一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

出ました!!

2015-12-20 14:36:15 | 読書



      『評伝 森崎和江』
         言視舎  ¥3000+税


      女のエロスと身体を凝視し、問いを
      生き続ける女性の実像!
     
      森崎和江は既知の人とのぬくもり、
      未知の人との出会いを大切にして
      きた。
      昨日のわたしではない、
      今日のわたし。
      また、昨日のあなたでもない、
      今日のあなた。
      瞬間ごとに生誕するいのちの音、
      それに触れあいたくて生きてきた。

      森崎のなかで、拒絶と容認、不条理
      と道理、闘いとエロスがせめぎあう。
      それは瞬間ごとに死滅するいのちの
      音と背中あわせであるにはちがい
      なかった。
                (オビ文より)


     ようやく出ました!
     ほぼ一年半かかって。
     
     2~3日前から大型書店に並んでいます。
     新宿の紀伊国屋本店、南口店、渋谷店、
     渋谷・ジュンク堂などで見かけたと
     知人が知らせてくれました。

     ご希望の方は店頭やネットで、または
     直接、著者にご連絡くださっても結構
     です。
     どうぞよろしくお願い致します。
     

一陽来復

2015-12-19 08:43:10 | 



       「師」ではないけれど、何かと気忙しい
       師走ではある。

       今年の冬至は12月22日。
       云うまでもなく太陽が最も低く、昼の
       長さがいちばん短い日である。

       しかしものは考えようで、翌日からだん
       だん日が高くなるわけだから、これを起
       点とすればいいわけだ。

       冬至は陰陽でいえば陰が極まって、
       陽へと転じる日。
       つまりこの日は「一陽来復」とも呼ばれ、
       縁起のいい日なのである。
       そのため、冬至を一年のはじまりとする
       説もあるらしい。
       
       日本人には何かと縁のある二十四節気
       だが、その代表的なものは春分と秋分、
       さらに夏至と冬至になろうか。

       人間が地球に直角に立って、両方の腕
       を水平に真横に伸ばせば、
       足もとは夏至、頭の先は冬至、
       手の先は春分と秋分を示すことになる。

       その間に小寒や大寒、立春や啓蟄など
       が入ってくるのだから、日本人は何と
       こまやかな季節の中で暮らしている
       のだろう。

       それにこの季節ともなれば、何といって
       もクリスマス!
       昨日、久しぶりに渋谷に行ったが、
       ひと頃のような、クリスマス独特の馬鹿
       騒ぎはなくなったような気がする。

       渋谷の街は相変わらず若者であふれかえり、
       賑わっていたが。
       それはいつもと同じ光景であろう。

       喧騒から少し離れたカフェで友人とお茶
       を飲み、心楽しいひとときを持たせて
       もらった。

       ※ 渋谷のハチ公広場の木にはサンタが
         たくさんぶら下がっていた。
   
       

逝く人、これからはじまる人

2015-12-13 14:53:22 | Weblog



      野坂昭如氏が逝ってしまった。
      85歳という年齢を考えればそう
      不思議ではないが、いつまでも
      生きていて、何かあれば異論、反論
      を述べるような人だった。
      こういう人が世の中から消えるのは
      さびしい。


      今月発売の「サンデー毎日」を整体院
      でみていたら、
      かつて「岸辺のアルバム」というTVの
      ホームドラマで脚本と主演女優をした
      山田太一氏と八千草薫さんが対談して
      いた。

      (山田)「平均寿命からして、もう
      死んでいるはずなんですよ」
      (八千草)「私も。昔は自分の死など
      随分先のように思っていましたけれど、
      今は近くにあるような気がします」
  
      (山田)「僕も友達がどんどん亡く
      なっていくから、競争に負けて取り
      残されたような気分です。
      だんだんと死に馴染んできて、終わり
      があるのは悪いことばかりじゃない
      と思っています」

      (八千草)「ずっと生きるのは辛い
      ですけれど、終わりがあるから頑張
      れる気がします」

      ああ、地にしっかりと足をつけて
      生きてきた方ならではの深いことば。
      死ということばがたび出てきても、
      そこに暗い影など、少しもない。
  

      毎日あくせくと日をすごしている
      私は、これまた深く考えさせられ
      たのだった。

      一方、昨日は思いがけなく結婚式
      を見た。
      思いついて(鎌倉)八幡宮に行った
      ら拝殿で結婚式をやっていたので
      ある。

      この拝殿では折々の神事が行われる
      ところで、源氏物語をおもわせるよ
      うな「舞い」を見たこともあるのだ
      が、一般人の結婚式を見たのは初め
      である。
 
      さながら観光客が立会人のような
      ウエディングであった。

      結婚式は「死」のテーマから対極に
      あるものであろう。
      艱難辛苦、人生の醍醐味ののはじま
      りでもある。
      路傍の一人である私は、ちょっと
      ラッキーな気持ちで帰ってきた。


      ※ 八幡宮に詣でて後方を振りかえ
       ったら、拝殿では新郎新婦が指輪
       を交換するところであった。

      
                
      
           
      

本格的な冬の前に

2015-12-12 14:03:19 | 季節



      昨日の天気大荒れできれいに色づいていた
      樹木も素っ裸に。
      散歩の途次にみる大イチョウも一日で
      すっかり葉を落としていた。

      本格的な冬目前である。
      
      毎朝森を歩いていると、春から初夏にかけ
      て、あんなにさえずっていた鶯はどうした
      のだろう、と思う。
      そんなときに、こんな歌を見つけた。

      「笹鳴きに逢ひたき人のあるにはある」
                  三橋鷹女
 
      笹鳴とは春を過ぎた鶯の「チャッチャッ」
      という地鳴きである。

      それにしても春の、あの麗しい鳴き声と
      なんと違うのだろう。

      そしてこの歌の「逢ひたき人のある」に
      は微妙なニュアンスが感じられて、そこ
      はかとなく色気も感じとれるのである。

      そんなことを思ってあるいていると、
      ちょうどタイミングよく笹藪から
      「チャッチャッ」とあっちでも、こっち
      でも聞こえるではないか。

      やはり鶯はこの森にいるのだ!
      と思って、なんだかホッとしたのである。

      間もなく冬枯れがふさわしい季節になる
      だろう。

      その前に、今年もあと半月。
      年を越す前にやらなければならないこと
      がいくつかある。
      まずはそれを片付けることだ!

