一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

雨後の筍

2012-04-30 20:51:39 | 雑記


      連休がはじまったのに、うれし・悲し・せわしない
      の3拍子なのです。

      うれしいは、家の者(娘家族)が南の島にいってく
      れたのでばんざ~い!の3乗くらいなのです。
      (私、心底ワガママなのか、よほどバチあたりにで
      きているのか、独り暮らしが大好き!)

      悲しは、この機にと思ってためていた本がちっとも
      読めないこと。
      これは私の読書力というか、集中力が落ちたためで
      自業自得というべきもの、他の人のせいにはできま
      せん。
      そのことに気づいて、今すごく落ち込んでいるのです。

      せわしないは、この連休中、どんどん用事が入って
      しまうこと。
      どうでもいい要件なら最初から止めればいいのだが、
      どういえばいいのか、他の何よりも大事なことに気
      づき、むしろ有難く入れさせてもらっているのです。
      感謝もしています。
      
      しかし現実は現実、そのために実際余裕のない日々
      になってしまうのは仕方のないことで、
      結果として情緒不安定という持病(?)が頭をもた
      げ、一人でイライラ~(これ、ほとんど病気ですね)

      今日は来客があって、鎌倉のパワースポットを2つ
      ばかり案内して歩いたら疲れましたァ。
      (これって、パワーをもらうどころか、元々ない
       エネルギーが吸い取られたようです)

      写真は途中でみた筍。雨の後だったのでにょき
      にょき生えていました。
      この元気でみずみずしさ、いかにもフレッシュな
      感じ!
      ああ、筍にあやかりたい。
       

雪の磐梯山

2012-04-27 21:25:27 | 雑記


      会津の話が途中であったが吉武輝子の訃報により中断
      した。今日は会津磐梯山にまつわる話を。

      市中を車でいくと、やがて猪苗代湖の北方に会津連峰
      と磐梯山(標高1816mの活火山)が見えてくる。
      会津磐梯山といえば、小原庄助さん。

      ♪(エンヤ~)会津磐梯山は宝の(コリャ)山よ
       笹に黄金が(エ~マタ)なりさがる
      (お囃子)
       小原庄助さん、なんで身上(しんしょう)つぶした
       朝寝朝酒朝湯が大好きで
       それで身上つぶした
       ハアもっともだ、もっともだ ♪

      同じ県民として(会津と太平洋岸の南相馬市とは地形
      も天気も産物も、はたまた方言もかなり異なるのだが)
      ♪小原庄助さん♪のくだりは自然と口について出る。

      子供の頃、ちょっと寝坊したり家の手伝いを怠けたり
      すると、「庄助さんになるぞ」といって怒られたものだ。
      (大人も自嘲的にというか、休むいいわけに使っていた)

      あんまり馴染んでいて(歌詞が明快すぎて)疑問にも
      思わなかったが、磐梯山を見るのも初めてだった。
      (つまり、会津を訪れるのも今回が初めて)
      実物をみてびっくり、こんなにカッコいい山とは思わ
      なんだ。

      ところで小原庄助さんって誰?

      道楽三昧で家財産を使い果たし、身上をつぶした(破産
      した)江戸時代の材木屋とか、幕末の志士とか、会津漆
      器の塗り師とか……諸説あるらしい。
      酒好き、遊び好きは共通しているようだが。

      長年の疑問がとけて拍子抜けしたというか、どうでもい
      いことながら決着ついてすっきり!

      4月はじめにはご覧のように冠雪していたが、ちょっと
      前に電話したら、会津も桜がちょうど満開だとか。
      季節はめぐって確実に花開くが、復興にも春の兆しが
      見えて欲しい。

      
      

花散る雨

2012-04-24 15:31:41 | 雑記


      花散らしの雨が続いて、あっという間に桜は終わって
      しまった。
      
      吉武輝子さん逝去は1回だけで終わろうとしたら、
      告別式に参列した方のおはなしなどあるのでもう1回
      お付き合いください。

      4月21日に行われたお葬儀にはそれこそ高名な女性
      がたくさん参列された。
      澤地久枝さん、山崎朋子さん、佐藤愛子さん、下重暁
      子さん、高田敏江さん、有馬真喜子さん、福島瑞穂さ
      ん、クミコ、落合恵子さん……等々、名前を聞いただ
      けでパッとお顔が浮かぶような方々。
      弔辞は落合恵子さんがよまれ、それも印象に残るもの
      だったそうです。

