一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

悠久の歴史

2014-08-31 17:28:16 | 歴史


      東京に出るついでに、急に思い立って
      現在、出光美術館でやっている
      「宗像大社国宝展」をみてきた。
      (むしろ、こっちが主だったのだが)

      これは9月に入っている取材と関連する
      もので、是非ともみておきたかったの
      である。

      実は一昨年、やはり取材で福岡を訪れ
      た際、本物の宗像大社にも寄っている。
      そのときは他にメインのテーマがあっ
      たので、さっと目を通した程度で終わ
      ったのだった。

      まさか再度、取材の機会に恵まれよう
      とは思っていなかったので、私自身が
      いちばん驚いているのだ。

      宗像大社には、「海の正倉院」とも
      呼ばれる沖ノ島から出土された国宝、
      およそ8万点が展示されている。
 
      今回の出光の展示はその一部だが、
      日本がまだ奈良時代のころ、
      朝鮮、中国(唐、宋時代)、遠く
      ペルシャとの交流があったことが
      分かる。

      沖ノ島は神の島とも呼ばれ、海の安全
      を願って、そのころ神事がさかんに
      行われていた。
      ちなみに、島は現在でも女人禁制なの
      である。


      ともあれ、子供たちの夏休みも終わり、
      私の8月最後の日もかくして終わった。

      ※ 写真は新羅時代の金製指輪
       黄金色に輝いていました。
      
      
      

依存症大国

2014-08-30 19:03:44 | 雑記


      依存症なんて関係ないと思っていたが、
      そうではなかった。

      以前に、
      「パソコン嫌いのパソコン依存症」と
      自分のことを云ったことがある。
     
      その度合いはますますひどくなって、
      目下いちばんの心配は、今使っている
      パソコンが壊れることである。

      いつだったか、どうにも画面の操作が
      うまくできなくて、講師派遣をお願い
      したことがある。
      そのときの会話ーー

      「これだって機械だからいつかは壊れ
      るでしょう?」
      「どんどん良くなっているから、新し
      いのに買い換えたほうがいいですよ」
      「それが困るのよね。どんどん進化し
      て、こっちの頭がついていけない」
      「そのときは呼んでください。講習
      に来ますから」
      
      といったって、手間もヒマもかかる。
      (人材派遣は金銭的にも安くないのだ)

      聞くところによると、そこの教室は
      シルバーがまるで「お稽古のように」
      パソコン教室に通っているのだと
      いう。
      つまり、お料理教室やお茶、お花の
      ように。

      「えっ!? どういうこと」
      私は俄かに信じられなくて聞き直した。
        
      「年賀状をきれいにつくりたいとか、
      ブログのスキルを上げたいとか、
      家計簿をつけたいとか……
      みなさん、回数券を買って、毎週の
      ように来てますよ」

      はあ。
      今さら料理も、お茶、お花もやりたく
      ない私は、一瞬、それもいいかと思っ
      たくらいだ。

      だけど、今の私にそんな余裕はない。
      そして、またまたパソコンが壊れる
      ときを想像して、心配が尽きないの
      だ。
      

      
      
      

座高自慢

2014-08-24 15:19:23 | 雑記


      私は引っこみ思案で小心者、人前で話す
      ことができない子供だったが、ひそかに
      自慢にしていたことがある。

      背も低く、やせっぽち(好き嫌いが激し
      かった)の割には座高が高かったのだ。

      学校で測定した表を家に持ち帰って、
      にんまりした記憶がある。
      (小学3~4年生のころ)

      座高が高いとうことは、その分、脚が
      短いということなのだが、その事実に
      気づいてからも、座高自慢の気持は
      変わらなかった。

      運動もだめ、運動会は大嫌い、
      身体的にコンプレックスをもっていた
      ので、他に自慢するところがなかった
      からである。

      だから、先日のニュースを見たときは
      ん?と思い、それから笑いが止まらな
      くなった。

      「意味なかった!?座高測定」

      近頃の生徒は、少しでも脚を長く見せ
      ようと、背中を丸めて、正確な座高測
      定ができないのだという。
 
      それより何より、座高測定そのものが
      意味がないので、2016年からは廃止さ
      れるというのだ。

      そもそも座高を測るようになったのは、
      日中戦争がはじまった1937年の
      「学校身体検査」からである。

      「戦時体制に入っていく社会情勢があり、
      強靭な兵隊を育てるために健康な児童
      生徒の育成が急務となった」

      なんでも、当時は胴が長い方が健康と
      されており、その確認のために始まっ
      たのだとか。

      それから78年、漫然と継続していた
      のだから驚く。

      なんだか、他にも恒例となって、意味
      なく続けていることがあるのではない
      か、そんな気がしてきた。
      

      
      

