一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

被災地にかかる虹

2012-11-27 16:09:39 | 雑記


     『ひとのあかし』に関する話題が当初思っていた
     以上に続いてしまった。

     それは本書の文と写真に惹かれたからでもあるが、
     途中で思わぬ縁がひらけてしまったからでもある。

     私の生まれたのは原町というところ。
     その隣町の小高(おだか)町(現在は南相馬市小
     高区)に「埴谷雄高・島尾敏雄文学資料館」がある。
     小高町にゆかりのある埴谷と島尾にちなんで創ら
     れたもので、その創立に大きく貢献されたお一人が
     当時、高校教師だった若松さんなのである。

     不明を恥じるついでにいうと、私はこの平成にな
     ってから出来た資料館を知らなかった。
     たまたま11日のブログを見た関係者が、若松さ
     んの名前が出ていることに驚き、そういえば……
     となったのである。

     そして、ちょうど雑誌で「島尾敏雄」の企画途中
     であったものだから、どういうわけか私も書く
     羽目に。
     それで急きょ、若松さんにお願いして当時のお話
     を聞かせていただくことになったのである。

     よくよく聞けば、氏は私の母校の高校教師を最後
     に定年退職されたとのこと。
     ならば「先生」でしょうと、急に気が楽になり、
     「若松先生」と呼んだら止めてください。
     と二度もいわれてしまった。

     霜月もあと3日。
     師走の1.2日はその取材のためにまたも南相馬市に
     帰省することになる。
     しかし、この不勉強が「島尾敏雄」に挑むには
     付け焼き刃で叶うはずもなく、とりあえずの知識
    (それも基礎的なもの)として、あと数冊は読まな
     くてはならない。

     (写真は古墳時代前期の前方後円墳。桜井古墳に
      かかる虹。原町区の上渋佐ーーかみしぶさ)

     
     

風にふくまれるもの

2012-11-22 15:08:25 | 読書


      『ひとのあかし』の文を書いている若松丈太郎さんは
      (福島県)南相馬市に住む詩人である。
      このブログ更新中に偶然だが毎日新聞(11・19)
      の文化欄(「書物の海を渡れーー東北へ」)に本書の
      ことが載った。

      とても感じることが多かったので、その掲載記事
      (学習院大学教授・赤坂憲雄による)をもとに記し
      たいと思う。
             
      若松さんはかつてこう書いている。

        肌は風を感ずることができるものの
        肌は風にふくまれるものを
        感ずることはできない

      そして、事故から8年後のチェルノブイリを訪れて、
      本書にも入っている「神隠しされた街」を書いた。
      「人声のしない都市 人の歩いていない都市
       45,000の人びとがかくれんぼしている
       都市」
      さらに、まるで予言でもするように、
      「神隠しの街は地上にいっそうふえるにちがいない
       私たちの神隠しはきょうかもしれない」
      と。


      3・11が起こった現在、
      「わたしは予言者ではまったくない。ただただ観察
      して、現実を読み解こうとしただけのこと。
      わたしの見方が、大きくハズれていたらよかったのに」
      といっているのだ。
  

      新聞記事にもあるように若松さんは告発などとは無縁
      の、純粋な詩人なのである。
      この詩人がいうように、
      「廃村の一隅に発電所のみのある」故郷の南相馬市に
      希望の詩学を起(た)ち上げることができるだろうか。
     

      詩学とはなにも「詩」のみではない。

      (写真は「相馬野馬祭」の行われる雲雀ヶ原の観覧席
       で。若松丈太郎とアーサー・ビナード)
       
       
      
      
       

北泉海岸

2012-11-17 20:15:32 | 雑記


     注釈: 世界プロサーフィン大会も開かれた
         北泉(きたいずみ)海岸

      夏、多くの人でにぎわっていた海岸は地盤
      沈下で消えた。

     (向こうに見えるのは原町の火力発電所)   

山背

2012-11-17 20:06:31 | 雑記


    注釈: 山背で煙る海岸線
      原町区 雫(しどけ)

    山背とは靄(もや)のこと。
    以前は浜辺にはつきものの松並木が靄をさえぎって
    いたのだが、松並木ごと津波がさらっていったので
    こんな索漠とした光景になるのである。

    この雫一帯にも多くの同級生の家があったが、全部
    流された。

人のいない通り

2012-11-17 19:42:29 | 雑記
     
 
     3月11日午後2時46分。

     震災直後、どうだったか訊いた。

     誰しもただ事ではない感じがあって、家中の者を
     車に乗せて山側(福島方面)へ向かった。
     いちばん津波が怖かった。
     (海から2㌔の人の話)

     自治体(県や町、国も含む)からの警告、指示等
     は一切なく、知り合い同士で噂を聞くしかなかった。
     情報網としてはラジオしかなく、ラジオも状況は
     流すが、だからどうしたらいいとか、避難場所に
     いきなさいといった具体的なことはいわなかった。

     会津や福島方面まで車を走らせ、避難場所は自分
     たちで探した。
     しかしやっとたどり着いた所でもいっぱいで、
     やむなく別の学校の体育館などを目指した。