      こうした顔ぶれを想像すると、
      「年を重ねただけで人は老いない。理想を失ったとき
       人は老いる」(サムエル・ウルマン)
      という警句を思い出す。
            
      おかしかったのは、著名人にありがちな政界財界人が
      少なく、高級官僚などのオジサマ族がほとんどいなか
      ったこと。
      これも反骨の人・吉武さんらしいと思ったことだ。
      

      
    
      
      

吉武輝子さん逝く

2012-04-19 21:16:06 | 雑記


      作家で評論家の吉武輝子さんが17日肺炎のため
      亡くなった。80歳。
     
      元ウーマンリブの闘士などといわれると、ちょっ
      と近づきにくいが、最近は「高齢社会をよくする
      女性の会」や「脱原発をめざす女性の会」などを
      旗揚げして、長い間、女性のために先頭を切って
      走ってきた人である。
      いま私たちがあるのも、こうした先輩たちのお陰
      なのだと思うと、自然と頭が下がる。

      昨年は「青鞜」発刊100周年で、あちこちで
      記念集会がおこなわれた。
      こうした集会とも私は無縁なのだが、女性解放運
      動の先駆者・景山英子の生涯を書いたこともあり、
      (本のタイトルは『雀百まで悪女に候』)
      先輩女性に敬意を表するつもりで出かけた。

      ちなみに景山英子は「青鞜」の平塚らいてうより
      20年も前に、女性解放のために闘った人である。
      それは女性の明治維新というもので、男たちに
      踏みにじられて散々な目にあってしまったが。

      話は横道にそれてしまった。
      昨年「青鞜」百年記念集会が行われたのは、記録
      をみると、残暑きびしい9月3日、東京三田の
      会館だった。
      さほど大きい会場ではなかったが、意識の高い女性
      たちでいっぱいだった。

      評論家の樋口恵子さんの司会でおこなわれ、最後に
      病院を抜け出てきたという吉武さんが、客席の前に
      出て(壇上に上がらず)番外編という形でスピーチ
      をした。
      (記憶に間違いなければだが)酸素吸入なのか、
      鼻からチューブを入れたままだったと思う。

      ところがいったんしゃべり出すと、声には張りがあり、
      何といっても喋りたいことが体内に詰まっていると
      いう感じだった。
      それは司会者が止めても停まらないという勢いだった。

      あれから半年あまり、おそらく最後まで、自分たちの
      ために闘ったことのない現代女性の安穏さ、意識の低
      さを(私を含めて)嘆いていたのではなかろうか。
      そういえば仲間の1人だった俵萌子さんが逝ってから
      もう4年になる。
      元気のいい女性がどんどん亡くなる。
                         合掌
      
      
      

     

     
      

仮設住宅

2012-04-17 20:53:19 | 雑記



     ついでといっては何だけど、会津若松駅から3㌔ほ
     ど行ったところにある仮設住宅に親戚がいるので、
     陣中見舞いを兼ねて寄ってきた。

     家は福島原発のある大熊町なので、当然帰ることは
     できない。
     それまで避難先を転々としていたが、昨年暮れから
     仮設住宅に入っているのだ。

     四畳半2つにキッチンと浴室とトイレ。
     そこに70代夫婦が暮らしている。
     息子一家は南会津の只見町にいるので、孫たちとも
     ばらばらの生活だ。

     仮設住宅はあくまでも仮設。
     いつまでいることになるか分からないが、そう割り
     切っているように見えた。
     建物そのものもそうだが、ただいまある生活も仮の
     ものだという考え。

     おそらく(というより100%)前の家には帰れ
     ないので、新天地を探しているといっていた。
     孫たち(小、中学生)の学校と、仕事を優先に。
     会津は雪が多く「寒いところはイヤだ」ともいって
     いた。