     

御雷様雨(おらいさまあめ)

2014-08-23 15:00:32 | Weblog


       暑くてふうふういっているが、
       考えてみれば夏が暑いのは当たり前。
       これが寒い夏だったら、それこそ異常
       気象で大変だ。

       ところが昨夜あたりから秋めいた風が
       吹いて、ちょっと一息ついている。

       今日は所要で北鎌倉へ。
       今朝、空にいわし雲みたいなのが表れ、
       気をよくして、洗濯物を堂々と干して
       出かけた。

       そしたらどうだろう。
       着いた10時頃からごろごろ鳴りだして、
       またたく間にどしゃ降りに。

       家人も出かけていないので、どう仕様も
       ない。
       そそくさと用事を済ませて帰宅したの
       は午後2時。

       雨は小降りになっていたけど、大量の
       洗濯物はびしょぬれ。
       どうしようか。このまま取り込むわけ
       にもいかず、乾燥機へ。
       (私は乾燥機が嫌いで、できれば使い
       たくないのだ)

       ガラガラ廻している間に、雨はあがった
       が、ベランダは濡れたまま。
       どうしようもない中途半端な気持ち。

       雷雨は局地的なものだったのか、
       宮城県地方ではこういうのを「御雷様
       雨」(おらいさまあめ)というらしい。

       そういえば、同じ東北(福島県)で
       育った私は子供のころ、
       「雷様」(らいさま)と様付けだった。
       これには先人の、自然に対する敬意とか
       恐怖のあらわれだろうと思い、
       今となってはなつかしい。

       
       ついでに、限られた地域に降る雨を
       「私雨」(わたくしあめ)ということを
       新聞で知った

       さらにいうと、群馬県あたりでは雷雨の
       ことを「山賊雨」(さんぞくあめ)という。
       恐ろしいからかと思ったら違うらしい。
       農作業中、雨の気配がして稲束を3束も
       たばねぬうちに降りだすので、
       「三束雨」(さんぞくあめ)となった。
       それがゴロ合わせで「山賊雨」となったか。

       雨の多い日本はこのように多種多様の
       「雨」にまつわることばがあふれて
       いる。
       しかし、各地で多くの被害を出した豪雨
       (ゲリラ豪雨)はいただけない。

       被害に遭った方々に、深くお見舞いを
       申しあげます。

     
       ※ 北鎌倉もまだまだ夏
        
      
       
   

病院をはしごする

2014-08-17 17:11:44 | スポーツ


       家の者が夏季休暇で北海道にいって
       いる間、日頃気になっている身体の
       チェックをしようと整形外科にいった。

       午前の受け付けは11:30までという
       ので、11時前に着いた。
       (早くいってもどうせ待たされるので
       わざと遅めにいったのである)

       待合室はソファ、補助椅子まで出して
       坐れないほど患者でびっしり、
       しばらく立っていた。
       う~ん、これじゃ昼過ぎになるかな?

       参ったなと思ったが、じ~っと待つし
       かない。私の弱点で、病院の待合室で
       本を読むことができない。
       週刊誌や女性雑誌、新聞の類も駄目な
       のだから、処置なし。
       集中できないのだ。

       すでに12時過ぎ、TVは甲子園球場から
       ニュースになり、朝ドラの再放送を
       やっている。

       前の女性が喋っている。
       「朝8時に受け付けして、外科から整形
       外科に回され、まだなのよ~」

       結局、その人が呼ばれたのはそれから
       1時間後。
       私は「まだ待ちますか」「どのくらい?」
       と受け付けに2回、聞きにいった。