     避難場所も最初は寝具や暖房器具とった装備も
     整っているわけでなく、非常に不便な思いを
     した。

     等々、いま聞いても直後の混乱は生々(なまなま)
     しいものである。

     (写真は人っ子一人いないところに「災害派遣の車」
      2011年春~夏 「原町駅前」の光景と注釈が
      ついている)
     

鮭川

2012-11-16 20:34:44 | 雑記

     小学生の頃、遠足でいった鮭川。
     正確には新田川というのだが、地元でそう呼ぶ
     人はいない。鮭川で通っていた。

     秋の遠足でいったのは小学4~5年生だったか。
     鮭が競うように遡上するのをみて、その意味も 
     考えず、だから特別な感慨が湧いたわけでも
     なかった。

     ただ、その生態というか生命力に圧倒された記
     憶はかすかに残っている。

     現在も昔ほどではないが、鮭川としては現役で
     ある。
     だが、放射能汚染の危険性のある鮭など誰も
     食べるひとなどいないし、もしうっかり
     その気になろうものなら「食べるんじゃない!」
     と叱責されるに決まっている。

     (写真は斎藤さだむさん撮影)
      中央が見にくいのは本の見開きのためなので
      悪しからず。


立ち入り禁止

2012-11-13 20:33:27 | 雑記


     今でもこのようにあちこち立ち入り禁止になっている。
 
     この日は福島県警が警備していたが、そこにいたるま
     で、汚染された土壌の掘り起こしや、瓦礫の撤去を
     している現場を見た。


     すぐそこにあるわが家でも入ることができない。
     
     この無力感をどうすればいいのか。

             (写真は前著より 以降同じ)

ひとのあかし

2012-11-11 19:49:23 | 読書


    今日、上野の精養軒で高校のOB会(東京支部)が
    あった。
    昨年は熱と咳で出席できなかったので、今年は万難
    を排してという気持ちで行ったのだが、こんなとき
    だから(震災があったという意味)大勢集まった。

    その席で親しい方からそおっと手渡された本ーー
    『ひとのあかし』という詩と写真のコラボである。
     若松丈太郎・詩
     アーサー・ビナード英訳
     斎藤さだむ・写真
     (若松氏は南相馬市在住。斎藤氏はつくば市在住。
      ビナード氏は来日20年、日本語で詩とエッセイ
      を書くほど多才)

    折しも昨日、「あかし」というタイトルでブログ更新
    したばかりだったので、何かの縁も感じ、ここに紹介
    しようと思う。
    先ず、冒頭の詩から。
 
  
      ひとは作物を栽培することを覚えた
      ひとは生きものを飼育することを覚えた
      作物の栽培も
      生きものの飼育も
      ひとがひとであることのあかしだ

      あるとき以後
      耕作地があるのに作物を栽培できない
      家畜がいるのに飼育できない
      魚がいるのに漁ができない
      ということになったら

      ひとはひとであるとは言えない

      のではないか

    これに英訳がついて、折々の写真が添えられている。

あかし

2012-11-10 21:19:34 | 雑記
  

      今回、最も胸をつかれたのはこの場面である。
       
      実はこれを公開すべきかどうか、迷った。
      しかし震災から1年8ヵ月、いつまでも避けていた
      ら次の一歩が踏み出せないではないかと思い、あえて、
      ここに掲載させてもらうことにしたのである。

      この光景はあちこちにあった。
      今は更地同然になったところに、わずかに石や花瓶
      を置き、花を捧げる光景。
            
      わが家のあった場所、愛すべき親兄弟が住んでいた
      家のあかしである。
      おそらく、その場所さえ定かでなく、探しあぐねた
      ことであろう。
      Tちゃんもいっていた。自分の育った家がどこなの
      か分からなかったのよ、と。

      写真を撮るのさえ憚られたが、車から降りて手を
      合わせ、あえて撮らせていただいた。

      胸がつまって、しばらく言葉が出なかった。

      
 
      




 
     

こんなにも近かった海

2012-11-09 08:33:17 | 雑記


     通夜、告別式の合間をぬって浜辺まで連れていって
     もらった。
     
     驚いたことは、こんなにも海が近かったのだろうか、
     ということ。
     子供の頃は遠かった。
     自分の足で歩くか、自転車しか方法はなかったのだ
     から。
     道は曲りくねって、それが余計に遠く感じさせた。

     現在はどこも整備されて、広い道路をまっすぐ行け
     ばすぐ太平洋だ。
     この海があれほどの津波を起こして、村落をいくつも
     一瞬にして飲みこんでしまったのだろうか。

     嘘のように静かで凪いでいる海を前にして、ふと
     昔のことを思い出した。

     小学四年生の夏だったか、仲良しのTちゃんの家に
     遊びにいった。
     びっくりしたのは、庭先と太平洋がつながっていて、
     ざぶんざぶんという波の音が目の前に迫ってきたのだ。
     だからであろう、Tちゃんは泳ぎが得意だった。
     Tちゃんなら、たとえ海で遭難しても助かるだろう
     なんて、大きな波を前におびえながら私は思った
     ものだ。

     そのTちゃんは今、埼玉にいて、同級生一の働き者で
     ある。
     悲しいことに、今回多くの犠牲者を出すことになった。
          
     (写真は夕暮れの迫った太平洋を前に)