     前の避難先では同じ町内の人たちも結構いたので
     淋しくないと聞いていたが、それぞれ仮設住宅
     に移って(入る時期によって場所も異なる)、
     ここは最後になったらしい。
     
     そのため最初は知らない人ばかりだったが、ホテル
     の漬物や保存食の講習に呼ばれたり
     (講師としてーー笑)
     地元のコーラスや体操教室に入れてもらったりして
     いるうちに結構、仲間が増えて忙しいのだという。
     会津の漆塗りの飾りものの教室などもあった。
     (会津の漆器は有名)

     東京の国会議事堂周辺をデモ行進し、陳情のため
     大臣にも会ってきたといっていた。
     そのためには予備知識も入れて置かなくてはなら
     ない。固くなった頭をガンガン叩いての勉強は
     「大変だ~」といっていた。

     見ようによってはやたら元気だった。
     否、そうでもしないといられないのだろう。
     そう思った。          

     

     
     

言葉、詞(ことば)、ことば……

2012-04-14 20:22:14 | 雑記


      もともと散文を書き散らしているだけの駄文家なの
      だけど、
      震災以来、ことばの力、とりわけその無力感にさい
      なまれている。
      具体的にいえば、被災した人にどう言葉をかけたら
      いいか分からない。
      
      あれこれ考えて結局「大変だったね」「つらかった
      でしょう」「大丈夫?」なんてありきたりの挨拶に
      なってしまい、ますます自分がイヤになる。
      まして、身内から犠牲者を出した人に掛ける言葉など
      未だに見つからない。
      
      こういうとき言葉などいらない。ただ黙ってしばし手
      をとりあった方が悲しみを分かち合うことができるの
      かもしれない。
      そう思いながら、では、言葉とは一体何なのかと、
      ふと考えてしまう。

      そんな思いもあって、今回たまたま会津で行われた
      鈴木孝夫先生の会に出席することにしたのだった。
      
      鈴木先生は去年お見かけしたときは、ご本人も司会
      者も「もうアブナイ」なんていっていたのに、
      86歳になる今年はずっとお元気で、頭脳明晰、滑舌
      よく、かくしゃくとしておられた。

      曰く、奥さんと別れたからだそうで、施設に入った奥
      さまはこれまた家にいるときよりもしっかりとしてき
      たんだって。
      娘さんに「お父ちゃんと離れたから元気になったのよ」
      といわれたとのこと。

      それからの話は佳境に入って面白いのだが、いずれか
      の機会にゆずることにして、今日は印象深い逸話を。

      「彼」「彼女」は、昔は一つの言葉だった。
      トルコ語ではオ(O)といえば彼でも彼女でも通じた。
      日本でも彼というのが、明治までは男も女も包含して
      いたらしい。
      
      黄昏(たそがれ)というのは「誰そ彼」のこと。
      「あの人、だれ?」という意味で、暗いから男か女か
      分からないのでちょうどいいのだが、英語だと、
       Who is she or he?
      といわなければならない。

      ヨーロッパ文明が入ってきて、日本でも「かの女」と
      いう代名詞ができた。
      最初は「かのおんな」と呼んでいたのが「彼女」にな
      り、それに合わせて「彼氏」という呼び名もできた
      というのである。

      ……ああ、いくらか肩の力も抜けてきたみたい。
      
      

      

      
   

小さなもの集まれ!

2012-04-11 21:23:27 | 雑記
      

      今回の会津若松ゆきの目的の1つは下記の企画
      展を見ることでもある。

       「小さなもの集まれ!」
            雛道具から古民家模型まで
             於・福島県立博物館

      「小っさきもの」はそれだけでも愛らしい。
      鳥でも犬でも猫でも、人間の子・赤ん坊でも。

      さらに人形や雛道具となったら雅(みやび)が
      くわわって、上品で奥ゆかしくて……こちとら
      (ど)田舎者だが、どこそこのお姫さまになっ
      たような錯覚に陥る。

