一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

総論・各論(付)

2011-04-24 20:43:43 | Weblog



    きのうのつづき。
    東京から故郷の街をおとずれた人の話による
    と、TVなどで放映されるのはまだいい方で、
    実態はあれの何倍も悲惨な状態で、臭いも
    きついのだという。 

    今回、企業から支援の一環として現地入りした人
    から聞いたのだが、被災された人は大変な中でも
    自分を律して、例えば食料品を多くもらっても
    ウチはこんなに要らないからと、人数分もらって
    後は返しにくるのだという。
    (黙っていれば分からないのに……とその人は
     いってた)
     
    食料品だけでなく、寝具や衣類なども然り。
    これに似たようなことはあちこちであるらしい。
    これを聞いて、買いだめに走ったり、停電で不便
    さをかこっていたこちらは恥ずかしくなった。

    これとは逆にタレントや歌手の人たちがたくさん
    現地入りして炊き出しやコンサートなどを開いて
    くれているが、それはどこかで調整しているのだ
    ろうか。
    行きやすい所に集中して、行きにくい所や目立た
    ない場所は訪れる人がいなくてひっそりしている
    のではないかと心配だ。
    ボランティアの平等は難しい。
    善意だからこそ難しい。

    またまた視点をかえていわせてもらうと、善意の
    押しつけになっていやしないか……が気になる。
    東北の人というより地方の人は、相手の気持ちを
    無視するようで断われない。
    イヤなことがあっても相手に不快な思いをさせない
    よう、無理してでも笑顔をつくってしまうからだ。
    真のボランティアとは何か。
    TVで芸能人が被災地に乗り込み、それが賑やかに
    放映されるたびに思ってしまう。

    でもでもやらないよりはやった方がいい。
    あれこれ考えて一歩も進まないことは最悪だ。
    (写真は四葉のクローバーとシロツメクサ)
    
    
   
    
    
    

総論・各論

2011-04-23 21:13:32 | Weblog



     危険区域から避難している人たちの一時帰宅と
     いう段階になって、問題はそれぞれ個別化し、
     より深刻さが増してきたことを実感する。

     これまで震災の悲惨さ、惨禍の状態を総論的
     に触れてきたが、どうもひとつ、二階から目薬
     を差すようなというか、靴の上から痒いところ
     を掻くようなもどかしさがあった。

     それは非常時でも、いや非常時だからこそ感情
     的にならず、できるだけ(私事に固執しないよ
     う)冷静に客観的にと思ったからだが、
     そのために抜けてしまったことはある。

     今回の震災でたくさんの人から心配しているむ
     ね、問い合わせをいただいた。
     日頃おつきあいのある方から電話やメールがあ  
     ったのはもちろんだが、思いがけない人との交
     信が復活して驚いた。
     
     ほぼ45年喋っていない福岡県宗像に住む知人
     (年賀状だけのやりとりはあった)は、私の留
     守中に電話をくれて、親戚の状況をはなす娘に
     「よかたい、よかたい」といったという。
     夜帰ってから私の方が電話をして久闊を叙する
     話になってしまったが、こんなことでもなけれ
     ば電話で喋ることも無かったろうと思うと不思
     議でならなかった。

     また伊勢にいる旧友は「何かできることがあっ
     たら何でもやるから云って~」と執拗なくらい
     にいってくれた。
     ホーチミンに半永住的に住んでいる友人はメー
     ルではもどかしいと、国際電話をよこした。

     そして昨日は、私の恩師にあたる人が10㎏の
     米袋を担いで(車で)見舞いに寄った。
     こちらも「電話では真意が伝わらない」といって。

     それからほとんどの人は直接話してはいないが、
     そっと取り囲んで心配してくれている感じである。
     実は私もその口で、いざとなると何をいったら
     いいのか分からない。
     ストレートにいえない悪い癖だが、同情や憐れみ
     にとられたらどうしようと思ってしまうのだ。
      