真っ赤だな

2015-12-06 14:31:13 | 雑記



      
       街路樹の紅く紅葉したのを見ると
      思わず

      ♪ 真っ赤だな 真っ赤だな
        蔦の葉っぱが真っ赤だな
        もみじの葉っぱも真っ赤だな
 
     とつい歌ってしまう。
     温暖化の影響か、ここ50年で15日
     も遅くなっているという紅葉だが、
     その自然界の妙には人間がいくら頑張
     っても及ばないものがあるような気が
     してならない。
     
     紅葉は秋になって日照時間が短くなり、
     気温も下がって、光合成の効率が落ち
     るためだといわれる。

     つまり、落葉樹は休眠に向け葉っぱを
     落とす準備をするのだ。

     この際、イチョウの黄色とカエデの
     紅いのとは違う。

     緑のクロロフィルは分解されて枝や
     幹に回収されるが、黄色のカロテノ
     イドは長く葉にとどまる。
     このため葉っぱが黄色に変わる。

     一方、カエデのように紅くなるのは、
     光合成で作られた糖分はふだん、
     管を通って葉から枝へと運ばれる。
     落葉が近づくと、葉と枝の間に
     この管をふさぐ層ができ、糖分が
     葉っぱにとどまるようになる。

     この糖分が紅い色素の「アントシアン」
     に変化するのだという。
     イチョウにはこの回路がないので、
     紅くはならない。

     いずれにせよ、紅葉がすすむためには
     葉がたっぷりと光を浴びておく必要
     がある。
     これがいわゆる「昼は日が当たって
     暖かく、夜は冷える」と紅葉が美しい
     ということだ。

     あくまでも樹木の紅葉は休眠のため
     だが、私はつい、人生の終末期を
     重ねてしまう。

     人間はなにゆえに、自然の樹木の
     ように静かに潔く終われないのか。
     紅葉のように美しく身をかざり、
     とまではいかなくても、
     安らかに静かに息を引きとること
     ができたら、どんなにいいか。

     そんなことを云うヤツに限って
     ジタバタする?
     ああ、そうかもしれない。

     毎年、紅葉を見るたびに、この愚か
     な私は思うのだ。
     
     

     ※ 長谷寺の三地蔵も真っ赤
     (知人が撮って送ってくれた)
     

調律

2015-12-05 16:22:00 | 雑記



      ほとんど使わず、眠っているようなピアノ
      だが、年一回、調律師がやってくる。
      それが毎年12月のはじめで、Mさんが
      やってくると、
      ああ、師走か、今年も終わりだな、
      と思う。


      今年もMさんがやってきた。
      まるでちょっと早いサンタのように。


      Mさんは大変ほがらかな、話好きなおじさ
      んで、その間、ちょっとでも仕事をしたい
      私をなかなか離してくれない。

      仕方なく、台所仕事をしながら私はホオ、
      とかハアとか相槌を打つ。
      たまには、どうでもいいことを聞いたり
      もする。

      「年間、どのくらいピアノを扱われる
      のですか?」

      「今じゃ、齢とったから五百台くらい 
      だけど、会社に勤めておった頃は千台か
      それ以上、みていた」

      (Mさんは現役時代はK楽器に勤めていて
       やはり調律を担当していた。
       Mさんが調律の公認免許を取ったのは
       29歳のとき)

      「昭和40年代の初め頃まではピアノの
      ある家は少なくて、これで食べていけ
      るだろうかと心配した。
      40年代半ばから急に普及して、
      急がしくてたまらなくなった」

      (そういえば、わが家にピアノが入った
      のもその頃であるーー親が弾けもしない
      くせに。いわゆるピアノブームに乗った
      のだ)

      「現在はピアノだけでなく、サッカー
      とか少年野球とは、女の子はバレエを
      習いにいったり、子供のおけいこ事も
      多様化しているものね」


      「そう、最近は娘が嫁にいって残された
      ピアノをお母さん(老母)が習いはじめ
      たり、結構、みなさん楽しんでおられま
      すよ」

      (それは私も聞いたことがある。
       現に82歳になる私の友人は月に一回
      先生に来てもらってピアノを習い、
      発表会にも出ると張り切っている)

      
      「それでもピアノって、一台一台違う
      ものですか」

      「違うね~。素直なやつもあれば、全然
      いうことを聞いてくれないのもある。
      この前は良かったのに、3~4年に一回、
      大きく狂うこともあるしね」

      「ホオ」
 
      「1300台くらい診て、5台くらい、
      やってもやっても駄目なのがある」

      「はあ」

      「毎回、ピアノと相撲とっているような
      もんよ。一台一台違うんだもの」

      「そんなもんですか」

      「ピアノは奥が深いからね。
      だから、調律している時が一番楽しい」

 
      Mさんは小一時間の間にれだけの話を
      して、大忙しのサンタのように、次の
      家に行ってしまった。

      それにしても1300台に5台くらい、
      どうしても駄目なのがあるって……
      これって、人間にも当てはまる?
      まさか!?