『ひとのあかし』に関する話題が当初思っていた
以上に続いてしまった。
それは本書の文と写真に惹かれたからでもあるが、
途中で思わぬ縁がひらけてしまったからでもある。
私の生まれたのは原町というところ。
その隣町の小高(おだか)町(現在は南相馬市小
高区)に「埴谷雄高・島尾敏雄文学資料館」がある。
小高町にゆかりのある埴谷と島尾にちなんで創ら
れたもので、その創立に大きく貢献されたお一人が
当時、高校教師だった若松さんなのである。
不明を恥じるついでにいうと、私はこの平成にな
ってから出来た資料館を知らなかった。
たまたま11日のブログを見た関係者が、若松さ
んの名前が出ていることに驚き、そういえば……
となったのである。
そして、ちょうど雑誌で「島尾敏雄」の企画途中
であったものだから、どういうわけか私も書く
羽目に。
それで急きょ、若松さんにお願いして当時のお話
を聞かせていただくことになったのである。
よくよく聞けば、氏は私の母校の高校教師を最後
に定年退職されたとのこと。
ならば「先生」でしょうと、急に気が楽になり、
「若松先生」と呼んだら止めてください。
と二度もいわれてしまった。
霜月もあと3日。
師走の1.2日はその取材のためにまたも南相馬市に
帰省することになる。
しかし、この不勉強が「島尾敏雄」に挑むには
付け焼き刃で叶うはずもなく、とりあえずの知識
(それも基礎的なもの)として、あと数冊は読まな
くてはならない。
(写真は古墳時代前期の前方後円墳。桜井古墳に
かかる虹。原町区の上渋佐ーーかみしぶさ)