     こうして総論から各論に移った感じだが、長くな
     りそうなのでまた明日にでも。
     (写真は何年か前、新潟小千谷で地震被害にあ  
      った方がメールで送ってくれた芝桜の風景)

     
     
   
     
     
    

     
     

なわばり

2011-04-16 20:54:25 | 自然


     震災についてはまだまだ云い足りないし、云い
     たいこともあるが、政府もようやく「復興支援
     構想」をまとめ動き出したかのように見える。
     そんななか、季節のうつろいは確実にすすみ、
     花びらが散りはじめたかも思うと、もうやわら
     かい新芽が吹きはじめた。

     毎朝ゴミを出しにいく通りに山桜があって、3月
     の初めからウグイスがひときわ美しくさえずって
     いた。
     まるで、わが身の存在をアッピールするかのよう
     な自信たっぷりの鳴き声!!

     100mほど下ったところに
     (ゆるやかな坂道になっている)
     もう一本のヤマザクラがあって、そこにも別なウ
     グイスがいて、こちらはやや小賢しい感じのさえ
     ずりに聞こえた。

     ウグイスの縄張りって、一体どのくらいの距離な
     のだろう。
     というのも先日、バスに乗るためいつも利用して
     いるロータリーにいったら、途中の薮のなかに
     もう一羽のウグイスがいたからだ。前の2羽と
     の距離がちょうど100mくらい。

     ウグイスはいわば、一国一城の主。
     ひそかに私は最初のを信長ウグイス、2番目のを
     秀吉ウグイス、3番目のを家康ウグイスと名付けた。

     そしてこの間、来客を送っていって帰りに公園の
     中を通ったら(ちょっとした森になっている)、
     木立の奥から世をしのぶようなウグイスの鳴き声
     が聞こえてきた。
     そこも前の3羽の定点と100mほどの距離なの
     だ。
     
     私はすわっ、明智光秀ウグイスか、とひとり色め
     きたった。
     果たして偶然なのかどうか、今朝ゴミ出しにいっ
     たら家康ウグイスの声は聞こえなかった。

     本能寺の変で家康は光秀に討たれた??    
     ただ単にいいパートナーに巡り合えて子育てに専
     念しているだけのことなのかも知れぬのに、
     思わぬウグイスの戦国版になってしまった。

     (ここのヤマザクラは葉っぱが緑色の青芽タイプ)
      
     





     
     
     
     

友あり遠方より来たる

2011-04-11 21:06:46 | Weblog



     別に申し合わせたわけではないが、この春予定し
     ていた来訪者の何組かが(お互いに)自粛した
     恰好で延期になっている。
     そんな中、突然やってきたのが故郷の人たち。
     小中学時代の同級生何人かが横浜近辺にいるのだ
     が、たまたまこちらの親戚に避難している人も
     含めて数人が拙宅にやってきた。

     みな○○ちゃん、△△クンという仲、だが旧交を
     あたためるヒマなどなく、地震の話になった。
     一人は家が流され実兄が溝のようなところでしが
     みつくように遺体で見つかった。嫂がまだ行方不
     明とのこと。

     その遺体確認のため仙台までいったのだが(収容先
     は仙台だったらしい)、ウソだろう、まさか……
     といった気持ちが遺体を見たとたん、それが現実と
     なって押しかぶさってきて、(信じられないこと
     だが)ツキが落ちたようにあきらめがついたのだ
     という。

     そういえばTVや新聞などで見る、残された家族を
     自主的に探す映像……どんなにかつらいだろう、
     行政が動くのを待ち切れずに動かずにはいられない
     心境に違いない。
     そう思って見ていたが、やはりこの目でしっかり
     確かめないと気持ちの整理もできないのだろう。
 
     それから避難組の一人は地震の日は家の裏の高台
     で一夜を過ごし、それから車で福島方面にいき、
     まだ避難所として受け入れ態勢もできていない体
     育館で五日過ごし(電気もないところ)、それか
     ら親戚を頼って関東に(車で)来たのだという。