       そうこうしているうちに、午後受け付け
       の患者がきて、一時空いた待合室は再び
       満員に。

       私が呼ばれたのは2時半であった。
       腰のレントゲンを撮って、結果は後日、
       また来なくてはならない。

       牛乳を1本飲んで、その足で別の病院へ。
       こちらは定期的に(月1回)予約してい
       る漢方である。
       
       幸い、予約なのでさほど待つことはなか
       ったが、ああ疲れた。
       本当に具合悪かったら、病院にも来れない。

       総合受け付けに回って会計を待つ間、
       椅子に座って足をぶらぶらさせていたら、
       隣の女性(私よりずっと若い)がいった。
       「元気でいいわねえ」

       私はあまり疲れて、脚がむくんでいるよ
       うな気がして(多少、イライラして)
       無意識にぶらぶらさせていたのだ。

       隣の女性は杖をお持ちだ。
       「えっ、どうされたのですか」
       「別の病院で大腿骨の手術をして、いま
       人工骨が入っているの。痛くて歩けなくて
       病院を替えてみようと……。MRIを撮って
       診てもらったのだけど、まだよく分からな
       いの」
       いかにも痛そうに顔をゆがめられた。

       「いいわねえ、歩けて」
       逆質問である。
       「どこが悪くて(病院に)来たの?」
       いかがわしい顔に、私は答えた。
       「今日は漢方の薬をもらいに」
       「まあ、贅沢っ!」
       といわれてしまった。

       ちょうど私の番号が掲示板に出たので
       立ちあがった。
       「お大事に」
       といって、会計を済ませ、私はその人に
       軽く会釈して駐車場に向かった。

       そうだ、自分の足で苦痛なく歩けて、食べ
       たいものを食べ、夜眠れるということは
       有難いことなのかもしれない。

       もっと自分の身体を大事にして、いたわら
       なければ!!
       自戒をこめて反省した。
       それにしても、本を読んでいるとすぐ眠た
       くなるのは何とかならないものか。

       私はさっきの反省を忘れて、ため息を
       ついた。
       ああ、病院のはしごで1日を費やして
       しまった!!
       その日は帰っても仕事にならなかった。
       
       


       

ひと夏の思い出

2014-08-16 21:01:01 | 雑記


      「ひと夏の思い出」といっても私の
      思い出ではありません。

      先日、年一回のガン検診(成人病検査)
      にいったら、病院内のTVがどれも甲子
      園の開会式をやっていた。
      (検診は毎年、夏に受けることにして
      いる)

      ああ、美しい。
      颯爽としてりりしいその姿にしばし
      目を奪われた。

      子供ではない、大人でもない。高校生
      だからこその青さ、若さがあって、
      夢と希望に満ちた眼差しが、緊張感で
      きらきらしている。

      それで思い出した。
      またまた新聞からのネタで恐縮だが、
      こんなのがあった。

      80歳の女性(神奈川県)の投稿である。

      「38年前の8月、息子が在学していた東京
      の桜美林高校が夏の甲子園で「初出場
      初優勝」の栄冠を得た」

      (そういえば記憶にある。あれから38年
       経ったことに驚くばかり)

      「息子は当時高校2年生で、応援リーダー
      でした。甲子園の息子からは毎晩8時に
      なると決まって電話があった。
      --元気でいますから安心して下さい。
      これだけでしたが、まるで選手のように
      弾む声でした」

      (息子さんの日に焼けた顔、白い歯が
       目に見えるようだ)

      「炎天下、一球ごとにあがる大歓声。
      わが家でもTVの前で奇声を発し、時々
      映し出される応援風景が目に留まると
      大騒ぎです。
      スカイブルーのワイシャツに白いネク
      タイ。なかなかスマートな息子の応援
      リーダーの姿は忘れることができません」

      という内容である。
      今、年齢を数えると、その息子さんは
      50代半ば、どのような人生を送ってい
      るのだろう。

      そして80歳のお母さんは、その熱い夏
      を思うと、胸がさらにじんと熱くなる
      のだろう。

      私も加齢のせいか、こういう話に弱く
      なった。
      
  

特攻隊長との恋

2014-08-10 21:51:56 | 雑記


      九州や四国で大雨をもたらした台風11号、
      みなさまのところでは大丈夫でしたか。
      
      関東地方では午前中、雨がいったんやみ、
      薄日も差してきたので、今のうち!と
      思って、散歩兼買物に出た。
      いつもの森を抜け、坂を登り下りして。