      今回の千点を超える極賞雛道具展は「川内由美子
      コレクション」とある。
      
      「小さなもの」には、「大きなもの」にはない
      不思議な魅力というかパワーがある。
      今回あまり時間がとれなくて駆け足でみること
      になってしまったが、      
      日頃、世俗にまみれた私にとっては、至福の
      ひとときなのだ。

      そして川内由美子氏とは、鈴木孝夫先生の娘さん
      だということを、はじめて知った。
      今回の会津ゆきのメインは鈴木孝夫先生
      (言語学者で慶応大学の名誉教授)
      を囲んでの座談会にある。

      
      

会津は雪だった

2012-04-09 21:28:32 | 


      ある会合があって会津若松までいってきた。
      関東はあたたかな陽気で、桜はほぼ満開に
      ちかく、花見日和である。

      まずは東北新幹線で郡山へ、そこから磐越
      西線に乗りかえて終点の会津若松へ。
  
      スムーズにいくはずが新幹線のダイヤが変
      わっていたのか(調べてチケットを取った
      のは3月末)
      東京を出発するのが10分遅いぶん到着も
      遅れて、磐越西線は出た後でした。
      次の列車は1時間20分後。

      会合の時間までに見たいものもあるので、
      ここで時間のロスはしたくない。
      聞いたら直通のバスがあるというので、列車
      の切符(通して買ってしまった)は無駄にな
      るけど、急遽変更してバス乗り場へ。

      すでに新幹線に乗っている頃からアヤシク
      なった天気は、ますますどんよりとして、
      何だか福島に入るのを拒否されるような、
      または諌められたような感じだった。

      高速バスは1時間20分の工程。
      途中眠くなって(朝4時起きだったので)
      うつらうつらして起きたら、周囲は写真のよう
      な雪景色になっていました。
      ちょうど猪苗代を経過すぎるところだったみた
      いです。
      このあたりでも猪苗代付近は標高がたかく、気温
      も低いのだろう。
      (ちなみに帰りに乗った磐越西線でも、やはり
       「猪苗代駅」付近はこんな雪景色だった)

      さすがに(会津若松)市中にはいったら、これほ
      どの雪はなかったけど、雪の切片が舞っていた。
      関東はぽかぽか陽気で花見だ、花見だとうかれて
      いるというのに、
      (個人的にうかれているのではない、
       そういう雰囲気だった)
      こちらはまだ蕾もふくらんでいない。
      
      それにしっかり着こんできた冬のコートでも寒い。
      常日頃、被災地にあれこれ思いを馳せているつもり
      だが、机上の空論をしていたのかもしれない。
      改めて避難している人たちの厳しさを思った。
      
        
  






春二番

2012-04-05 18:30:37 | 季節
  

      一昨日は大荒れ、台風なみの天気には驚いた。
      電車が停まって帰宅できなくなり、一瞬3・11
      を思い出してパニックになってしまった。
      昨日も今日も風が強かった。
      
      今年は春一番がなかったせいか、その後の天気が
      安定しない。
      やはり荒れる時はちゃんと荒れたほうがいいのか
      ……。
      なんだか人間の青春期と同じような気がして
      可笑しくなった。
      
      そういえば春疾風(はるはやて)、春嵐、春雷、
      春荒(はるあれ)なんて言葉があるものね。
      昔、「青嵐」という言葉に惹かれ、どうしても
      小説にしたかったが、まったく物にならなくて
      失敗したことを思い出す。
      あッ、「青嵐」(せいらん)は初夏のことをい
      うのだった。

      ところで桜のつぼみが膨らむころの強風を「春
      二番」というのだという。
      さしずめこのところの強風は「春二番」か。
      自然はちゃ~んと次の手を用意しているのだ。

      ちなみに桜を散らせるほどの風は「春三番」と 
      というらしい。
      どちらにせよ、「花に嵐」はつきもののようだ。

      ニュースでは上野の桜は満開で、花見の様子を
      映していたが、こちらは三分咲きといったとこ
      ろである。
      写真はちょうど蕾が膨らみはじめた鎌倉山の
      ヤマザクラ(1週間前)。