     それでも、まだ興奮状態にあるからかもしれない
     が元気だった。
     こんなことでもなければ会わない人たちだ。
     彼ら彼女らが大変なのは、世の中が地震のこと
     など忘れて(一見)平穏になってからなのである。
     
     その時何をすればいいのか。
     マスコミが連日のように報道している時、わい
     わい騒ぐのは誰でもできる。
     真の援助、真のボランティアはそれから試される
     のに違いない。そのときまでへこたれないよう、
     体力、知力をつけておかなければならないと思う。     
     
     

     
     
     

今年の桜

2011-04-08 22:07:27 | 雑記



     このたびの東日本大震災は死者行方不明者
     合わせて2万7426名(4月8日現在)という、
     それこそ未曾有の大惨事となった。

     話題を変え、ギアチェンジして少しでも前を
     向いて歩こうと思うのだが、それがなかなか
     出来ないでいる。
     近い関係というわけでもないのだが、親類縁
     者および同級生の誰彼が亡くなったとか行方
     不明だったり、家やお墓まで流されてしまった
     などといった情報が入るからだ。
     その家族、子供さんを亡くした親御さんの
     思いはどんなだろうと考えると、なかなか
     気分は浮揚しない。

     それでも桜は咲いた。
     そんな中、花見自粛といった声も聞かれる。
     別に花見が悪いわけではない。
     そんなことをお上(かみ)が決めることでは
     ないだろう……という思いがさらに気分を
     重くする。

     桜を愛でる気持ちはそれこそ万葉の時代から
     あって、数々の歌にも詠まれてきた。
     今年は馬鹿騒ぎは止して、みなそれぞれの思
     いで静かに楽しめばいい。
 
     ここ両日の温かさで鎌倉の桜も一気にほころ
     びた。
     写真はアジサイ寺で有名な明月院のしだれ桜。
     

     

少女像

2011-04-02 20:02:44 | 芸術


     このところあれこれ考えてブログ更新にも
     間があいてしまった。

     4月に入ってTVの放送も普通にもどり、
     遠隔地では日常生活も通常とはいえないけれど、
     やや平静さを取り戻しつつある。
     だが被災地では何も解決せず、むしろ悲惨な状
     況がより現実となって、問題は一層深刻なもの
     となってきている。

     今頃になって、いや今頃だからこそ、兄弟の遺体
     を火葬してしてきたとか、家族が行方不明だとか
     といった話がそちこちから聞こえてくる。
     いくらかでも光明がみたくてTVの荒廃した映像
     はもう分かった、それより一刻でも早い復興を!
     と思ってやまなかったが、現実はそんな甘いもの
     ではないことを思い知らされたのがこちらの現状
     なのだ。
   
     そんな折、彫刻家の佐藤忠良氏の訃報を聞いた。
     (3月30日、98歳)

     佐藤忠良氏といえば、なじみ深いのは「少女像」。
     美術展はもちろん、名だたる建築物や駅の構内な
     どでも見かけ、一目で氏の作品と分かった。
     当代一流の彫刻家、といったイメージしかなかっ
     たが、戦後はシベリア抑留などの経験をされて
     かなり苦労されたようだ。

     そのためか毎日芸術賞や朝日賞といった民間の賞
     は受けるが、文化勲章などは辞退したとも聞く。
     ここに気骨の人あり、という感じだ。

     そういえば一時(といってもかなり前だが)毎日
     のようにTVドラマにも出ていた女優の佐藤オリ
     エさんはその後どうされたのだろう。
     「彫刻家の佐藤忠良さんの娘さん」
     と聞くだけで、他の役者さんとは違う、毛並みの
     良さを感じたものだ。
     逆に、父親の忠良氏は少女像を創るときに、娘さ
     んの幼い頃を参考になどしたのであろうか……な
     どと考えたりしたのだった。

     (写真は横浜駅のそごう側、階段手まえにある
      佐藤忠良氏の「少女像」)