      蝉がかしましい。ミ~ンミ~ン ジ~ジ~、
      中にはシャカシャカといったクマゼミ?
      のようなものもいて、そこに誠に晩稲
      (おくて)のウグイスが加わる。

      蝉よ、鳴け鳴け、ひと夏のいのち。
      私も気ばかり急いて、足がついていかず。

      そして、お店に入ったとたん、土砂降り。
      帰りはびしょぬれになりました。
      (折りたたみ傘は持っていたけど)


      さて、もう一つの「特攻隊長との恋」を
      新聞でみた。

      投稿者は東京在住の89歳の女性。

      実家は4~5人の学生を下宿させ、糊口を
      しのいでいた。
      18歳だった彼女は一人の学生と出会った。

      色の浅黒い彼は、初めから積極的で、まる
      で求婚する雄鳥のようだった。
      (と書いている)

      彼女はとまどいながらも惹かれていき、
      アイロンがけは他の誰よりも丁寧に、壁に
      掛かる学生服にひそかに頬を寄せるなど
      して……。
     
      (昔は下宿屋がアイロンかけもしてくれた?)

      9月、彼は飛行学校に入るため、繰り上げ
      卒業して旅立った。
      彼女は家族といっしょに見送ったのだが、
      雑踏の中、彼がいきなり近づいてきて、
      彼女の左手を取り、強く握りしめて、
      それが最後に。

      その後、彼は特攻隊の隊長となり、南の
      空に散ってしまった。

      彼女の左手には、今もって彼の思い出が
      しっかり残っていて、8月がくるといつも
      涙する。

      ……といった文章である。
      特攻隊といったら、帰還するなんて例外
      中の例外で、ほとんどがこのように心中を
      吐露することもなく、海の藻くずとなって
      くだけ散っていったのだろう。

      切なく哀しい、そして美しい思い出である。

      
      

      

戦争と特攻隊の恋

2014-08-09 15:31:12 | 雑記


       もうすぐ終戦記念日がくるが、今年は
       なんと戦後69年だという。
       日本はあれ以来、戦争をしていない。
       地球のどこかで戦乱が起っている現在、
       それはたしかに貴重なことなのかも
       しれないのだ。

       特攻隊とは島尾敏雄(1917~86)
       のことである。
       島尾は九大を繰り上げ卒業して海軍
       予備学生を志願。
       特攻隊(第一震洋隊)隊長として赴任
       したのが奄美の加計呂麻島(かけろま
       じま)の呑之浦(のみのうら)基地で
       あった。

       そこにはミホという美しくも情熱的な
       娘がいた。
       ミホは祭事をつかさどる島長(しまおさ)
       の家に生まれ、ノロ(祝女)になると
       いう宿命をもっていた。

       しかし戦時下、特攻隊、島の娘……
       という条件のもとで、恋ははげしく燃え
       あがるばかり。
       いつ特攻命令が下されるか分からない中、
       部隊近くの浜辺で深夜の逢瀬をかさねた。


       ついに、昭和20年8月13日、
       特攻隊の出撃命令が出た。
       ミホは出撃を見届けて自決しようと
       白い死装束を身につけ、短刀を懐に、
       浜辺で待った。

       しかし、最終の発進命令が出ないまま
       夜が明け、とうとう15日の終戦を
       迎えたのだった。

       死をもって完結するはずだった恋は
       敗戦によって生の方向に舵を切る。

       ミホは復員した彼を追って、
       老いた父を残し、闇船で島を脱出、
       島尾と結婚した。

       まるで小説のような話だが、これで
       終わらないのが現実である。

       純粋すぎて気性のはげしいミホは、
       夫を安住させなかった。
       少しのことでやきもちを焼き、しまい
       に精神を病んでしまったミホは、
       入退院をくりかえす。

       それが島尾敏雄の『死の棘』で、苦し
       みつつ、なんとか妻を甦生させようと
       する。
       島尾文学とし高く評価され、映画にも
       なった。
 
       夫の死後、島にもどったミホは最後
       まで喪服を離さなかったといわれる。
       (実際に会った人の話によると、
       奥に引っ込んで喪服に着替え、特攻隊
       のあった浦まで案内してくれたという)
  


  

       

       
       
       

