:42 | 雑記


       秋の長雨。

       今朝も起きると雨で、
       天気予報はこの先一週間、傘マークである。

       家にいて窓から雨がしとしと降るのを眺める
       のも決して嫌いではないが、
       出かけるとなると億劫ではある。

       ところで大事な日に降られると、
       誇らしげ(? 自慢げ)に
       「私、雨女だから」とかいう人がいるが、
       実際はどうなんだろう。

       統計的には、
       5人に1人が雨女、雨男だと思っているのだ
       そうだ。

       これは、実証は難しいけれど、
       認知心理的には説明できるのだとか。

       つまり、人間は強烈に印象に残っているほど、
       高確率で起きると予測する傾向にあるのだ
       そうです。

       私はどうかというと、
       子どもの頃、親戚のお姉ちゃん(従姉)の
       結婚式に出たときは天地をひっくり返すほど
       の土砂降りだったし、
       自分の結婚式は(秋だったにも関わらず)
       暑くて気持ち悪くなるほどの晴天だった。

       これには一つ、怨念があって、
       小さい頃、職が細く(いまでは信じられないが)
       好き嫌いの激しい私は、お祖母ちゃんから
       「嫁にゆくとき雨が降る」
       といつも口癖のように云われていたのです。

       それがフタを明けると……。
       フェーン現象のような暑さにせっかくの晴れ着
       も邪魔になるような快晴に、
       「あっ、やっぱり年寄りの云うことは迷信なんだ」
       と余計に記憶に残っているのです。


       話は脱線したが、
       日本人は奥ゆかしくて、
       鹿児島では大事な日に雨が降ると
       「島津雨」といって、
       吉兆のあかしとされるそうです。

       なんでも、
       島津家初代・忠久が生まれた日、嵐のような雨で
       汚物などがきれいに洗い流されて、   
       つつがなく産事が済んだことに由来するのだとか。

       年間の雨量が多い鹿児島だが、
       いまでは雨男、雨女は悪態をつかれることもなく、
       ヒーロー、ヒロインなのだそうだ。

       秋の長雨にくさっていた私ですが、
       ここは一つ、発想の転換をはかって、
       出かけるときも、ひたむきに前向きに考えることに
       しよう。


       ※ 稲刈りのはじまった稲田だが
         雨で倒れてしまった。

       
       

       

いつもそばに

2017-10-14 07:45:22 | 雑記


       昨日運転しながらカーラジオを聞いていたら、
       「ご飯のおとも何?」
       で諸外国の様子を語っていた。

       日本ならさしずめ玉子、漬け物、味噌汁、梅干し、納豆
       といったところであろうか。
      
       アジアの国々はやはり、キムチのような漬け物(の一種)
       が多かったが、
       アメリカではむしろ、肉そのものが「ご飯のおとも」
       なのだそうだ。
       そういえば、アメリカの肉消費量はハンパではない。
       肥るわけだ。

      
       さて、話は変わるけど、
       一昨日の気温29度から一転して、
       昨日、今日は14~5度。

       秋が深まったというより、初冬の様相を呈してきた。

       知らず知らず手を伸ばすのがテッシュ。

       何かのアレルギーなのか、風邪気味なのか、
       気がついたら手を伸ばして、使っては捨て、を繰りかえ
       している。

       今や、無くては困るけれど、
       さほど気にもかけられないティッシュペーパー。
  
       新聞にこんなコラムが載っていた。
       (歌人・松村由利子さんの「うたのスケッチ帳」)

       「一日にティッシュは幾度も立ち上がる
                用なきものを掃除するため」
                      (三田村正彦)

       そういえば、使っても使っても立ち上がるなんて、
       健気なティッシュだ。

       こんなのもある。

       「夕暮れに淋(さみ)しがりやのぼくの手が
             ティッシュペーパーを貰ってしまう」
                       (杉崎恒夫)

       そうか、そんなこともあるか、という感じ。
       いつもなら「要らない!」と素通りしてしまいそうな
       ティッシュだが、淋しいときは手を出してしまうのね。
       ティッシュが欲しいというより、
       なんだか人のぬくもりが欲しい、
       ような気がして……。

       また、
       次のような川柳も新聞で見た。
       
       「3ミリの虫にティッシュを5枚とり」
                 
       アルアル、である。

       

秋も深まり 7

2017-10-07 07:53:28 | 雑記


    帰りのタクシーから見た
    桜木町・みなとみらいの街並み

    この日、秋の行楽シーズンのせいか
    イベントが多くて
    道は大渋滞。

    桜木町から桟橋まで往きは ¥910
    帰りは  ¥1680

    同じルートで??

    タクシーの料金が渋滞で割り増しになることを
    はじめて知りました。