15歳の夏

2014-08-03 11:09:00 | 雑記


       またも人生相談である。

       私は質問そのものよりも回答者がどう
       答えるか、に興味がある。

       Q&A形式で書いてみる。

       Q)母と義理の父、妹、弟の5人家族。
        父は私のことが嫌いです。小4の時
        テストで100点を取っても「当た    
        り前や」と云われました。
        ブスとも云われます。あいさつをさ
        れたこともありません。
        頭が悪いから?それとも実の子では
        ないから? つらいです。
            相談者(15歳・女子)


       A)父親が長男や長女にきびしくして、
        妹や弟の教育をするということは
        たまにあります。
        しかし、そんなことは現代では通用
        しません。

        あなたの場合、お父さんがお母さん
        の再婚相手だということが問題を
        ややこしくしています。
        しかし、どんな事情があるにせよ、
        両親は暴力はしてはいけません。
        
        暴力には3つあって、文字通り手
        をあげる暴力、言葉の暴力、心の 
        暴力です。

        (内田独り言)  
         なるほどねえ、大人は知らず知ら
         ず子供に対して、この言葉の暴力、    
         心の暴力をやってしまうのだ。

        そしてこう続く。
        A)妹や弟のようにお義父さんから
         好かれたいというあなたの叫びに、
         胸がいたくなりました。

         しかしお義父さんと話し合っては?
         などというつもりはありません。
         お義父さんの性格が劇的に変わると
         は思えないからです。

         (内田独り言)
          ここからが肝心要(かなめ)である。

        A)あなたは5年もしたら成人する。
         この5年の間で、将来の自分のことを
         考えたらどうですか。
         目標を持つことです。目標は生きる意味
         を教えてくれるし、いまのつらさも忘れ
         させてくれます。
               回答者(白川道)

        私はこの15歳の少女は大丈夫だろう、
        と思った。
        こうして自分の気持ちを整理して人に
        話すことだけで、すでに答えの半分は
        出ている。
        さらに良識ある大人に助言してもらって
        さらに気持もクリアになるだろうから。


        ※ この暑いさなか、
          笛田公園横のグラウンドでは中学生
          のサッカー大会が開かれていた。
          待機している少年たちは傍にある小山
          を、ボールを額にのせてかけ登る競争
          をしていた。
          (写真の撮り方が下手で急な坂道も、
           元気盛りの少年たちの様子も出て
           いないのが残念!
           下に20人くらいいて、わいわい
           はやし立てているのです)
      
          
        
        
        
         
              

また伸びた

2014-08-02 15:19:44 | 雑記



       また伸びた。平均寿命が、である。

       厚生労働省によると、日本人の平均寿命
       (2013年)は
       男性80・21歳(前年79・94歳)
       女性86・61歳(前年86・41歳)
       
       で、男性が80台になったのは初めて。
       女性は2年連続の世界一だという。


       う~ん、確かに知り合いに、80歳半ば
       の女性が何人かいる。
       その中の1人は86歳で姿勢がよく、
       水泳と体操、書道をやっていて、
       何より素晴らしいのは話が年寄りくさく
       ないこと。

       
       私は彼女を見かけるたびに、どうすれば
       このように素敵に齢を重ねることができ
       るのか、とひそかに観察する。       

       思うに、愚痴っぽくない。
       ご主人を早くに亡くされて、娘さんは
       海外で仕事をしておられるので一人暮ら
       しなのだが、それゆえにというか、
       自分の健康にはそれなりに気をつかって
       いる。
       水泳と体操をやっているのも、そのため
       で、脳の活性化にも役立っている。

 
       かといって、肩肘張って頑張っているわ
       けでもなく、あくまでも自然体なのだ。

       「どうやったら、そんなにきれいに齢を
       とれるの?」
       「ううん、何か特別にやっているわけで
       はないのよ。朝目がさめたら、ちょっと
       布団の中で手足を伸ばしたり……」

       この間、骨密度を測ったら、同年齢の女
       性比で115もあったという。
       高齢者にありがちな腰曲がりがないのも
       そのせいだろう。
       背骨がまっすぐで、実に美しいのだ。

       やっぱり、美しく老いる秘訣は、日頃の
       心がけと鍛練なのかもしれない。

       ワガママで気まぐれな私は、しきりと
       反省する。修行が足りない。


       ※ 公園にはいま抜け出たばかりの
         蝉の抜け殻がいっぱい。こちら
         はひと夏の生命を謳歌している。